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国際NGO / NPO法人 ロシナンテス

投石

金曜日に女子学校の工事着工が始まりました。
業者は一か月で工事を終了させると豪語していますが、こちらは半年はかかるのではと考えています。

労夫たちは、村に寝泊まりして工事をするそうです。
まあ、工期短縮よりも、確実に建物を建ててもらいたいというのが、こちらの望みです。

さて、それを見届け、ハルツームへの帰路に着きました。
私がハンドルを握り、助手席には岩間さんがいます。

ガダーレフを離れて、しばらく走っていると
道路脇に男が一名立っていました。
その男が、いきなり私たちの車めがけて、大きな石を放ってきたのです。
車は、百キロの速度で走っています。
私はとっさにハンドルを左に少しきりました。
それ自体は、あまり効果があったとは思えませんが、石は車にあたりませんでした。

しかし、もし石がフロントガラスに当たっていたらと思うと、ぞっとします。

男がたんに精神に変調をきたしていたのか、我々を外国人だとして狙ったのかは不明です。

我々は、何事もなかったかのようにその場を走り去りました。

3月4日にICCがスーダン大統領に逮捕状を出すかどうかの最終判断を下すと発表されています。
もし、逮捕状がだされると、どうなるのでしょうか?

一部のスーダン人は、「国連の人々、外国人は狙われるのではないか」
と言っています。

我々にとって一番安全なところは診療所のある村でしょう。
さて、3月4日の結果はどうなるのでしょうか?

私はタイミングを計ったわけではありませんが、3月1日に出国します。
スーダンへの戻りは16日を予定しています。

何事もなく、スーダンに再入国できますように。

川原尚行

更新日時: 2009年02月28日
学校建設

昨年末に日本大使館の草の根無償資金援助によって
我々の診療所のあるハサバラ村の女子学校増築計画が支援されることとなりました。

これは、日本大使館と村との上記における署名がなされたものです。

我々ロシナンテスは、あくまで完全に裏方に回っています。
しかし、村のコミュニティ(有力者会議)のメンバー全員が英語を理解せず、
字をまともに書けるのも半数いるでしょうか。

日本大使館の申請はすべて英語で、結局裏方と言っても全てをロシナンテスがしてしまいました。

本当であるならば、もう少し村の人を前面に出してとも思ったのですが、うまくいきませんでした。
今考えれば、行政に話を持ちかけて、地方行政から大使館に申請を出してもらえばよかったと
今更ながら反省しています。

そうすれば、村の人たちも、冒頭の署名をするまでのプロセスで、有力なプレーヤーになりえたかもしれません。

しかし、これであきらめてはいけません。
今からでも、十分にプロジェクトに参加してもらいましょう。

建設が始まる前に、いろいろと協議し、建設工事自体のモニターが必要であるとの意見が出ました。
これは、大使館に申請していなく、モニター料は我々が工面しなくてはいけません。

このモニターの業者は、教育省と提携関係にあるもので、教育省が推奨する学校建設を行ったり、
また建設のチェックをしているようです。

ロシナンテスと村との話し合いで、このモニターを双方で負担しようとなりました。
最初は、村にいる建設業者にお願いしようとの話も出ましたが、建築方法も全く違うため、
教育省提携業者に任せることにしました。そして、そのコストも村が半分以上負担してくれるとの約束を得ました。

そして、村の名前で銀行口座を開設します。
この口座から引き落とすのには、3名のサインが必要です。
村人2名とロシナンテスから岩間さんです。
勝手なことができないシステムになっています。

岩間さんが、大使館から持ってきて小切手(ものすごい額です)を持ってきました。
それを、コミュニティの一人一人に手渡し、確認してもらいます。
自然と拍手が起こり、代表2名と岩間さんが銀行に行って口座に振り込みます。
そして、業者に支払いも同時にしました。当初の支払いは、全額の約半額です。

村の学校の校長先生が会計担当です。
校長先生に帳簿の書き方を岩間さんが懇切丁寧に教え、なんとか現金の受け取り、支払いを
帳簿につけ始めました。
簡単なことですが、村にとっては初めての試みで、これが大きな第一歩です。

いよいよ、明日が建設の着工日です。
休日の金曜日ですが、岩間さんと一緒に現場を見に行きます。

村のリーダーのハサン一家では、教育ブームのようで、
一度学校をやめた長男が学校に行きたいと言いだし、
いったん嫁に出て、離婚してきた次女(まだ17歳です)も小学校に行っています。
素晴らしいことですね。

川原尚行

更新日時: 2009年02月27日
ムスタファの一周忌

昨年、2月29日に交通事故でロシナンテス・メンバーであったムスタファが急逝しました。
あれから、もう一年が過ぎ去りました。

今日、ムスタファの実家にお参りに行ってきました。
お参りといっても、線香をあげるわけでもなく、実家に行き
ムスタファの話をして、ムスタファの家族と一緒に食事をしながら
故人を偲んできました。

ムスタファは本当に愛すべき男でした。
あんなに人にやさしい人もなかなかいません。
誠実そのものです。
ガダーレフの家に車で送った際には、「寄っていってください」
というのを、忙しさのため何度か断ったことがあり、そのたびに悲しそうな顔をしていました。
あるとき、ムスタファの家でゆっくりとすることができた時は
本当にうれしそうな顔をしていました。
そして、私が「今日は寄って行くよ」と行ったら、彼は走ってパンを買いに行きました。
そんなことを思い出していました。

