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- 原点に立ち戻って考える
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- クリスマスに戦闘と子供たちの歌声
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- 第3回 集え!北九州のロシナンテたち!!
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スーダン情報
今日は、12月30日。今年もあと二日を残すばかりです。
スーダンは金曜日で休みですが、夜まで仕事が入っています。
最後は、スーダン人医師たちの集まる勉強会に行ってきます。
私自身は、だらだらと仕事をしていますが、締めるときは、きちんと締めないといけないと思います。
つまり、28日に簡単ですが納会をしました。
日本から持ってきた「もち」をみんなで食べただけですが、形として締めたものとなりました。
ロシナンテスは、設立から無休で活動していましたが、昨年から年末年始休暇を導入しました。
昨年に引き続いて、今年も年末年始は休みです。
東北でも年末年始は休みとし、スーダンかた東北まで電話して、それぞれに今年の働きの労をねぎらいました。
東北では、12月の何日だか、私の最後の東北の日にうちうちの忘年会を行いました。
最近、思うことは、すべてのことに意味があるということです。
今までは、気が付きませんでしたが、忘年会も一年の労をねぎらい、来年からまた頑張ろう!という意味合いがあるのかな、
と勝手に解釈いたしております。
今まで気が付かなく、みんながやっているからやる、もしくは慣習だから行う、ようなものの意味をじっくりと考えると
すべてに意味のあるように思えます。
これからの試みとしてあらゆることを
「原点から考える」
ことをしてみようと思います。
小さなことから、大きなことまでです。
日々の行事の他、
子供に対して、嫁に対して、親に対して、
スーダンのこと、東北のこと、
さらに日本の今の立場のこと
日米関係、日中関係、日韓関係、原発のあり方、
日本の政治のこと、経済のこと
原点に立ち返って考えると、今後どうすべきかがわかるような気がします。
そんなことを思う年の瀬です。
私は今年最後の日は、診療所のある村で過ごします。
みなさまの平成24年が素晴らしい年になるように、遠い空から祈っております。
川原尚行
ハルツーム市内は、平静を保っています。
昨日は、大学に行くのを取りやめましたが、もう近づいてもよいかもしれません。
もちろん、情報収集は行いつつです。
さて、現在ハルツームには廣浦さんという名古屋からお見えの臨床工学技士さんがいらしています。
もうこれで3回目のスーダンです。
臨床工学技士というのは、なじみがないように思われるでしょうが、高度化してきた医療界における
医療機器の保守管理を行います。普通の機器の保守管理と違うのは、一歩間違えば患者さんの命取りになることです。
機械のことだけでなく、医学のことに関しても知識が必要です。
スーダンにも、そのような臨床工学技士さんはいますが、
スーダンでは、臨床工学技士は機械のみで、患者さんに使用するのは看護師と役割分担が決まっています。
しかし、役割分担が決まっていても、連携プレーというのは必要で、それがいまひとつという気がします。
これには、スーダンの保健省も気が付き始めていて、保健省が話し合いたいと言ってきています。
また、大学機関もスーダンでの臨床工学技士の育成に関して協力してくれとの依頼を受けています。
この声にどう答えたらよいのかを思案しなくてはいけません。
「ひと」が必要ですし、それを支える体制も必要です。
日本の若い人が、飛び込んでくれるのが一番良いと感じています。
既存の出来上がった環境の中に入るのではありません。
自らが手探りで、作り上げていかないといけません。
「われこそは!」という人の出現を期待しています。
川原尚行
平和なクリスマスを願っていましたが、そうでもない事件が起こりました。
スーダンは南北の内戦ともうひとつの内戦があります。
ダルフール問題です。
ダルフールの反政府軍が、かつてハルツームで戦闘を引き起こしたこともあり、
ハルツームが騒然となったこともありました。
私は、ハルツームから診療所のあるガダーレフに車で移動中のことでした。
それと同じようなことが起きかけていて、再び同じ反乱軍がダルフールから首都のハルツームに攻め入っていこうとしていたようです。
そして、その反乱軍のトップであるハリル・イブラヒムがスーダン国軍によって殺害されたとの報道が
本日あり、ハルツーム市内でデモや抗議行動が広がっているようです。
そんな中、天の川プロジェクトで日本に行った子供が6名、ロッシー事務所を訪問してきました。
南部の子供たちも来るようにしていましたが、ハルツーム市内が騒然としていることなどから、来るのを控えるように指示しました。
北部の子供たちの移動は、問題ない経路と確認しました。
みんなで日本の映像を見て、そして最後はしおりちゃんのスマイルを歌います。
日本語で歌うのです。
クリスマスの日、かたや、大人たちの戦闘、かたや、子供たちの歌声。
人間とは、いったい何?と考えさせられます。
川原尚行
スーダンでは、クリスマスはいったいどのようになっているのでしょうか?
