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スーダン情報
昨年末に日本大使館の草の根無償資金援助によって
我々の診療所のあるハサバラ村の女子学校増築計画が支援されることとなりました。
これは、日本大使館と村との上記における署名がなされたものです。
我々ロシナンテスは、あくまで完全に裏方に回っています。
しかし、村のコミュニティ(有力者会議)のメンバー全員が英語を理解せず、
字をまともに書けるのも半数いるでしょうか。
日本大使館の申請はすべて英語で、結局裏方と言っても全てをロシナンテスがしてしまいました。
本当であるならば、もう少し村の人を前面に出してとも思ったのですが、うまくいきませんでした。
今考えれば、行政に話を持ちかけて、地方行政から大使館に申請を出してもらえばよかったと
今更ながら反省しています。
そうすれば、村の人たちも、冒頭の署名をするまでのプロセスで、有力なプレーヤーになりえたかもしれません。
しかし、これであきらめてはいけません。
今からでも、十分にプロジェクトに参加してもらいましょう。
建設が始まる前に、いろいろと協議し、建設工事自体のモニターが必要であるとの意見が出ました。
これは、大使館に申請していなく、モニター料は我々が工面しなくてはいけません。
このモニターの業者は、教育省と提携関係にあるもので、教育省が推奨する学校建設を行ったり、
また建設のチェックをしているようです。
ロシナンテスと村との話し合いで、このモニターを双方で負担しようとなりました。
最初は、村にいる建設業者にお願いしようとの話も出ましたが、建築方法も全く違うため、
教育省提携業者に任せることにしました。そして、そのコストも村が半分以上負担してくれるとの約束を得ました。
そして、村の名前で銀行口座を開設します。
この口座から引き落とすのには、3名のサインが必要です。
村人2名とロシナンテスから岩間さんです。
勝手なことができないシステムになっています。
岩間さんが、大使館から持ってきて小切手(ものすごい額です)を持ってきました。
それを、コミュニティの一人一人に手渡し、確認してもらいます。
自然と拍手が起こり、代表2名と岩間さんが銀行に行って口座に振り込みます。
そして、業者に支払いも同時にしました。当初の支払いは、全額の約半額です。
村の学校の校長先生が会計担当です。
校長先生に帳簿の書き方を岩間さんが懇切丁寧に教え、なんとか現金の受け取り、支払いを
帳簿につけ始めました。
簡単なことですが、村にとっては初めての試みで、これが大きな第一歩です。
いよいよ、明日が建設の着工日です。
休日の金曜日ですが、岩間さんと一緒に現場を見に行きます。
村のリーダーのハサン一家では、教育ブームのようで、
一度学校をやめた長男が学校に行きたいと言いだし、
いったん嫁に出て、離婚してきた次女(まだ17歳です)も小学校に行っています。
素晴らしいことですね。
川原尚行


