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スーダン情報
霜田君が去った後、しげちゃんがスーダンに復帰しています。
しげちゃんとは、2005年にばったりとスーダンの道端で出会い、
それ以来2年間寝食を共にしました。
その後、しげちゃんはエジプト、ドバイを巡りながら仕事と勉強を重ねていました。
そして、霜田君が退任の報を聞き、スーダンに来てくれることになりました。
日本では、私の秘書として、通常の秘書業にはない、面白い観点から私をいろんなところに導いてくれました。
スーダンでは、早くもいかんなく、しげちゃんの持ち味を発揮してくれています。
定番の民族衣装のジャラビーヤを着て、外出しますし、そのつぶらな瞳で女の子に声をかけています。
仕事は、てきぱきとこなし、今後ロシナンテスの発展のために、なくてはならない存在になりそうです。
今、丸ちゃんが研究をしている村から上ってきて、ハルツームにいます。
しげ、丸コンビは、坊主頭にひげ面に同じようなメガネをかけ、どちらもアラビア語に堪能であり、年齢は一つしか違わず、
本当の兄弟のようです。
ロシナンテスの秘密兵器が両頭立てになりました。
今後が本当に楽しみです。
川原尚行
霜田君がスーダンを去りました。
私に誘われ、たぶん訳が分からないままにスーダンに来て、4年と2か月が過ぎ去りました。
「ロシナンテス」という団体も存在せず、スーダンでのルールもよくわからないまま、当初は無手勝流に活動を行い、
激情型の私に、よく付いてきたと思います。
霜田君がここまで私と一緒に寝食を共にできたのは、たぶんに彼がイエスマンでなかっただからだと思います。
イエスマンであれば、当然の如く私に対しての不満や怒りが増幅していって、最後はケンカ別れになるのが落ちでしょう。
そこは、霜田君ははっきりと「自分の世界」をもっていたためでしょう。
最初は、完全独身主義者であったのですが、いつの日か「結婚したい」と言ってきて、
それが実現し、あっというまに、所帯持ちになりましたね。
新婚当初から、日本とスーダンでの別居生活でしたが、辛い日々だったと思います。
今回は、家族を思いやっての帰国です。
家族を持つことの苦しみは、初めてのものでしょうが、愛は苦しみを伴うものです。
苦しんで、苦しんで、本当の愛を見つけてください。
そして、苦しみは、さらに続くものです。
霜田君が最後に「成長してからまたロシナンテスに復帰したい」と書き残して去りました。
成長するであろう霜田君を見守っていきましょう。
まずは、お疲れ様でした。
川原尚行
三田君の既報にあるように、女子小学校完成式典後にサッカーの試合をしました。
相手チームは村人の本当に活きの良い若者プレーヤーばかりです。
こちらは、内藤さんの大台をはじめ、40台が5名のロートルばかりです。
そこは、気合いでなんとかしないといけません。
その気合いも、それを裏付ける体力があってしかりです。
短期間での出張中の海原くんには、式典での疲れ、そしてわけのわからないバケツ水を飲んでの水当たりで
体調を悪くしての、試合でした。
各プレーヤーの様子は以下の通りです。
海原君は、ディフェンスをしていたのですが、開始早々から動きがまるで駄目です。
武藤君も同じ日程で来ているのですが、武藤君の動きは、なかなかよく、相手には強いプレッシャーになっています。
霜田君は、いつもの感じで、簡単に抜かれはしますが、根性で抜きさられたボールを追いかけています。
岩間さんは、軽快な動きを見せて、ボールに絡んでいっています。
丸ちゃんは、前回の女子代表チームでのハットトリックをしたときのように、前線でボールに絡んでシュートをもくろんでいます。
内藤さんは、その年齢から想像することができない奮闘ぶりで我々を引っ張っていきます。
そして、三田君は3人に囲まれても動じず、さすがの一言です。
私は、フィールドで下手くそなサッカーをしていましたが、キーパーのフセインの内股ぶりが気がかりで、
途中からキーパーをしていました。
キーパーをすると全体がよく見えます。
声だけは、人の何倍も出します。
「海原、顔を上げろ!」
「霜田、ボールを追え!」
この二人は、20数年前の高校時代のラグビーの練習を思い出したようです。
試合後、この二人が完全にばてています。
霜田くんは、足をもつらせ、そのまま足をつっていました。
足のいたるところがつるようで、顔をしかめています。
海原君は、完全にグロッキー状態で、ダウンしています。
しばらくしても、海原君が復活しないので、濡れタオルで体を拭いて、
丸ちゃんに、うちわで風を送らせました。
徐々に回復してきて、最悪の事態は避けることが出来ましたが、
この暑さは、普通ではないと改めて感じ入りました。
また、いつもこの状態でサッカーのコーチをしている三田君の類稀なる体力に再敬服です。
この日を終え、霜田君のスーダン滞在も、あと2日となりました。
川原尚行
完成式典の2日前に、日本から武藤理事(高校ラグビー同期)と海原事務局長(高校ラグビー2期下)がスーダンに到着し、
当日は、サッカー行事を連れ回し、さすがの二人もくたびれ果てた様子であり、ごめんなさいでした。
そして、式典前日に首都のハルツームから、武藤、海原、霜田、三田、丸ちゃん、内藤さんに川原の7名で
ランドクルーザーの上にふとんをはじめとする大荷物を乗せ、ハサバッラ村へと向かいました。
通常では、チェックポイントを何事もなく通過するのですが、さすがにこの車の様子では、止められました。
だって、一見して夜逃げしている集団か、どこかの国を亡命してきた集団のようですから。
本当は、旅行許可証がいるのですが、これは時間的に余裕がなく、提出した段階で飛び出してきており、
