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国際NGO / NPO法人 ロシナンテス

総選挙

日本では選挙があり、日本政治が変わりかけています。
良い方向に行くことを遠くアフリカの空に願っております。

さて、スーダンでも来年に選挙があります。
北部スーダンでは1986年以来、南部スーダンでは史上初のことです。

そのための住民投票が昨年行われ、それをもとに選挙が準備されています。
北部の人口が約80パーセント、南部が20パーセントだったようです。
しかし、この結果に南部の政党が、クレームをつけており、正式にはこのデータを受け入れていません。

いわく、もっと南部の人口は多いはず。
もし、2割の人口であれば、その分のみの国会での議席になります。
もっと多い人口であれば、国会での議席も当然増えます。

どう、折り合いをつけていくのか、まだ不明です。

その選挙の翌年、2011年に南部スーダンが独立するかどうかの住民投票があります。

先日、ハルツームにいる南部人を患者として診ました。
その家族に、一連の政治日程のことを聞くと、
「どうするかなんて、決めてませんよ」
とのこと。
百万人以上の南部人が北部スーダンにいます。
彼らがどうするのか?

全くの混迷をきたしていますが、もし他からの介在が入らなければ、混在を保ちながらも
うまくやっていくような気もします。
それが、アフリカの強みだからです。

川原尚行

更新日時: 2009年08月31日
雨、雨、雨

この頃のスーダンの気候はどうかしています。
今日の雨で、事務所への浸水は一週間で3度目です。

慣れていることとはいえ、気分的に参ります。

昨日は、南部ハルツームにある知人宅に行きました。
その途中、貧困地区の大部分の民家が水没していました。
また、至るところに池ができています。

ハルツームでは、雨は年に数回しか降らないと、排水溝の整備を全くしてないツケが、
ここにきて一気に吐き出されているようです。

この地区は、水が一か月は引かないのではないでしょうか。

日本では、梅雨が長引き、夏らしい日々はそんなになかったようですね。
スーダンは、雨が降ればもちろん気温が下がり、歓迎しますが、何せ家の中が浸水ですから気分も滅入ります。

暑ければ暑いで文句も言いたくなりますし、雨は雨で浸水被害が嫌だと、
まあ、勝手なもんですね。

暑ければクーラーの効いた部屋へ、そして雨が侵入してこない家に引っ越しすればよいのでは
とのご意見はもっともですが、
自然の変化に一喜一憂するほうが、より人間らしいかなと勝手に考えております。

川原尚行

更新日時: 2009年08月29日
日本からの学生さん

今、スーダンに日本からの学生さんが来ています。
今までに、40人近くの学生さんを受け入れてきた経緯があり、これからも受け入れをしていく予定です。

この学生受け入れ事業ですが、スーダンでは他の国と事情が違い、非常に難しい事業です。
たぶん、他のNGOで行っているところは、少なくとも私の知る限り、ありません。

まずは、スーダン政府が学生の受け入れに難色を示しています。
要は、NGOに研修と称してきて、学生が何をするのか分からない。
また、そのNGOがスーダン政府に対して旗色の悪い情報をその学生に流し、
その学生を通じてその悪い情報が伝わっていく。

以上のようなことを、懸念しているようです。

そのために、NGOを管轄しているHACから学生に関しては、ビザは出さない旨の通達を受けました。

逃げ道はあるもので、ロシナンテスは大学と協定を結び(これはまだ協議中ですが)、それに基づいて学生受け入れを行っている。
という風に算段をしています。

今回は、大学から日本の学生に招待状を書いてもらい、スーダンのビザを取得し、スーダンに入国してからは、大学の研究として
地方に行かせます、とのレターを当局に提出して、旅行許可証を出してもらいました。

検問でも、その大学からのレターで大丈夫でした。

私はスーダンほど面白い国はないと思っています。
ただし、通りいっぺんにこの国を見るだけではなく、深くこの国を見れば見るほどそう感じてきます。
それを学生さんにも少しでも感じてもらいたいのです。

今回の学生さんは医学部6年生でした。
今日、ハルツームの病院の研修医1年目とディスカッションを行いました。
研修医1年目は、それは立派なものでした。
良く勉強しています。

また、この日本からの学生さんは法学部も出ており、国際法を学んだとのことでした。
そこでスーダン政府の要人を紹介し、国際刑事裁判所が裁定を下したスーダン大統領への逮捕状発布に関しても
議論を行いました。

自分の立ち位置が違えば、もちろん見方も違ってきます。
どれだけ、いろんな角度から物事をとらえられるか?
そして、それをどう統合的に判断できるか?
それが真の勉強につながると思います。