その食事の途中に、ムスタファのお兄さんの携帯が鳴りました。
軽快で少し滑稽さのあるそのリズムは、ムスタファの携帯の着信音と同じものでした。

そのリズムを、すっかり忘れてしまっていましたが、一瞬にして
「あっ!ムスタファだ!」
と食事の席に、まるでムスタファが参加しているような錯覚を感じました。

家族の人が大事にしているムスタファの写真を見せてもらいました。
私が講演で使っている写真ですが、本当に綺麗に保管しています。
ロシナンテスのカレンダーにも出てくるかわいいズルハちゃんが見せてくれました。
1年前は、ムスタファの話をすると必ず涙を見せていた彼女も
今日は、涙を見せずに写真を見せてくれました。
内藤順司さんの素晴らしい写真が、ムスタファの魂をここに永遠に残している
気がしました。

ムスタファの実家の裏にある小高い山に登りました。
綺麗な夕日が見えます。
ムスタファは私に挨拶もせずに、この世を去っていきました。

交通事故の知らせをもらったとき、車でハルツームに戻っていました。
そして、急遽引き返して病院に行きましたが、そこにはムスタファの姿はなく
実家のある村に埋められていました。

私に笑顔だけを残していったムスタファ。
そして、今日の夕日は、最後に地平線に沈む前に雲に隠れて見えませんでした。
まるで、ムスタファが最後に私に挨拶をせずに行ったように、
今日の夕日も最後の姿を見せずに沈んでいきました。

ムスタファの魂は、私の心に永遠に残り
そして、太陽はまた明日登ります。

川原尚行

更新日時: 2009年02月26日
システム

私は、ある意味、組織が嫌で飛び出したのです。

そして、スーダンや日本で活動を続けているのですが、
今、一生懸命にしていることは組織作りです。

結局は、物事を円滑に進めていくには、組織化したほうが良いに決まっています。

思うに、良かれと思って作った組織でも、そこには絶対に何らかの不備が生じるでしょう。
100%完全な組織なんてありえないと思います。

それは、我々のような小さなNGOから中小企業から大企業そして政府という枠組みであってそうだと思います。

不備がいったん見つかった時に、どう対処するかですね。
今の日本では、盛んに行政、政府に文句を言っているようですが、
アフリカに身を置いている私としては、日本の行政システムは本当に素晴らしい制度だと感じます。これは、心底感じます。

今日は、診療体制に関して行政府に陳情に行きました。
彼らは、言葉では奇麗な事を言います。
ただ、これが実現となると難しいのです。我々も、そのことはよく心得ており、外交的、政治的なことばよりも、いかに実践を伴うかに話を持っていくように苦心しました。

日本では、近くに病院はありますし、学校も整備されています。郵便物は親切丁寧に自宅まで届けてくれます。全てが、うらやましい限りです。
そのなかで、制度上のほころびもあるでしょう。
もちろん、ほころびをそのまま放置しろとは言っていません。
ただ、我慢できるところは、それぞれが我慢したようが良いように思えます。

今の制度に文句を言って、新たな制度ができても、また同じことが繰り返されると思います。悪い場合には、以前の制度より悪い制度が出来上がる可能性も、かなりの割合であると思います。
国民全員が、天につばをしているようにも思えるときがあります。結局、我が身に降りかかるのではと、思います。

話は多少大きくなりましたが、私は小さな組織作りをやっており、ここでもそのほころびは出てくると思いますが、対処できるところは改善し、出来ないところは、みんなの忍耐で頑張ってもらうしかありません。

まあ、私には組織作りという根気が要り、細かい作業には不向きの面があり、その点を岩間さんやスーダン人スタッフにやってもらっています。霜田君は、どちらかといえば私と同じタイプの人間のようですね。細かいことにこだわらないタイプですね。異なる表現では、ズボラですね。

完全なる制度なんてありませんし、もちろん完全なる人間もいません。それぞれ、良いところ、悪いところを持っています。それをそれぞれが認めあって、受け入れることが大事ですね。

私の悪い所なんか、数えきれないくらいあります。
私に今までの酒の上での醜態、悪事の全てをばらし、一冊の本にでもすれば
かなり売れると思いますし、最低の人間に思われるでしょう。
でも、こうして生きております。それは、私の周囲の皆さんが
「川原は仕方のないやつだ」と思いながらも、優しく接してくださっているからです。
それは、私自身が一番よくわかっていることです。
だから、私もいろんなことを受け入れようとしています。

川原尚行

更新日時: 2009年02月23日
子供たちの絵2

学校の先生と話し合い、まずは子供たち全員に鉛筆で好きな絵を描いてもらうことにしました。
その後、我々で選考して、鉛筆でない画材で絵を描いてもらうことにしました。

本当は、全員に画材を与えたいのですが、資金的な問題もあり
それは断念しました。

さて、絵画の授業をもらいました。
題材は自由です。

ひとつの長机に5,6人座って授業を受けているので、描くのに大変狭い思いのようでしたが
頑張って書いてもらいます。

だいたい、横の子が描くものをまねて描く傾向にありますね。
これは、どこでも同じようなものでしょう。

水タンクを描く子供が多いですね。
このときに、多くの子が定規を使って描いていたので、フリーハンドで描いてもらいました。

「人の姿を描いてね」というと、中には顔を鉛筆で塗りつぶして
悪魔のような形相になった絵もありました。

頭に水タンクをのせ、子供の手を引くお母さんの姿を描いている子供も多かったです。

みなさまに、絵をお見せしたいですね。

子供たちに混じって、10代後半の女性が勉強しています。
私の知っている女性です。
彼女は、一度結婚したのですが、夫の暴力にあい実家に逃げ帰ってきたようです。
実家では家事を手伝っていましたが、もう一度学校で勉強したいと小学校に通い始めたそうです。