実際には許可証が手元にない状態でした。
でも、落ち着きはらって応答し、難なくパスポートのみで通過できました。
それから7時間余り、最後部の2人は、入れ替わりで、その苦(とにかく暑いです)に耐え、
無事にハサバッラ村へ到着しました。
村人の大歓迎を受け、式典が開かれる学校へと向かいます。
もう、夕方だったのですが、準備はこんなものかな、というくらいに進んでいません。
さらに、式典の概要における、こちらの考えを伝えましたいましたが、それが実行させる感じでもありません。
まあ、彼らが主役なので、彼ら流儀にやってもらえれば良いです。
そして、あのときに「日本人はこんなことを言っていたなあ」と思いだしてくれればよいのです。
準備は遅いのですが、「今夜は徹夜だ!」とハサンを中心に、村人たちは気合を入れて式典準備を行っていました。
会場設営とともに、ハサンの家では、明日ふるまう料理を支度していました。
8頭のひつじを屠ったそうです。
それを前日から煮込んでいます。
くだものや飲み物の準備も怠りがないようです。
我々日本人チームは、いつものハサンのゲストハウスでの宿泊ではなく
医療チームの宿舎で寝ることにしました。
小屋の中で寝るのは、暑苦しく思えたので、外にゴザを敷き、その上に布団を並べました。
そして、適当にみんなで横になります。
少し曇り空でしたが、大きく光り輝く流れ星が見られました。
眠りについて、しばらく経った頃、私は目が覚めて、星があまりに綺麗なので
隣に寝ていた武藤くんを起こしました。
すると武藤くんも海原くんも起きており、星空を眺めていました。
数個の流れ星を見ることもできました。
さて、式典当日です。
村人を学校の正門の前に整列させます。
女子学校ですから、女の子を中心に並べます。
少し遅れて、男子児童がきましたので、彼らを後ろに並ばせます。
その後ろが大人たちです。
彼らに、日の丸を持ってもらいます。
今回は、楽団を呼んでいます。
その楽団を正門のまえに並べます。
私は、日本大使がお通りになる道のゴミを最後まで拾い、きれいにすることを心がけていました。
大使と車列を同じにしている岩間さんから連絡があり、大使がもうすぐ到着するとの知らせがありました。
大使に、教育大臣が一緒です。
村の長たちと私とで大使をお連れします。
日の丸が並ぶ中をゆっくりと歩いていきます。
そして、学校の正門前。
群衆を落ち着かせてから、国歌斉唱です。
武藤君を先頭に、日本人が並び、「君が代」を歌いました。
楽団がありましたが、アカペラで行いました。
海原君は、異国の地で歌う「君が代」に涙があふれてきたそうです。
その後、楽団の演奏によるスーダン国歌斉唱です。
そして、学校の正門にあるテープを大使、教育大臣がカットします。
副知事が遅れてくるとのことで、しばし日陰で休憩です。
その間に、日本人スタッフを大使に紹介することができました。
式典では、女子小学校の完成式ですので、女子児童を前面に出すべきとの私の意見があったのですが、
それがうやむやにやり、女子児童は後へとやられていました。
この格闘をしてくれた、三田君や丸ちゃんは大変だったと思います。
御苦労さまでした。
どうしても、こちらの文化では、おとなの前に子供が並ぶのはダメだったのでしょう。
でも、我々の考え方だけでも伝わってくれれば十分です。
その後、副知事が来られ、式典の開始です。
各代表の挨拶やら、子供たちの歌と踊りが続きます。
私は、丸ちゃんがアラビア語で作ってくれた原稿を読みます。
原稿を読むのみでなく、間合いをとり、観衆を惹きつけるのにも心を配りました。
もうちょっと、うまく話すためにもアラビア語の勉強が必要です。
式典自体は2時間くらい続いたのでしょうか。
お客様は、テントの中で日の当たらないように、気を配り、私は炎天下でずっと絶えていました。
幸い、民族衣装のターバンのおかげで、ぶっ倒れずにすみました。
海原君は、この式典の最中に暑さにやられ、さらにそこにあった水を飲んで、腹痛に苦しむという二重苦状態だったようです。
彼は、さらに悲惨な状態になりますが、詳細はまた別に。
内藤さんは精力的に写真撮影を行っています。
さすが、プロの仕事です。
暑さにも負けず、本当に動き回って撮影を行っています。
頭が下がります。
式典を終え、ハサンの家での食事会です。
食事会ののちに、水施設のリハビリを終えていましたので、こちらも視察していただきました。
このすぐ後に、サッカーの試合を考えていたのですが、内藤さんより助言があり、この状態で試合を行うのは
危険であり、夕方に時間を変更しました。
この助言がなかったら、間違いなく海原君は昇天していたかもしれません。
私は、州知事からの茶会のお呼ばれがあったので、大使、教育大臣と行動を共にし、100キロ先の知事官邸に出かけました。
そして、知事、大使との茶会を終え、大使はハルツームへと帰路におつきになりました。
私は、また100キロもどって、村でのサッカー大会に挑みます。
そこで、海原君の地獄がはじまります。
川原尚行

7月11日に武蔵浦和にてロシナンテスカップを開催いたします。
詳細はこちらhttp://www.rocinantes.org/football/
普段なじみのないスーダンのことやスーダンサッカーをきっかけに皆さまに集まっていただき、フットサルを楽しんでもらえればと考えております。
チームロシナンテスも参加予定です。私も皆さまとフットサルを楽しみたいと思います。
参加チーム募集中です。フットサルが好きな方、また、ビギナーの方でも、スポーツを通じての国際貢献に興味がある方などお友達お誘いの上是非ご参加ください。
参加チーム募集中です!