手続きは、非常に煩雑ですが、この事業を引き続き行っていきたいと思っております。

川原尚行

更新日時: 2009年08月25日
ラマダン

いろんなことが同時に起きて、頭の中が混乱の極みにあります。
ここは、冷静に対処するのみです。

昨日からラマダンと思いきや、一夜明けてもラマダンではありませんでした。
これは、スーダンの10数人のメンバーからなる委員会によって、月の具合、隣国の決定などによって
いつからラマダンと決めるようですが、その委員会がラマダンは明日からと判断したものです。

何千万人の人が、その決定に従い、いっせいに断食を始めるのですから、面白いものです。

ラマダンは、私自身今年で8回目となります。
大使館時代には、ほとんど意識していなかったので、
実際の経験としては、5回目です。

今年は、ラマダンを頑張りますかね!

川原尚行

更新日時: 2009年08月22日
中古救急車

我々ロシナンテスの診療所には、日本の救急車があります。
中古の救急車で、草の根リサイクル無償という外務省のスキームで、日本から送って頂きました。

今では、診療所に日の丸をつけた救急車があるとのことで、村内だけでなく、近隣の地域からも問い合わせがきます。

その救急車ですが、最近故障を頻繁に起こします。

もちろん、中古の救急車ですから、ガタが来るの速いでしょうが、
まだスーダンに来てから2年くらいです。

舗装道路ではなく、そのほとんどを悪路を走行するために、ガタがきているとも考えられます。

本日、大使館に出向き、担当者のかたとお話をさせていただいたのですが、
このスキームでは、修理代を出すものではないと言われました。

ロシナンテスからの出費がかさみ、私にとっては我が身から出血しているようです。
早期に対処して出血を止めたいのですが、いまだに血を流し続けています。

現在の問題は、エンジンがヒートアップすることです。
ラジエーターが、いかれているのでしょう。

ハルツームでは、よい自動車整備をする場所を知っているのですが、ガダーレフではいま一つということもあります。

悩ましいことです。

川原尚行

更新日時: 2009年08月18日
冷静な抗議

岩間さんを見送りに空港へ。
今回の帰国は、JICAでの研修、さらに九州の本部での今後の戦略を練りに、そして日本で骨休めの予定です。

ハルツーム空港は、見送る場所がなく、空港の入り口で
「それじゃあ」
と言って、見送るのみです。

「また、戻ってくることのないように」
スーダンでは、砂嵐などの天候に左右されたり、なぜだかわからない飛行機の遅延が発生したり、
あるいはイミグレーションで難癖を付けられたりして、飛べないこともあります。

とりあえず、空港の中へ消えていくのを見届けて、一安心して家路につきます。

日本の事務局にも、その旨を連絡して、「明日、日本に到着します」てな、メールを送りました。

しばらくして、岩間さんからの電話です。
どうやら、飛行機の乗れなかったとのことです。

事情は、以下のようです。
まず、空港カウンターで出国ビザが期限切れになっているとの指摘を受けました。
確認すると、確かに期限切れのようです。
よーく見ると、前回帰国したときと同じ、日付で出国ビザの日程が記されています。
これは、明らかにそれを発行したスーダン政府の過ちです。

それを主張しても、なかなか認められませんでしたが、最後は発行番号に違うことに気づき、
それで相手も納得したようです。

この間に、しばらく時間が経過しました。
ようやく、出国ビザが解決して、再び空港カウンターへ向かうと、
その航空会社がダブルブッキングをしていて、もう座席はないとのこと。
夜中の便はあるものの、それでは、日本行きの便に間に合わず、
明日一番にハルツーム市内の航空会社の事務所に行くように指示されたそうです。
ここまでは、相手の航空会社の人は申し訳ない態度だったようです。

そして、岩間さんを迎えに空港へ行くと、がっくりと肩を落とした岩間さんがいました。
岩間さんを励ますため、昼間は私がラーメンライスを、夜はしげちゃんが手巻き寿司を作りました。
そして、芹沢さんから頂いたアイスクリームを、でかい箱ごと抱えて食べていました。

ちなみに、この一日のみで1.7キロ増量したようです。

次の朝、皆で航空会社の事務所へと行きます。
私は、こういう交渉ごとは、自分の眼前に繰り広げられると、必要以上にエキサイトしてしまうので
遠くで見ることに。

どうしようもない事態になっていることは、遠くからも理解できました。
岩間さんが冷静に抗議を続けますが、向こうは「私には落ち度はないのよ!」といった感じで
まったく、話にならないようです。
係りの人を代えて、交渉しても同じ結果です。

