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スーダン情報
昨夜、綺麗な星空を見た後は、日の出がみたいとの希望があり、
早朝に、川まで行き、朝日を拝みました。
これまた、綺麗なお日様でした。
その後、急ぎガダーレフに向かいます。
講習2日目です。
透析関係の講習です。
講義の中でわかったのは、透析患者、施設に関して、
スーダンでの透析の現状は日本の約30年前に同レベルでありました。
スーダンは日本と同様に患者は無料で透析を受けられます。
日本では、透析を導入してから20年あるいは30年でも生存する方もいらっしゃるようです。
スーダンでは、水処理などの関係もあり、平均7年程度の生存のようです。
スーダンの中では、透析は比較的よく管理されており、臨床工学技士、看護師が共同して
良く働いていました。
午後より、問題の高額の呼吸器です。
まずは、酸素とつながなくてはいけません。
ここでは、中央配管がされていないので、ボンベから減圧機を通して酸素を供給しようと試みます。
しかし、チューブと減圧機の口径が合わずに、苦戦ののちに、何とか接合します。
酸素を流すと、「ボン!」と衝撃が走ります。
接続がうまくいっていなく、さらに減圧もかかってなく、チューブがはずれたのです。
そこで、減圧機を交換し、チューブもとっかえひっかえしながら、接続のところの
留め具のねじを回すドライバーがありません。
ナイフを持ってきたり、その辺にあるものでねじを締めますが、うまく締められません。
「君たち、臨床工学技士なら工具くらいはそろえなさい!」
と強く言うと、自分の持ち場所から工具をやっと持ってきます。
セクションが違うと、また自分の管轄外では、自分の工具をだしません。
ようやく(ここにくるまで2時間はかかりました)、酸素ボンベと呼吸器が接続されます。
まさに、継ぎ接ぎでの接続です。
呼吸器の仕組みがよくわからないので、日本の代理店の人と電話で連絡を取ります。
日本の代理店の人も大変です。
夜中なのに対応してくれました。
なんどが、テストチェックを繰り返し、アラートをクリアにし、最後の最後に
動作可能な状態になりました。
そして、スーダンの臨床工学技士に使用方法を教え、
また日本の代理店から英語版の使用説明書を取りよせ、スーダンに送付するよう約束しました。
これで、一安心ですが、ふと考えます。
もちろん、この病院の状態に全くあっていない医療機器をスーダン側が注文するのも問題ですが、
これを売るほうも問題があると思います。
メーカーの人は、この環境でこの呼吸器はうまく使いこなせないのは、すぐに理解できるはずです。
それを知っていて、売りつけるのは、メーカー側の責任が大きいと思います。
自分たちの利益だけでなく、病院側の事情もよく考慮してほしいものです。
病院は、この呼吸器を使いこなせるのでしょうか?
それも、見ていきたいですね。
器械だけ突出しても、医療の全体のレベルが向上しないことには、この器械を使いこなせないと思います。
これで、講習会の終了です。
ロシナンテスと保健省の修了証を渡します。
私が修了証を渡しますが、その際に、きちんと右手、左手、そして頭を下げて受け取るという日本式を教え
その通りにやってもらいました。
みな、晴れ晴れとした顔をしていました。
講習会が続き、スーダンの臨床工学技士たちが羽ばたくことを望みます。
いやー、通訳の仕事、疲れました。
川原尚行
ガダーレフ州での2回目の講習会です。スーダン全体としては、3回目になります。
9時からのスタートでしたが、ここはスーダンです。
9時になっても、誰もいません。
ここで、腹を立ててはいけません。
それから、ぞろぞろとやってきます。
たぶん、場所が指定されていなかったのでしょう。
みんなが口々にそう言っています。
開会式をするのに、二人の大臣を待つことになります。
保健大臣はやってきましたが、もう一人の大臣は来ません。
開会式を後回しにして、臨床工学技士に関するビデオを流しました。
それから、フリートークという形をとり、保健大臣に
「ME(メディカル・エンジニア)とは何か?」
を問いました。
彼は、スラスラとMEの役目を話し、スーダンには、MEのトレーニングは欠かせないと
満点の回答をしました。
もちろん、口で理解するだけではだめで、実践が整っていなくてはいけません。
結局、もう一人の大臣は来ず、開会式もなく、講習会をスタートしました。
ときどき、質問も交え、聴講者はよく聞いています。
3回連続で、講習会に参加したメンバーもいます。
午後からは、実習に入ります。
ICUに行きます。
そこに、ありました。
高額の人工呼吸器が。
4年前に購入して、一回も使ってないものです。
前回の講習会のときには、うまく作動させることができませんでした。
というのも、この機械、あまりに精巧にできているために、セルフチェックでクリアしないと
作動しないシステムになっています。
もちろん、それは素晴らしい措置です。
前回は、セルフチェックをクリアできなかったのです。
それから、1年8か月。
この機器への挑戦は明日にすることにします。
ICU、手術場、それに周産期センターをまわりました。
ここでは、詳しくは書きませんが、前回よりはほんの少しだけ進歩はあったように思えます。
小さな進歩とは言え、これは私には大きなもののように感じました。
夕方に1日目の講習を終え、それから急ぎ診療所のあるハサバラ村へと向かいます。
彼らにも、村での滞在を経験してもらいたかったのです。
夕日を車中でながめ、ほとんど日が暮れたときに村に到着しました。
もう、家族のようなものです。
ハサンはいませんでしたが、食事の用意もしてもらいました。
私は美味しく頂きましたが、初めてのお二人はちょっと苦しかったようです。
その後、ハサンが戻ってきました。
伊藤さんがちょうどポータブルのDVDプレーヤーをお持ちでしたので、
ハサン家族に情熱大陸を見せました。
ハサンは、多くの人に情熱大陸を見せたいのでしょう。
DVDプレーヤーが欲しいと言います。
今度、日本に帰ってきたときに安いやつを買って、プレゼントしましょう。
でも、村ですから、どのようなものがよいのでしょうか?