主催:ロシナンテスフットサルイベント実行委員会
共催:スーダン共和国大使館、NPO法人ロシナンテス、(株)バンシード、GLOBE PROJECT、
(株)UNIPH
協力:SFIDA、(株)敬相、(株)イースリー、(株)Growing People's Will
ロシナンテススポーツ事業部・三田智輝の「スポーツで世界に笑顔を描くブログ」
http://blog.canpan.info/rocinantes_spo
昨日は、サッカー三昧でした。詳しくは、三田君が書いてくれるでしょう。
最高だったのは、ワールドカップ最終予選のスーダン対ガーナで、
写真家の内藤順司さんが我々の仕掛けでプレスとしてピッチで撮影したことでしょう。
多くのアフリカ人のプレスに混じって内藤さんが、ピッチで撮影していており、大変目立っておりました。
出来上がりの写真を見るのが楽しみです。
さて、今から出発します。
岩間さんが先乗りして、式典準備を進めており、
我々は、内藤さん、武藤くん、海原くん、霜田くん、三田くん、丸ちゃんそれに私の7名が一台の車に乗り込んで
500キロの道のりを進みます。
私は、再びアラビア語でのスピーチです。
昨日は、丸ちゃんが夜遅くまでアラビア語での訳を作ってくれました。
式典が成功するように頑張ります。
でも、まずは無事に現地に皆と到着することですね。
川原尚行
ハサバラ村から、学校の完成式典の準備を行った後、ハルツームへと向かいます。
途中、スーフィーの研究をしている丸ちゃんをピックアップしに、アブハラースという彼の住んでいる村に入ります。
彼らと一緒に食事を下後、丸ちゃんがグッバと呼ばれる偉人のお墓に案内してくれました。
300年も前の偉人です。
グッバの中に棺があるのですが、中は空洞で、砂地が見えます。
この砂の奥深くに、遺体があるそうです。
スーフィーの信者は、遠くからこのお墓を訪れ、この棺の下にある砂を一握り持ち帰るそうです。
ご利益があるとのことです。
棺は、形のみで、布で覆われており、いわゆるカーテンがかけられている状態です。
一見すると棺があるように見えますが、カーテンをめくると、砂が見えます。
私は、その棺の横に跪き、その砂地に手をおきます。
心、静かにして偉人との対話を試みます。
そして、右手で砂を掴み取りました。
これを持ち帰ることをお許しくださいと監視人につげると、この盲目の監視人は
ちょっと待ってと、手探りにある箱のところにいき、その中にあるあらかじめ用意されていた砂をくれました。
たんに、ビニール袋に入っただけの砂でしたが、私にとっては神々しく見えました。
それをハルツームに持ち帰りました。
夜は、丸ちゃんに連れられて、スーフィーダンスに参加しにいきました。
今までは、見るのみだったのですが、スーフィー研究者の丸ちゃんがいるおかげで、
参加できるのです。
観光客のいる一部のダンスと違い、日が暮れてから行われる二部は、観光客はだれもなく
熱心な信者のみでもダンスです。
まず、お墓の中に入り、みなで声を合わせて「アッラー」と叫びます。
これが、体全体にしみこむような感じで、これが私の今からの体験の前段階でした。
そして、この集団のリーダーであるシャイフに引き連れられて、メインの踊る場所に向かっての行進です。
このシャイフ、とても私に気を配ってくれているのが分かります。
でも、全体にももちろん目を向けないといけません。
そして、靴を脱ぎ捨て、ジクル(踊り)の始まりです。
「アッラー」の連呼から、なんと言っているのか分からないまでも
今まで、スーフィーを何十回と見てきているので、大体のフレーズが分かります。
それを大声で張り上げながら、輪の中でジクルを行います。
輪の中には、昇天を目指して、グルグルと回転するものもいます。
そのうちの一人が昇天したのか、倒れこみました。
そして、シャイフが輪の中を駆け巡っていると、私を呼び出しました。
私はシャイフの横につき、シャイフの行うとおりにジクルを行いました。
それから、シャイフは走り出します。
私も懸命に何周も走ります。
私とシャイフの後には、何人もが後に続きます。
輪の中をグルグル、グルグル。
声を出しながら、グルグル、グルグル。
そのうちに、「アッラー」のことばが、
「ヤーパン」に聞こえてきました。
群集の皆が、シャイフに先導されて全員が「ヤーパン」といっています。
ここにいる全員が私を励ますために「日本」と連呼しているのです。
私は嬉しさのあまり、走りながらも涙がこみ上げてきました。
私も声を張り上げます。
「ヤーパン、ヤーパン」
何周走ったのか覚えていません。シャイフは、突然座り込み、また「アッラー」を連呼します。
私も正座し、「アッラー」を連呼します。
そして、ひざ立ちになり、その姿勢のまま輪を一周します。
これが、結構きつかったです。
そして、また走ります。
長いジクルがいつの間にか終了し、お祈りでジクルの終わりを告げます。
私は放心状態にありました。
家に帰って、丸ちゃんに「ヤパーン」って言っていたよね。
と聞くと、それは絶対にないとのことです。
そうです、私は幻聴をずっと聴いていたのです。
丸ちゃんいわく
「川原さん、行ってしまいましたね」
川原尚行
この式典は、我々サイドが、村人を鼓舞しようと先に日程を決定しまい、関係者各位に多大なる迷惑をかけてしまいました。
とくに、在スーダン日本大使館には、本当にご迷惑をおかけしました。
まずは、スーダンの業者によると工事は一ヶ月くらいで終了するという甘い言葉を信用してしまったことが原因です。
もちろん、このプロジェクトのために雇用した工事監査人に相談しても、仕事の調子から行って、それくらいで終了するだろうとのことでしたので
いっそう、信用してしまいました。
それが、工事の進展が遅いのみならず、設計とは違って作り出すものもでてきて、それのやり直しを指示したりと
思ってもみなかったことの連続で、遅れに遅れて私が最終チェックしたときに、ようやく工事が完成式までには終了する感じ(これまた甘いか)でした。
式典準備の協議を村のコミュニティーと行いました。
いつものことですが、出たとこ勝負です。
だって、式典当日だれが主賓で来るのかさえ、未だに不明です。
スピーチの順番、大使館へのゲストの紹介などは、彼らが式典に到着してから出ないと出来ません。
それは、理解しているつもりでも、入念に準備を行いたいものです。
今回は、日本人がロシナンテス・スタッフとしてスーダン在住が4名(私を含む)、日本から2名、それに京大の丸ちゃん
そして、写真家の内藤さんです。もちろん日本大使も列席されます。
なので、式典の最初に「君が代」を斉唱することにしました。
もちろん、スーダンの国歌も斉唱されます。
それに引き続き、テープカットで学校に入ります。
群集は、それまでは学校の外で大使、ゲストを迎え入れます。
両国の国旗の準備も必要です。
今まで以上に国旗をつくるつもりです。
アフリカで見る日の丸には、泣かされます。
それから、学校に入るのですが、門がひとつであるので、相当の混乱が予想されます。
村人からの誘導係が必要ですね。
それから式典の始まりです。
スピーチを各ゲストにしてもらいますが、スーダン人特有で誰もが長く話したがります。
次の予定がある大使なので、早くに切り上げないといけないので、短くお願いしますといっても、
まず、聞く耳を持たないでしょう。
そうだ!忘れていました。私もスピーチをしないといけません。
丸ちゃんにアラビア語に訳してもらって、それを言いますかね。
こりゃ、大変だ!
