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国際NGO / NPO法人 ロシナンテス

最近のダルフール情勢

最近のダルフール情勢は一段と悪化しているという見方が多いようです。

先日は、ダルフールからハルツームへ向かった民間機がハイジャックされリビアに向かいました。反政府の親玉がいるフランスに亡命を希望したようですが、これは無事解決されました。

ダルフールにいるスーダン人の医師がハルツームに来たので、話をしました。
市内は、平穏ですが、郊外は無法地帯になっているようです。難民キャンプで最近暴動が発生し、多数の死者が発生しました。難民キャンプの治安の悪化に伴い、新たに自分たちの部族だけの難民キャンプを形成するところもあります。

難民キャンプには、診療所があり、そこで重症例が市中の病院に運び込まれるようです。一日400人から500人が病院に運ばれ、そのうち1割が入院をするそうですが、病院のキャパシティが小さく,
受け入れが大変なようです。

さて、スーダンにいる私としては、頭の中にいつもダルフールがあります。
どう、対処していけばよいのか、思案しています。

もちろん、治安が第一です。危険を冒してまでダルフールに入っていこうとは考えていません。安全を第一にして、可能なことをできないか模索しています。

いくつかのアイデアがあります。この基本となるのは、我々外国人が突出して行ってもダメとの考えがあります。スーダン人が自国のこととして捉え、ダルフール問題にアプローチしていかないと思います。それは、スーダン政府の政策とは別のところにあります。

ダルフール問題解決のための直截的なものではありませんが、一助にでもなればと考えています。

川原尚行

更新日時: 2008年08月28日
ハルツームに近代ホテル誕生

ハルツームのナイル川に建設されていたタワーホテル(正式名称は知りません)が遂に完成し、一部がオープンしました。
訪問する機会がありましたので、覗いてみました。

私がスーダンに来たのは今から6年前。ヒルトンホテルは名ばかりの、世界で最も廃れたヒルトンホテルでした。あとは、高層ビルといったものもなく、エレベーターも、このヒルトンホテルでしか、お目にかけることはできませんでした。

それが、目の前にそびえるドバイのセブンスターホテルのような、曲線をもった外観のホテルがハルツームにも建設されたのです。


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最上階は、レストラン・カフェになっており、そこからの眺めは、青ナイル、白ナイル、その合流、そしてそこにあるツチ島。これは、一見の価値はあります。


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建設中のハルツームとツチ島を結ぶ橋が眼下に見え、ヒルトンホテルが小さく見えます。白ナイル川沿いにある森林地帯、歴史的建造物に見えるエジプト大使館。


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ここのレストラン・カフェはまだオープンはしていないようです。1か月先のオープンのようです。メニュー表を見ましたが、一食5千円はかかるのではないでしょうか。まあ、今のスーダンの富裕層では、喜んで支払うでしょう。

しかし、それにしてもスーダンの経済格差はいったいどれくらいなものなのでしょうか?それは、日本より大きいでしょう。

石油収入が増え、それに伴う富裕層、その一方地方での貧困は、相変わらずです。ダルフールでは、紛争が収まりません。
そこでは、多くの人が生きるのがやっとという状況でしょう。

この国の行く末を思うと、複雑な気持ちになります。
また、この国だけでなく、「いったい人類はどこに向かっているのか?」
という疑問もわいてきます。

スーダンに6年、身を置き、このホテルが完成しての感想です。


川原尚行

更新日時: 2008年08月27日
ムスタファとズルファ

我々のロシナンテス・メンバーであったムスタファの死から半年近くが経ちました。

この前に休みの日に、ムスタファの家族のいる村へと行ってきました。

雨季の今、村には緑が多く、以前よりいっそう情緒豊かな表情でした。
突然の訪問にもかかわらず、ムスタファの兄弟に温かく迎えられました。

食事もいただきました。
キスラ(ちょっと酸っぱい感じのクレープのようなもの(上品な表現)、ボロ雑巾のようなもの(下品な表現))、スープ、トマトそれだけのものでしたが、心のこもったもので、美味しく頂かせていただきました。

看護師の向井さんは、女性陣の中に入っていきました。
男性陣では、カラッとしており、世間話をしたにすぎませんでしたが、女性陣では、久しぶりに日本人を見たのか、ムスタファを思い出したようで、みんなが涙を見せたそうです。

帰り際、女性陣のところに挨拶に行き、ムスタファのお母さんにも挨拶できました。
そして、ムスタファが亡くなった後、一番しょげていた姪のズルファは、とても元気になっていました。
今は、日本でいう中学2年生です。最初は恥ずかしがっていましたが、話をしてくれました。高校にも進学したいようです。そして将来はエンジニアになりたいそうです。

