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スーダン情報
本日、佐藤陽太君がスーダンにやってきました。
もともとは、昨年の春のスーダンでの学生研修に参加する予定でしたが、その直前で、あの大震災が起こり、
私は宮城県で活動し続けることになり、スーダンでの学生研修を行うことができませんでした。
彼を含めて、6名の学生さんがスーダンに来ることになっており、航空券まで予約してくれていたのに、
大変申し訳ないことをしました。
しかし、弘前大学の佐藤君と自治医科大学そして九州大学のスーダンに行く予定だった学生さんが、
スーダンではなく、被災地である宮城県に来てくれました。
そこでは、医学研修というものではなく、ガレキ撤去でした。
しかし、ガレキ撤去でも、被災された方々と親身になって話をしなけてはいけません。
目の前の困った人というに対してどう行動するかは、目の前の病んだ人に対処する医師の仕事と極めて同じことであると思います。
彼らは本当に一生懸命に活動を行ってくれました。
佐藤君もその一員で、彼は合計で4回も宮城県に来てくれました。
私も佐藤君に宮城県で何度か会いました。
そして、佐藤君が言うには
「川原さん、スーダンに伺ってもよいですか?」
というわけで、彼がスーダンにやってきたのです。
震災後の初めての学生のスーダンでの受け入れです。
佐藤君も相当に興奮していますが、私自身も彼に話したいことがたくさんあって、興奮しています。
今後、二週間余り、佐藤君とともに、スーダンを見つめ、そして日本を見つめてみようと思います。
彼はラグビー部であり、ラグビーの話で盛り上がります。
そういえば、引っ越しでラグビーボールはどこにいったんだろう?
佐藤君を相手に、ラグビーでもしたいのだけれど。
川原尚行
南スーダンにほんのちょっとだけ視察に行こうと考えています。
前回書いたナレダも南スーダンにいますし、自衛隊も南スーダンで活動しています。
さて、どうやっていくのか、見当が付きません。
大使館の方々は、ケニア経由で南スーダンに入っているようですが、まだハルツームから
南スーダンの首都のジュバへは直行便はあります。
なぜか、まだ国内線です。
新しい国家の誕生ですから、スーダンにも南スーダン大使館が機能するはずで、そこで入国ビザをもらおうとするのが
普通の考えですが、どうやら、南スーダン大使館は機能していないようです。
まずは、直行便を飛ばす航空会社に聞いてみましたが、あるところで許可をもらって来いと言われ、
そこにいくと、これはNGOビザ(私のビザ)はHACに行けと言われ、そこでは南スーダンからの招聘状を持ってこいと言われ、
・・・・といつものように、スーダンマジックが続きます。
たぶん、スーダンにいるNGO関係者で、まだ南スーダンに直接入った人、少なくとも日本人ではいないと思います。
スーダン人に聞いても、みんなよくわかっていません。
ナレダのかわいい笑顔と涙をみたからには、南スーダンに行きたいと思うのですが、こればかりはどうしようもありません。
とりあえず、できることを行います。
あとは、インシャッラ―!
どうなったのか、結果はまた報告します。
上記とは関係のない話ですが、休日の日にピラミッドを見に行こうとしたら、旅行許可証がなく、途中でストップをかけられました。
今まで長いことスーダンにいますが、北に行こうとして旅行許可証の提示を求められたのは初めてです。
どうも、北部にダムができて、そこに住めなくなった人たち(水没した村の人たち)が、不当な扱いを受けたと抗議行動を繰り返しているとのことです。
そのために、北部に入る人たちの監視を強めているという話があります。
変な国です、スーダンは。
川原尚行
私は、日本に帰国すると、インタビューを受ける機会があります。
いくつか、同じ質問を受けることもありますが、別に悪気があってのことではなく
その場の気分で答えています。
ですから、私のインタビュー記事の数年前から現在までを見比べると、随分と違うことを言っていると
感じることがあると思います。
「なぜ医者になったのか?」
これが、一番多く受ける質問です。
別に小さいときから医者にあこがれてなったわけでもなく、
気が付いてみたら、なっていたものですので、あまり答えようもありません。
インタビューをするほうからすると、もっと面白いエピソードを期待してのものかもしれません。
私は、「人の役に立ちたくて」
と答えているのですが、どれかのインタビューの中で、
別の角度から質問されて、それも遠まわしにです。
幼少時のことを問われて、そのことを想いだしました。
我が家には、和尚さんがよくきていて、和尚さんに
「人の役に立てよ」
と、言われていました。
それが、意志になったきっかけかもしれません、と答えました。
その時に、いろんな思い出がよぎります。
幼少時には、今の実家よりも山よりで、小さな家だったのですが、家の中には、
ひな祭りの雛壇のようにして、仏像がおいてありました。
一番上段には、炎にくるまれるような光背で杖を持って、こちらをぐっと睨む仏様がいました。
幼少時には、いつも怖い、というイメージを持っていました。
私は、「こわい」と何かに平伏す感覚はとても大事だと思っています。
幼少時にあった仏像が、私のおそれる対象でした。
この仏像は、私の家に良く来ていた和尚さんのいた山路のお寺にあります。
先日、スーダンの岩山に登って、岩と一体となったつもりで瞑想していたら、
この仏様が私の心に浮かんできました。