今日のお昼に日本組2名がスーダンに到着します。
今朝は、ロシナンテス・少年サッカースクールに顔を出し、それから空港へと向かいます。
そして、夕方は女子代表チームの練習です。
最後は、スーダン対ガーナのワールドカップ予選です。
式典前に、サッカー三昧の一日です。
そして、明日早朝にハルツームを出発します。
川原尚行
星空のもと寝ていたら、突然降った大粒の雨。
みんなで、グッティーヤと呼ばれる小屋の中へ避難です。
次の日、またしても星空のもと寝ていたら、突風が吹き荒れます。
私は、ほんのちょっと我慢すれば止むだろうと考え、そのまま眠りにつきましたが、
気がつけば、風はちっとも止まず、外で寝ていたみんなはグッティーヤに避難し、私だけ外にいました。
でも、動く気力もなく、そのままにしていました。
しばらくすると、寒さが体の芯にしみてきましたが、それでも動く気力がなく
「早く太陽よ、昇ってくれ!」
とお祈りを始めました。
いつもは、暑さをもたらす太陽を嫌っているのに、このような状況では太陽を求めるのですから
人間って、勝手なものですね。
夜明けが近い頃になって、ようやく体が動けるようになり、ベッドから飛び起きました。
そして、砂まみれになった体を水で洗い落とします。
今日は、再びハルツームに戻ります。
日本からラグビー部の同級生の武藤くん(ロシナンテスの理事、北九州市役所で働いています)と、
事務局長の海原くんを迎えに行きます。
そして、女子小学校の式典は、22日です。
時間がなくて、式典準備のことは書けませんでした。
ハルツームに着いてから書きます。
川原尚行
NHKで放送されている「海外ネットワーク」という番組のコーナーの一つ[世界の子どもたち]に
ロシナンテスの運営する少年サッカースクールの子どもが出演します!
[世界の子どもたち]とは世界の子どもたちが夢中になっていること、将来の夢を語るコーナーです。
スーダンの子どもたちがどんなことに夢中になっているのか?また将来の夢は何か?
ぜひ放送をお楽しみにしていてください!
■放送日時:6月28日(日) 18:10?18:45
[世界の子どもたち]は番組最後の2分間ほどのコーナーとなります
※大きなニュースなどがあった場合、放送内容が変更となる場合もございます
■ロシナンテス・スポーツ事業部 三田智輝のブログ
「スポーツで世界の笑顔を描くブログ」http://blog.canpan.info/rocinantes_spo/
■海外ネットワーク番組HP http://www.nhk.or.jp/worldnet/
ロシナンテス代表・川原尚行がNHK九州の番組で紹介されます。
放送は九州地方のみですが、ぜひご覧ください!
NHK「ぐるっと8県九州・沖縄」
6月19日(金)午前11:30?正午
※川原尚行に関する放送は、午前11:45?午前11:54の予定です。
スーダンに戻ってきて、ハルツーム事務所で話し合いを行いました。
岩間さん、霜田くん、三田くんを交えて、現状報告と今後の課題を一日かけて協議しました。
その間、ほとんど停電です。
最初は、きちんとズボンとシャツを着て臨んだ会議でしたが、徐々に野球拳で負けるかの如く
一枚一枚脱いでいき、またしてもパンツ姿になってしまいました。
それにしても、首都機能が崩壊していますね。
インターネットもつながりにくいし、
そのハルツームを後にし、ガダーレフへとやってきました。
到着したのは、深夜12時。
星がとってもきれいでした。
川原尚行
出発の日の朝3時に起床して、準備を適当に行い、
家からの出発予定時間30分前にブログを更新しました。
余裕があるのか、ないのかわかりませんが、とにかくパスポートとチケットと財布はありました。
毎回、日本を出国するときは、家族総出で私の探し物をするのですが、
今回はそれもありません。
息子が練習に出発し、長女がバレーの試合にでかけました。
小倉駅まで来てくれるのは、家内と末娘のみです。
駅のホームで2人が見送ってくれます。
新幹線がホームに入ってきます。
お別れのハイタッチをして、新幹線に乗り込みます。
新幹線のドアが閉まります。
ドアの向こうには、家内と末娘が手を振っています。
新幹線が動き出しました。
それにあわせて、末娘がホームを走り始めました。
しばらく走っていると、駅員から停止すると言う意味の笛がなりました。
「駅員さん、お願いだから、娘を最後まで走らせてください!」
そう心の中で叫んでいました。
大阪では、小倉高校の同窓会が開かれます。
その出席のために朝早くに小倉を出発しました。
その後は、東京に向かいます。
大阪梅田からの伊丹空港へのシャトルバスでは14時には、会場を出なければいけません。
「もう少しここにいなさい」
と大先輩からタクシーチケットをいただきました。
本当にありがたいことです。
最後に、中座の失礼を会場の先輩方に申し上げて、タクシーで伊丹空港へと向かいます。
羽田空港では、カメラマンの竹林さんが車で迎えに来ていました。
休日なのに、本当に頭が下がります。
そして、日本の中枢にいらっしゃる、ある方にお会いしました。
日本最後ということで、大変美味しいシャンパンをご馳走になりました。
私の知らないところで先生の活躍があり、鳥肌が立つほどに驚きました。
話は尽きなかったのですが、20時20分発の関西空港行きの飛行機に乗らないといけません。
再び、竹林さんの車に飛び乗り、羽田空港へと向かいます。
私一人では、タイムキーピングは出来ないのですが、周囲の方々が気を使ってくださり、
関西空港行きの飛行機に乗ることが出来ました。
突然の予約だったので、普通席がなく、プレミアシートに初めて座りました。
シートナンバー「1A」です。
気持ちのよいものです。
寄付を下さった方々、申し訳ございませんが、最後のみ贅沢をさせてもらいました。
関西空港では、スーダンに研修に来た九大の後輩の別城君のお母様がわざわざ奈良から見送りにいらしてくれました。
東大寺のお守り、「生八つ橋」、「赤福」をお土産にいただきました。
そして、写真家の内藤さんと合流します。
内藤さんは、これで4回目のスーダンです。
私の診療風景やら、三田君のサッカーそれに学校の完成式典の写真を撮ってもらおうと思っています。
時間が少しあったので、ホテル日航に行き、軽く一杯と思っていたら、開いているのは一つの店しかありませんでした。
その店で、適当につまみを頼み、ビールを飲みます。
二人でビールを4本あけて、追加注文すると
「当店では、お一人様ビール2本までとなっております」とのこと
「これから、お酒のない国に行くのです。なんとかお願いします」
すると、ビールが2本出てきました。
ありがとうございました。
いい気分でいると、出発時間が迫ってきました。
空港に戻るともう誰もいません。
遠くからアナウンスが聞こえます。
「カタール航空にてドーハへ向かわれる内藤様、川原様、出発時間を過ぎております。お急ぎください!」
そこから、猛ダッシュです。
係りに人に聞けば、出発時間が10分早まったとのことです。
何とか滑り込みで飛行機に飛び乗りました。
飛行機が関西空港を飛び立ちます。
機首を西へと向かわせます。