結局、出国は明後日になりました。

またしても、何が起こるか分からない恐るべきスリルゾーンのスーダンです。

それにしても、岩間さんの冷静な態度での交渉には、勉強させられました。
「昔は、怒ったことは何度かあったけど、それで事態が好転したことはなかったもんね」

そうか、私か過去何度か、きれたことがあり、岩間さんの言われるように
怒って事態が好転したことはありませんでした。
自分自身のやりきれなさの発散でしかありませんでした。

でも、相手の接客態度は、悪いと言わざるを得ません。
日本では、申し訳ございませんが・・・、というのが言葉の端々にも、そして態度にも表れるのですが
こちらでは、自分を正当化して、それを突き通してきます。

日本では、クレーマーが多いと聞きますが、彼らとこちらでの窓口担当と一度張り合わせてみたいくらいです。

岩間さん、もう少しスーダンでいらしてくださいな。

川原尚行

更新日時: 2009年08月15日
お盆

外に寝ていると雨に起こされ、屋根のある場所に移動しました。
雨に起こされるというのは、あまり気分の良いものではありません。

日本では、お盆休みに入るのでしょう。
故郷に帰り、ご先祖の霊を慰み、日頃過ごす小単位でなく大きな単位での家族の良さを認識してもらいたいです。

スーダンでは、もうすぐラマダンが始まります。
私は、今年のラマダンはどうしましょうかね。日中絶食するか、普通と同じにするか決めていません。

そのラマダン月の1か月を耐えると、スーダン人も故郷に帰って家族とともに祝います。
日本と同じように民族大移動です。

文化・習慣は違えども、家族を思う気持ちは変わりないのでしょう。

川原尚行

更新日時: 2009年08月12日

ハサバッラ村の人たちは、雨が降ると大喜びをします。
農作物が育つからです。

昨日も雨が降りました。
村人に笑顔が見えます。

一昨年は豊作、昨年は凶作。

今年は豊作になることを願います。

川原尚行

更新日時: 2009年08月11日
2010年カレンダー

ロシナンテス・カレンダーは08年、09年と制作し、それぞれ1500部、2000部を製作しました。
いずれも、写真家の内藤順司さんの撮影した写真を使用しています。

気は相当に早いですが、もう2010年のカレンダーに関して、動いています。
今までは、卓上タイプのものだったのですが、今年は壁掛けタイプも半分ほど制作しようと考えています。

これは、卓上タイプだと、場所がない、見にくい、きれいな写真を大きくみたいなどの意見が出されたためです。
内藤さんの作品は、本当に素晴らしいので、私は大きく引き伸ばして皆様方に見ていただきたいとの思いがあります。

また、従来タイプの利点としては、持ち運びが楽で、講演会などで販売しやすいことです。
どのタイプを何部作るか、またデザインをどうするか検討中です。

皆様方で、カレンダーに関して、来年はこのようにしてもらいたいとのご意見があれば
rocinantes-sudan@hotmail.com
まで、メールをください。

ぜひとも、皆様方とも協力して綺麗なカレンダーを作っていきたいです。

川原尚行

更新日時: 2009年08月10日
慰安旅行終了

前回の続きです。
ハルツームからスタッフがやってきたのは、もう夕暮れ間近のことでした。

今回は、20名もの人の移動があり、それを日本的にスムースに行くようにするのは、もともと無理なことです。
スーダンでは、スーダンなりのスタイルで行くことです。

当たり前のことですが、頭の中で繰り返します。

ハサバッラ村へと到着したのは、もう8時過ぎでした。
それでも、村の人たちは、我々の到着を歓迎してくれ、夕食をふるまってくれました。

これには、本当に感謝します。

今まで、村の人たちと我々ロシナンテス・スタッフとのいろんなことがありましたが、時間をかけて
触れあえば、少しずつでもお互いに近づいてくるものです。

その距離が、ずっと近くなるのを感じました。

そして、ハルツームの都会人であるスタッフが村のグッテイーヤでみなで寝ました。

翌日は、車で2時間ほどのところにあるカッサラに向かいました。
ここは、きれいなそして面白い形をした山がそびえており、スーダンの新婚旅行のメッカです。
そこの湧水は、聖水とされ、この水を飲むものは再びこの地に戻ってくる、とも言われています。

私は、2003年の洪水災害のときに、カッサラを大使館員として訪問し、
その惨事を報告して、日本政府からの援助につなげたこともある思い出の地です。

確か、その時も、この水を飲んだので、私もその伝えのように戻ってきたことになります。
この地域を流れる川はガッシュ川という暴れ川で、そのために03年の洪水災害が引き起こされました。