私が赴任してきた頃には、クリスマスは休日ではありませんでした。
一度、南部出身の大使館のローカルスタッフを私の家に招いたときに、口々に
「クリスマスを休みにしてほしい」
と言っていました。
クリスチャンにとって、クリスマスが休みでないのは、一番の憤りのようでした。
それから、内戦が終結して、南と北の連立政権になると、クリスマスが休日となりました。
めでたし、めでたしとなりましたが、今年は南部が独立してしまいました。
さて、北部スーダンのクリスマスはどうなるの?
人によっては、24日の夜に発表になると言っている人もいます。
スーダンでは、イスラム暦での休日設定で、月の状態によって休みが決められます。
ですので、前日の月の具合によって、正式に明日が休日かどうかが発表されます。
こういうことになれると、予定行動をとることが難しく、なるようになれと自然となってきますが、
さて、本日はクリスマス。
ロシナンテスは休日としました。
ただし、仕事はあります。
朝からハルツームの病院に出かけます。
私は、20日の夜に日本を出発しましたが、その時に小学校4年になる娘にこう言いました。
「お父さんは、世界サンタ教会から、サンタクロースに任命されたので、日本を旅立ってサンタの仕事をするんだよ」
「うそだよ!」
「本当だよ」
「じゃあ、私がサンタさんにお願いしているプレゼントが何かわかる?」
「今はまだわからないよ。世界サンタ教会が教えてくれるんだよ」
「うそだよ」
「本当だよ」
こう言って、家族と別れて日本を旅立ってきました。
娘が小学校2年生くらいだったら信じてくれたかな。
クリスマスの朝に、みなさま方の枕元にはプレゼントが届いたでしょうか?
私の枕元には、残念ながら何もありませんでした。
当たり前のことです。
私がサンタなのですから。
川原尚行
今日は、日本からの廣浦先生が来られます。
もう3度目のスーダン渡航でしょうか?
廣浦先生は、臨床工学技士さんで、私は廣浦先生とその仲間の方々に今後の大きな展開を感じています。
さて、スーダンの深夜に小津安二郎の「東京物語」を見ました。
なんとも、せつない物語です。
田舎から上京しても、忙しい子供たちにまともに相手にされず
唯一相手にしてくれたのが戦争で亡くなった息子のお嫁さんのみでした。
そして、自分たちの居場所のなさを感じて、故郷に帰るのですが
その直後にお母さんが亡くなるというものです。
戦争から8年経過した物語ですから、昭和28年の頃でしょうか?
私は昭和40年生まれですから、それよりも一昔前の物語です。
そのときでさえ、自分たちの生活が忙しくて、両親をちょっと邪魔にする風潮があったのでしょうか?