座席前のテレビ画面には、飛行マップが写っています。
福岡の上空を通過しているときに、ふと今朝、末娘が小倉駅のホームを走っている光景が思い出されました。
そして、私の頭の中には、なぜか「なごり雪」の歌詞が流れてきます。
私の頬を涙が流れてきました。
そのまま、深い眠りにつき、気がつけば、飛行機はインドを通過したところでした。
そして、また眠りに着きます。
ドーハに着陸し、2時間ほどの待ち時間で、スーダン行きの飛行機に乗り込みます。
前回は、間違ってバンコク行きの飛行機に乗り込んでしまいましたが、今回は間違いなくスーダン行きの飛行機です。
ここでも、またまた深い眠りにつき、あっという間にスーダンの大地に降り立ちました。
気温は40度です。
懐かしい暑さです。
霜田くんと三田くんが迎えに来ています。
スーダンは、スーダンで待っていてくれる人がいます。
スーダンで関係者でスーダン帰任を電話で連絡します。
最後に我が家に電話をします。
末娘がでてきます。
「パパ、今度いつ帰ってくるの?」
川原尚行
いよいよ、スーダンに戻ります。
相変わらず、出国準備を全くしてなく、昨日も疲れて11時には寝たので、
朝3時におきました。
適当に準備をします。要は、パスポートとチケットと私が揃えば、出発できるのですから
いつもこうです。
朝早くに、大阪に向かい、仕事をこなし、東京でもまた仕事があり
再び大阪に戻ってきて、関西空港から出発です。
カタール航空です。
長男は、もうラグビー部の練習に出かけました。
長女は、バレーの試合の準備をしています。
次女は、寝ています。
私は、パンツとシャツです。
あと30分で家を出かけなければいけません。
それでは、さよなら我が家、さよなら日本!
川原尚行
昨夜は、久しぶりに九州の家に戻り、家族とほんの少しの時間ですが、ゆっくりと過ごせました。
末娘と一緒に風呂に入り、11時くらいに就寝しました。
出国前日は、SVP東京の2次選考で東京に行かなくてはいけません。
北九州空港を6時40分発の飛行機です。
実は、2次選考の準備を若者衆まかせにしており、私はプレゼンテーションの準備を一切しておりませんでした。
なにせ、忙しかったのです。
前夜も何もせずに寝てしまい、少し朝早くおきて、準備をしようと思いました。
朝、暗いうちから目が覚めました。
私の感覚から言うと4時半くらいかなと思って、時計を見るとびっくりです。
1時半でした。
2時間半の睡眠で、目が覚めたのです。
2次選考を前に緊張していたのでしょう。
それから、パワーポイントの資料とにらめっこしながら、何を言おうか考えます。
時間がフリーであれば、いくらでも話すことが出来ますが、20分の持ち時間です。
スライドは40枚用意しています。
言いたいことは、山ほどあるのですが、どこを強調したらよいのか、熟考します。
だいたい、考えがまとまってきました。3時くらいでした。
それから、ブログを書き、朝飯を食べます。
きっと、家内は朝早くからというより、深夜から騒々しかったと思います。
それから、ここの地域の神社を3つ回ります。
身を清めてから、歩きだしました。
宮の町の守り神である天疫神社、山路の守り神である神社、それに「猿田彦」さんです。
小一時間かけて、まわります。
家内が車を使うので、親父の車を借ります。
親父から車のキーをもらっていたので、それを持ち、出かけました。
3社参りをしたのち、親父の車を開けようとしますが、開きません。
間違えて、家内の車のキーを持ってきたのです。
また、家まで戻って、親父の車のキーを取ります。
家内が、車で送っていこうか、と寝ぼけ顔で言ってくれますが、
大丈夫だよといって、走って実家まで行きます。
走って、7分くらいでしょうか。
そして、やっとのことで親父の車を運転して、我が家に戻ります。
再び、シャワーをして、着替えをしていると、時間がなくなってきました。
5時50分くらいに家を出ようと思っていたのが、6時になってしまいました。
家を出て、親父の車に行くと、再び家内の車のキーを持ってきており、
また家に戻ります。
本当に私は、「バカ」です。
このときばかりは自分が嫌になりました。
高速道路をぶっとばし、6時20分に北九州空港に着きました。
私が搭乗手続きをした直後に、搭乗手続きの終了のアナウンスが流れました。
そして、東京へと向かい、羽田空港まで迎えをお願いしていたUNIPHの山本さんと合流して
京急の車中で、打合せです。
そして、2次選考の会場である慶応大学の前の喫茶店でも、打合せをします。
時間配分のみ心配でしたので、山本さんにブロックサインで時間を私に知らせてくれるようにお願いします。
さて、本番が始まりました。
前半戦で時間をとりすぎたようで、山本さんからの時間経過のブロックサインが気になります。
後半になって、飛ばして話します。
時間が気になって、山本さんに「残り時間は?」とアイコンタクトを試みるのですが、
山本さんは、ニコニコしているだけで、肝心のブロックサインは、送られてきません。
何度も、目配せをするのですが、まだニコニコするだけです。
そして、やっとのことで山本さんからブロックサインがでました。
なんと6分も残っているではありませんか。
途中、早足で話しすぎたようです。
最後に1分でまとめるところが、6分もあるのですから、適当にいつもの調子で話し続けました。
あとで、山本さんに「何でニコニコしてたの?」
と聞くと
「時間に余裕があったので、ニコニコしていました」
とのことです。
まあ、何とかプレゼンテーションも無事に終わりました。
緊張がほどけて、ビールでも飲みたかったのですが、車を運転せねばならず、
空港でチョコレートパフェを食べました。
めちゃくちゃ、甘かったです。
そして、九州に帰ってきました。
今から、古川和幸くんのご実家に行き、和幸君を連れて、スータ゛ンに行く準備をします。
明日は、朝から大阪です。
川原尚行
10日、11日と大阪でした。
今までは、大阪とはあまりご縁がなく、講演会も本格的なものは行ってきませんでした。
それが、今回大阪とご縁があり、10日に泉佐野の青年会議所に呼ばれたのと、11日に一般向けの大阪講演を行うことができました。
朝、九州を出発し、支援をいただいている西日本高速SHDにご挨拶に向かいました。
その後、講演会まで時間があったので、疲れを取りたい私はサウナへと向かいます。
優秀な秘書のしげちゃんは、時間管理がとても厳しく
「次の予定がありますから、2時半までには必ず戻ってきてください」
とのこと。
なんば近くのサウナに入ります。
2千円と非常に高いサウナ料金でしたが、疲れを癒すために一時間でもサウナに入りたいと
思い、漱石さんを2枚だしました。
趣向を凝らしたサウナであり、高温、低温サウナ、ミストサウナ、ジェットバスにプールもついています。
休憩を取る場所もあり、長い時間滞在したかったのですが、優秀な秘書のしげちゃんの言葉を守り、
急いでサウナを出て、待ち合わせの場所へと走ります。
すると、しげちゃんが
「次の予定が、5時半であり、15時半と勘違いしていました、すいません」
なんと、あと2時間サウナでゆっくりできたではないですか!