それはそれは感動しました。
女子学校の建設の話も進んでおります。

彼女を含めて、みんなに思いっきり絵の具を使って絵を描いてもらったり
しっかり勉強してもらいたいです。

川原尚行
結構、こちらが楽しませてもらいました。

更新日時: 2009年02月20日
食事を共にする

村の診療所では、我々の医療スタッフが一緒に食事をします。
村の女の人を雇用して食事を作ってもらっています。

この女性が、この村で現金を稼ぐ唯一の女性です。
そのような意味からも若干の貢献、そして多大な影響を与えているのかもしれません。

しかし、私が診療所にいると、村のいろんな人がやってきて食事に誘ってくれます。
私は可能な限り断らないようにしています。

国のトップクラスでの外交でも食事が重要視されます。
食事を共にすると、話題が自然と料理あるいは食材に向き、困難な政治的な話より
まずは、お互い打ち解けて、となるわけです。

それは、アフリカ・スーダンの小さな村レベルでも言えることです。
まあ、サミットのように年に一度の集まりではありませんので、
「親睦をさらに深める」、あるいは「何が誤解を生じた際に和解のため」とか
いろんな意味付けができます。

食事というのは、その話の切り出しによいのです。
ですから、私は事あるごとに、いろんな方との食事をともにします。

特にスーダンの人々は食事に関して、極めて強い思い入れがあるようです。
一昨日、村の学校の先生方と一緒に食事をし、そのまま学校に泊まりました。
そうすると、酋長のハサンは、なぜ「うちで食事をしない」と怒り心頭の様でした。
「かわいい男の嫉妬」のようでもありましたが、次の日にはきちんとハサンと食事をしました。
牛乳に砂糖を入れ、パンを入れただけの簡単なものでしたが、美味しく頂きました。

これは、対外的なことだけでなく、親しい人、家族でも言えるでしょうね。
私も帰国した際には、可能な限り、家族とともに食事をしたいです。
テレビなどをつけずに(我が家はテレビをあまり見ませんが)、良い音楽またはラジオを聴きながら
食事を楽しみたいですね。

もちろん、日本でも家族以外のいろんな人と会って食事をします。
スーダンでもしかりです。

それで、私の体型のようになると・・・言い訳になるかどうかですね。

川原尚行

更新日時: 2009年02月19日
子供たちの絵

イスラムの世界では、あまり絵を描かないという印象があります。
偶像化することへの懸念があるのかもしれません。

一見、アラビア文字を使って芸術的な絵に見えるものも、「これは文字である」
という言い訳があります。

ちなみに、歌に関しても「これは歌ではなく、詩である」
といった言い訳もあります。

現在、村で水の補修作業をしていますが、その支援をしてくださっている団体から
子供の絵が欲しいとの依頼を受けています。
そこで、学校に出向き、このことを相談しました。

まずは、美術の時間があるかどうかが心配でしたが、あるとのことです。
どんな画材をつかっているのかと思うと、紙に鉛筆で描いているだけとのことです。
実際に子供たちの絵を見てみたいものです。

学校にクレヨンを持っていきましょう。
子供たちが、好きに色をつけてもよいのです。
そして、日常にあるものを描いてもらいましょう。

どのような絵になるのかが、楽しみです。

ちなみに、私は絵が下手くそです。
私に似たのか長男も長女も絵が下手くそです。
7歳になったばかりの次女に少しは期待しておきましょう。

川原尚行

更新日時: 2009年02月16日
村に電気がやってくる

どうも、村に電気がやってくるらしいのです。

村には電気がないので、診療所には24時間電気が使える太陽光発電システムと
大きな消費電力のための発電機を設置していました。

その他にも、2,3か所の金持ちの村人の家には発電機があり、夜中に街頭テレビみたいに
村人が集まってきて、テレビを見たりもしています。

ハサン以下、村の有力者たちは、地方政府に掛け合い、電気を村に引いてくれるように
陳情を繰り返していました。

それが、実を結んだというのです。
ハサンの話によると、ハサバッラ村は日本人のNGOが入っていて、
しっかりと管理もできるようなので、電気を優先的に引こう!
まあ、ハサンの話ですから、真実のほどはわかりませんが。

とにかく、明日行政から人がやってきて、電気に関してやりとりがあるから
これに参加してくれとのことです。

電波塔のときには何の相談もなかったのですが、今回は相談がありました。

さて、電気が来たとして、今まで全く電気がなかった村に電気が来たら
人々の生活はどのように変わるのでしょうか?
全く想像もつきません。
良い点もあれば、悪い点もあるでしょう。
あれだけきれいに見えた星空もなくなってしまうのでしょうか?

ハサンは村の区画整理もやるといっていますが、果たしてできるのでしょうか?
本格的に区画整理をするなら、各家にトイレをつくるなどもしてもらいたいですが。

早ければ、3ヶ月後と言っていますが、どうなるのやら。

少しでも良い方向に発展していくように、お手伝いできればよいですね。

川原尚行

更新日時: 2009年02月15日
科学博物館で講演します

私の帰国はだいたい5月と11月を中心に年2回行っています。

昨年、日頃から本当にお世話になっている長崎大学の青木先生から連絡があり、
「3月にある講演会のために、帰国してください」とのご依頼がありました。

そこで、今年は3月にも一時帰国をします。
3月7日、8日と上野にある科学博物館で講演が予定されています。
http://www.kahaku.go.jp/event/2009/03nagasaki/event.html
上記アドレスに詳細が書かれています。
(ハガキまたはメールでの事前申し込みが必要です。定員は100名で応募多数の場合は抽選。また国立科学博物館に入館するため入館料が必要となります。)