面白いことに、この川は涸れ川です。雨季には大量の水が流れているのに、乾季では、全く水がなくなります。
方丈記にあるように「ゆく川の流れは絶えずして・・・」ではなく、ゆく川の流れが絶えるのです。
面白いです。

そして、この地は果樹が豊富にあります。

今回ピクニックにいった農園では、グレープフルーツ、オレンジ、それにバナナがありました。
私は、果物泥棒のように、グレープフルーツを木からもぎ取り、5つも食しました。
本当に美味しかったです。

こんな感じで、慰安旅行を行いました。

NGOで寄付金から成り立つ団体だから、遊ぶなよ!
と仰る方がいらっしゃるでしょうが、どうかこらえてください。
たまには、みなでピクニックに行くのもお許しください。
その分、きっと働きづめよりも、実のある活動を行ってまいりますから。

川原尚行

更新日時: 2009年08月10日
ロシナンテス慰安旅行?

ロシナンテスには、スーダン人スタッフと日本人スタッフがいます。
私と岩間さんはハルツーム、ガダーレフ、そして診療所を行ったり来たりします。

スーダン人スタッフに関しては、ハルツーム事務所、ガダーレフ事務所
それに診療所のスタッフです。

それが一堂に会する機会はありませんでしたが、今週末に診療所のあるハサバッラ村で皆で集まって一泊しようという企画になりました。

その企画を聞きつけたHACは、我々も参加したいとの意向を伝えてきました。
これは、ロシナンテスの集いに来るのではなく、村のコミュニティとの話し合いに参加したいとのことでした。

ハサンとも話し合って、オープン参加できる会を設定したのですが、前日になってHACからドタキャンの電話がありました。

ハサンは結構頭に来ていたようです。

私は、ハルツームからの一行をずーと待っているのですが、途中スタッフの親戚が亡くなったとかで、
そのお葬式に参列して、しこたま御馳走をふるまわれたようです。
こちらも、ごちそうを準備しているはずなのですが、まだハルツームからの車は到着しません。

さて、どうなることやら、これがロシナンテスの第一回の慰安旅行になるかどうかですね。

最近は、あまり気持ちの変化を出さないようにしているのですが、知らず知らずに表に出ている感じもします。
泰然と!
しないといけませんね。

これは、アフリカの大地からの教えです。

とにかく、早く来てよ?!

川原尚行

更新日時: 2009年08月09日
情熱大陸、その後の村の様子

今年の一月に情熱大陸が放映されました。
その中では、診療所のある村とロシナンテスの都会出身であるスーダン人医療スタッフとの軋轢に関して番組は進められていきました。

多くの方から、その後はどうなった?
と聞かれます。

問題がすぐに解決するほど、簡単なものではありません。
じっくりと話し合いを重ねていきました。

その結果、医療スタッフのためのプライバシーと安全を確保するための塀などの建設をすることにしました。
この建設費用を、村とロシナンテスと保健省の三者で折半して支払うことに合意し、
建設を進めてきました。

予想されたことですが、保健省が資金がないと言ってきました。
この三者折半の話は、保健大臣(国ではなく、地方のです)も了承した事項であったにもかかわらずです。
仕方のないことで、私が個人的に支払うことにし、建設を進めました。

ようやく、建設が終わったところで、保健省が検査にきて、男女の宿舎を分ける壁を作りなさい、
そしてドアもきちんと設置すること。
金は出しませんが、要求はしてきます。
これも、もちろんこっちもちです。

その要求を受け入れ、建設をすすめ、最終的に医療スタッフ用の住居が完成しました。
保健省は、これでスタッフは村に住んで診療に当たることとのお達しをだしてくれました。

それをロシナンテスの医療スタッフの一部(医師が中心)が拒否しました。
たぶんこの医師は、村での生活が耐えられないのでしょう。
これには、保健省が対応してくれました。
医師を即刻、交代させたのです。