スーダンと日本、遠く離れていても、私の心の中には、
「畏れ」
が残っているようです。
スーダンの自然の岩山にも「畏れ」を感じたのでしょう。
川原 尚行
休日の金曜日に、ハルツームの郊外に出ました。
北部の方で、中国がつくった製油所の近くです。
そこには、砂漠や土獏が広がっている中、岩山がいくつかあります。
それらの山に登ってみたくて、車を運転していた西條君に、山の近くまでいくようにお願いしました。
岩山は、いくつもの岩が積み重なってできた山で、考えられないような岩の積み方をしています。
山のてっぺんには、大きな岩が今にも落ちそうに、前かがみになってあります。
その山を一気に登りました。
山のてっぺんでは、それは素晴らしい光景でした。
まるで、お天道様が作られた石庭のような印象です。
今スーダンに来られている加藤さん、杉本さんは八王子の造園の方々です。
加藤さんたちから、日本庭園に関することを伺っています。
木や石が何を望んでいるのか、気や石の気持ちを汲んであげての庭造りを行っているそうです。
その言葉を思い出しました。
これは、人間にはできないな、
果たして、これは天の意志であって、岩はこのような形を望んでいるのか、などと考えましたが
これら変な形に積み上げられた岩も、お天道様の意志であるならば、喜んでこの形のままでいましょう
と言っているような気もしました。
これも、加藤さんの話ですが、庭の石を切って石畳にするときに、カッターで直線的には切らないそうです。
石を割るということをして、石がどのような形を望んでいるのかを、石に伺いながら、石畳を作り出せいていくそうです。
もちろん、カッターで簡易にきったものではないので、組み合わせるもの大変です。
石の形の相性もあるのでしょう。それをひとつずつ、組み合わせていくのだそうです。
匠の世界ですね。
スーダンで登った岩山で、日本から来られた庭師の方の話を思い出しながら、
人というのは、自然に逆らってはいけない、驕ってはいけないんだ、と改めて感じました。
そして、岩山の上の大きな岩に私の体を密着させて、瞑想にふけりました。
私の脳裏に、私の想像もしなかったものが、浮かび上がってきました。
これは、また後日。
川原尚行
ハルツーム大学が主催する夕食会に招かれ、出席しました。
オイルハウスという立派な施設であります。
その中に30人くらいの集団がいます。
中国からの留学生だそうです。
夕食会の最中にあるスーダンの唄に合わせて、踊りだす学生さんもいて、中国の陽気さも見たような気がします。
私自身、中国はあまり知らないなあ、と考えました。
さて、その会を途中退席して、行かなければならないところがあります。
豪華な施設を後にして、車を走らせ、どんどんと郊外に進みます。
そこは、町のはずれであり、南部スーダンの人たちが多く住むところです。
車を止めると、中から音楽が響いてきます。
狭い家の敷地内に入ると、一人の女の子が私に抱き着いてきます。
ナレダです。
昨年、天の川プロジェクトと称し、南北スーダンの子供達を被災地に連れて行きましたが、
ナレダはその一員でした。
ちょっと見ない間に随分とかわいくなっているのに驚きました。
ナレダは、南スーダンが独立した後も北部の首都のハルツームに家族と一緒に住んでいましたが
明後日、独立した南スーダンに行きます。
彼女は、生まれも育ちも北であり、未知の世界に行くことになります。
複雑な心境でしょう。
内戦があったのは、25年以上も前で、彼女の両親が南スーダンから北スーダンに難民としてやってきたのです。
しかし、年月が経過し、北スーダンで普通の生活をするようになっていたようです。
日本に来た南スーダンの子供は、4月くらいまでには、全員が南スーダンに戻るようです。
音楽が狭い敷地内に鳴り響き、ナレダに導かれるように私も踊ります。
ナレダから家族のみんなを、そして多くの友人を紹介されます。
みんなで楽しく踊っていると、突然曲調の違った音楽が流れてきました。
しおりちゃんの「スマイル」です。
CDをプレゼントしたのを思い出しました。
「スマイル」は、被災地である 宮城県名取市閖上の子供達とその地域の方々と一緒に行った大運動会のときの
最後に流した曲です。
前夜祭でも、しおりちゃん自身が歌ってくれており、スーダン、閖上の子供達は、みんなでとっても良い歌だと感じていました。
南北スーダンの子供達は言葉はわからないけれど、この曲調が、心に響き渡るものだったのでしょう。
この歌を口ずさむようになりました。
スーダンに戻り、CDを贈ってから、「スマイル」を日本語で歌えるようになりました。
その「スマイル」が、ナレダのお別れ会で流れました。
みんなで歌います。
南部の子供達、そして北部の子供達。
「スマイル」の歌詞にある、
「君の笑顔がみんなを幸せにする、
だから笑ってよ、この青空の下で、君よ強くなれ!」
と歌っていると、私の横にいたナレダが涙をこらえきれなくなりました。
みんなも同じ気持ちだったようです。
局が終わると、抱き合って涙を流しました。
ナレダが、私に言います。
「また、みんなで日本に連れて行って」
「何年先かわからないけど、約束するよ」
この約束を果たすために、私はさらに精進していこうと心に決めました。
南北スーダンが分かれていきます。
それにつれて、人々も別れます。
しかし、きっと新たな出会いもあるでしょう。
そして、天の川プロジェクトで築き上げた南北スーダンの子供の「絆」を保たせなければなりません。
彼らを再度日本に連れて行ったとき、閖上の子供達はどうなっているのでしょうか?