少なくとも、そのような風潮があったからこそ、それを題材にして「東京物語」が出来上がったのでしょう。
それから58年。
今の日本です。
しみじみと考えさせられました。
家族というのを、自分の配偶者と子供と限定しすぎてきたように思えます。
核家族がこれです。
家族と言えば、自分たちの親まで含めたものを指すように考えると、随分と景色が変わってくるように思えます。
「東京物語」では、末娘の京子さんが、地元の小学校の先生をしています。
願わくば、残されたお父さんと末娘さんがお婿さんでももらって一緒に暮らせれば、と思います。
親を思えば、必然的に故郷を大切に思う気持ちが芽生えます。
そういう自分は、親と嫁そして子供を日本におき、スーダンで年末年始を過ごします。
なんて親不孝な、そして家族思いでない男なのでしょう!と自責の念も湧き起ってきます。
今年は、震災後の被災地に入り、家族の絆を再認識させられました。
それだけに、ちょっと複雑な思いです。
みなさまも、お時間があれば「東京物語」をご覧くださいませ。
そして、ご自分のご家族のことを考えてくだされば幸甚です。
川原尚行
12月17日の土曜日に九州国際大学にて、上記のイベントを行いました。
このイベントは、今年で第3年目で、昨年一昨年は、北九州大学の学生さんを中心として、スーダンをテーマに行いました。
今年は、九州国際大学(九国大)の学生さんを中心として、東日本大震災をテーマに行いました。
中心として動いてくれたのは、九国大の国際ボランティアサークルである「エース」でした。
第2回のイベントのときに、客席にエースの代表の森本君がいて、
「自分たちは、このようなサークルを立ち上げました。何か一緒に出来ることはありませんか?」
みたいな発言がありました。
なかなか威勢の良いやつだなあ、と思い、今回の企画を持ち込みました。
学生だけでは、企画運営が成立するのは難しく、ロシナンテスの理事で私の高校時代のラグビー仲間である
武藤くんに責任者となってもらいました。
その後、紆余曲折はあったものの、森本君は、我々の活動している拠点の宮城県名取市に来てくれ
大嶋くんとともに活動を行ってくれましたし、その場でこのイベントに関しての話し合いも行いました。
今、スーダンにいる西條和代さんも、その時は東北におり、この話し合いに参加してくれました。
そして、北九州での話し合い、そしてメールのやり取りを行いながら、準備を進めていきました。
2部構成で、1部は私の講演で、2部は東北から「がんばっと玉浦」の谷地沼さん、大嶋くん、そして森本くん
コメンテーターとして私、それに司会としてテレビやラジオでおなじみの中島浩二さんにお願いしました。
この「がんばっと玉浦」ですが、私が震災直後に診療をしていたところの方々が、ロシナンテスのような活動の仕方があることに
気が付かれ、自分達で団体を結成したものです。
ロシナンテスが、かりゆし58やしおりさんのコンサートを避難所で行っていましたが、その時に彼らが協力者となり、その後
ロシナンテスを経由せずに、自分たちが企画し、東京に乗り込み、自分たちで直接交渉して、幾多のイベントをこなしてきました。
さらに、復興に関しても、自分たちの街をどうするかを真剣に話し合う場所をつくろうと、玉浦のみでなく、被災しなかった方々をも含んだ
岩沼市全体での復興会議を開催したりと、本当に精力的に活動している団体です。
「集え」を考えたときに、ぜひとも彼らを北九州に呼んで、直接話をしてもらいたいと考えました。
さらに、彼らは、岩沼の復興構想のなかに、ごみ処理施設も考えており、そのためにエコタウンとしての先駆者でもある北九州を訪問したいとの意向もあり、
「集え」のイベントの前日には、北九州のエコタウンを視察しました。
これには、北九州市さんには大変お世話になりました。感謝申し上げます。
さて、当日ですが、300名近い方々が集まってきてくださいました。
1部では、私がちょっと熱くなりすぎて、時間オーバーとなりました。
その後、ウィーンから駆けつけてくれた中村太地君がヴァイオリンの演奏を行ってくれました。