看護師、検査技師は、迷った末に村に滞在することを拒否しました。
これは、一人は子供が病気であることが理由、もう一人が勉強がしたいことを理由にあげました。

結局、医師、看護師、検査技師の総入れ替えとなりました。

医師は独身であり、村にずっといてもよいとのことで、休日も村に滞在します。
残り二人は、家庭持ちで週末のみの帰宅となります。

今までのスタッフは、診療所にこもりきりでしたし、この半年間は毎日の通勤でしたので
村の人たちと触れ合うことができませんでした。

今後は、村の人たちと大いに触れ合ってもらい、地域医療に貢献していきたいです。

川原尚行

更新日時: 2009年08月09日
ナミビア

ある日の思い出を一つ。
国際線で日本に向かっている時でした。
隣に座っている男性に声をかけると、ナミビアの方でした。
日本のとある大学に研修に行くとのことです。

ナミビアでは、政府の漁業担当で、この日本の大学には、漁業に関しての研修のようです。
話がはずみ、ナミビアの国のことなどに及びました。
とても小さな国で、人口は一千万にも及ばず、数百万とのこと。
ピグミー族がいて、自分のように背が低く、鼻の穴が広がっているなど・・・。

そのうちに関西空港に近づきました。

「どのようにして、その大学に行くんですか?」
「関西空港に泊まって、朝の飛行機で向かいます」

私は、ちょっと引っかかったので、
「航空券を見せて」
というと、私の不安どおりに、次の日の飛行機は伊丹空港の出発でした。

しかも、朝一番の飛行機なので、関西空港に泊まったとしても、伊丹空港へは間に合うかどうか分かりません。

関西空港へ到着しても、このまま放置できずに、空港の案内に向かいます。
案の定、関西空港から伊丹空港への連絡バスでは、その飛行機に間に合いません。
バスでなければ、乗り継ぎなどで難しいでしょう。

とすると、関西空港での宿泊(本人はホテルでなく、ソファーに寝ると言っていました)はありえず、梅田まで出て、ホテルに泊まり、そこからバスに乗らなくてはなりません。
これは、ちょっとやそっと説明しても、日本にはじめてきたナミビア人には、到底理解できないことでしょう。
「これも乗り掛かった船だ!」
大阪梅田あたりでの格安ホテル探しを始めました。

100円を入れて、インターネットで格安ホテルを探します。
そして、電話番号を探して、公衆電話から電話をします。私は海外へは、携帯を持っていかないので、いつも帰国、出国の時は公衆電話を利用します。そして、ホテルの受付へとつながります。
「今日の宿泊空いていますか?」
「はい、空いています」
「一名宿泊したいんですけど」
「これは、インターネットではないので、8400円になります」
「インターネットから予約したらおいくらですか?」
「5900円です」
「わかりました」
そうして、いったん電話を切って、再びインターネットに向かいます。

すると、別の外国人が私の使っていたインターネットを使っているではありませんか!
仕方なく、もう一枚百円玉を取り出し、インターネットで予約します。
彼からパスポートを見せてもらい、面倒なことをやっていきます。
私は、こういうことに疎いので、大変苦手です。
そうです、ほとんど私もアフリカ人です。
ようやく、予約できたと思って、再度ホテルに電話をかけます。

「インターネットを使って予約したのですが、ちゃんと予約が入っていますか?」
「予約はされていないようですね」
「インターネットの画面を見て、きちんと打ったのに、ダメでしたか、
もう電話をしているだからよいでしょう、インターネット料金で予約してください」
「それは、できません。電話での料金になります」

私の頭の中で「プチッ」と音がしました。
「もういいです!」
ガシャリと電話を切りました。

おかしな世の中のものです。
人件費を削減するために、インターネットでの予約を奨励し、それには私のような疎い人間には容赦なく、心の通った接客が出来なくなっているのでしょうか?
もちろん、インターネットがうまく使いこなせない私が悪いのでしょうが、納得がいきません!

私は意を決しました。
実家に電話をかけて、大阪の親戚の電話番号を聞きます。
そして、
「おばさん、久しぶりです。たったいま、アフリカから日本に帰ってきました。
突然で申し訳ありませんが、私とその友人を一晩泊めてください」
そのおばさんは、さぞ驚いたでしょう。

そして、私の家内に電話をかけます。
「ごめん、こんな事情で、今日は家に帰られなくなったよ」
「せっかく、お刺身を買って御馳走を用意してたのに・・・」
「ごめんね」
というわけで、ナミビア人の彼を連れて、枚方の私の親戚の家にお邪魔しました。
そして、彼を招いての宴会となりました。
彼は、スーダンのようなイスラム教徒でないので、ビールをしこたま飲んでもらいました。
彼は、この家のご主人に、ナミビアの写真集をお土産に渡します。
そして、一枚一枚写真の説明を行います。
おじさんは、日本の魂、大和魂をこのナミビア人に説きます。
小さな、本当に小さな日本・ナミビア外交です。

翌日、朝早くにおき(二日酔いでした)、彼と共に伊丹空港へと向かいました。
彼は、目的地へ、私は福岡へと向かいました。

私は、すぐに家には帰らずに、大きな荷物を抱えて、大学の図書館で調べ物をしました。
そして、ようやく家へとたどり着いたのでした。

「ごねんなさいね、私の奥様、いつもこんな調子で」

しばらくたって、彼からメールが来ました。
「あのときは、ありがとうございました。
日本の大学ではとても有意義な研修ができました。
そして、あの大阪での一夜は一生忘れません。
ナミビアにぜひともいらして下さい。
そのときは、十分におもてなしをいたします」

よーし!いつかナミビアに行くぞ!