永松先輩、良い知恵があれば、お教え下さい。
情熱大陸の上映会後、空を見上げると、本当に綺麗な星空でした。
川原尚行
一昨日、臨床工学技士さん2人が日本からスーダンに来られました。
J-METSという団体からの派遣です。
もう3回目になります。
経緯に関しては以前に書きました。(→こちら)
初日に日本の無償で建設されたイブン・シーナ病院へ出かけました。
早速、いろんなところに連れて行かれました。
腎センターを建設中で、アドバイスが欲しいとのことですが、もう建物はほぼ出来上がってしまっており、
もう少し前だったらと思わずにはいれませんでした。
日本では技士さんたちが、病院の設計にも関わります。
それくらいの重要な位置を示しています。
もちろん、スーダンでは事情が違います。
建物を作っておいて、ここは何に使おうという発想です。
設計図を描くときから用意周到にしていないのです。
まあ、スーダンの建設はいったん壁を作っておいて、配管のために穴の必要なときは
再び壁をぶちぬくというやりかたです。
そのために、新築なのか廃墟なのか分からなくなることもあります。
そのあと、透析センターにつれていかれ、水処理に関してのアドバイスをくれとのことでした。
データを見ると、日本で水処理をしないときと同様のレベルが、スーダンで水処理を行った後のレベルです。
数値にして、1000倍の違いがありました。
これで、良くスーダンの患者さんが耐えていると思いますが、
日本も以前はこのレベルであったと言います。
次の日からガダーレフへの移動なので、最終日にイブン・シーナ病院に再度行って
もう一度水処理に関して、調べてみたいと思います。
スーダンではNGO関係者は、ハルツームを離れて地方に行く時は、
スーダン政府から「旅行許可証」をもらわないといけません。
通常、HAC(スーダン政府のNGOの元締め屋さん)が、事前調査しないと旅行許可が出ません。
つまり、ビザを取得するのにHACから許可をとっていないと旅行許可証は発行されません。
東京のスーダン大使館で取得したビザでは、ハルツーム以外はいけないということになります。
ただし、これはNGO関係者のみです。
NGO関係者と言っても、NGOの人と一緒にいればNGO関係者とみなされます。
上記の理由で、今回の日本からの臨床工学技士さんたちは東京でスーダンのビザを取ってきたので
旅行許可証は発行されないと一旦は断られていましたが、裏ワザを使っての交渉で
「もう、お前のところは仕方ないなあ!今度が最後だぞ!」
と言われて、許可証がやっとのこと発行されました。
スーダンで我々と一緒に地方に行きたいと思っている方々は、東京のスーダン大使館でのビザ
では、駄目ですよ。
2か月くらい前から、準備してスーダンでビザを取得しなくてはいけません。
日本の事務局の海原くん、その辺を理解しておいてください。
では、これから臨床工学技士のセミナーに行ってきます。
川原尚行
ロシナンテス主催で向井さん送別会を開催しました。
また、同時に第一回ロシナンテス杯卓球大会が岩間大会委員長の元、行われました。
前日は、食材をしこたま買い込み、岩間さんと二人で料理のしこみを深夜まで行いました。
当人である向井さんは、別のお呼ばれで泊まりです。
当日の朝は、料理の仕上げに、卓球会場の設定をしなくてはいけません。
卓球会場の設定は、スーダンの結婚式などでよく見かける貸しテント屋に依頼し、
駐車場にテントを設置してもらいました。
下には、ござも敷き詰めました。
痛い腰をかばい、ほうきではわき、雑巾で拭きあげます。
このテントがないと、暑くて卓球なんかできません。
準備もなんとか間に合い、お客様をお迎えしました。
総勢8名のお客様がいらしてくれました。
在スーダン日本大使、JICAスーダン事務所長もお見えくださりました。
こんな汚い事務所においで頂き、本当にありがたいことです。
食事の後、卓球大会です。
向井さんご指名で、大使・向井ペアが結成され、計5組で試合を行いました。
私は、卓球王者の岩間さんと組ませてもらいました。
白熱した試合が続き、大いに大会は盛り上がりました。
結果は、KYと呼ばれながら、岩間・川原ペアが優勝、準優勝は、大使・向井ペアでした。
楽しいひと時でした。
大使をはじめ、おいで頂いた方々に感謝申し上げます。
最後に、近所の子供が、結婚式だと思って、ひまわりの花を向井さんに
プレゼントしてくれました。一生懸命に造花を作ったのでしょう。
スーダンの人たちの温かさを感じました。
川原尚行
24日は、向井さんの村での最後の日となりました。
ハサンをはじめ、村のコミュニティにさりげなく、
「ノブコがもう最後だからね」
と囁いていたのですが、大々的にお別れセレモニーを開いてくれました。
診療所が終わった夕方、村の子供たち、村の主だった人たち、近くの町ショワックから、
そしてラハウィン族の族長(ナーゼル)であるアッゼーンさん(長老でもあります)まで来てくださいました。
子供たちがうたを歌い、可愛い贈り物をあげます。
そして、村人から感謝の言葉が送られました。
これは、今までにないことです。
向井さんも感激の様子でした。
その夜に見た星空は、本当に綺麗でした。
アフリカでは、こういうけじめのときは、必ずあいさつがきちんと行われます。