この太地君、私の高校の後輩にあたるのですが、現在はウィーン国立音楽大学で勉強しており、今回の震災で
自分にも何ができるか?を考え、チャリティイベントを考えて、来年の1月5日にウエル戸畑でコンサートを行います。
これは、ロシナンテスを応援してのものです。
迫力あるヴァイオリン演奏、そして私のリクエストである情熱大陸も演奏してくれました。
その後の2部では、中島浩二さんの本当に上手な話の持っていきかたで、議論が深まっていきます。
谷地沼さんは、阪神淡路大震災のときに、仕事として瓦礫撤去を行ったそうですが、行政側からの注意として
「笑顔を見せるな」との一言が、きつく響き、結局被災者の方々を会話を交わすことなく、東北へと戻っていったそうです。
そして、今回自分が被災するとは、まさか想像もつかなかったようです。
これは、私自身も考えさせられるところでして、果たして自分自身が被災するとして、どれだけのことが出来るかといっても
考えも及びません。
いつも津波のこと震災のことを考えていると頭がおかしくなりそうですし、大局的なことでラフに考えておくくらいしかできないのかなあとも思います。
また、「笑顔を見せるな」には、我々ロシナンテスとしても、全国から来てくれたボランティアの方々に注意したことがあります。
それは、「自分たちだけで笑うな!」ということです。
被災者の方々から振られた話題に対して、一緒に笑うのは一向に構わないという姿勢でした。
そのために、こうやって被災者の方々とのお付き合いがいまだに続いていることだと思います。
議論が続き、会場からの質問がありました。学生さんでした。
「我々にできることは何ですか?」
これに大嶋くんが答えました。
「わかりません。
状況は刻々と変化していきますし、私には皆様が何が出来るのかもわかりません。でも可能であれば、一度被災地をご覧になっては如何でしょうか」
そして、谷地沼さんたちが今思っているのは
「忘れないで」
ということです。
私は、九国大の森本君は、一度東北に来てもらって、彼の顔つきも変わったように思えましたし、一度見る事そして東北の方々を話をすることによって
其々の心の中で、今回の震災のことが刻まれると思います。
その後、どうするかは、その人その人で違って当然です。
最後にロシナンテスからの提案として、東北にはロシナンテス、がんばっと玉浦さらにほかの団体もありますので、それらが受け手となって
「被災地を視る」ことを来年にも行いたいと発言しました。
「そして、この実行委員会を結成したいと思いますが、この客席の中で、
実行委員になりたい方いませんか?」
と問いかけました。
この件に関して、打ち合わせは全くしていません。
もちろん、誰も手を挙げてくれないことも考えられます。
そうすると、なんと12名もの方々が手を挙げてくれました。
これだけ、議論に集中して聞いてくださったことですし、私は本当に感激しました。
そのようなことで、「集え」を終了いたしました。
「集え」の打ち上げは、わがふるさと山路で行いました。
鶴島さん、古川さん、そして山路の皆様、お世話になりました。
北九州、東北の小さな橋が出来たように思えました。
川原尚行
長女は、勉強を我が家の食卓で行います。
厳しい学校に行っているので、いつも夜遅くまで勉強をしています。
私の高校生時代とは比べ物にならないほど、よく頑張っています。
さて、昨夜も同様に勉強していました。
私の帰宅が遅かったので、夕食をしながら、長女の勉強をみます。
化学です。
懐かしい化学式をみますが、昔の記憶がよみがえってきます。
ちょっと考え、教えることもできます。
約30年前のことですが、まだ頭の中に入っています。
次は、数学です。
数列の問題で、これまた昔の記憶をたどっていくと、こんなのあった、と思い出します。
次々と難問をこなしていき、娘と解答が出るたびに、歓声をあげます。
そして、最後の問題。
うーん、と考え込みます。
なかなか解けません。
時刻は0時を過ぎます。
うーん、解けません。
そして、もう寝よう!