しかし、2日にわたって私を含めて6名の演者が講演を行います。
私を除き、4人の方々が教授でもう一方は民族博物館の館長です。

このラインアップを見て、以前大リーグのニューヨークメッツで活躍した新庄が
4番を任された時にコメントしていたのを思い出しました。
「一番から年棒を並べていくと、数億、数億、数億、そして2千万、そして数億と自分だけ桁が違う」
って笑って行っていました。
まさに、桁違いのメンバーに自分なんかが入っていいのかな?
という気持ちです。

私は外務省を辞めて、いろんな方にご挨拶に行く際に名刺をどうしようかと悩んだことがあります。
そうです。
肩書がないのです。
その頃は、まだNGOも設立していませんでした。
名刺は、自分自身が手書きで名前を書き、肩書を何とするでもなく
「日本・スーダン友好」とのみ書いて配っていました。
そうすると、間違って解釈される方もいらっしゃり、
「ほう、日本・スーダン友好協会の会長さんですか」
と言ってくださる方もいました。もちろん、否定しましたが。

閑話休題
私自身、今回の講演会で松園民博館長の話を聞くのを楽しみにしています。
アフリカの医療をどうのこうのという時に、民俗学的、人類学的アプローチが必要だと思うからです。
最近では、医療人類学という分野もあります。

アフリカの文化習慣を無視しての医療協力はできないと思っていますので、
私の今後の活動のヒントになればと楽しみにしています。

5名の著名な先生方とご一緒にラインアップされた若輩者ですが、
精一杯現在の活動などを話そうと思います。

このブログをご覧になっている方で、お時間があれば、3月8日科学博物館においでになってください。
ただし、最初にも書きましたが、申し込みが必要とのことです。

定員が100名のようで、私自身としては多くの方に報告がてらに講演会を行いたいのですが、
この時期は無理のようですね。
5月か6月に東京で講演会を開こうと思っていますので、そのときはまたお知らせします。
UNIPHのみなさま、よろしくお願いします。

川原尚行


【講演会開催概要】

■講演日程

平成21年3月7日(土) 13:30?16:00

「開発途上国の人々を苦しめる熱帯病:研究と対策の必要性」
?青木克己(長崎大学熱帯医学研究所教授)

「ケニア農村の暮らしと人間関係」
?松園万亀雄(国立民族学博物館長)

「サブサハラ・アフリカにおけるHIV/AIDS:女性と子供に及ぼす影響」
?大西真由美(長崎大学医学部教授)

平成21年3月8日(日) 13:30?16:00

「なぜいまアフリカ、熱帯の病なのか?」
?嶋田雅暁(長崎大学熱帯医学研究所教授)

「生き残ることの素晴らしさ:エチオピア南部の暮らしの中から」
?増田研(長崎大学環境科学部教授)

「アフリカの現実と夢、日本の現実と夢?スーダンの小さな診療所を通して」
?川原尚行(NGO ロシナンテス代表)


■会場  

国立科学博物館 日本館(旧:本館)2階講堂
〒110-8718 東京都台東区上野公園 7-20
http://www.kahaku.go.jp/userguide/access/index.html

■お申し込み方法
下記必須事項を記入の上、往復はがき又はメールでお申し込みください。

●必須事項
(1) 参加者の氏名(2)住所(3)電話番号(4)年齢(5)職業(6)友の会会員の方は会員番号

●往復はがきお申し込み先
〒110-8718 東京都台東区上野公園7-20 国立科学博物館 展示課 企画展示担当係

●メールアドレス kikakuten@kahaku.go.jp

●締め切り 平成21年2月27日(金) 消印有効


■注意事項

・参加を希望する日(複数可)をご記入ください。
・申込者多数の場合は、抽選いたします。
・家族またはグループでの参加希望の場合は、参加者全員の氏名、
 年齢をご記入ください。
・通常入館料が必要です(一般・大学生600円、高校生以下無料)


この講演会は国立科学博物館で3月7日(土)から3月15日(日)まで開催される
「アフリカの自然・開発・そこに住む人々 ?地球の家族を救う国際協力?」
http://www.kahaku.go.jp/event/2009/03nagasaki/index.html
の一環として行われるものです。

ロシナンテス主催の講演会ではございませんのでご注意ください。

本講演会についてのお問い合わせはハローダイアル:03-5777-8600までお願いいたします。

更新日時: 2009年02月14日
会議

ここ、数日会議の連続です。
ハルツームで日本人のみでの一日中の会議、
ガダーレフでモハメドとハフィーダそれに岩間さんと私の会議、
そして、今日は医療スタッフとの会議です。

以前は、会議なんて・・・という感じでしたが、
今は主体となって会議を催しているため、会議自体が楽しくとても有意義に感じます。
そして、「こんな考えもあったんだ!」とほかの人の意見に目を覚まされたりもします。

それにしても、スーダン人スタッフのモチベーションの高いこと。
これには、こっちのほうが参ってしまうほどです。

今日の医療スタッフとの会議もそうなればよいのですが。

ところで、ガダーレフに来る途中に丸山君(京都大学院生)の研究している村を訪問してきました。
何にもない部屋にポツンとベッドと小さな机があり、哲学の本とアラビア語の本が並んでいました。
「うおー!頑張っているな!」
それしか感想はありませんでした。
彼は人類学を専門にしています。
以前にも書きましたが、経済学や工学などの実際の生活に今すぐに役に立つものでもない分野での研究というのは
軽視されがちですが、この分野こそ人が生きていく上で大切なものを見つけ出すのを手伝ってくれるような気がします。
丸山君のような若者がいる限り、日本も捨てたものではない気がします。
空前の不況と言われていますが、案外次の社会への良いチャンスになるのかと思います。
「生きるとは?」
「人とは?」
こんなことを考える若者が増えてきたら、面白い世の中になってきそうです。
多少、無責任で言っていますが。