みんなの前で、感謝の口上を述べるわけです。
私もこのような場に慣れてきましたので、特別に挨拶を用意していなくても、
その場で、言葉が出るようになってきました。
以前、五木寛之さんが何かの本で書いていました。
「中国の人たちは、とても挨拶を大事にしている。日本は「堅いことは抜きにして乾杯!」と
挨拶を簡略にする傾向があるが、私は中国との親善の場で中国の人たちが長々とあいさつを述べるのを聞いて、
嫌がる日本人を横目にして、自分もそれと同様の挨拶を行った」
なるほど、中国でもそうなのでしょう。
このような、別れや出会い(もちろん公式の場ですが)の時は、きちんと挨拶を行ったほうがよいと私も思います。
村での送別会は、真っ暗な中、お茶にお菓子のみと素朴そのものでしたが、
それだけに、心にしみる会でした。
村の人たち、どうもありがとうございました。
明日は、ハルツームで送別会です。
これは、ロシナンテス主催で行います。
川原尚行
ハサバラ村の学校を視察しました。
以前にも何度か視察していますが、今回は朝の登校風景から見させてもらいました。
男子学校からです。
総勢250名超くらいでしょうか。
先生は7名です。
子供たちが私のところにきて挨拶をしてくれます。
こちらも、とても気分がよくなります。
そして、朝礼が始まります。
私は、朝礼があるのは知らず、驚きました。
全員が輪になって集まります。
おしゃべりをしていると、先生の厳しい声が飛びます。
手には、木の棒が持たれています。
もちろん、生徒を叩くためです。
先生の声に、生徒たちは静かになります。
そして、輪の中に一人の生徒が出てきて、最近習ったことをひとつずつみんなに披露していきます。
それが、数人続き、朝礼は終了し、それぞれの教室に入ります。
教室は静かになり勉強が始まります。
体育の授業もあるようで、外ではサッカーをしているクラスもあります。
男子学校といっても、数名の女子生徒もいます。
なぜだろう、と不思議に思っていましたが、それは女子学校に行けばその訳がわかりました。
女子学校に向かいます。
3クラスがあります。
日本大使館の支援で、5クラス分の教室の増築が建設予定です。
さて、生徒はそんなに多くは集まっていません。
理由は、校長先生が所用で学校にいないこと、
もう一人の先生が、これまた所用でガダーレフに行っていること。
残っているのは、一人の先生で、この先生が3クラスを掛け持ちで教えています。
教える体制の整備が必要ですね。
先生をきちんと揃えておかないと子供たちは勉強できませんね。
男子学校に女生徒がいたのは、そのためでした。
しっかりと、女の子の教育にも力を注がないといけませんね。
建物を建てるのは、簡単です。
その先が、本当の意味での勝負です。
建物を建てたけど、先生はいない、生徒はいない
というようなことは、絶対にあってはなりませんね。
行政とうまくやりながら学校運営をしなくてはいけません。
川原尚行
シェリフハサバラ村の学校建築プロジェクトについては
ロシナンテスHPで活動の様子をご紹介しています。
詳しくはこちら(http://www.rocinantes.org/project/shelif_hasaballa/4/)をご覧下さい。
本日、スーダン人医療スタッフと契約書を交わしました。
思えば、1か月くらい交渉を重ねましたかね。
大変でした。
私自身、労働することで契約書を交わしたという気持ちはありません。
大学の医局の人事では、「どこそこへ行け」と言われ、「はい、わかりました」
というだけです。
もちろん、大学医局には我々の希望を伝えます。
それでも、すべてが希望通りにはならないのが組織ですから、思ってもみないところに行かされるケースももちろんあります。
その際に、給料がいくらだとか、休日がどうかだとか、紙で書いたものにサインしたことはありません。
思うに、日本人は、仕事は自らすることで、それの見返りとして給料をもらう、という考えなのではないでしょうか。
つまり、「給料がいくらだから、これだけ働く」ではなくて、「働いて、生活できるだけの給料をもらう」
で満足していると思います。
決して、「働いて、それに見合った給料」とは言っていません。
そんなことを言ったら、日本で働くお医者さんのほとんどが見合っていないと思います。
そんなことを思いながら、契約を交わしました。
さらに、契約を詰めていくと、「こんな場合には、どうする?」といった想定をいくつも織り込まなければなりません。
そのようなことをすると、1冊の本ができるくらいの契約書になります。
どこかで、両者がいがみ合うのではなく、紳士的にお互いを尊重して、
契約書にないことには対処していくことが必要ですね。
一抹の不安が残りますが、今後スタッフとの信頼関係をもっと強固にしていくしかないですね。
川原尚行
年末から腰痛に悩まされていましたが、日本から帰ってきた三田君がコルセットを持ってきてくれました。
これが、素晴らしい威力を発揮してくれています。
体が軽く感じられるのです。
いやー、これだけで気分爽快です。
そして、読んだ本が「ムネオ流マラソン術」。
皆さんご存じの鈴木宗男さんと宗男さんのランニングコーチである方の共著ですが、