亡くなったムスタファが取り持ってくれた縁です。
大事にしていきたいです。

川原尚行

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更新日時: 2008年08月18日
学校と電波塔

私が巡回診療を行っていた時期、
田舎の地方では、携帯電話はほとんど使用できませんでした。

電話をかけたいときには、電話交換のブースまで行き、
順番待ちをして、順番が来たら、かけたい電話番号を伝え、

ストップウオッチで時間を計られながら、話をします。

そして、かかった料金を支払う、といったものでした。

しかし、現在はあらゆるところで、驚くようなスピードで電波塔の建設が進んでいます。

そのため、地方でも携帯電話がかけられます。
もちろん、日本にもかけられますし、インターネットも携帯のデバイスを持っていれば、
つなぐことができます。

これはこれで便利なのですが、問題は電波塔の建設です。

隣の村には、学校の真横に大きな電波塔が建てられています。
これって、子供に影響があるのではと思いますが。

そして、ついに我が村にもやってきました。

場所は、なんと学校の真横です。
よくよく事情を聞いてみると、管理維持費としていくばくかのお金が、学校に支払われるようです。

これを、スーダン政府にも届け出て、了解も取ったようです。

しかし、この広い土地があるのに、なぜ学校の真横に建設するのかが理解できません。

携帯電話会社は、急速に成長して行っています。
大企業の原理で、地方にも入り込んでいる気がします。

村人たちは、契約内容もよくわからないままに、サインをしたと言います。
もういちど、契約内容を見直すことと言ってあります。

確かに、学校に維持費が入るのは学校運営上よいことです。
しかし、学校の横に電波塔です。

なにか、しっくりとこないところがあります。

川原尚行

更新日時: 2008年08月18日
キリング・フィールド

診療所からガダーレフ事務所に引き上げてきました。

私とモハメドで1984年製作の「キリング・フィールド」
を一緒に見ました。

ときは、カンボジア内戦、
それを取材しようとした米国人記者とそれを助けるカンボジア人の物語です。

米国人記者は、カンボジア人の助力を必要とし、
そのために、彼を窮地へと追い込んでいきます。

カンボジア人を脱出させようとパスポートを偽造するところなどは、
スーダンでも同じような経験があるために(別にパスポートを偽造したわけではありません)、
臨場感が伝わってきました。

結局、その偽造パスポートは写真が写っておらず、彼だけ脱出することができません。
その後、彼は苦難を得て、カンボジアを後にすることができます。

そして、二人の感動的な再会があるのです。

時代は流れて、2008年。
カンボジア内戦ほどではないにしろ、スーダンではダルフール紛争が繰り広げられています。

そして、日本人の私とスーダン人のモハメド。

まさか、映画のような2人にはならないと思いますが、
ダルフール問題がこじれると今後どうなるかわかりません。

しばし、二人でダルフールに関して話をしました。

いまや、モハメドは私のブレーンになりつつあります。

スーダンが今後キリング・フィールドにならないためにも、やるべきことをしなくてはいけません。

川原尚行

更新日時: 2008年08月15日
ラマダンまであと2週間余り

日本ではお盆休みですね。
我が家もお墓参りをしたようです。

スーダンでは、もうすぐラマダンに入ります。
夕方、診療所に行くときに、きれいな月が見えました。

これが、欠けて新月になるとラマダンが始まります。

たぶん9月の1日前後スタートでしょう。
イスラムでは、太陰暦ですので、たぶんという表現になります。
当日に月の状態をみて、決めるからです。

こういう、アナログ的なものはとても大好きです。
その日、その場にならないとわからない、
あらかじめ、決めることなんてできない!

さて、このラマダンですが、日中に口にものをすることができません。
今年もチャレンジしようと思っていますが、昨年は辛かったのを思い出します。

飽食の日本においても、数日でも体験してみてはいかがでしょうか。

昼間、断食したあとに、ほんとに粗末なものでも本当に美味しく感じられます。

そして、ダイエット効果も期待できますよ。
私もラマダンダイエットをしましょうかね。

川原尚行

更新日時: 2008年08月13日
村の寄り合い

学校増築計画で、どうしても村の学校委員会(このために作りました)の会議が必要になりました。

夕刻17時半に診療所に集合!