川原尚行

更新日時: 2009年08月05日
長距離バス

長距離バスでガダーレフまで向かいます。
午後1時出発のバスに乗るべく、準備をしていたのですが、
11時に来るはずの来客(賓客です)が、12時に到着。
話も盛り上がって、結局バスターミナルに到着したのは、2時ごろです。

前回岩間さんは、3時くらいにバスターミナルに行き、最終のバスが出たからと
車での移動となった経緯もありました。
そこで、確認をするとガダーレフ行きのバスは、まだあるとのことで安心したのです。

ここまでは、順調でした。
しかし・・・。

長距離バスに乗るには、バスターミナルに常駐する警察官にパスポートを見せて登録をしなければいけません。
その警官がいないのです。

私が察するところ、隣の部屋もその隣の部屋もエアコンが故障して部屋中が水浸しになっていましたから
それが嫌で部屋から逃げ出したように思いました。

ドアに電話番号が書いてあったので、そこに電話しますが出ません。
他にも、外国人がいますが、この警官がいないためにバスに乗れません。

スーダンでは、面白いことに、その人に全権を委任しています。
つまり、代わりの人が、その人の仕事をしてはいけないシステムです。
そのために、その本人が中座しただけでも、すべての業務が停止されます。

1時間待っても、警官は来ません。
他の警官に問いただしますが、「もうすぐ来るよ」の一点張り。

さらに30分が経過したところで、このバスターミナルで一番でっぷりしていて、
偉そうな人がいたので、彼に窮状を述べました。
彼は、クーラーの効いた自分の部屋に私を入れてくれて、
「それはお困りでしょう」
と優しく接してくれます。

そして、その担当警官を探しますが、埒があきません。
「どうしようもないやつだ」
と言いながら、別の警官を呼び寄せ、私のパスポート情報を書かせ
「これで、登録は終了しました。さあ、出発してください」

それまで、何人もの人にお願いをしましたが、だめでした。
あの一番でぶった人が総責任者だったのでしょうか、解決しました。
ここまで2時間のロスです。

さて、ようやくバスに乗り込みましたが、乗客が5人しかいません。
スーダンでは、乗客が満員になってから出発します。
満員になるまで、30分くらいかかるだろうと、バスの中で寝ました。
しばらくして、乗客を確認すると10人程度です。
もちろん、まだ出発しません。

時間が経過していきます。
1時間、2時間、そして3時間。

スーダン政府の人がきて、もう遅いからガダーレフ行きを止めて、途中のメダニ行きに変更しなさい
との通知です。
そして、メダニ行きの乗客で満席になります。

たまらないのは、ガダーレフに行こうと思っていた私を含めての10人です。
スーダン政府の役人と掛け合います。
もめること30分。

ようやくバスはメダニ停車のガダーレフ行きとなりました。

気がつけば、昼ごはんも食べていませんでした。
バスの中で出される本当の粗食ですが、それが妙に美味しかったです。

しばらく経って、大雨が降ってきました。
すると、あろうことか、私の座席の窓はきちんとしまっているにもかかわらず、
どこからともなく、雨漏りがしてきました。
窓にあるカーテンを雨よけにして、なんとかしのぎました。

そんなこんなで、ガダーレフに到着したのは夜中の1時半でした。

いやー、いつもながら楽しいスーダン庶民ライフでした。
そうです、これを怒ってはならないのです。
当初は、このようなことに腹を立てていましたが、いまでは考え方を変えました。

面白いイベントが目白押し、しかも予測だにしないことが次々に起こるテーマパーク「スーダン」
日本では決して体験できません。
お金を払ってでも体験したいものです。

最後におまけとしてガダーレフ宿舎で蚊の大群に襲われました。

川原尚行

更新日時: 2009年08月04日
わっしょい百万夏祭り終了

最近、雨季のためか、砂が舞うことが少なくなりました。
そのため、きれいな青空が見えます。

雨季でないと常に砂塵が舞っているのがスーダンで、晴れていても、すっきりとした青空ではないのです。
私がタンザニアにいたころは、それはそれは、空がきれいでした。
さらに海に面したダルエスサラームにいましたから、青い空、青い海が満喫できました。