でも、ホテルに事前に入ることができて、少し仮眠を取ることができました。
これで疲れも少しは取れました。
さて、泉佐野は、大阪でも泉南地区と呼ばれており、独特の雰囲気があるところです。
あの清原を生んだ岸和田もすぐ近くです。
その青年会議所のメンバーも、大変熱い方々ばかりでした。
講演会後のグッズ販売も募金も好調でした。
本当にありがとうございました。
また、講演会後の焼肉は、たいへん美味でした。ご馳走様でした。
次の日の午前中に、時間があったので、また温泉に入りたいと思いました。
白浜温泉か、有馬温泉かと思って、どのくらいの時間がかかるのか、メンバーの人に伺うと
2時間以上はかかるとのことです。
それならば、近くに良い温泉があるとのことで、メンバーの中で、その温泉の旅館を経営されている方がいらっしゃり、
紹介してもらいました。
犬鳴山温泉というところです。
そこに、行くことにしました。
私としげちゃんと、史上初の予備校生でスーダンに来た、現在無職の秋田君の3人で向かいました。
泉佐野から、バスで30分もいったところでしょうか、
大阪の街の喧騒から一転して、緑深く、小川の見られる信じられないような風景が目の前に広がってきました。
先日紹介された南さんの経営する旅館「み奈美」へと到着します。
入浴料を支払おうとすると、お金はJCさんから頂いておりますとのことで、
部屋まで用意されてありました。
このあたりでは、蛍も飛び交うようです。
温泉の質もよく、料理も大変美味しく、
たった3時間くらいの滞在だったのですが、一泊したような気分でした。
これから、関空で時間のあるときには、犬鳴山温泉を利用しようと決めました。
皆様方も、一度行ってみてください。
南さん、泉佐野JCの皆様、重ねて御礼申し上げます。
さて、それから高校のラグビー部の後輩の市口くんのお父様へ挨拶に伺います。
市口君を、今後ロシナンテス関西の支部長に任命すべく、ご迷惑をかけるお父様(実は社長さんです)に仁義を切りに
伺いました。
このお父様、ラグビー一筋!のようでして、新日鉄釜石、それに京都大学でラグビーの監督をされておりました。
ラグビー話は尽きず、時間のたつのも忘れるほどでした。
サッカー関連の若者も連れて行ったのですが、「俺は、サッカーは好かん」
の一言で、サッカーの話は一切できませんでした。
それから、いよいよ大阪での一般向けの講演会です。
会場は700人入れるスペースの大きな会場です。
椅子は600近く並んでいます。
100人を切る参加者だったらどうしよう、と思い悩んでおりました。
今回の講演会の企画は市口くんを中心とした小倉高校卒業の関西在住の方々でした。
みなさま、それぞれ仕事がありながら、話し合いを重ねて準備をしてくださいました。
そのおかげもあって、私の不安は完全に払拭される大勢の参加者がいらしてくださいました。
本当に感激してしまい、私自身興奮状態で、時間をオーバーして話をしてしまいました。
講演会後に、本当に多額の寄付が集まりました。
今回の講演会の準備の中心となった市口くん、私のお願いでとても素敵な着物姿で司会をしてくれた山内先輩、
かばんを忘れたことをも忘れて懇親会に参加してくださった北中先輩、夜遅くまでお付き合いしてくださった前田先輩
その他、名前を出したらきりが無いくらいに多くの方々にお世話になりました。
本当にありがとうございました。
また、大阪で講演会を行いましょうね。
川原尚行
昨日、今シリーズ22度目の講演会を終え、本日23度目の講演会で終了です。
小学生から中学生、高校生、大学生そして社会人向けと様々な分野で行いました。
私自身の講演は、大体同じですから、私にとっての楽しみは、講演会後の質問です。
まず、京都高校でのこと
最初は、恥ずかしがってか、質問の手が上がらなかったので、私が指名して
しゃべらせていました。
その後、質問がでるようになり、その中に以下のようなものがありました。
「川原さん、世界は広いですか?」
これには、正直心が洗われました。
「世界は広いです」
「ありがとうございました!」
これを全校生徒の前で言うのですから、たいした度胸です。
横浜の神大寺小学校でのこと
私がスライドを見せていて、「ロバにひかれて患者がやってきます」
と言うと、
「救急車だね」
「ロバキュウだ!」
小学生の頭は、柔らかいものです。
そして、素晴らしいコーラスでの校歌を聴かせてくれました。
あんなに表現力豊かに校歌を歌うのは、初めてでした。
私の中では、校歌は気合いで歌うものとばかり思っていました。
講演会後に給食を一緒に食べたのも楽しかったです。
地元、中原中学校での講演は、家内が中原小学校で働いているために
ある意味、私自身緊張しました。
講演会の後に書いてくれた感想文を読みました。
自分では、思ってもいない所に中学生は感じ入ってくれたこともあり、
私自身が、中学生から教えられた気がします。
山口大学では、スーダンに来てくれた阿部さんが一生懸命に講演会をセットしてくれたのがわかりました。
彼女の頑張りがわかっただけに、満席の会場をみると、胸が熱くなりました。
東京での講演会では、最後の質問コーナーでは、多種多様なご意見が飛び交い、
私にとっても、頭の中の整理にもなりました。
この会に参加していただいた高久文麿先生、押山JICAアフリカ部長、それに在京スーダン大使館のエルガザーリ参事官
そして、多くの参加者の方、UNIPHの面々、本当にありがとうございました。
鹿児島での講演会は、私は生涯忘れないものとなります。
最後の、書道には、本当に泣かされました。
懇親会も、私の大学時代の友人も駆けつけてくれたこともあり、めちゃくちゃに楽しかったです。
その他、多くの方々が講演会のために尽力くださり、どれもこれも満足のいくものでした。
本当にありがとうございました。
私自身、自分に鞭を入れて、今までにないハードなスケジュールを組み、
今日まで無事に来れました。
