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スーダン情報
さて、ダルフール行きです。
混沌としているダルフールです。ここと、どのように関わっていったらよいでしょうか?
相変わらず、情報が錯綜しており、真相はどこにあるのかわかりません。
この夏に、日本から来られた国会議員団が2つともダルフール行きを治安の悪化を理由に断念せざるをえませんでした。
今回のダルフール行きの目的は、実情を調べに行くことです。実際に自分の眼で、確かめに行こうと思いました。
さらに、東京で講演会をしたさいに、講演会で集まった収益金で、サッカーボールを購入し、それをダルフールに持っていくことでした。
最後の目的は、写真家の内藤順司さんにダルフールの状況を撮影していただき、それを日本に伝えることでした。
スーダン政府は、HAC(人道支援局)がすべてのNGOの統括・管理をしています。
ダルフールに行く際は、HACから渡航許可をもらわないといけません。
まずは、正攻法でHACに許可願を出しました。
しばらく経って、「ダルフールで住民調査をすることを前提にダルフール行きを許可する」とのレターをもらいました。ダルフールで住民調査をするということは、大変な手間がかかります。また、それを目的ともしていませんので、事実上断られたと認識しました。
次の手を考えました。
面識のあるダルフールの医師に連絡をとりました。
そこで、ダルフール地方政府からの招待状をだしてもらうという作戦を考えました。
こちらから、どのような目的でダルフールに行き、このような日程でダルフールに行きたい旨の手紙を書き、ダルフールに送りました。送ると言ってもメールを介してです。
しばらくして、招待状が出るとの返事がきました。
しかし、ダルフールでのメールの調子が悪く、なかなか送られてきません。
ダルフール渡航予定日の3日ほど前に、ようやく手紙が届きました。
それから、ダルフールのハルツームでの調整役という人物が現れ、彼がすべてを取り仕切るとのことでした。
しかし、問題はまだ解決しません。
ダルフール行きの飛行機が運休中だったのです。これは、先日ダルフールからの飛行機が反政府軍にハイジャックされたことが原因でした。
飛行機が飛ばないのであれば、どうしようもないと諦めていましたが、タイミングよく運航再開が伝えられてきました。
でも、まだHACからの正式な渡航許可が下りていません。
前回、ダルフールに行った際には、HACでの審査がインタビューを含めて3日間かかりました。
運航再開がわかって、手紙を入手し、コーディネーターの全てが揃ったのは、予定日の2日前です。
「コーディネーターは1日でなんとかなる、安心しろ!」
との言葉を信じるだけです。
出発予定日の前日、HACに内藤さんと向かいます。
現在はラマダン中でもあるので、閑散としています。
しばらくすると、ダルフールのコーディネーターがやってきます。
そして、彼に渡航許可願を提出します。
「そこで待っていろ」
と彼は言い残し、奥へと消えていきます。
5分ほど後、
「もう、許可証が取れたよ」
といって、許可証を手渡されました。
まるで、キツネにつままれたようでした。
そして、「今日の夕方5時に航空券を用意するので待っていてくれ」
と言い、去っていきました。
最後の航空券を手にするまでは、どう事情が変わるか分かりません。
我々は5時まで待つしかありません。
5時になりました。
彼はきません。
6時になりました。
彼はきません。
電話をしました。すると、
「イフタール(ラマダン後の食事のこと)のあとに、航空券を届けるから待っていてくれ」
とのことです。
待つしかありません。
8時、9時、10時になっても、彼はやってきません。
スーダンでは、よくあることです。
内藤さんも事情が分かっているため、辛抱強く待ってくださっています。
そして、彼がやってきたのは夜中の12時でした。
そして、「明日は空港に朝6時までに来てください」
なにはともあれ、ダルフール行きが決まったのです。
私と内藤さんは朝5時に起き、霜田君に送られて空港までやってきました。
川原尚行