スーダンでは、今の時期のみ澄み切った青空が見られます。
それに、白い雲があるとまたよいですね。

日本はどうでしょうか?
梅雨があけずに、はっきりとしない天気のようですね。

昨日、一昨日と北九州で開催された「わっしょい百万夏まつり」に
我がロシナンテスは、ブースを出し、写真展に、ケバブサンドの販売を行ったようです。
昨年に引き続き、2回目の出店です。
若い連中から、お年を召した大先輩まで、大いに頑張られて頂いたようです。
ここでは、もちろん目的としてスーダンでの活動資金のためのチャリティという意味合いもありますが、
その場を盛り上げよう!との意識で統一され、
ロシナンテス・メンバーのそれぞれが忙しい仕事をする上で、充実した気持ちになってくれればよいと思います。
そして、その気持ちがスーダンまで伝わってくるようです。

北九州からの熱い思いを大切にして、スーダンでも精進してまいります。

川原尚行

更新日時: 2009年08月03日
超音波診断装置贈呈式

日本からコンテナが届きましたが、その中に超音波診断装置いわゆるエコーが3台ありました。
既着の1台と合わせて、計4台をスーダンの医師たちに贈呈しました。

そのうちの2台は、イブン・シーナ病院です。
イブン・シーナ病院は、1985年に我が国の援助で建設された病院で、
20年以上経過した今でもスーダンでの第一線に位置する病院として機能しています。

そこに前院長を2005年に、そして現在の院長を昨年、ロシナンテスで日本に招聘した経緯もあります。
日本から来た学生さんにも、いつも病院を開放してくれており、そのような御縁もあり、
今回の2台のエコーの贈呈となりました。

1台は、北ダルフールのエルファシール病院に贈呈の予定です。
ここは、私が昨年訪問し、そこの病院のバドラディーン医師と親交を深め、
彼を、昨年日本に招聘した経緯があります。
そして、今回のエコーの贈呈となりました。

最後の一台は、南スーダンとの境であるヌバ地方のカドゥグリの病院におる予定です。

ダルフールとカドゥグリはハルツームから距離があるため、輸送が再び大変ですが、
この輸送に関しては、両者の病院が責任を持つと言ってくれております。

これらの機器は、日本のJ?METSという臨床工学技士さんたちの団体が寄贈してくれたものです。
それを、ロシナンテスが日本からスーダンの港まで、そして通関手続き、ポートスーダンからハルツームまでの陸上輸送の責任を持ちました。

J?METSは、過去スーダンに3回、スーダンの技士さんたちへのセミナーを開催してくれており、
今後も継続してくださるようです。本当にありがたいことです。

これらの機器は中古ですが、まだまだ立派に機能します。
もし、スペアパーツが必要な場合や、故障が発生した際には、上記のJ?METSさんに尋ねることとなるでしょう。

最後に、スーダンの医療機器販売の担当者にこれら4台のエコーの時価を聞いたところ
1200万円とのこと!

このことを、スーダンの新聞に載せなくてはいけませんね。

今回の、超音波診断装置の贈呈にあたり、多くの方々にお世話になりました。
この機器が、スーダンの医療の役に立ち、スーダンの患者さんたちが救われることを期待します。

川原尚行

更新日時: 2009年08月02日
勉強会

毎月の最終金曜日(休日です)に、スーダンの医師が集まって勉強会を行っています。
毎回誘われるのですが、私が出席できるのは年間で3,4回です。

昨日は、その勉強会に出席してきました。
場所は、ハルツームで最高級ホテルのひとつであるロターナで行われました。
ここは、2年くらい前に開業したホテルで一泊3万円くらいだったと思います。
ちなみに、それまでの最高級ホテルはヒルトンホテルで、こちらも同様のお値段でしたが
老朽化して、とてもヒルトンの名前に値するものではありませんでした。

参加費は無料です。
というのも、スポンサーがつくのです。
スーダンでも、医師と薬屋さんはそれなりにひっついていて、薬屋さんがスポンサーです。

症例検討が2例、それにトピックの発表があり、2時間半あまりの勉強会です。
勉強会とともに、医師の社交の場でもあり、スーダンのお偉方の先生方に挨拶回りを行います。

そのあいさつ回りの中で、来年の2月にスーダンで初めての国際的な学会を開く予定であり、
可能であれば、日本から教授クラスを呼べないかとの話もありました。

「検討してみます」
とのお役所的な回答になりましたが、これはスーダンの医師から、いつも頼まれることです。

どなたか、スーダンまでいらしてくれるとありがたいのですが、またじっくりと作戦を考えることにしましょう。

最後に、薬屋さんがでてきて、日本であるのと同様に薬の宣伝を行います。
これは、ある種の洗脳みたいなもので、医師が処方箋を書く際に、ふっと薬の名前が頭の中をよぎらせるために宣伝を行います。