しかし、19時ごろより激しい雨です。
一瞬にしてあたりは湖のようになります。

これでは、みんな家から出てこれずに会議は延期かなと思っていました。
しかし、今日会議をしないと我々の都合も合わせて、いつ会議ができるのか分かりません。

酋長のハサンが、
「会議をしよう!」

と、招集をかけます。

すると会議に出席すべき人全員が集まってきました。
この湖の中を彼らはやってきたのです。

もう21時でしたが、学校関係の会議をそれから1時間以上にわたって行いました。

いろんな問題がありますが、ひとつずつ話し合って解決していくことです。

我々の気持ちと村人の気持ちが、ときに離れたり、ときに寄ったり
波のように動いていますが、徐々に理解を深めていければと思っています。

その会議の中で、診療所の近くに建てたスタッフの新しい小屋のための
囲いを村のコミュニティーに作ってもらうように依頼しました。

彼らは、「わかった」
と言ってくれました。

はたして、どんな囲いができるのやら、楽しみです。

川原尚行

更新日時: 2008年08月13日
視点

先日、大使公邸で日本からスーダンに視察にいらっしゃった国会議員の方々を迎えての
歓迎晩餐会があり、それに出席してきました。

席上、大使がスーダンの状況、あるいはそれぞれの活動を報告してくださいとのことで、
真っ先に、私が指名されました。

私は、ロシナンテスの活動そしてスーダンに対しての見解を述べました。
政治的には、極めて困難な状況ですが、人々の生活は、貧しくても、
懸命に生きている。そして、この姿に日本人も学ぶべきところがある。
スーダンには、
「なにもないが、なにかがある」
日本には、
「なんでもあるけど、なにかがない」
と言って、締めくくりました。

私の後に発言された方々は、
ダルフールのことに言及されました。
ダルフールでは、厳しさを増しており、国連の職員はエッセンシャル・スタッフのみでの活動に切り替えている。
政治的な和平合意へと結ぶ協議は難航し、混迷を極める。
との話が続きました。

私は、ダルフールに関与していませんし、政治にも関与しておりません。
私はロシナンテスの活動を通じて、スーダンの人々を見つめています。

私と後の方々の話とでは、内容が全然違います。
いろんな視点があって良いと思います。

その視点を多くして、ひとつの事象をいろんな方向から検討し、総合的に判断が行われることを期待します。

川原尚行

更新日時: 2008年08月12日
スリ

お客さんを夕食に招いているために、朝ひとりでマーケットに買い物に行きました。

ジャガイモ、玉ねぎ、にんじん、にんにく、肉
そうです。カレーライスを作ります。

それに、トマト、キュウリでサラダも作ります。

トマトは1キロ400円くらいします。
コメの値段も倍に値上がりしました。

日本でもそうでしょうが、スーダンでも諸物価が高騰してきています。
世界的な流れなのでしょうか。

さて、両手いっぱいに買い物袋をさげて、いろんな物売りをすりよけながら、
車へと向かいます。

最後までしつこい、袋売りの兄ちゃんがいました。
車の中にで入り込むような形で私に体を押し付けてきます。

もう、車にものをのせているのだから、袋は必要ないと思うのですが、
やたらとしつこかったのです。

そうです、彼の目的は袋を売るのではなく、私のポケットからお金をスルことだったのです。

車を走らせ、しばらくして気がつきました。

お金がない!

ズボラな私は札束で持って行っていました。
被害額は約2万円です。

以前もスリに合いそうになったことはあったのですが、
ポケットに手が入る瞬間がわかりました。

そのときは、片手に買い物袋、片手は娘の手を握っていました。

私の用心が足りなかったのでしょう。
注意力散漫だったんでしょう。

気を引き締めて、いかないといけませんね。

でも、撮られたものは、単なるお金。
汚い紙切れです。

その日の夕食は、2万円の美味しいカレーができました。

川原尚行

更新日時: 2008年08月10日
1時間の気温差22度

今日はあさから珍しくスーダンでは曇っています。
気温は30度まで達しません。
こういうときは、スーダン人とのあいさつで
「今日はよい天気ですね」
となります。
ここ最近、暑い日々が続いたので、とても過ごしやすいです。

先日は、夕方の4時過ぎで気温が48度でした。
このときあまりに暑いので、水浴びしようとしたら、水が完全なお湯になっていました。
誰もいないのを確かめ、素っ裸になりお湯浴びをしました。
乾燥していますので、水を浴びると気化熱の効果でかなり体が冷えます。
一時的ですが、気持ちの良いものです。

その後、雨がジャー!と降りました。
わずか1時間後には、気温が26度になっていました。
なんと、1時間で気温が22度も変化するのです。
こういう気象って、世界の他にもあるのでしょうかね。

川原尚行

更新日時: 2008年08月07日
タンザニア時代の写真

以前スーダンに来てくれた秋田君からタンザニア時代の写真が届きました。
彼とは、タンザニア時代に交通事故にあいそのまま我が家に入院した経緯があります。
そして、今は医学部を目指しての受験生です。

彼は、世界一周を自転車で旅し、いろんな写真を収めています。
彼は、デジタルカメラではなくフィルムカメラです。
現在ではお手軽にデジタルでとりますが、アナログであるフィルムカメラのほうがなんとなく暖かみが感じられます。
これは、多分にデジタルが嫌いな私の性分から来たものかもしれませんが。

彼が送ってくれた写真は、私が娘と息子をそれぞれ肩に乗せたものです。
8年くらい前のものでしょうか。
今では、彼らも大きくなり私の肩に乗るのでしょうか?