14日に日本を出発しますが、それまでもハードな(超人的です)スケジュールを最後にこなします。
多くの方々に支えられて、ここまで来ております。
わがままの多い、とんでもない私ですが、どうぞこれからもよろしくお願い申し上げます。
川原尚行
日本でも忙しくして、なかなか九州の実家に帰れない日々なので、
家内を東京に呼びました。
東京でも仕事が入っており、家内を連れまわしていますが、それでもその合間をぬっての東京デートです。
一緒に食事をし、ワインを二人でいただき、楽しい東京の夜を過ごしました。
束の間の時間でしたが、恋人気分でした。
川原尚行
一昨夜、九州に戻ってきたのに帰りは12時近く、
昨夜も帰りは、10時過ぎでした。
そして、今朝早くから再び東京です。
今回、あまりにも家内との時間が少なく、家内を連れて東京に向かいます。
子供は、おじいちゃん、おばあちゃんの家です。
いつも、家で寝るときは、上の子供二人は、2階の自分の部屋で寝て、私たち夫婦と末娘が
1階で「川」の字で寝ます。
今朝、早いので、末娘は、お兄ちゃんと一緒に2階で寝ています。
朝起きたときに、私たち2人がいないと寂しがるからと思ったからです。
昨夜は、末娘は楽しそうに2階に上がっていきました。
私は、東京と横浜で講演を行い、北九州に戻ってきて、講演を行い、
それから大阪に向かい、講演を2つ行います。
そして、北九州に戻ってきて、東京へ行き、SVP東京の2次選考でプレゼンテーションを行い、
北九州に戻って、大阪に行き、最後の挨拶を行い、そのまま関西空港です。
子供と過ごせる時間がほとんどなく、ちょっぴり寂しい思いです。
川原尚行
長野県で発行されているサッカーマガジンフリーペーパー[twelve]にて
三田智輝の連載がスタートしました。
「海を越えスーダンで夢みる蹴人。」と題してスーダンのサッカーについてお伝えします。
長野県のサッカーを盛り上げたい。それが青少年の育成につながれば!!
という思いから作られたフリーペーパー「12」
ぜひお手にとって見てください!
twelve Official Websiteはこちら→http://www.bamseed.com/
(ウェブマガジンで全ページ見ることができます)
ロシナンテス・スポーツ事業部ブログはこちら→http://blog.canpan.info/rocinantes_spo/
ラジオ放送出演のお知らせです。
2009年6月19日(金)23:00?24:00
FM NACK5「おとこラジオ」に川原尚行が出演いたします。
NACK5ホームページ→http://www.nack5.co.jp/
お時間のある方はぜひお聞きください!
*場所にもよりますが、首都圏全域だいたい聴くことが出来ると思います。
*放送日時が変更となる場合もありますがご了承ください。
(こちらで分かり次第、ブログでもお知らせいたします)
秋葉原にある大企業の方々に挨拶に伺いました。
もちろん、私の優秀な秘書のしげちゃんも一緒です。
このしげちゃん、サラリーマンの経験がなく、それだけに大企業のトップでも臆しておりません。
それが、かえって大企業のトップの方との話も盛り上がるのでしょう。
私との名コンビとなっています。
挨拶を終え、次の約束まで少し時間があったので、コーヒーでも飲もうかと
私はしげちゃんに声をかけます。
すると
「せっかくですので、メイド喫茶に行きましょう」
との、優秀な秘書のしげちゃんの言葉です。
それに従い、人生で初めてメイド喫茶に行きました。
一番安いドリンクを頼み(630円でした)、かわいい(?)格好をした女の子がわれわれに話しかけてきます。
あー、こういうスタイルだったんだ!
女の子に話しかけるのが苦手な男が、喜ぶわけです。
せっかくだから記念に写真を撮ろうとすると、別料金の発生ということで、
当然のごとく断念します。
女の子が写真入の名刺を持ってきます。
その裏に、3つの円が書いてあり、そのひとつにブタさんの絵がかかれています。
月内に3回女の子と話をすれば、写真が無料となるシステムだそうです。
2度とくることはないと思いながらも、その名刺をポケットにしまいます。
私としげちゃんは、女の子たちにも、ロシナンテスの説明を行います。
サブカルチャーからのブレイクもあるかもしれないからです。
そして、店を後にします。
「行ってらっしゃいませ、ご主人様!」
この言葉に、思わず歓喜した自分を情けなく思いました。
その後、羽田空港へ向かいます。
私は、ポケットに何を入れたかまったく把握しておらず、航空券はどこと探していると
メイド喫茶の女の子の名詞が、ひらりと落ちます。
きれいなグランドスチュワーデスさんが、「これ落ちましたよ」
と言って、私に手渡してくれます。
あー恥ずかしい!
変体親父と思われたに違いありません。
川原尚行
2009年6月7日(日)第二回ロシナンテス東京講演会についてお知らせします。
本講演会はたくさんの方にお申し込みを頂き
定員に達しましたのでお申し込みを締め切らせて頂きました。
事前にお申し込みされていない方は
当日、お席をご用意できない場合がございますので
予めご了承ください。
事前にお申し込みされている方は
お申し込み後にお送りした申し込み受付完了メールをプリントアウトし
受付にてご提示ください。
お電話でお申し込みの方へはメールをお送りしておりませんので
受付にてお名前をお伝えください。
※新型インフルエンザの感染拡大が心配されておりましたが
被害状況が落ち着いておりますので
講演会については予定通り開催いたします。
本講演会につきましてのお問い合わせは下記へお願いします。
運営 株式会社UNIPH (担当:山本)
info@uniph.com
03-6303-2613
群馬での怒涛の三講演をこなし、次は東京経済大学での講演会があり、
その後、熊谷に向かいます。
いったい、誰がこんなスケジュールを考えたのでしょうか!