と、あきらめて二人とも休むことにしました。
私は布団の中でも、寝つけず考えます。
あっ!と思い、今朝、答えはこうだと思うよと娘に告げます。
果たして、正解かどうか。
娘が学校から帰ってきて、話すをするのが楽しみです。
しかし、私は今日から日本を出発し、スーダンに向かいます。
この続きは、スーダンで。
川原尚行
日曜日からずっと東京にいます。
月曜日の夜のみは、ピンポイントで宮城に行き、会合に出席し、
閖上の日和山に登り、そして朝一番でまた東京でした。
東京では、不動前にあるコンパスハウスに宿泊しています。
このコンパスハウスは、現在2名の男性に一組の夫婦が共同生活を行っており
私が東京に滞在する時は、決まってここに宿泊することにしています。
全くもって、面白い形の共同生活ですが、私もたまに加わり、それに輪をかけて面白い形にしています。
夏は、扇風機、冬の現在は暖房器具もなく、ふとんをかかえて寒さをしのいでいます。
このように書くと職なしの貧乏集団のようですが、そうではなくみなきちんとしたところで働いております。
贅をしなくとも良い、という集団です。
そこに昨日、大嶋が宿泊しました。
今も、私の横でグーグーと寝ています。
東北にいるメンバーの3人が東京に来ています。
主たる目的は、慶應大学で開催された医学と食の連携に関するシンポジウムが三田でありましたので、
みなで勉強するために上京しました。
「医食同源」です。
みんなでシンポジウムに参加することは、大変良いことです。
のちのちの議論にもつながります。
私が思ったことはいろいろありましたが、強く印象に残ったのは、
食はとても大事なこと。
そして、何を食べるかも重要。
でも、それを考えることなく習慣にしてしまわないと、精神的につかれる
というものです。
何を食べたらよいのか、これを考えて、食することはとても大事なことですが
これを四六時中考えていたら、大変なことで、考えずとも自然と体に良いものを食するような習慣を身につけたい、
もしくは、そのような食事を作ってくれる人から頂きたい、
と思いました。
大嶋が気持ちよさそうな顔で寝ている横で、新婚の恵理ちゃんがコーヒーを私に入れてくれます。
旦那のカズ君が、出勤の準備をしています。
一階の、お二人も出勤準備です。
もちろん、恵理ちゃんも働きに出かけます。
我々は、朝から文科省に提出する書類を書きます。
そして、大嶋は東北へ、私は鹿児島へと向かいます。
川原尚行
朝、神戸で講演、新幹線で移動して滋賀県の米原で講演、そして東京に新幹線で移動しました。
神戸では、薬関係の方々に呼ばれての講演会でした。
素敵なホテルに、素敵なお部屋を用意していただきました。
ありがとうございます。
しかし、到着したのが深夜で、特別な朝食が用意されていたにもかからわず、眠りこけてしまい、
朝起きてから、朝食を食べることなく、ばたばたと仕事となりました。
もう少し時間があれば、ホテルを満喫することが出来ました。
米原では、1500人の方々が集まってくださり、目を輝かせて聞いてくださいました。
また、講演後の募金では、本当に多くの方々からお気持ちを頂きました。
スーダンの方々から、震災にあたっての募金を頂いた時から特にですが、
額面に全く関係なく、「気持ちをいただいている」という感じになりました。
一円からでも、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
滋賀県は、素晴らしいところでした。
もっと、ゆっくりとしたかったです。
さて、米原から東京へ新幹線で移動中、私はコーヒーを飲みながら
講演の時にいらしてくださった京都の方からのお菓子をいただきます。
お茶の風味のとっても美味しいお菓子でした。
最近、酒を止めからか、甘いものが好きになり、喫茶店でケーキセットやらを注文したりします。
新幹線の私の隣に、休日なのに仕事をしてきたようなスーツ姿の方が座っています。
そして、コップ酒を飲み始めます。
うまそうに、うまそうに飲まれます。
しかし、隣に座っている私には、強烈な酒の匂いがしてきます。
酒を飲んでいた時には、自分がこうであったのかな、そして迷惑をかけていたのかな、と考えます。
しかし、私自身、隣の方を迷惑とは思っていません。