では、今から会議に行ってきます。

川原尚行

更新日時: 2009年02月12日
グッドニュース

2008年の年の始めは暗いニュースで始まりました。
村人が交通事故で8人も亡くなり、私の初仕事は墓掘りでした。

年の初めがそうであるなら、なんとなく今から振り返ってみれば昨年は、
どんよりした感じの年だったように思えます。

さて、09年です。もう2月ですが、良いニュースが入りました。
ロシナンテスの輝けるローカルスタッフのモハメド君が、ガダーレフ事務所で
にこにこしながら、私と岩間さんの到着を待っていました。
彼は同じくロシナンテススタッフでもあるラビアと昨年結婚しましたが、
子供がまだだったのです。

その笑顔の理由は、「子供ができたらしい」
というものでした。

それはそれは、私は我がことのように嬉しく思いました。
モハメド君は、彼なりの祝宴を用意してくれていました。
牛乳にデイツにスイカです。
日頃からあまりお金のない彼ですから質素な祝宴ですが、
彼なりに嬉しくて準備したものでしょう。

男の子が欲しいらしく、それしか考えていないようです。
名前は夫婦で考えているそうで、「イマッド」に決まっているらしいです。
この名前は、二人の共通の友人でとても素晴らしい人のもののようです。
女の子は、全く考えていないようです。
では、私が名前をつけてあげましょうと
「ハフィーダ」といったとたんに、
モハメド君は吹き出してしまいました。

ハフィーダは、ロシナンテスのスタッフで昔はモハメド君と反りが合わなかったのですが、
今では協力して仕事をしてくれています。
「それだけは勘弁してくれ」
とのことです。

そんな話で盛り上がり、私は彼が用意してくれた牛乳をしこたまおなかに注ぎ込みました。
なにせ、鍋いっぱいに牛乳があるのですから。
それを飲み干すことで、彼への祝福を示したかったのですが、その後が大変でした。
一晩中、便所に駆け込んでいました。

まあ、そんなことは些細なことで、本当に良いニュースでした。
09年がロシナンテスにとって素晴らしい年になる予感がします。
次の幸福は、どのロシナンテス・スタッフに訪れるのでしょうか?
考えるだけでも、私自身が楽しくなります。

川原尚行

更新日時: 2009年02月11日
韓国人外交官のNGO設立構想

国連の知人から是非ともお願いがあるとの連絡がありました。

韓国の大使館のNO2の方が、近々定年退職され、NGOを設立しスーダンで活動したいので
話をしてくれというものです。

私は、明日から診療所に向かいますので、電話がかかってきたその日しか時間がありませんでした。
相手方も、離任間際(あと6日で離任だそうです)で、たいそう忙しいようでしたが、
予定をキャンセルして食事に誘ってくださいました。

私は、英語で書かれてあるロシナンテスの資料を急ぎ集め、
ロシナンテスを紹介てくれたDVD(情熱大陸ではなく、RKBのトライロシナンテス)を袋に入れ
参考にしてもらうように用意しました。

さて、御本人と韓国人の国連職員の方との会合になりました。
お話をお聞きすると、まだまだ構想段階のようですが、NGO設立に大変な意欲をお持ちのようです。
貧しい子供をターゲットにしたいようで、外交団として培った人脈を頼りにNGOを運営していきたいようです。

本当にたくさんの質問を受けました。
スーダンでNGOの活動をするのに、最重要関門となるのが御存じHACです。
「私は、貴方様と同様に外務省に勤務していて、それを辞してNGO活動に入りましたから
当初はHACから何か裏があるのかと相当に疑われました」
「私は、今の韓国大使館のポジションでスーダン政府のそれなりの地位の人々とつながりがあり
彼らをメンバーとして活動してもらおうと思うので、何ら問題ないと思います」
「とにかく、すべてのことを報告しなくてはなりません。NGOを訪問するすべての人の身分を明らかにする必要もあります。
それが学生であってもです」
「我々は北朝鮮でのNGO活動に関しての知識もあるので、そのようなことには慣れています」
「活動に必要な調査(例えば、人口調査とか識字率に関するもの)であっても、HACからの監視がつきます」
「それも北朝鮮と同じですね」
「テレビ取材をこの前受けましたが、テレビ取材にもHACからの監視がつきました。2名です。彼らに対して日当を払う必要があります。
一日100ドルでした。一人当たりです。」
「同行するのは北朝鮮でもありますが、お金を取るとは北朝鮮以上ですね」
そうらしいです。

そのほか、活動の具体的なこと、活動資金の調達方法、広報戦略などを話しました。
韓国大使館の方は、とても興味深そうに話を聞いてきました。
「私はいったん韓国に帰って、設立準備に入ります。今後ともぜひとも協力してください」
「どうぞ、いつでもお気軽に訪ねてきてください。電話もいつでもかけてきてください。
スーダンそしてアフリカで日本と韓国が協力して国際協力をするというのは素晴らしいことだと思います。
それが実現となるようにお互いに頑張っていきましょう!」

韓国でのNGO設立は2か所の事務所が必要なようです。
ちなみに、日本では1か所でも認められます。
その事務所が所在する都道府県に届け出ます。
事務所が2か所以上ある場合は内閣府に登録ということになります。
その方は、ソウルとプサンに事務所を設けるようです。
私は北九州出身ですし、プサンときけば関釜フェリーをすぐに思い出すほど、身近に感じます。
実際に韓国に行ったことはありませんが。