行ったり来たりです!
(私が考えたのですが)
さて、熊谷ラグビー場でラグビーをしようと考えておりましたが、
群馬の高崎で鈴木先生と一緒に風呂の中で話をしていると
気が変りました。
やっぱり、私のラグビーをやめて、息子のラグビーを応援しに行こう!
日曜日の夜も仕事があったのですが、その辺の状況はどうでもよく、
とにかく、息子のラグビーの試合が見たくなりました。
そして、埼玉県の熊谷を朝6時に出発して、北九州へと向かいます。
親父に空港まで迎えに来てもらい、まずは娘のバレー部へと向かいます。
そこで、娘の応援を行い、それから息子のラグビーへと向かいます。
福岡県の高校ラグビーは、レベルが非常に高く、福岡大会の準決勝は全国大会の準々決勝くらいな感じかと思っています。
さて、小倉の対戦相手は、筑紫です。
とても力のあるチームです。
小倉もチーム力が上がってきていると聞いていたので、期待してグローバルアリーナに行きました。
多くの観衆がいます。
準決勝一回戦が行われており、東福岡が福岡を相手に猛攻を続けていました。
小倉は、試合前の練習を行っています。
アップも終わり、選手がいったんスタンドのほうに引き上げます。
その中に、息子の姿もありました。
私の横を通るとき
「おまえのために、東京から来たぞ!」
「わかってるよ」
といった、息子の眼は少し赤くなっている気がしました。
各選手にも、声をかけます。
「勝てよ!」
試合開始です。
開始早々にトライを決められます。
小倉はいつもエンジンのかかりが遅く、相手に先制点を許してしまいます。
いつものパターンです。
いろんな方が、私に声をかけてきますが、
「申し訳ないのですが、ラグビーに集中させてください」
といって、失礼を申し上げました。
だって、東京から日帰りで、このラグビーを観に来たのですから。
息子は、懸命にタックルに行っていますが、相手のほうが上です。
以前よりも、よくなってはいるのですが、それでも足が出てなく、上体のみでのタックルとなっています。
前半を大差をつけられました。
後半でも、同じ感じでトライをとられていきます。
小倉のタックルも甘くなっています。
そして、チームの中からの声もでていません。
トライをあげられ、シュンとしている小倉フィフティーンに
「お前ら、小倉の根性を見せろよ!最後までラグビーをしろよ!」
私は大声で叫びます。
負けてもよいのです。
でも、闘志を最後まで見せてほしいのです。
ただ、それだけです。
最後の小倉がトライをあげました。
意地を見せてくれました。
結局は、大差での敗戦となりました。
でも、これから頑張ればよいのです。
そして、最後まで強い相手に闘志を見せる「ど根性」を身に付けてほしいです。
私は、すぐにおやじの車に飛び乗り、空港へと急ぎます。東京へとんぼ返りです。
車中、親父は助手席にいますが、私は長渕剛の歌を歌います。
傷つき 打ちのめされても
はいあがる力が欲しい
人は皆 弱虫を
背負って 生きている
にがい涙を かじっても
ほほえむ優しさが欲しい
君が愛に しがみつくより
先ずは 君が強くなれ
Hold Your Last Chance
小手先ではがれ落ちる美しさより
ひとつぶの汗がいい
二度と走れぬ坂道を上ったら
Hold Your Last Chance
川原尚行
まずは、上武大学での講演会です。
ここは、昨年度まで群馬大学の学長をしておられた鈴木守先生が退官されて、
学長として就任した大学です。
最近では、箱根駅伝に出場して話題になったようです。
この上武大学の午前中の授業を休講にして、してくださって私の講演を入れてくれました。
昼食は、学生食堂で学生さんたちと一緒です。
話してみると、なかなか素敵な学生さんたちばかりでした。
そして、一人の学生さんが、
「高校時代からお守りとして付けているブレスレッドを川原さんにあげます」
といって、私にくれました。
「スーダンでもお守りとして使いますよ」
この昼食会が終わって、理事長室へ向かいます。
大学の上層部の方々と話が進みます。
次の講演のこともあり、わたしはあせっているのですが、
秘書のしげちゃんは、悠然として私の横に座っています。
しばらくした後、私からたまらず
「時間はええの?」
と秘書のしげちゃんに聞きます。
そうです。もう時間がないのです。
あわてて、理事長室をあとにして待っている車に飛び乗ります。
普通は、秘書から「時間ですよ」と声をかけるものだよ、としげちゃんに秘書教育です。
そして、午後からの講演です。
ここに、男三兄弟の「はやと」による和太鼓を披露してくれました。
「はやと」は、06年にスーダンで演奏したようです。
とても、素晴らし太鼓(私は太鼓の奏でる音が大好きです)を見せてくれました。
また、演奏後に個人的にお話しすると、みな礼儀正しき若者であり、感心しました。
その後、少し時間があるために、鈴木学長に無理を言って温泉に入れてくださいと
お願いしました。
昨日は、3時間ほどの睡眠で、移動もあり、2つの講演をこなし、その後もそれぞれレセプションをこなしていたので
へろへろ状態でした。
学長としげちゃんと私とで、風呂にゆったりとつかり、英気を養いました。
そして、最後の講演会へと向かいます。
秘書のしげちゃんは、スライド係として壇上に登っています。
そして、信じられないことが起こったのです。
私が「次のスライドをお願いします」
といって、指示を出すのに、操作がうまくいきません。
なんどか、おかしな操作を繰り返していましたが、講演会後、理由がわかりました。
しげちゃんは、居眠りをしていたのです。
しげちゃん曰く
「連日の3時間睡眠で、しかも風呂に入り体がぽっかぽっかして、そして舞台が暗くなり、椅子に座って、川原さんの講演も5回目となると、緊張感もなくなり、寝てしまいました」
これには、私も大笑いしました。
さすが、しげちゃん大物です。
鈴木先生曰く
「私は、国際会議の座長で壇上にあげっていて、居眠りしたことがありますよ!」
以前から思っておりましたが、やはり鈴木先生も大物です。
講演会後の懇親会では、しげちゃんは、人気者となったのは言うまでもありません。
こうして、しげちゃんの秘書修行は続くのです。
川原尚行


