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スーダン情報
アフリカ会議を覗いてきました。
その中で目を引いたのは、西日本高速道路の石田会長の講演でした。
「希望の大陸にむけて」という題で、アフリカでの道路建設を行うというものでした。
我々日本人が技術供与を行い、それを将来的にはアフリカの人たちの手で
道路を建設、そして維持管理を行ってもらいたい。
我々は、アフリカで利益を上げない、これは社会貢献の一つと考えている!
ダイナミックな講演で、聞き入ってしまいました。
また、アフリカンフェアに入っているスーダンブースを覗きました。
スーダン国内では、見かけたこともない、綺麗な工芸品が並んでおり、
特にネックレスは女性客でにぎわっていました。
そのブースで、沖縄で教授をしているアリさん、大阪で弁護士をしているハミッドさんに会いました。
ハミッドさんとは、改めて大阪で会うことにし、アリさんとは福岡で会おうということになりました。
アリさんに、大統領との記者会見があるので一緒に行こうと誘われましたが、
東京出張4日目で疲れもたまっており、北九州に戻ってきました。
明日は、息子の所属する高校ラグビー部の準決勝です。
相手は東福岡!
ケガ人が4人もいて、ベストメンバーではありませんが、ぜひとも勝利をもぎ取ってもらいたいです。
私も応援に行きます。
川原尚行
皆さんお久しぶりです。
私はただ今日本に帰ってきています。
スーダンの学校は4ヶ月弱もの休みがある為
子供たちの要望と生活物資の調達の為に帰国しています。
ロシナンテススタッフにはご迷惑をお掛けしている事と思いますが。
私が帰ってまもなくスーダンの首都近郊で銃撃戦と言うニュースを聞き
驚いていた次第です。
幸い家族や友達、仕事仲間には危険が及んでいませんでした。
それを聞いて安心しました。
さてさて、9ヶ月ぶりの日本ですが
あんまり変わっていませんね。(あたりまえか)
しかしアナログ人間の私なのでたまに友達の会話についていけない時も。。。。
<ワタシ、ニホンキテ サンカゲーツ>状態に陥る事も。(笑)
日本にはいい所も沢山ありますが足りないところも沢山あると思います。
足りないと言うか日本が忘れている事。
日本にはスーダンには無いものがたっくさんあります。
しかしスーダンにあって日本に無いものも日本に帰ると発見できます。
それはささいなコミニケーションであったり、家族間の事であったり。
日本全体が家族間の愛情不足と言うわけではありませんが
昔に比べると家族間のコミニケーションなどが薄れているような気がします。
日本ではTVをつけると家族間での殺人、兄弟間の殺人、
今日も取り上げられていますが近所間の殺人
こんなニュースが連日です。
これと見ると普段日本に住んでいない私はかなりショックを受けます。
先日は区役所に行ったところ
私の前にいた高齢女性が
自分の息子の居場所を教えてほしいと窓口で泣いておられました。
見たところ体が弱っているようでした。
スーダンではまず、こんな光景には出くわしません。
家族は固い絆で結ばれています。
お父さんやお母さんや高齢者の方などは家族から尊敬されています。
こちらもスーダン全体とは言い切れませんが私の周りではこのような感じです。
情勢や物資、格差社会
不安材料は多々ある国ですが
豊かな日本からスーダンを見るとスーダンもなかなかいい所もあるぞ。と
思う事があります。
私はスーダンに滞在中は
<ほんまにスーダンはこれやから!いや!>などと文句を言ってますが
スーダンを出るとこのような気持ちになるのは確かです。
TICADも開催され何かとアフリカがクローズアップされる事は確かです。
スーダンをはじめアフリカよ、頑張れ!!!
AKANE
こんな子が病院に来ました。
彼は5歳です。立てないし、話も出来ない。
手足も硬縮している。
栄養状態もよくなくがりがり。
きっとポリオでしょう。
ワクチンも打ってない。
きけば生後7ヶ月くらいから異常がわかったけど、今まで病院に来たことがないと。
なぜかといえば父親が連れて行かなくてよいと。
ほんっと、このパターンが多い。
こっちは子供に異常があったりしても親は認めたくない気持ちが人一倍強く、認めません。
認めないってことは病院に診察には来ないよね。
いくら母親が連れて行きたくても、全ての主導権は男性にあって、夫が駄目と言えば駄目なんです。
どこの親父や!!こんにゃろ!って腹も立ったけど、これも文化。これが現実。
日本と違って子供がたくさんいるから子供一人ひとりが重要視されないのも事実。
でも過保護になり過ぎてる日本も事実。
過保護になりすぎて、引きこもり?