これを読んでいると、無性に走りだしたくなりました。
それにしても、宗男さん、還暦にして4時間を切ってフルマラソンを走るとは
驚異でしかありません。
以前は、良く走ったものです。
息子をおんぶして、10キロマラソンを3回走りました。
これは沿道から、拍手喝采でした。
また、山岳コースの15キロも走りました。これはきつかったです。
広島の日赤病院にいたときが、一番よく走りましたね。
腰痛もあるので、まずはウオーキングからですかね。
ブログに書いた以上、始めないといけませんね。
私は、誰もが認める三日坊主ですから。
川原尚行
スポーツ担当部長で、サッカーコーチである三田君がスーダンに帰任してきました。
日本サッカー協会から頂いた100個のボールの免税手続きもうまく行きました。
また、東京農大一高サッカー部から頂いたユニフォームもあります。
23日にスーダン少年サッカースクールのプレオープン、そして30日に開講式を迎えます。
これも、すんなりと行かないことはよくわかっていますが、頑張っていきます。
なぜ、ロシナンテスがスポーツを?
とよく言われますが、まあ末永く見守ってください。
アフリカに10年身を置き、アフリカの現状も理解した上でのスポーツ事業です。
アフリカの子供たち(将来)にとってスポーツが、素晴らしい役目を果たしてくれると確信しております。
たとえ、それが一見、遠回りだとしても。
川原尚行
ロシナンテス スポーツ事業部の活動紹介はこちら
http://www.rocinantes.org/project/sport/
スポーツ事業部ブログ「スポーツで世界の笑顔を描くブログ」も更新中
http://www.rocinantes.org/project/sport/
ハルツームに戻ってきました。
地方から、一応首都であるハルツームに戻ると
いつもですが、「都会にきたな?」という感じになります。
岩間さんがカレーを作ってくれていました。
これば、相当に美味しかったです!
今までで、岩間さんが作ってくれたカレーの中で史上最高の美味しさだったでしょう。
いつもは、岩間さんはカレーの箱に書いてある「カレーの作り方」とにらめっこしながら、
作っているのですが、だいたいにおいて水分が多すぎ、スープカレーになってしまいます。
そのため、味が極力薄いのです。
しかし、今度のは、トウガラシもいれたようで、ピリッと辛さもきいており、
美味しかったです。
ようやく、箱の説明書きから脱却したようです。
さて、休日と言ってもやることはあります。
臨床工学技士さんたちが来られますので、彼らの旅行許可証を入手しなければいけません。
前回、HACから断られた経緯を書きました。
そのために、HACの親玉のところに直談判に彼の自宅まで乗り込みました。
そして、交渉し、何とかHACに再提出するようにとの指示をもらいました。
たぶん、今度は旅行許可証は出るでしょう。
そして、本日、我がロシナンテスのスポーツ事業部長の三田君がスーダンに帰任です。
彼が、日本サッカー協会から寄贈されたボールを100個持ってきますので、
その免税措置を取らなければいけません。
それの最終確認を行いました。
空港へは、スーダンサッカー協会の人と一緒に行くことになりました。
これで、免税措置がとれるでしょう。
もちろん、事前に書類のやり取りを行っています。
仕事のケリがついたところで、夜は知人の親戚の結婚式に参加です。
スーツを着込み、出かけます。
場所ははっきりとは分からなかったのですが、行ってみれば絶対に分かるという確信がありました。
なぜなら、彼の家族は大層お金持ちだから、派手に式をやるに違いないと思っていたからです。
その予想通りに、翁路を封鎖して電飾を派手につけて、一発でわかりました。
私の知人も出席しており、楽しい会でした。
私のテーブルに一緒にいた人は、軍病院の医師で奥様は警察の上のほうとのことでした。
あとで、わかったことですが、彼がスーダン大統領の弟さんとのことでした。
そう言われれば、顔がよく似ていました。
家に帰れば、夜中の12時です。
忙しい、休日でした。
川原尚行
今までもそうですが、現在でもスーダン渡航希望の方が数多くいらっしゃいます。
こちらで、事情をお知らせしておきましょう。
まず、スーダンに入国するためのビザの取得が極めて大変です。
今までは、短期の滞在であれば、東京のスーダン大使館でロシナンテスの推薦状を持って行けば
何とか、ビザは取得できました。
いまでも、それは出来ると思いますが、スーダン本国のHAC(NGOを統括する省庁)が、NGOに関係して
スーダンに入国する人はみなHACの許可(つまりはビザ取得の許可)を得ないといけません。
その許可を得るためには、英文の学歴、職歴を記し、医師免許、看護師免許などの英文証明書も必要とされます。
そして、それを提出後、いつものことですが、これだけでは不十分と何か言われ、数度のやりとりと重ねて、ようやく
許可が下ります。
この長いやり取りの中で、よく書類が紛失することもあります。こちら側では、それを糾弾することもできず、
再び書類の提出をすることもよくあります。
1か月は有にかかります。
そして、こちらに来てから、外国人登録を行い、旅行許可証を取得します。