私は、酒飲みが大好きです。
顔を赤らめ、美味しそうに飲まれる姿は、見ていて微笑ましくなります。
それにしても強烈な匂いは事実であります。
甲類焼酎の匂いです。
将来、酒を飲む限定された車両が出てくる可能性もあります。
以前は、たばこはどの車両でも吸ってよかった時代がありました。
その当時は、全く気にならず、それが当然だと思っていましたが、
今は、喫煙車両に入ると、それは強烈なタバコ臭で、よくこんな車両に乗っていられるな、と思うこともあります。
もちろん、私自身もときたま座ったりもしますが。
時代は、そういったものに対して、厳しくなってきていますが、
私は寛容であり続けたいと思っています。
多少のにおいがしようとも、赤ら顔の奥にある笑みを見る限り、私もほんのちょっとだけ
その幸せな気分をおすそ分けされた気がします。
人間、酒をの人もいれば、たばこを吸う人もいます、
でも、どこかで許しあう気持ちを持てば、と思います。
そんな思いを抱きながら、東京で息子と息子の友人に会います。
息子がその友人に言うには
「親父が酒を飲んだら最悪だった。
大声を張り上げ、家のものが壊されるし、家全体が酒浸りになるようだった」
その通りでございます。
私が寛容でありたいと思うのは、自分自身を赦してください、という気持ちから来ているのでしょう。
その息子のラグビーに関する今後の姿勢に、私は息子の成長を感じました。
苦労は多いでしょうが、自分からそう願って行うことができれば、本物です。
川原尚行
東北にいる間に、名取と岩沼で復興に関しての会議に出席しました。
どちらも、極めて重要なことです。
中でも、岩沼での復興に関するワークショップは、東大の石川先生が中心となって
玉浦地区の方々と将来構想を住民の側から考えていく、というものでした。
この中には、「がんばっと玉浦」のメンバーもいます。
この「がんばっと玉浦」ですが、私たちが巡回診療していた中の方々で、
診療からガレキ撤去を行い、現在まで深い信頼関係を結んだ方々です。
この方々は、ロシナンテスの活動を見て
「自分たちにも何かが出来る!」
と、この団体を設立し、本当に精力的に活動しています。
今度、「がんばっと玉浦」の面々を北九州に招きます。
12月17日にある「集え!北九州のロシナンテたち!!」というイベントに参加するためです。
復興は、まだまだですが、このように住民の方々に新たな芽生えができていることは、
将来の日本にとっての、「種」になることだと思います。
農業に関しても、考えました。
一人親方の感じでの農業を、協力してたとえば農業法人をつくって、
一緒に借金をして農業機器を購入すれば、とか
農家レストランを創ろう!とか、
面白いアイデアが湧いてきています。
みんなお金もなく、農地も塩をかぶり、しかも地盤沈下しています。
でも、夢をもって、みんなで協力すれば、きっと花咲くときもあるでしょう。
住民との話をしながら、そのようなことを考えました。
また、名取の閖上の方々とは、地域新聞である「閖上復興だより」の第2号の発行を目指して
話し合いを持ちました。
みんな目を輝かせています。
ただ、それぞれが忙しく、お金も乏しいのが現状です。
単純なことを考えますが、みんなでお金を少しずつだしあって、
みんなのことをする人を決めればと。
これって、公務員の原点かな、と考えます。
お金を少しずつ出し合うのは、税金で、みんなのことを思って仕事をするのが公務員である、と至極当たり前のことです。
私たちNPOも実は、公務員的な働きであると考えています。
ときに、外務省のような働きもすれば、厚生労働省傘下の医療活動を行い、そして総務省関連の働きも行います。
皆様方から、温かいお気持ちを頂き、それをみんなのためを考えて、使っていく。
だから、税金をその分控除しましょう!
というのが、認定NPO制度でして、
現在、ロシナンテスは認定NPOを取得しようとしています。
もちろん、国税庁が認めてくれないといけません。
東北でそんなことを考えながら、昨日は深夜に神戸入り、
今朝、神戸で仕事をしてきました。
今は新幹線で滋賀に移動中です。
その後、東京に向かいます。
久しぶりに息子に会う予定にしています。
成長しているかな?
