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スーダン情報
表題は、病気の名前です。
世界的に見ても珍しい感染症です。
サンドフライという小さなハエに刺されて感染する寄生虫疾患です。
スーダンの東部、そうです私が活動している地域です。
そこでは、リーシュマニア症が世界でももっとも流行している地域のひとつです。
感染すると、内蔵型の場合、死にいたることもあります。
治療に関しても、1ヶ月の入院治療が必要で、ときに激しい副作用も付きまといます。
私の左手首に外傷した覚えが無いのに潰瘍性の病変ができました。
しばらく抗生剤を飲んでいましたが、一向に治癒しませんでした。
それより2週間くらい前に、指先に痛みを感じることがあり、そこが一部化膿しました。
それは一時治癒したのですが、またぶりかえしてきました。
ひょっとして、リーシュマニアかも?
そこで、ハルツーム大学医学部のリーシュマニア専門の先生のところに行きました。
潰瘍部から組織をとり、直接顕微鏡で調べ、さらに培養も行いました。
そして、診断は?
川原尚行
現在、住居兼事務所としているところは、2年前に契約しました。
最初の契約では、月1500ポンド(約7万5千円)、昨年の契約更新では月1600ポンド(8万円)
今年は、1750ポンド(8万7千5百円)です。
現在、スーダンでは住宅供給が進み、若干ではありますが、家賃の低下がはじまっているようです。
その中で、この値上げは、納得できないところがあります。
そこで、知人を伝って2つの家を見てきました。
ひとつは、1500ポンドです、きれいな家でした。
屋上も使えますし、家の前に花壇があるのも良かったです。
ただ、駐車場スペースがなく、それが大きな問題です。
ちなみに現在の家では3台分の駐車スペースがあります。
次の家は、ちょっこ郊外で3階建ての1階部分でした。
1200ポンドで値段は良いのですが、少し狭すぎます。
家族で過ごすなら快適なのでしょうが、事務所機能としては、「?」ですかね。
いま少し、ここで堪えないといけないのかもしれません。
川原尚行
高知から鮫島先生と宮地さんコンビが15日からスーダンに来られていました。
たったいま、スーダンを後にしたところです。
先生たちは、情熱を持って、そして自分の信念に基づきスーダンまでやってこられました。
地球環境のためを思ってのプロジェクト推進のためです。
こういえば、大々的なことと思われるでしょうが、地道なことを重ねていくことの重要性をも、
指摘されました。
大学で講演を行いました。
そのなかで、地球環境のことを言及すると、
「環境問題に関して、先進国が甘い蜜を吸い、そのために我々にその責任を押し付けるのはおかしい」
との老教授からの指摘もありました。
そういわれると、どうしようもないのですが、こればかりは訴え続けるしかないのです。
お二人の一生懸命に訴える姿に、私は深い感銘を受けました。
さあ、これを今後どう具現化していくかが問題です。
まずは・・・。
考えがありますが、いずれまた披露します。
川原尚行
9月23日は私の誕生日でした。
ガダーレフ事務所で、現在農業事業で来られている鮫島先生、宮地さん、そして国際医療センターからの田邉先生、山口大学医学部の学生の金田くんからお祝いをしてもらいました。
ジュースとチップスだけの小学生のような簡単な会でしたが、それでも十分に嬉しかったです。
日本の実家に電話をしました。
父と息子にも、
「誕生日おめでとう」
と言います。
それぞれ79歳と16歳の誕生日です。
親子3代同じ誕生日です。
来年は、父が80歳の誕生日なので、日本で一緒に祝うことができればいいですね。
川原尚行
ダルフールから戻ってまいりました。
このブログで記載したいことは、山ほどあるのですが、それは控えて、今度の帰国の際の講演会などで
現在のダルフール情勢などを話していこうと思っています。
また、写真家の内藤さんの素晴らしい写真が多く撮れましたので、それもいずれ紹介できればと思っています。
今回のダルフール行きには、少なくない人たちから
「ペシャワールの件のあとだから、延期にしたら」
とアドバイスを受けました。
私なりに、安全性を確認しての出張にしました。
2008年秋現在のダルフールの状況を肌で感じ取れたことは、良かったと思っています。
また、今回で知りえたダルフールの人たちとの縁を大事にしていき、彼らの助けになるように
今後も協力していきたいと心に決めた次第です。
さて、ダルフールから帰ってきてからは、日本からの訪問者のラッシュでたいへんになりそうです。
自分でまいた種ですから、しっかりと責任を果たさないといけません。
スタッフにも、仕事が多く迷惑をかけていますが、心を一つにして
この多忙を乗り切っていきます。
川原尚行
さて、ダルフール行きです。
混沌としているダルフールです。ここと、どのように関わっていったらよいでしょうか?