今夜の光景を閖上の子供達に見せたいです。
そして、閖上の子供たちの成長も今後見つめていきたいです。
川原尚行
日本から農学部、薬学部の先生がスーダンに学会の参加のために、いらしており、
先生方の希望により、スーダンの植物園に行きました。
私は以前に二度ほど訪問したことがあります。
学会が終了してから訪問したので、もう門は閉ざされていました。
しかし、誰か中にいるはずと、門をたたいていると、思った通りに中から人が出てきました。
「日本からのお客さんが、中を見たいと言っています、入ってもよいですか?」
「どうぞ、どうぞ」
こんなのが、簡単には入れるのがスーダンの良いところです。
私は前に訪問したときと大いに違うのは、今回は専門家と一緒だということです。
「これは何という花ですか?」
先生方は丁寧に説明してくださいます。
年を取ってから、どうも花や植物を見るのが好きになりました。
若いときには見向きもしなかったのに。
歩いていると大変良い匂いがしてきます。
「これはジャスミンの匂いです」
気分が癒されます。
そして、目の前に大きくそびえる木があります。
植物園の真ん中に位置し、葉が緑から黄色みがかり、それが優しい夕陽を浴びて
とてもきれいです。
「菩提樹の樹です。葉っぱの先が尖っているでしょう、それが特徴です」
私は今まで10年近くスーダンにいますが、葉が色づいたのを見たの(認識した)は、初めてですし、
夕暮れ時ということもあり、緑と黄色の入り混じった、菩提樹の樹が神々しく見えました。
お釈迦様がこの樹の下で悟りを開いたんだな、と思いながら、しばし見つめていました。
そして、どうしてこの樹がスーダンにあるのか、考えました。
おそらく、英国がスーダンを支配しているときに、植物園を作り、インドから菩提樹を持ってきたのかなと考えました。
落ちていた緑と黄色の入り混じった葉っぱを懐に忍ばせました。
ハルツーム大学学長の晩餐会があり、明日の打ち合わせなどを行い、深夜、家に帰ってきて
菩提樹の葉っぱを見つめました。
事あるごとに、植物園に行き、あの菩提樹を眺めて付けていこうと思いました。
川原尚行
今回の先生方の来スーダンは、スーダン政府から資金が出ています。
当初は、二名分の渡航費用を出すと言ってきましたが、直前になって一名分しか出せない、と謝罪が入り
ロシナンテスが一名分の渡航費を持ちました。
しかし、ホテル代は二名分、スーダン側が拠出してくれました。
減額されたとはいえ、このことは、すごく大きなことのように思えます。
援助され続けてきたスーダンがお金を出してきたのです。
その気持ちが、良く理解できますし、ありがたいことです。
先生方にもその旨を理解してもらいました。
今回の渡航者は調さんと戸島君です。
調さんは、私が入局したときに、ちょうどアメリカへの留学を終え、大学に戻ってきたばかりでした。
大学に戻りたてというのもあってか、大変厳しい方という印象でした。
しかし、本当によく指導してくださったと感謝しております。
たまに、あまりに厳しい指導があったために、調さんが医局にいてカップラーメンを食べようとしていた時に
病棟から呼ばれて、席を離れたときに、私はそのカップラーメンを気づかれないように3分の1ほど食べたことがあります。
病棟から戻ってきて、少なくなっているカップラーメンをちょっと怪しげな目で見つめて、でも美味しそうに食べられる調さんがいらっしゃいました。
今から20年くらい前のことです。申し訳ございませんでした。
その調さんと戸島君は、私が所属していた肝臓グループです。
さて、我が国政府が無償で建てたイブン・シーナ病院があります。
ここで内視鏡下手術のワークショップがあり、戸島君が二日続けて内視鏡下肝切除と脾切除の講演を行いました。
スーダンの医師たちにあちらこちらに呼ばれて、深夜まで二人の先生を引きづり回し、私も疲れ切って戸島君のベッドの片隅に
寝かせてもらいましたが、深夜3時に戸島君が起きだして発表の準備を行いだしたのには、わが教室の厳しさの一端を見るようで
大変うれしく思いました。
スーダンの医師がCTの写真を持ってきます。