以上のことを考えると、3か月前くらい前からの準備が必要です。
では、なぜスーダン政府が、ここまでNGOに対して管理を厳しくするか考えてください。
もちろん、私は多くの方々にスーダンの素晴らしい一面もお見せしたいと思っております。
ただ、現実として上記のような事情があります。
その辺の事情を考慮してください。
最後に、スーダン渡航希望の方は、ぜひともロシナンテスの協力会員になってから
スーダン渡航の希望を出していただきたいですね。
私はシャイですので、面と向かって言えませんので、勇気を出してブログで希望を述べさせてもらいました。
川原尚行
今月の24日から、日本の臨床工学技士がスーダンにやってきます。
皆様、臨床工学技士とは馴染みがあまりないと思いますが、病院にはいろんな医療機器があります。
その医療機器を保守管理しているのが、臨床工学技士です。
普通の家庭内にある機器や工場の機器と違って、直接人間に影響する機器ですから、大事な仕事です。時には、危機の不調で命の危険にさらされることもありますし、感染の源になることも考えられます。それゆえ、危機のみの知識でなく、医療そのものの知識も必要になってきます。
もともとは、私が日本から中古の医療機器をスーダンに持ち込んで、使ってやろうという目論みがあったのですが、いざ日本から機器を持ち込んでも、私自身うまく使いこなせませんでした。
使用説明書は日本語ですし、規格も違います。「これは、お手上げだな」と思っていました。高い運送費を払って、それも大切な寄付金を使って何もできないことに、非常に心を痛めました。
そして帰国したある日、名古屋にいらっしゃる臨床工学技士を紹介して下さったのです。廣浦先生です。彼は、長年チェルノブイリの被災後の支援にあたっていた方で、アフリカにも興味があるとのことで、是非スーダンにいらして下さいとお願いしたのが最初です。
廣浦先生は、その後J?METSという団体と作り、活動されています。
本業は、名古屋の東海科学医療専門学校の先生です。
最初は、私自身も手探りの講習会でしたが、通訳としてご一緒させてもらい、日本の技士さんの熱い思いとスーダンの技師さんたちの学びたいという姿勢に圧倒されました。
これは、なんとしてでも一回だけで終わらずに、継続的に講習会をしていこうと決めました。その後、もう一回、開催し、今回が3回目となります。
3回目となると準備も手慣れた感じになると思われるでしょうが、そこはスーダン。いろんな落とし穴が潜んでいます。
とりあえず、頭を悩ませているのが、ガダーレフまでの旅行許可証がどうなるかです。
HACの管理体制が厳しくなり、HACがスーダンでビザ発給にかかわった案件のみ旅行許可を出すというシステムに変わりました。
今回は、東京のスーダン大使館でビザを取得するようにしています。HACを通していません。それを解決しに、ハルツームに行かなければなりません。
川原尚行
【過去に開催した講習会の様子はこちらをご覧下さい】
「日本医療機器技術支援協会」
J-METSの方がスーダンに到着されました。到着早々大変でした。
「医療機器保守管理セミナー」
1日目は講義を行いました。講義終了後にはあるところへ・・・。
「研修2日目」
2日目は実習を行いました。みな熱心です。無事に終わりましたが忘れ物大将がやってしまいました。
「研修3日目、閉会式」
研修も無事終了。閉会式ではサプライズがありました。
先日放送された「情熱大陸」では、日本大使と村の首長ハサンの署名式の場面があったと思います。
あの署名を持って、大使館は村から申請のあった学校建設の資金を提供するという約束をしてくれたわけです。
それからが、大変な作業です。
今、建設会社と村との契約書の作成に取り組んでいます。
お金は渡ったのに、いい加減な仕事をされたり、あるいはお金の一部があらぬ方向に流れないようにと
管理体制が必要です。
会計に関しては、監査会社にも依頼しています。
実際の仕事に関しても、きちんと仕事をしているのかチェックしてくれるところが必要です。
日本のような建築基準法などはないでしょうから、手抜き工事をしようと思えば
いくらでもできます。
この契約がうまくいけば、次は村のコミュニティの名前で銀行口座の開設です。
そこまでしないと、大使館から資金が回ってきません。
日本の国民の皆様方からの貴重な税金を使うのですから、相当に気を使います。
写真は、署名式のときと、私の笑顔です。
私の笑顔の写真は、情熱大陸の製作者がこれをホームページのトップに持ってくるから
笑顔を撮らせてくださいと言ってきたときに撮ってもらったのですが、
ボツになりました。
せっかく、ロシナンテスTシャツを着ていたのに残念です。
私の笑顔がいけなかったのでしょうね。
川原尚行
※シェリフハサバラ村に女子の学校を建設するため「草の根無償資金援助」を申請し認められました。
調印式の様子はロシナンテスHPの活動紹介に掲載されております。
http://www.rocinantes.org/project/shelif_hasaballa/2008/12/post_40.html
また、学校建設プロジェクトにつきましてはロシナンテスHPを通じて皆様にご報告いたします。
昨夜、日本で情熱大陸が放映されました。