相変わらず、情報が錯綜しており、真相はどこにあるのかわかりません。
この夏に、日本から来られた国会議員団が2つともダルフール行きを治安の悪化を理由に断念せざるをえませんでした。
今回のダルフール行きの目的は、実情を調べに行くことです。実際に自分の眼で、確かめに行こうと思いました。
さらに、東京で講演会をしたさいに、講演会で集まった収益金で、サッカーボールを購入し、それをダルフールに持っていくことでした。
最後の目的は、写真家の内藤順司さんにダルフールの状況を撮影していただき、それを日本に伝えることでした。
スーダン政府は、HAC(人道支援局)がすべてのNGOの統括・管理をしています。
ダルフールに行く際は、HACから渡航許可をもらわないといけません。
まずは、正攻法でHACに許可願を出しました。
しばらく経って、「ダルフールで住民調査をすることを前提にダルフール行きを許可する」とのレターをもらいました。ダルフールで住民調査をするということは、大変な手間がかかります。また、それを目的ともしていませんので、事実上断られたと認識しました。
次の手を考えました。
面識のあるダルフールの医師に連絡をとりました。
そこで、ダルフール地方政府からの招待状をだしてもらうという作戦を考えました。
こちらから、どのような目的でダルフールに行き、このような日程でダルフールに行きたい旨の手紙を書き、ダルフールに送りました。送ると言ってもメールを介してです。
しばらくして、招待状が出るとの返事がきました。
しかし、ダルフールでのメールの調子が悪く、なかなか送られてきません。
ダルフール渡航予定日の3日ほど前に、ようやく手紙が届きました。
それから、ダルフールのハルツームでの調整役という人物が現れ、彼がすべてを取り仕切るとのことでした。
しかし、問題はまだ解決しません。
ダルフール行きの飛行機が運休中だったのです。これは、先日ダルフールからの飛行機が反政府軍にハイジャックされたことが原因でした。
飛行機が飛ばないのであれば、どうしようもないと諦めていましたが、タイミングよく運航再開が伝えられてきました。
でも、まだHACからの正式な渡航許可が下りていません。
前回、ダルフールに行った際には、HACでの審査がインタビューを含めて3日間かかりました。
運航再開がわかって、手紙を入手し、コーディネーターの全てが揃ったのは、予定日の2日前です。
「コーディネーターは1日でなんとかなる、安心しろ!」
との言葉を信じるだけです。
出発予定日の前日、HACに内藤さんと向かいます。
現在はラマダン中でもあるので、閑散としています。
しばらくすると、ダルフールのコーディネーターがやってきます。
そして、彼に渡航許可願を提出します。
「そこで待っていろ」
と彼は言い残し、奥へと消えていきます。
5分ほど後、
「もう、許可証が取れたよ」
といって、許可証を手渡されました。
まるで、キツネにつままれたようでした。
そして、「今日の夕方5時に航空券を用意するので待っていてくれ」
と言い、去っていきました。
最後の航空券を手にするまでは、どう事情が変わるか分かりません。
我々は5時まで待つしかありません。
5時になりました。
彼はきません。
6時になりました。
彼はきません。
電話をしました。すると、
「イフタール(ラマダン後の食事のこと)のあとに、航空券を届けるから待っていてくれ」
とのことです。
待つしかありません。
8時、9時、10時になっても、彼はやってきません。
スーダンでは、よくあることです。
内藤さんも事情が分かっているため、辛抱強く待ってくださっています。
そして、彼がやってきたのは夜中の12時でした。
そして、「明日は空港に朝6時までに来てください」
なにはともあれ、ダルフール行きが決まったのです。
私と内藤さんは朝5時に起き、霜田君に送られて空港までやってきました。
川原尚行
ラマダンが始まっています。
日の入りから日の出まで飲食できません。
私はイスラム教徒ではありませんが、今年もチャレンジしています。
初日、2日目は大変につらかったです。
体重も2キロくらい減りました。
しかし、徐々に体がなれ、イフタール(日没後の最初の食事)を美味しくいただき、
その後のアシャ(夜中に食べる食事)もおなかいっぱいに食べています。
その結果、体重が増加傾向にあります。
楽しいラマダンになってきています。
さて、ダルフールに行く予定にしています。
今、写真家の内藤さんがスーダンにいらっしゃっているので、
ダルフールを撮影してもらおうと思っています。
ただ、ダルフールの状況の悪化、ハイジャックとあり、ダルフールに入れるかどうか直前まで分かりません。
今、現在のダルフールの姿を日本の皆様にお伝えできればと思っており、
最後までスーダン政府との交渉を重ねていきます。
川原尚行
写真家の内藤さんが、スーダンに来られました。これで3回目のスーダン入りです。
内藤さんには、本当に良い写真を撮っていただいています。
日本でのスーダンの報道はマイナスイメージのものばかりですが、違った観点から写真を撮ってもらっています。日本で写真展をいくつか開催し、さらに予定していますが、タイトルは「もうひとつのスーダン」です。
もちろん、このような国でも「笑顔」はあります。
今現在でのスーダンでの笑顔を撮影してもらっています。
今回もどんな写真を撮っていただけるのか、こちらが楽しみです。
内藤さんとともに、ロシナンテスの精神的支柱である霜田君もスーダンに戻ってきました。
新婚生活を楽しんだようで、ふっくらとして帰ってきました。本人いわく、6キロ太ったそうです。日本でのリフレッシュが良かったのか、仕事に意欲を見せています。
そして、高校・大学の後輩である学生の山下君も一緒にやってきました。
天然ボケなのかどうなのか?
日本語の話せるスーダン人のところにいき、
お茶が出され
「さとうは?」
と聞かれ、
「さとは福岡です」
との、とんちんかんな答えをしていました。
高校での成績を聞くと、一番もとったこともあるようです。
ちなみに、私は200~300番台でした。
霜田君も私と同レベルだったようです。
山下君には、ロシナンテスの診療所を見てもらうほか、
スーダンの医学部生との交流、病院での研修などを予定しています。
良い滞在でありますように。
前日のことですが、ハルツーム大学農学部の教授のところへ
遊びに来いと言われていったのですが、そこに日本からのリサーチャーが来ていました。
鳥取大学の先生です。
話をしていると、なんと高校の後輩(45期)だと判明!
しかも、私が大使館勤務時代に鳥取大学を訪問した際に大学院生として私に会い、
私の家族のことまで覚えていました。
残念ながら、その日にスーダンを出発する予定でした。
昨日は高校の後輩を見送り、今日は高校の後輩2名を受け入れました。
人の縁は、面白いものですね。
川原尚行