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写真というのは撮りっぱなし、ということもよくありますが、秋田君のように約束を忘れずに送ってくれると本当にうれしいものです。
以前にも浦和の飲み屋で通りすがりの人に写真を撮ってもらって、その写真が送られてきたときには驚きました。

我々もよくスーダンに人々を写真に収めますが、撮るだけではなくて、彼らに写真をあげないといけませんね。

秋田君、ありがとうございました。
そして、勉強頑張ってください!

川原尚行

更新日時: 2008年08月06日
わっしょい百万夏まつり、ご協力ありがとうございました

8月2日、3日と私の地元である北九州で「わっしょい百万夏まつり」が行われました。

我がロシナンテスも、この祭りに展示ブースを出すことができ、写真展を開催しましたし、私の友人であるハリッドさんご夫妻によるケバブ・サンドイッチの実演販売も行いました。
このケバブですが、大変好評だったようで、2日間で1000個近く用意していたものがすべて売り切れたそうです。

当日までの準備も大変だったようですが、当日も暑さの中、みなさん本当によく頑張ってくれたと思います。
スーダンからお礼を各人に申し上げることはできませんので、この場をお借りして御礼申し上げます。

皆様方のご健闘がスーダンまで十分に伝わってきましたよ。
本当にありがとうございました。

そして、この企画を来年以降もぜひ行っていきたいと思います。
できれば、私も帰国してお手伝いをしたいと考えています。
そして、いつかは、ロシナンテス・ブースが「わっしょい」の名物になれるようにしたいですね。

さて、このケバブ・サンドイッチですが、ケバブーズという店で(車両販売ですが)、福岡ドームにあるホークスタウンのトイザらスの店の前で土日祝日に販売しています。
また祭りでドリンクサービスをしていたのは、ハイビスカスティです。
ちょっぴり、酸っぱくいかにも健康ドリンクという感じがします。しかもこれは天然です。
このハイビスカスティもケバブーズで販売できるようにしたいと考えています。ハリッドさんご夫妻よろしくお願いします。

このハリッドさん、サナさんご夫妻ですが、どちらも美男、美女です。
日本語もとても上手で、日本の社会で懸命に生きておられます。
私はスーダンで、そしてハリッドさんご夫妻は日本で仕事をしています。
これからも、日本とスーダンのためにお互いに力を合わせて頑張っていきたいと思います。

川原尚行

更新日時: 2008年08月06日
申請書提出

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通常であれば、申請書の提出は、
「よろしくお願いします」
「では、後日質問等をさせていただきますので、ご回答のほどお願いいたします」
という感じでしょうが、
今回は、村から代表者3名を連れてきています。
「書類審査もあるが、この提出時も面接みたいなものだから、
きちんとしなければいけないよ」
と口を酸っぱくして言っていました。
朝から、申請書を3人で読み合わせています。
そして、お祈りをすませ、
「ヤッラ(さあ、いくぞ)」
と出かけていきました。

今回の代表であるハサンは以前大使に大使館でお会いしたこともあります。
そのときは、なんと腕にナイフを巻きつけて入っていきました。
セキュリティチェックは、全く機能していませんでしたが、私が横にいますし、
まず問題はありませんでした。当たり前ですが。
今回も、セキュリティを通過する際に、
「ナイフは持ってないよね」と確認をしました。

いろいろと大使館の方に質問を受けましたが、彼らも一生懸命に答えていました。
このまま、申請が通るわけではなく、いろいろとやり取りがあった後に、最終的な判断が下されます。

今回の申請は、女子学校の増築です。8学級ないといけないところが、
この村には3学級しかないのです。
ただ、建物を作ればよいというものでもありません。
女の子を学校に行かせるための家庭内の協力も必要です。
水汲み作業や家庭内の仕事は小学校の中学年くらいから女の子がやるからです。
その辺の村人の理解が口だけでなく、実行されるようにしなければいけません。

診療所に村出身の女の子を看護師として働かせようとしても、誰も該当者がいません。高校を卒業してからでした、看護師養成学校に行けないのです。この村では、小学校すら全学年そろっていませんから、なおのことです。
将来、この村の女の子が頑張って勉強して、この村のために診療所で働いてくれていることを夢見ます。
今日がその第一歩となることをお天道様にお祈りしましょう。
川原尚行

更新日時: 2008年08月01日