いつの日にか、アフリカ支援で日韓での協調体制を組めればと思っています。
いつも、構想だけは広がっていきます。
いかに、具現化させるかが、問題ですね。

川原尚行

更新日時: 2009年02月10日
HACへ出頭 with ハサン

前回のHACとの協議で「村のコミュニティリーダーを呼べ」との
お達しを受けましたから、村からハサンと学校の先生でもあるオスマンの二人が
遠路バスの乗って、ハルツームまでやってきました。

私なりのおもてなしをしないといけませんので、ハイビスカスティを入れ(砂糖はたくさん入れます)
何か食べるものをと思い、せっかくなら日本のものを出そうと
「かりんとう」
を出します。
これは、一袋一気に食べてしまいました。
面白いもんだなあと、次は海苔巻き煎餅を出しました。
これは、ひとつ食べたところで「もういらない」となりました。

食事に、そばを作りましたが、席に着こうともしません。
そこで、「俺はいっつもハサンの家のものを食べているじゃない、せっかく俺が作ったんだから食べてよ」
というと、ほんの少しだけ口にし、そのあとは全く食べませんでした。
彼らは、食事に関して本当に保守的です。
これは、村の人たちに限らず、スーダン人全般に言えることです。
日本に連れて行くと、食べるものでいつも頭を悩ませます。

さて、次の日HACに行きます。
HACは中央政府の省庁です。
これが、極めて遠くの辺鄙な村の小さないざこざに口を挟むのですから、面白いものです。
日本での山奥か離島の村のいざこざを霞が関で裁こうというようなものですから。

村側、ロシナンテス側からの事情聴取です。
前回は私一人にHAC5人でしたが、今回はHAC3人に村人2人、ロシナンテス4人と強力な布陣を引きました。
最強の岩間さんも一緒ですから助かります。

さて、村人の悪いところで、行政府の前に出ると自分の正当性を強調しようと
誰かをスケープゴートにして陥れようとします。
そのターゲットがロシナンテスのスーダン人スタッフになります。
それについて、こちらでも見解を述べました。
もちろん、我々はロシナンテスのスーダン人スタッフの正当性を主張します。

まあ、こんなことを延々と2時間以上繰り返し、最後にHACが村のコミュニティに
誓約書を出せと命令を下します。
「我々村のコミュニティは、ロシナンテス(日本人でなくスーダン人スタッフも)の身の安全を守ります」
というものだ。

村のコミュニティは、ロシナンテスの医療スタッフに常駐してもらうことを期待しています。
ただ、期待すると口にするだけではだめで、行動に示してほしいと我々は願っています。
具体的には、スタッフの住居となる小屋周辺に塀を作って欲しいということです。
以前これを依頼したときには、ハサンがとげのある木を集めてきて、それを現在も塀として使用しています。
ただ、村ではこれは家畜の塀として使用されているものです。
当然の如く、医療スタッフは不平を述べます。
これを村でなんとかしてくれと願っているのです。
村人の共同作業で塀を作るとか、自分たちでできないのであれば、役所に頼むとか
何らかの行動を示してほしいのです。

この件でHACがコメントをくれました。
ロシナンテスはコンテナを持ってきて、それに発電機をつけて
エアコンをまわし、快適な空間を提供すればよいのではというものです。

私は即座に「それでは村の文化を壊してしまう」
と述べました。

イヤー難しいものです。

どうすればよいのか、答えは今のところありません。
また、診療所に行き、話し合いです。

川原尚行

更新日時: 2009年02月09日
子供たちとスポーツ

長男とは、なかなか電話できません。
いつも、練習で帰りが遅く(夜の10時をすぎます)、なんとなくスーダンとの時差もあって
機会がないのです。

2日前に電話をしました。
スーダン時間夜12時半。
日本では午前6時半。
長男の学校の行く前の時間です。
2日後に、ラグビーの試合があるためです。
福岡県高校ラグビーの新人戦の準決勝です。
相手は東福岡。
「東福岡に勝るところはどこ?」
「相手の裏にけり出すキック力」
彼は、戦術的なことを口にします。
「ハートで勝れ!」
それだけを言って、電話を切りました。

そして、今日が本番だったようです。
結果は、大敗。

また電話をしました。
「父さん、自分がいかに弱いかをよく思い知ったよ」
「熱いハートを持つには、それを裏付ける体力とスキルがあり、そのためには日々の鍛錬が必要だね。
まだ新人戦なんだから、これからだよ」
「5月の大会では、父さんに良い試合が見せられるようにこれから頑張るよ」
「1年生で未経験者も試合に出たの?」
「5人出たよ」
「そいつらを含めて、これから未経験者(高校からラグビーを始めた人)が伸びるからね。
それに、新1年生もこれから入ってくるし、これからが楽しみだね」

負けることで、自分を見つめなおすこともできますし、新しいことも生まれてきます。
目標に向かって、精進をする。
その過程が大事ですね。

これは、どのレベルであっても、スポーツ以外でも通じることですね。
一回戦負けを繰り返すチームが、絶対に一勝したいと望んで強くなりたいと思う気持ちも大切です。
社会でも、歯を食いしばって頑張ることもあるかと思います。
そんなときに、この思いはきっと通じてきます。

長女からメールがありました。
練習中に、チームメートを怪我させたそうです。
そして、一晩中泣き、次の日の朝に、家の近くの神社に行き
「一日も早く回復しますように」とお祈りしてきたそうです。

スポーツは、危険を伴います。
それだからこそ、日頃から一生懸命に練習し、体を鍛えておかないといけません。
それでも、不可抗力で怪我をすることはあります。
だからって、スポーツを遠ざけるのではなく、常に怪我を伴うということを頭に置く必要があります。

相手を怪我させ、それを自分の痛みのように感じる。
これも、必要な経験ですね。
スポーツからもいろんなことが学べます。

2人の子供たちは、頑張っているようです。
私も頑張らないといけませんね。

とりあえず、食糧を大量に買い込み、水を確保しました。
スーダンで何かがあるとの噂があります。

ただし、ロシナンテスには救世主が明日日本から帰ってきます。
無敵の霜田君です。

川原尚行

更新日時: 2009年02月07日
難民?