20代の若い女性の患者さんです。
肝臓癌のようです。
ギリギリのところで、肝機能次第では手術可能だとの判断をしました。
肝機能はどうかと聞くと、正常との答え、でもデータはありません。
そして、よく見るとCTは8か月前のものです。
今のCTを撮らなければ、手術適応は決められません。
しかし、血液検査、そしてCT検査をひとつとるにも、お金が必要です。
おそらく、CTが必要といえば、一族郎党からお金をかき集めて、CTを撮影するでしょう。
しかし、それは1週間後になるのか1か月後になるのかわかりません。
8か月前のCTも、そのような状態で撮影されたものと思われます。
結局、今回は手術の見送りとなりました。
8か月までであれば、何とかなっていたかもとの事が頭によぎります。
そのためにも、日本とスーダンとの医療連携ができればと考えます。
その後、学会がホテル内であり、二人の先生方は見事な発表をされました。
このホテル、リビアのカダフィが建設しました。
もう殺されてしまいましたカダフィですが、その遺物のようなものです。
学会の途中、スーダンの民家に寄りました。
そこで、普通のスーダン人の暮らしに触れてもらいました。
子供がそのへんを走り回ります。
大家族制ですので、子供があふれています。
また、ハルツームの郊外へ行く途中、市場で購入したスイカを木の下で、スパナで叩き割り
みんなで食べました。
冷蔵庫で冷やしてなくとも、こうやって食べれば美味しいものです。
どこからやってきたのか、スーダンの子供達がよってきて、スイカをわけてあげました。
子供たちの笑顔を見ながら食べるスイカの味は格別です。
両名の先生方が言います。
「何が幸せなんだろう?」
幸せにもいろんな形があります。
川原尚行
年初に密かに誓ったことは、今年はまめにブログを更新しよう、ということでしたが、
私の性格からか、三日坊主に終わっております。
大変、申し訳ございません。
ただいま、スーダンにいます。
先週には、日本から医師三名がスーダンに来られました。
いつものことですが、スーダンへの入国ビザは大変な作業です。
もう長年やっているので、組織として慣れてくるだろうとの御指摘もあるでしょうが、何せ相手がスーダン政府です。
やり方もその都度違ってきますし、窓口で対応する人が違えば、違ったことを言われるのが常です。
今までは、スーダンで日本人の入国手続きを行い、そしてスーダンの外務省から入国ビザの手続き番号をもらい
それを東京にあるスーダン大使館で確認して、ビザを取得するものでした。
最終的にビザが発行され、パスポートに貼られます。
しかし、今回はビザがスーダンにおいて紙で発行されたのです。
発行元は保健省です。
医師の招聘ですから、保健省なのでしょう。
原本はスーダンにあり、我々はそれをスキャンしてメールで日本に送りました。
それを印刷して、出国する時に航空会社の人に見せてくださるようにお願いしました。
通常、相手国のビザがないと、飛行機に乗せてくれません。
そして、スーダンにやってきて、スーダンの入国審査で紙を提出すると、
「これは何?」って言われたそうです。
スーダンでは、制度改変が行われますが、それが末端まで伝わってないことがよくあり、混乱をきたします。
今回も、そのようで出国手続きに一時間ほど要し、最後は保健省の役人が出てきてくれて、
解決したようですが、顔見知りは誰もいなく、不安の時間を過ごされたのだと思います。
私自身は、空港の待合室で待機するしかなく、出てこられた二人の先生方をお迎えいたしました。
先生方は、結局乗客の、一番最後に出てこられました。
スーダン種国のビザに関して、ロシナンテスの活動を始めてから7年間、ずっと戦い続けてきております。
これは、この国の体制が変わらない限り、継続すると思います。
ただし、今まで最後の最後で何とかなってきています。
それが、スーダンと付き合っていけるところです。
ある方が、スーダンとは悪女に似ているといましたが、言い得て妙だと思います。
腹の立つことばかりですが、憎めないところがあります。
そんなスーダンともおつきあいしていきます。
川原尚行