たくさんの方にご覧頂き、本当にありがとうございます。
(現在、スーダンで活動中のため番組の内容はまだ見ておりません。)
一番最初にメールがきたのは、件名「脱ぎすぎです」というものでした。
中身は、パンツを見せすぎというものです。
これをみて、「あー、洗濯の場面が放送されたんだな?」と思いました。
あれは、本当に着るものがなくて、自分自身でも自分が嫌になるくらいに
臭かったものですから、着ているものまで洗濯をしたのです。
こういうことが、放映されると、家内が烈火の如く怒ります。
家内に怒られるのが、恐いです。
また、外務省時代の年収が出ていまして、これは本当は具体的な数字は出してもらいたくはなかったのですが。
たまたま、年末で部屋の片づけをしていました。
スーダンに来られた方なら、私の部屋の汚さはご存じでしょう。
偶然にも、あるファイルが出てきて、その中を見ると自分が外務省にいたときの
給与証明がでてきました。
それがあの額だったのです。情熱大陸から、質問が来ましたので、その数字をポンといったまでです。
数字が出てくると、その数字が独り歩きしてしまい、あまり良い気はしませんね。
他のメールでは、「なぜ、スーダンなのですか?」というのもありました。
それには、「自分の目の前にスーダンがあったから」としか答えようがありません。
アフガニスタン、パレスチナ、コンゴといろんな国があってその中からスーダンを選んだわけではありません。
選ぶという行為の中には、各要素を並べ揚げ、そして一長一短を比べていくことですね、
私は、そんなに要領のよくない人間です。
ですから、上記の答えが妥当になってきます。
その他、多くの方々から感動しましたと感想が送られてきました。
その声援に負けないように、これからもがんばっていきます。
また、情熱大陸の制作にあたってくれたエンジンネットワークさん、
ありがとうございました。
森田君が、最初に東京から北九州まで番組を撮らせてくださいと
頼みに来たときには、「もっと、ストレートにものを言えよ!」ってな感じでした。
北九州にきた夜は、うちのご近所のそして数学の師匠でもある松井先生のところで
お酒を酌み交わしましたが、松井先生からも激励の言葉をもらっていたように思いだします。
それから、二転三転ありましたが、なんとか番組放映までこぎ着けましたね。
森田君の粘り勝ちでしょうか。
番組は、あれで終わりですが、我々の活動に終わりはありません。
今後も頑張ってまいりますので、応援のほどよろしくお願いします。
(協力会員にもなって頂きたいですし、まだ内藤さんのカレンダーもありますよ!)
川原尚行
体調悪く、水曜日は安静にしていました。
木曜日、この日に向井さんはハルツームに戻ります。
何とか起き上がり、診療所へと向かいます。
ハサンが、今回の騒動の問題となったアレイヤとの和解のために、
羊を屠って、結婚祝いをしてくれるとのことです。
まあ、私がけしかけたことですが。
私が診療所のスタッフに「食事の準備ができているよ」というと、
ハサンからの直接のお誘いがないと行かないとのこと、
まあ、それもそうだと診療所からハサンの家へ再度向かい、ハサンを連れてきます。
病み上がりのせいか、診療所からハサンの家までがやけに遠く感じられます。
ハサンが、診療所にやってきて、スタッフに直接、食事の招待をします。
そして、アレイヤには、今回の騒動の詫びの言葉を述べました。
そして、食事です。
食事後、スタッフは再び診療に向かいます。
まだ少しぎくしゃくしたものはありますが、徐々に和解していくものと期待します。
ハサンが、私に「これでいいだろう」
と言ってきました。
さらに、今度はハサンの愚痴です。
「村の切り盛りをするのは、いつも自分しかいない。だれも言うだけで、体を動かすものがいない。
なんかやろうとすると、いつも自分とドクターだけだ」
そうですね。
村のコミュニティの働きがいま一つなのはよく理解できます。
ただ、今までハサンがワンマンでやってきたことも事実です。
こんな小さな村でも、様々なことを運営していくことは難しいことです。
本当は村に残って、ハサンやその他のコミュニティの人たちとも話をしたかったですが、
体調不良もあり、ガダーレフに向かうことにしました。
そうそう、診療の後には、労使交渉もありました。
ロシナンテス医療チームとの労使交渉です。
契約は想定できる限りのことを盛り込めば、分厚いものになります。
日本的には、信頼関係を築いて、契約は出来る限り簡易なものを作ろうと思うのですが、
それを理解してくれるスタッフと理解してくれないスタッフがいます。
これは、来週まで持ち越しです。
週末は、ガダーレフで一人でゆっくりしましょう。
川原尚行
風邪でついに、昨日はダウンしてしまいました。
終日、ベッドで過ごしました。
その前に読んだ本が、桐野夏生で、これまた暗くなったのもいなかったと思います。
岩間さんは、好きなようですけれど。
ウラジオストクから、お見舞いにと氷の海の写真が送られてきました。
この一枚の写真から随分と癒されました。
今日は、回復し今から診療所に向かいます。
そして、労使交渉もしなければなりません。
ニュースで赤羽桂子医師が解放されたとありました。
心底良かったと思いました!