ロシナンテススタッフのフセインが車の整備士を事務所に連れてきました。

車の調子が少しおかしく、私にいろいろと説明をします。
何とか事情がわかったところで、彼自身が英語で言います。

「自分はガーナ人です」
「なぜ、スーダンにいるの?」
「ガーナでは食っていけなくて、サウジアラビアで働こうとして行ったのですが、良い仕事がなく
スーダンに来たわけです。今のパスポートはチャドのものです」
「よく、よその国のパスポートが取れたね」
「簡単ですよ。200ドルでチャドの大使館が売っていますよ」

よくある話ですが、いつ聞いてもこのアフリカならではのパスポートにまつわる話は面白いです。

彼は、別の角度からすれば経済難民という見方もできるでしょうが、別の言葉では単なる出稼ぎですね。
なぜ、彼がガーナのパスポートを持っていないのか聞くのを忘れましたが、
飛行機に乗ってくるではないし、いくつもの国境を陸路ですり抜けてきたのでしょう。

たどり着いたところで、パスポートを入手し働くという段取りだと思います。

アフリカ連合の議長がリビアのカダフィになりました。
彼の構想はアフリカ合衆国です。

今までのアフリカ諸国はかつても植民地時代の陣地取り合戦の結果そのままですから。
直線で引かれた国境を消しゴムで消し、
アフリカ合衆国で自由に人の行き気をすれば、上記のパスポート問題なんで一気に解決の行くことです。

カダフィの行っていることは、狂人の戯言と吐き捨てられることも多いですが、
将来的には、面白い構想だと思います。
一人の車の整備士と話していて、頭の中がそんなところまで行ってしまいました。

川原尚行

更新日時: 2009年02月05日
少年サッカー開校式

20090205kawahara.jpg


子供たちはとても晴れやかな顔をしています。
胸には、日本代表のマーク「八咫鳥(ヤタガラス)」。

すでにスクールはスタートしていましたが、今日は正式の開校式です。

スーダンサッカー協会の幹部が全員そろいました。
名物の会長もお見えです。
この会長、独特の風貌で、いつも人を食ったような感じの方ですが、
今日は笑顔が絶えません。

コーチの三田君以下、スーダン人コーチ4名です。中には、元スーダン代表の方もいますし、
女子サッカーの現役代表(まだ弱いらしいですが)もいます。

式典では、ズラリと子供たちが整列します。
サッカー協会の幹部一同、ロシナンテス・スタッフ、そして保護者が向き合って
並んでいます。

20090205kawahara_2.jpg


三田君のアラビア語でのスピーチは立派でした。
三田君の奥様は、木の蔭から心配そうにスピーチを聞いていました。

そして、名物会長のあいさつです。

アラビア語でのスピーチで断片的にしか理解できませんでしたが、
ロシナンテスのことを実によく述べてくださいました。
以前は、「何だ、この団体は!」という感じだったのですが、
今では、本当によくしてくださっています。

今回の式典も、すべてスーダンサッカー協会が取り仕切ってくれました。

最後に子供の代表のあいさつです。
誇らしげに、スピーチを行っています。
保護者の方々は、みな自分の子供が晴れ舞台に立っていることで、これまた誇らしげな顔をしています。

私はと言えば、式典の最中に子供たちの姿勢が崩れれば、姿勢を正すように言う、うるさいオヤジの役です。
最後は、私が前を通るだけで子供たちの姿勢が伸びていました。

自分で言うのもなんですが、とても素晴らしい式典でした。

そして、今後が一番大事です。
もちろん、サッカーが強くなることが目的ですが、
それだけでなく、規律正しい生活ができるように指導していくのも目的の一つです。
式典の最後は、式典会場の後のごみを子供たちに拾わせました。

最後に、このスクール開校にあたって、ご尽力くださいましたスーダン・サッカー協会、日本サッカー協会、
岩国ライオンズクラブ、そしてサッカーのために寄付をしてくださった全ての方々に御礼申し上げます。

川原尚行


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ロシナンテススポーツ事業のブログはこちら
http://blog.canpan.info/rocinantes_spo/

スーダン少年サッカースクールに関する記事は「少年サッカースクール」というカテゴリにまとめています。
http://blog.canpan.info/rocinantes_spo/category_3/

更新日時: 2009年02月05日
HAC

これは、スーダン政府のNGOを統括する省庁です。
スーダンで活動するNGO関係者であれば、いやでも耳にする言葉です。

私は、活動を始めた直後からHACに「あやしい人物」として捉えられていたようですが、
最近では、徐々にお互いを理解してきています。
もちろん、100%信頼しきった関係にはなっていませんが。

よく書いていますが、スーダン政府がNGOを統括する理由があります。
それは、皆さんがよく考えてください。
統括といってもピンキリです。
スーダン政府にNGOの身の安全を守ってもらうこともあるでしょうし、
気に入らないことがあれば、国外退去命令がすぐに出されます。
過去、いくつかの欧米の大手NGOの代表にこの命令が下ったことがすぐに思い出されます。
もう一度述べます。どうしてこのようになるのかを、みなさん、お考えください。

