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スーダン情報
80時間のスーダン滞在を終え、帰国しています。
スーダンの子供たちを日本に連れてくる計画は、私なりに感触をつかんでおります。
ただ、スーダンに慣れていない人では、まるでダメと判断してしまう状況だと思いますが。
なにはともあれ、帰国しています。
帰国の翌日に福岡で仕事をこなし、東京経由で徳島入りしました。
私にとっては、初めての徳島でしたが、緑と海そして吉野川の自然に恵まれ、素晴らしい土地でした。
徳島で2日間を過ごし、北九州に戻りました。
末娘の運動会があるからです。
午前中は、雨のため体育館で遊戯の披露で、早めの昼食。
そして長い昼休みの間にグランド整備です。
これは、学校の先生のみでなく、保護者や卒業生である中学生もみんなでお手伝いして、雑巾で水たまりの水を拭い取り
砂をまいて、平らにしてのグランド整備です。
そして、徒競走などが行われました。
わが娘も活躍して、娘の成長を喜んだのでした。
娘の友達も一生懸命に走っていました。
運動会は、本当に良いものです。
私は、小学校の時の運動会の経験が、日本人の教育の根幹の一つであるような気がしてなりません。
これをスーダンでもやってみたいものです。
そんなことを考えながら本日、被災地へと向かいます。
川原
昨夜は、本当に死んだように眠りにつきました。
日本にいるときは、午前2時に就寝、午前5時に起床といった毎日でしたので
久しぶりの暑さの中、そして扇風機の下でぐっすりと寝ることが出来ました。
今回のスーダン滞在は、過去に例のない80時間の滞在です。
なぜ、日本でも多忙でスーダンに来た必要性があるのかというと
スーダンの子供たちを被災地に連れて行こうと企画しているからです。
たんに、被災地に行くのではなく、被災地の子供たちと触れ合い、今後の交流につなげたいと
思っています。
スーダンは今年7月9日に二つの国に分かれます。
現在あるスーダン共和国、そして新たに南スーダン共和国が誕生します。
南北双方の子供たちを被災地へ連れて行き、被災地の子供たち、
そして被災地の方々と大運動会みたいなのが出来たらを考えています。
スーダンの子供たちと日本の子供たちが同じチームでラグビーやサッカーをしたり
二人三脚、綱引き、リレーなど地域の方々を交えて、行えたらと思います。
無謀だ!とおっしゃる方も大勢いらっしゃいます。
私自身、無謀なのは重々承知しています。
でも、実現できたら、将来にわたって素晴らしい交流になると思いますし
南北スーダンの両国の将来にとっても夢のある話になると思います。
ロシナンテスが勝手に話を進めるわけにもいかず、スーダン政府を相手に話を進めていっています。
ただし相手がスーダン政府だけに、何ともはがゆいくらいに話の進みが遅いのです。
今回の80時間の滞在で大まかな結論が出ないと、この話はなかったことになると思います。
何せ、日本での受け入れ準備を考えるだけでも相当なものです。
この交流が、復興の第一歩になるように精進していきたいです。
14日、再びスーダンへと向かいます。
と、思って関西空港へ向かっていると、あることが判明!
またしても、日にちを間違えていました。
前回は、前の日のチケットを持って行っていたのですが、今回は出発の日程が7月になっていました。
自分でチケットの手配をしただけに、何も言えません。
もう、アホとしか言いようがないですね。
不安を胸に、並ぶこと一時間以上。
何とかチケットが入手できました。
今から出国します。
うまくスーダンで仕事ができるとよいのですが。
インシャッラ―!!!
川原尚行
スーダンから5月4日に日本に戻ってきました。
九州の家に帰ることなく、そのまま被災地へと向かいました。
家内も手伝いに来てくれ、ロシナンテスで被災地に開く予定の寺小屋の打ち合わせに参加してくれます。
家内は、小学校の先生ですから、頼もしい限りです。
7日に講演会が博多であるために、九州に戻りました。
この日は、3回の講演でした。
メインは、日野原先生が会長をされている「新老人の会」での講演会でした。
なんと素敵な会でした。
今年百歳になる日野原先生の前では、70代はガキ扱いでした。
皆様生き生きとされていました。
この日の最後の講演会は、九州大学医学部同窓会でのもので、学生時代にお世話になった先生方ばかりを前に
緊張しての講演でした。
イヤー神経使いました。
そして、8日、久しぶりの休日です。
家内と末娘と一緒に皿倉山登山です。
これは、北九州市が主催してのもので、何千人という多くの市民が参加しているものです。
本当に、すがすがしい一日でした。
その翌日から、また被災地入りで、現在に至るまで忙しくしています。
どこかで、休みをとらないと、私自身の心と身体が持ちません。
私に安らぎを与えてくれた、家族と北九州の大自然とに感謝です。
川原尚行
昨日、ハサバッラ村の隣にあるワッデル・ハーディ村に行きました。
井戸の完成式への出席です。
今までは、アトバラ川まで水を汲みに行かなければならず、これは重労働です。
村から川までは一時間ほど歩いてかかります。
行きはよいのですが、帰りは水があるために大変です。
それを一生懸命に毎日村の人たちは頑張っていました。
また、水の事故も後を絶ちませんでした。
水を汲みに来て、足をすくわれて、溺れて亡くなったケースが年に数例起きていました。
もう、今後はその心配は入りません。
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今回の井戸堀そして給水所の完成には、浜田省吾さんの関連のJ's Foundation様、それに
大阪のうつぼロータリークラブ様からの支援で行われました。
この場を借りて、厚く御礼申し上げます。
本当に村の人たちは大喜びです。
さて、完成式での私のスピーチは、水のことだけでなく、東日本大震災に関しても述べました。
そして、避難所の子供たちから送られた「つなぎ」を村の人たちに見せました。
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「彼らは、近しい方を亡くし、財産も亡くしました。
でも、私にお礼がしたいと支援品の中からこの「つなぎ」を選び、
そこに私へのメッセージを書いてくれました。
私は涙を流す程に嬉しかったです。
誰からこれを何億円というお金を摘んだとしても、私は決して売りません。
これは、プライスレス(お金で価値を付けられないもの)です。
今、日本が苦しんでいます。
今までは、日本はスーダンを支援してきました。
今回、この一度だけ、スーダンが日本を支援してください。
金額の多寡ではないのです。気持ちを届けたいのです。
どんな金額、どんなものでもスーダンから日本に支援があれば、それはプライスレスなものなのです。」
このようなことを述べたところ、ワッデルハーディの有力者たちから支援金を頂きました。
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そして、夜、私が疲れて寝ていると、村人たちが私を起こします。
「ドクトール、多くの村人がドクトールを待っているよ」
診療所の前には、私を待つ多くの村人がいました。
そして、私の前に広げられたゴザの上にコインや1ポンド紙幣が投げられます。
本当に涙が出そうでした。
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金額の多寡ではなく、村人からの気持ちをいただきました。
彼らにはロシナンテスを通してしか日本を知らない裕福でない彼らが、彼らの身銭を切ってくれたのです。
これを東北に届けます。
スーダンの人々の気持ちを届けに東北に向かいます。
今朝の3時に村を出発して、ハルツームに向かい、仕事をこなし、夜にスーダンを出発します。
村の人々からの支援とは別に首都のハルツームでも、支援を募っています。
私の医師仲間、そして今日はハルツーム大学の学長にもお会いして、支援をお願いしてきました。
スーダンの人々は、「分け与える」ことを知っています。
スーダンの国情は大変ですが、このスーダンの人々の気持ちを届けます。
川原尚行