隣国で起こったことですし、本当に解放されて良かった。
スーダンでも同様のことが起きないとは限りません。
日頃から注意をしておかないといけませんね。
とにかく、よかったです。
一昨日、HACから連絡があり、NGOの会議があるので、
モハメドを出席させてくれとのこと。
モハメドは現在ガダーレフにおり、会議は明日ハルツームです。
到底受け入れる状況にない要求ですが、HACが直接私に電話があり、
「ロシナンテスを日本を代表するNGOと認めての今回の要請である」
と言われ、しぶしぶ了解しました。
さて、どのような会議であったのか、確認しないといけません。
川原尚行
腰痛はまだありますが、昨年末ほどではなくなりました。
なんとか、動けています。
一昨日、とても寒く感じ、昨日から鼻水が止まりません。
今日も何度鼻をかんだことでしょうか。
そんな状態でも仕事は山ほどあり、ロシナンテス全体のこと、診療所のこと
村と診療所のスタッフのこと、学校プロジェクト、水プロジェクトといろいろです。
スタッフが昇給を要求してきました。
ここで、スーダン人スタッフと日本人スタッフが一緒になっての議論になりました。
我々は小さな団体です。
我々自身でも今まで昇給なんてしてきていません。
ましてや、日本で一番低いくらいの給料でしょう。
さらに、我々の運営費は基本的に皆様方からの寄付金で成立しています。
私の基本スタイルとしては、今の財政状況からして昇給は考えられません。
もちろん、スーダン人スタッフの言い分もあるでしょう。
結論は持ち越しでした。
今日は早く寝ます。
川原尚行
日曜日が仕事日となるスーダンでは、今日から仕事始めとなります。
わかりやすく、少し仕事に関して整理していきましょう。
【診療に関して】
現在医師(モハメド)、検査技師(イスマイル)、薬局担当(アレイヤ)、コーディネーター(インティサール)、それにドライバー(ヨシフ)がガダーレフから診療所のある村まで通っています。以前は、ハサバラ村に滞在して診療にあたり、週末にガダーレフに戻ってくるというシフトでしたが、昨年末に起こったスーダン人ロッシースタッフと村人との文化の違いによる衝突から、この体制になっています。ただ、連日の通いは距離が遠いこともあるので、明日村のコミュニティとの話し合いを行う予定にしています。
【学校建設に関して】
昨年末、日本大使をハサバラ村に招いて、草の根無償資金援助の署名式を行いました。これは、大使館がハサバラ村の女子学校増築に関して、資金援助を約束してくれるものです。申請者は、ロッシーではなく、村にしてあります。そのため、村が資金を受け取ることになります。そのためには、村と建設会社との学校建設の契約を取り交わし、銀行口座を開設して、初めて資金が調達されます。上記のことは、村のコミュニティ単独では、難しい面も多いので、ロッシーがサポートしなくてはいけません。ロッシーが、申請者になっていれば、こんな面倒なこともないのですが、村の自立を考えてのことです。一連の作業は、村の人たちへの教育になることを考慮しています。
【水に関して】
村の水タンクならびにポンプが完全に壊れてしまいました。これを補修する事業と行っています。業者選定において、州政府と関係の深い業者が施行した水施設の状態が芳しくなく、他業者の施行した施設の状態のほうが良いため、この業者に依頼をしました。しかし、州政府の許可がなかなか下りずに昨年末に至っておりました。この間、いろんなことがありましたが、割愛します。ようやく、この業者が工事を開始しようとしたその矢先に担当者が、病に伏せ、亡くなってしまいました。本当に何が起こるのか分かりません。現在は、別の担当者に代わり、事業の継続を行っております。現在、古いポンプの除去作業を行っているところです。地中にある長い導管を抜く作業をしていましたが、古いエンジンのパワーが足りずに、あと10センチ程度のところで、力尽きてしまいます。新しいエンジンを持ってきての作業となっています。
【スポーツ事業】
少年サッカーチームは、サッカー少年を募集しているところです。三田君が、現在一時帰国中ですので、彼がスーダン帰任してから、セレクションを行い、開校となります。また、今回日本サッカー協会からサッカーボールを100個寄贈してもらいましたので、彼がそれをスーダンに持参してきます。なお、日本サッカー協会からは、2回目の寄贈となります。現在まで、日本サッカー協会から200個、スーダンを訪問した国会議員団から50個、岩国ライオンズクラブから50個、私が東京で講演会した際の募金から100個の合計400個をスーダンに持ち込んでおります。それらをスーダン・サッカー協会、スーダン・ユース代表チーム、ダルフール・スポーツ省、それに少年サッカーチームに寄贈し使用しています。
【臨床工学技士招聘事業】
J?METSとの共同事業で、今月後半にスーダンに渡航予定です。今回は、JICAのNGO専門家派遣事業(名称は定かではありません、JICAさんごめんなさい)に申請、受諾されてのものです。資金的には、初回が、ロシナンテス単独、次回がJICAスーダン事務所、そして今回がJICA広尾それにJ?METSの共同となっています。もちろん、スーダンでのコーディネートはロシナンテスですべて行っております。