そのHACから出頭命令がきました。
以前は、すっごく嫌な気持で行ったものですが、いまではある程度余裕を持って行かれます。
案の定、1時間ほど待たされ、部屋に通されます。

ロシナンテス側は私一人に対して、HAC側は5人です。

話をしていると、どうやら情熱大陸の時に同行したHACの人たちからの報告があがってきたようです。
そうです。勝手に取材などはできません。スーダン政府の監視がつくのです。
そして、彼らに(今回は2人)日当1万円を支払わなくてはいけないのです。
お金を出し、食事を用意し、そして監視をしてもらわないといけません。
ホテルの宿泊を要求してきましたが、それは拒否して我々と同じで小屋に宿泊してもらいましたが。

さて、情熱大陸にもあったように村に人たちとロシナンテスの医療スタッフとの間で
完全には、まだ和解されていません。
現在も一日100キロを通勤中です。
この解決をHACがやろうではないかといいます。
つまり、村人をハルツームに呼びつけると言います。
村の些細なことでも、国際NGOを統括する部局ですので、首を突っ込んでくるのでしょう。
ここが、アフリカの行政の面白いところです。
どうなるのかは、わかりません。
HAC(スーダン政府)が言うことを、村の人たちは耳を傾け何らかの行動に出るのか、
あるいは無視するのか、無視したときHACはどうでるのか
全く予想がつきません。

この出頭は、日曜日となりました。
また追って、報告します。

さらに、HACがいうには、「ロシナンテスはよくわからん」そうです。
つまり、既存のNGOのような活動をしていないし、事務所に行っても貧相だし
訳も分からず、多くの日本人がいるし、予算が少ないし(他のNGOは、たいがい億単位の資金で運営されています)ということで、「とにかくよくわからん」そうです。
ただし、悪いほうには解釈してないようで、「カワハラはスーダン人のようだし、なんだかスーダンの人たちと仲良くなっているし」
とか、いうのもあるようです。
もちろん、既存のNGOとは違ったスタイルを目指していますので、そのように映るのでしょう。
今日も新聞にロシナンテスのこと(少年サッカースクール開校のニュース)が書いてあり、我々は頭を抱えている。

まあ、連絡をくれということでしょう。

私は、スーダンの人々のことを思ってやっていますので、HACのみなさんご安心ください。
10年後、20年後をも考えていますから、近視眼的のみに物事を見るとピントがぼけて見えるのかもしれません。

最後にHACから情熱大陸を見せてくれと言われました。
番組の挿入部分でダルフールの映像(今回の撮影でない)がありましたが、きっとHACは文句を言うでしょうね。
今後の影響が少し心配です。

川原尚行

更新日時: 2009年02月03日
出口のない海

何気なく手にした本が、横山秀夫の「出口のない海」でした。
一晩で読み上げましたが、日本の戦時中の若者の描写には、泣かされますね。

戦争に突入していく中、主人公の並木は肩を壊しながらも、自身の魔球の開発に精を出します。
戦争では、敵に勝つことが至上命題です。
でも、そのなかにあっても、ボールを投げ続けます。

戦時中に、花を生け続けた人もいるようです。また文学に浸かりっぱなしの人もいます。
映画の「戦場のピアニスト」のように音楽の世界もあります。
そして、スポーツもしかりですね。

一見、直接そこには意味(世間一般は戦争に勝つこと)がなくても、人間性を保つためには、
遊びの部分が必要なんでしょうね。

今は、大不況のようですね。
こんな時こそ、金を得ることだけに集中するのではなく、「遊び」を大事にしていけたらと思います。

それにしても、この本は泣けました。
高校でラグビーを一生懸命している息子に読ませましょう。

川原尚行

更新日時: 2009年02月02日
向井信子さん、お疲れ様でした

1月30日に向井さんは、1年間のスーダンでの任務を終え、帰国の途に着きました。
本当にありがとうございました。

この1年間、いろんなことがありましたが、彼女の変わらぬ笑顔とバイタリティで
私をはじめ、他のメンバーの励みになった事と思います。

向井さんに、「何が辛かった?」と聞くと
「暑さ!」
との回答が、いの一番に出てきました。

本当に暑いのです。こればかりは、冷房に入ったところにも逃げられず、ひたすら耐えるしかありません。
向井さんは、何度も水をかぶったそうです。

一番の思い出は、「村の人、ロシナンテス医療スタッフとの交流」だそうです。
向井さんがいたからこそ、うまくまとまった感じがします。
彼女がいなければ、情熱大陸どころの話ではありませんでしたね。

また、彼女はその性格の良さからいろんな人によくしてもらいました。
大使館、JICA、国連の方々かたかわいがってもらえ、私が知らないようなことも
彼女のルートで知ることもありました。
特に、石井大使には本当にかわいがってもらったようです。
最後の送別会にもわざわざロシナンテス事務所まで来てくださいました。
また、スーダンを訪問した国会議員の先生から向井さんあてに差し入れもありました。
これなども、いかに彼女が人に好かれるかの証明でしょう。

昨年9月に一時帰国した際には、島根県の隠岐の島で講演をしてきました。
彼女自身も、良い経験で今後の人生の糧になると思います。
加藤先生!私も隠岐の島に行きたいですよ?、良かったら呼んでください。

これから地元の大阪に戻り、高校生相手に講演会も行うようです。
また、ロシナンテス大阪の立ち上げにも協力してくださいね。

のんちゃん、ありがとうございました。
また、どこかでお会いしましょうね。

川原尚行


【向井信子のブログはこちら】
皆様へのメッセージhttp://blog.canpan.info/rocinantes-sta/archive/150

村最終日の様子http://blog.canpan.info/rocinantes-sta/archive/149

更新日時: 2009年02月01日