スーダンなんて引きこもれる個室もないわよ、全く。
そしてこれもこの子供の運命なら、
周りが怒ったり勝手に可愛そうだって決め付けるのはもうやめておこうかな、、、ってなんか思った。
だって、母親がやせ細ったそのこを大切に大切に抱いてたから。
病院に来れなかった5年間も、一歩も歩くことの出来なかった5年間も、
きっと家の中で彼は今日のようにぎゅっと大切に母親に抱かれていたはずだから。
最大の愛情を注がれていたはずだから。
向井
先日、母校での講演会を行ってきました。
全校生徒を前にして相当に緊張してしまいました。
冒頭の登壇の際に演者席に着かずに、
校長先生の紹介も待たずに
いきなり中央の演台に向かいました。
そこからのスタートでしたが、全校生徒が、よく私の話を聞いてくれました。
今年は母校の百周年の年でもあり、このような記念の年に
各界でご活躍されている諸先輩方でなく、私が講演をできたことは、
大変光栄に思います。
講演会の後、高校生と話すことができました。
医学部希望が多いのには、驚きました。
また、一人の高校生が創薬をするために薬学部に行きたいと言いました。
私はその前日に母校の大学に行き、スーダンとの共同研究で創薬の話をしたばかりでした。
地元でもあるその大学を生徒にすすめたところ、
「目指しています!」
との元気の良い答えが返ってきました。
その生徒の目は輝いていました。
私の息子も1年生として、この講演会に参加しました。
息子の写真と名前を講演会に出し、さぞかし恥ずかしい思いさせたのではと感じ、
家に帰った後、息子に感想を聞くと
一言
「感動した」
でした。
川原尚行
先日泥棒に遭いました。
ガターレフの町でいた私。
ひさしぶりに村以外での食事を作る(作ってもらう)買出しにチキンを買いに行きました。
ガターレフでは電気があるので、冷凍チキンを買えました。
夕飯まで時間があるので、台所で解凍するため置いておいて、そのまま通訳のタマちゃんの家に御呼ばれに行きました。
で、美味しいご飯を呼ばれて、チャイを飲んでガフア(ジンジャーコーヒー)頂いて幸せ気分で帰ってきたら、
ない!!
チキンがない!!
どこを探してもなくて、犯人はネコだってことに。
今日のチキンは なしかぁ、、なーんてあきらめて裏庭をみたらチキンが!!
よく見ると袋が少し破られてたけど、チキンは少しかじられてたかもしれないが、それは無視して
無事なものとし、煮込んで食べた。
非常に美味しかったけど、猫から取り返した(取り返せてもないですけどね 完全に負けてますけど)チキンをまた食べるなんて、日本じゃ考えられないですよね。全く、、。あたしゃ、どんな生活してんねん。
で、昨日その話をカルツームにいる友達にネタとして笑って話してたんだけど、
なんか、カルツームでいい料理屋さんに行って食べるのも、日本で贅沢に過ごすのも、私も日本で好きなもの食べて飲んで、好きな洋服を買ってたけど、大切なのはどこにいても、その状況を笑って楽しく過ごせるかってことで、幸せなんだって気づけるかで、
だからやっぱり、日本でもどこでも愚痴愚痴言いながら贅沢三昧毎日いてる人よりは、たとえ質素な暮らしをしてても、水も電気もなくても笑って生活しているスーダンの人の方が幸せだったりするってこと。
だから、勝手に、貧しいから大変だって考えて先走った援助になったらあかんってこと。
まだ私の中で援助に対する明確な答えは出てないけど、ちょっと何か答えに近づいてきてるような気がします。
泥棒ネコをきっかけに、なんかちょっと成長できた気がする。
でも絶対捕まえてやる!!しかも昨日チラッと見たけど黒猫なんだよねぇ、こわー。
向井
明日、母校で生徒たちへの講演会が行います。
我が母校は、今年で創立百年です。
諸先輩方の各界での活躍を見ると、百年の歴史が感じられます。
そのような母校で、講演できることの栄誉を感じます。
タイトルは
「次の百年、俺たちのなすべき事」
私を特別視することなく、高校生と同じ視線で考えていきたいと
「俺たち」とタイトルにいれました。
新1年生のなかに、我が息子もいます。
我が息子も含めての「俺たち」です。
高校生の心に響く話をしたいと思います。
川原尚行
この間 川原さんより、村にいる私に電話がありました。
ショアック(私のいる村より車で30分)に在スーダン日本大使と内田さん(今回の学校プロジェクトの担当者)が来られるので、挨拶に行ったらという、申し送り。
近くに来るし、私も折角なのでご挨拶したいと快く受けました。
あちこち行くのが好きな私はこの手のことが大好きです。
で、電話を切った後、はっと気づいたのが、全く服がないってこと。
この、服がないってのはかなり深刻でどれくらいかを今から説明します。
まず私は村に来るときは基本的に診療所での仕事がメインになるので白衣です。
そして、持ってきてるのはジャージ(夜のパジャマ)
そして、幾度となくブログに出てきてますが村はハブーブなどが起こるため、
私は服はカルツーム用(都会仕様)とハサバラ用(村用、汚れても破れても悔しくない洋服)に分けております。
当然こっちにスーツなんて持ってきてません。
一国の大使に会うというのに、持っているものは着ているTシャツと、ズボン。
バックパックの中には白衣2着と予防衣(白衣の上に着るエプロンのようなもの)白の長袖Tシャツのみ。そして、パジャマのジャージ(論外)
まぁこれで、どうやって村で過ごしてるかはご想像にお任せしますが、とにかくひっくり返してもそれしかない!!