霜田君が1月8日から一時帰国。三田君が1月17日にスーダン帰任。向井さんは1月30日でスーダンでの一年間の活動を終了し、帰国予定です。今後は、助産師になるべく勉強をするそうです。ロシナンテスから大きく羽ばたいてもらいたいです。
最後に、ワールド・ラグビー・ユース大会予選会ですが、小倉高校は、一回戦、明大中野(東京)に勝利、二回戦、常翔学園(大阪)に敗退、敗者復活戦、高鍋(宮崎)に勝利し、明日5位決定戦で筑紫(福岡)と対戦予定です。新チームになって、最終的に東福岡との挑戦権をどちらが得るかを計る意味でも興味深い一戦になりそうです。
川原尚行
昨年、書き初めを行いました。
私は、「謙虚」。
なぜ、謙虚かというと、周囲から「そう書きなさい!」という声があったからです。
08年が「謙虚」に過ごせたかどうかというと、これは疑問ですね。
岩間さんは「健康」と書きました。
そして、
春に盲腸炎になり、手術。
そして、術後の経過が悪くて日本に緊急移送。
その後、腸チフス。
昨年末、全然健康でなかったといった矢先に
長ーいトゲを思いっきり踏んづけて、足にトゲがささってしまいました。
なにせ、岩間さんの全体重がかかったのですから、トゲも奥深くまで入り込みます。
一年をけがで締めくくっていました。
今年は、習字道具がハルツームにあるので、まだ書き初めはしておりません。
霜田君に持ってきてもらいましょう。
なんて書きましょうかね。
さて、ロシナンテスの会報ができました。
その会報の名称を「遠回り」としました。
それを、私が習字で書いて、スキャンして会報の表紙を飾りました。
全くのへたくそなので、恥ずかしい限りです。
第2号の会報の際には、もっと上手に書きたいですね。
うまくなるには、練習が必要です。
我が師匠の霜田君は、「これ見て、書いてください」
というばかりなので、そうするしかありません。
今度スーダンに来る人には、墨汁と半紙を持ってきてもらいましょう。
川原尚行
我が母校の小倉高校ラグビー部は惜しくも花園出場を果たせませんでしたが、
新チームで挑んでいる上記大会に出場しています。
この大会は、全国の花園予選で優勝を逃したチームが予選会を開いて、
優勝、準優勝のチームが5月の連休に行われる本大会に出場できます。
本大会は、花園出場校それに海外から招待されたチームによって行われます。
ちなみに、昨年は英、仏、南ァ、豪、フィージー、韓国、加、ニュージーランドなどが
出場しています。
さて、本日1回戦でしたが、17?7で東京の明大中野高校に勝利したようです。
明日、2回戦で常翔学園です。ここは、かつての名前を大工大であり、過去4回の全国大会優勝を果たした強豪です。
スーダンより、飛んで行って応援したいのですが、それもままなりませんので、
心の中で応援しております。
元旦に雑煮を作ろうと、野菜ともちを10個入れました。
これを何をトチ狂ったのか、圧力なべを用いて行い、
なんと、もちがすべて融けきってしまいました。
雑煮が完全なおかゆ状態でした。
まるで病院食のようでしたが、岩間さんは美味しいと言って食べてくれました。
スーダンでの男のみの正月は、こんなものです。
川原尚行
明けましておめでとうございます!
旧年中が本当にお世話になりました。
本年も精進してまいりますので、よろしくお願い申し上げます。
さて、スーダンでの大晦日は、ガダーレフで岩間さんと二人でした。
霜田君はひとりでハルツームです。
霜田君は帰国も近いことですから、まあ寂しがることもないでしょう。
大晦日の夜は、音楽を聴きながら、本を読み、のんびりとしたものでした。
11時を過ぎて、岩間さんが年越しラーメンを作ってくれました。
そして、気がつけば、もう12時過ぎ。
「あけましておめでとうございます!」
と声をかけ、再び読書へ。
結局2時近くまで起きていました。
そして、朝5時半に起き、岩間さんを起こし、初日の出を見に出かけました。
ガソリンを入れたり、家を出るのに時間がかかり、
気がつけば6時15分くらいです。
今から行こうとするところは、80キロ先の山の上です。
そこは、絶景で私の心の中の「世界遺産」です。
車をぶっとばして、その山へ向かいます。
だんだんと暗闇から、東の空が明るくなってきます。
この道は、エチオピアへと続く道であり、アフリカの大地を貫いている!という感じです。
とても、きれいですが、何としても初日の出を山の上でみたいのです。
「お日さまよ!俺たちが行くまで待っていてくれ!」
と心の中で叫びながら、山の上まで一気に駆け上がりました。
そして、車を降りたとたん、お日さまが顔を出してきました。
お日さまに向かって、手を合わせ、みなの健康を祈りました。
目をつぶっていると、徐々に日が昇ってくるため、
光を感じ、まるで、お日さまが私の願いに応えてくれるかのような錯覚を起こします。
家族に電話をかけ、新年の挨拶をしました。
スーダンの国境近い山の上から、携帯電話で日本に電話することができるのです。
すごい時代ですね。
スーダンでは、ちょうど金土と続きますので、3連休となります。
しばらく、読書三昧でゆっくりとします。
では、皆様にとりましても素晴らしい年でありますように祈っております。
川原尚行