面白いのは、今回はインドの会社でした。
そして、世界が不況に落ち込んでいる今こそ、ジェネリック医薬品(いわゆるゾロ品のこと)をどうぞ!
そして、ジェネリック医薬品はインド製が世界の大半を占めている!とのことを述べておりました。

スーダンにおける外国人は中国人がいまだに断トツのトップですが、最近ではインド人が急速に増えてきています。
スーダンの石油利権の4分の1は、インドが握っていますし、今後ますますインド人がスーダンに入ってくることが予想されます。

勉強会が終了したのが夜の10時ごろ、家で夕食を取ってきましたが、
勉強会後の簡単な食事がふるまわれ、知り合いのスーダン人医師にしこたま食べさせられ、
11時過ぎに、腹いっぱいで、家路につきました。
最近は、肉食が少なかったのですが、久し振りに肉を食べさせてもらいました。

それにしても、この国の医療事情は一方向のみからは語ることができません。
薬屋さんの費用もちで行われるホテルでの勉強会も、ひとつの断面であり、地方に行けばまだ別の断面があります。
もちろん、そのどれもが、重要であり、無視できるものでもありません。
週明けから、別の医療の断面である村での診療に入っていきます。

川原尚行

更新日時: 2009年08月02日
だるま

前回に帰国した際に、群馬での講演会がありました。
その講演の翌日に、少し時間があったので、恩師の鈴木守先生に達磨寺へ連れて行ってもらいました。

とても静寂な中、大小いくつもの達磨が並んでいました。
いろんな祈願がなされていて面白いものです。
もちろん、選挙のときにはいまだに「だるまさん」が事務所においてあり、
当選の報とともに、だるまの目入れを行っているのをよく見かけますね。
最近では、国際色豊かであり、ワールドカップサッカーでの参加した国々が
母国の勝利を祈って、だるまさんに願をかけたあとがありました。

また、ドイツの建築家ブルーノ・タウトがここに2年間住んでいたことでも有名です。

ここを散策し、最後に大きな緑色のだるまを購入しました。
通常は、だるまは赤と決まっているようです。赤は魔除けの意味もあるようです。
緑にしたのは、これがイスラム・カラーであり、このだるまをスーダンの人にプレゼントしようと思ったからです。
鈴木先生と冗談で、「大統領にプレゼントしようか?」などと話していました。

そして、見事スーダン入りしたこの緑色のだるまがついに日の目を見ることになりました。
大統領とは言わないまでも、大統領補佐官に会う機会が偶然生まれ、彼にプレゼントをすることにしました。

彼は、スーダン人なら誰でも知っている有名な方です。
まずは、このだるまを彼にプレゼントするということが失礼なことであるか、スーダン人に相談しました。
イスラム教徒では、偶像崇拝を嫌っています。
だるまは、見事に偶像です!

結論は、この大統領補佐官は外交に大変精通している人でもあるので
まずは、問題ないだろうとのことでした。

あとは、だるまのあごの部分に、しげちゃんにアラビア語で彼の名前を書いてもらい
私が、日本語で彼の名前、そして裏には、日付とともに「ロシナンテスより」と毛筆で書きました。

大統領補佐官と会う日、私はスーツを着込み、しげちゃんは新調したジャラビーヤです。
しげちゃんの手には、緑色のだるまが抱えられています。

我々が彼の秘書に呼び出され、彼の部屋に向かいます。
自己紹介をした後に、このだるまを彼にさし出します。

彼は、にこやかにそれを受け入れ、「おもしろいものだから、家内に見せよう!」
と、全くフレンドリーな態度で我々に接してくれました。

スーダン政府の高官に会う機会もたまにですがあるのですが、彼ほどにこやかに我々を受け入れた方はいませんでした。

彼からは、「困ったことがあったらいつでもおいで」
と言われました。
事実、スーダン政府との交渉でいつも困っているのですが、これは時間があった時にでもじっくり話すことにしましょうか。

彼の元へと手渡った「だるまさん」が、今後の日本スーダン間のためのかけ橋となってくれることを期待しています。

川原尚行

更新日時: 2009年08月01日