ラグビーの話も聞きたいし、大学の話も聞きたいです。
私からは、スーダンの情勢や東北の現状、そして将来構想なども息子に話をしたいです。
川原尚行
以前にブログに、「大きな問題が起きている」と書きましたが、これは
スーダンの滞在ビザの問題です。
私のビザは、一年間有効で2011年12月9日までが有効でした。
今回、スーダンを出国したのが11月29日。
そしてスーダンに入国するのが12月9日以降です。
一旦、ビザが途切れると非常に面倒くさく、再入国が難しい様子でした。
ロッシーのローカルスタッフが、例年のように時期を見てビザ延長の申請をしていましたが
今年はなぜだか担当官が変わって、変なことを言い出し始めました。
つまり、NGOのスーダン政府との契約が締結している期間でしたビザの発行が出来ないと。
次年度の契約はまだですので、私のビザも延長できないということです。
これをやっていると、来年の1月くらいまでかかりますので、私のビザ延長はそれ以降となり、
不都合を生じます。
例年、これは行っていることで、契約はないですが、ビザの延長は可能でしたが、今回は
担当官が変更になり、突然に言うことが違ってきました。
まあ、これはスーダンでよくあることです。
担当官が違えば、言うことも違います。
ですから、書類が通らなかったら、別の日に同じ書類を持って行くこともあります。
担当官が違って、ご機嫌であれば、書類が通ることも多々あります。
こんな国柄です。
今回は、私は今月中にスーダンに戻ってきて、大事な仕事があります。
どうしても、再入国しないといけませんでした。
私が出国する前日まで、ビザの延長はされてなく、あきらめムードでしたが
ローカルスタッフと岩木の機転で、奇跡的に出発当日にビザの延長が認められました。
いつものような、綱渡りでした。
ということで、問題は解決いたしました。
さて、昨日は亘理町役場を訪問しました。
亘理町の今後の仕事の展開が、うまくいきそうです。
そして、岩沼市で震災直後にお世話になった薬剤師さんに挨拶。
午後からは、仙台三桜高校で講演。
夜は、閖上の方々との会合。
その後、夜遅くまで復興に関しての意見交換。
外は寒いですが、熱い議論でした。
川原尚行
昨日、宮城県に入ってきました。
スーダンから九州を経て、東北です。
かなり、寒いです。
身体を慣らさないといけません。
そして、頭をスーダンから東北に切り替えねばなりません。
ロシナンテスが、東北で行っていること
1.学習支援活動
2.ガレキ撤去作業および清掃活動
3.地域住民を主体とした復興支援作活動
のそれぞれに関して、スタッフから耳を傾けていきます。
現在、東北にいるのは
大嶋、清水、山本、あかね、松隈そしてほぼメンバーのようにボランティアとしてきている「たかひろ」
それに工藤さんです。
深夜にわたるまで会議を行いました。
頭が東北になってきました。
うーん、難しい局面です。
九州にいると、もうすでに東日本大震災は順調に回復しているように感じますが、
実際は、まだ復興に関してもがき苦しんでいるのです。
今後の日本を占うにも、この局面で住民がどうするかにかかっていると思います。
小さなことの連続ですが、そのひとつひとつが重要な意味をもってきます。
今日、明日と地域住民の方々と会議を持ちます。
しっかりと話を聞きたいと思います。
それにしても、寒いです。
川原尚行
昨夜、両親とともに無事に帰国しました。
道中、病気をすることがありませんでした。
疲れもなく、無事に帰国することが出来ました。
「アル・ハンドリッラ」
スーダンの方々が良く使う表現が自然と出てきます。
神のご加護のおかげです、という意味ですか。
父親は、行きの新大阪駅の乗継がきつくて、
「もう引き返す」
とまで言っていたのですが、
スーダンが肌に合ったのか、向こうで元気にすごし
行きよりも、帰って来た時の方が、足取りも軽やかです。
何せ、「宇宙に行ってきた!」との感覚ですから。
また、母親は、言葉が通じればもっと楽しかったと感じたようで
言葉の勉強をしようか、と言っています。
齢76にしても勉学も悪いものではありません。
何事も前向きになることが肝心なことです。
さて、私自身はすぐに東北に向かいます。
東北でもやるべきことがたくさんあります。
また、両親には悪いのですが、帰国早々、私の代理で仕事をお願いしました。
頑張って働いてもらいます。
父親の足取りが今後も軽やかであることを願っています。
川原尚行