今回は週末の度に車で一時間の電気と水があるガターレフの事務所で過ごす予定なので特に持ち合わせがない。
白のTシャツは首のところがよれよれしている(こんなもので大使の前には出れぬ)
そして着ているズボンは洗ったばかりだったが、運の悪いことに朝ごはんをこぼしたばかり(手で食べてるんです、上手くはつかめないこともあるんですよ、念のため)とコンディションは最悪。
そして着ている黄色のTシャツ。
黄色で可愛い色です。
これを着ていけばいいじゃない?と思うでしょう。
これはもらったTシャツなんですが、困ったことに、、というか、別のNGOのロゴ入りTシャツ。
さ、、さすがにこれはまずい(絶対にまずい)
ロシナンテスのTシャツならともかく、他のNGOの Tシャツを着て大使と会って写真でも取られて、川原さんに見られた日にゃぁさすがに心の広い川原さんとて黙っちゃいない、、、と頭をよぎり、
こうなれば、白衣を着て救急車で行こうかしらと考えるも、そんなことをしたら、未来永劫武勇伝として語り継がれるような気もしてすぐさま却下。
むむむと頭を悩ましてる私に通訳のエンティサールが黒のスカートを持ってるからそれを貸してくれるといってくれた。
そしてスカーフもあるという。
これなら、白のよれよれ長袖の首元も隠せるし、おぉこれなら人に会うのにも失礼にならないと、ようやく安堵。
結局オチとしては、着くのが遅くなった大使一行だったので、ガターレフにいた他の日本人スタッフがご挨拶に行ってくれて、私は夜道のドライブが危ないと、残ってもらっていいよと言ってくれたので、行かなかったんだけど。
今度から、ちょっとは小奇麗な洋服も持ってきておくことにしようっと。

17日、ほぼ1ヶ月ぶりにスーダンに戻ってきました。
結婚式の準備、結婚式、新婚旅行とあっという間の1ヶ月でした。
上の写真は、披露宴の後の2次会のときのものです。
真ん中でジャラビーア(スーダンの民族衣装)を着ているのが私です。
前にいる岩間さんが一番目立ってはいますが。
スーダンに戻って感じたのは、とにかく暑いということ。
おまけに車の調子が悪くてエアコンが効かなく、
40度以上の猛暑の中、車であちこち回っていますが、
日本で鈍った体にはかなりこたえます。
数日前に街中で反政府勢力と戦闘があったということで心配していましたが、
もうすっかり落ち着いたようで、あまり影響を感じないのには安心しました。
スーダンでは私が幸せ太りで帰ってくると期待していたようですが、
中途半端に少し太っただけだったので、がっかりさせたようです。
逆に一緒に帰った岩間さんが元に戻ってしまったようですが。
それでは、早くスーダンに再適応して頑張っていきますので、よろしくお願いします。
霜田治喜
昨日、診療所でジェネレーターを使っているときにオートクレーブを回しました
(オートクレーブは医療器具の滅菌の機械です)
まだオートクレーブの使い方はスタッフには教えれてなくて(なにせ電気がない上に時間がかかるし、滅菌器具使ったところで、実際使うときに清潔操作できない、、あげくのはてにはオートクレーブから素手で器具を取ったり、ミラクルな出来事が勃発するため)
昨日は久しぶりに早くからジェネレーターを回したので、依然使った医療器具を私がオートクレーブで滅菌していました。
あと残り15分ってとこで、
何か変なにおいがするぞ!! って近くにいた患者や、村人が騒ぎ始めたらしく、
私が駆けつけたときには大騒動に、、、。
そうしてるうちに駆けつけたアレハ(医療スタッフ)が問題を納めるべく、パチって電源を切っちゃったよ、、、
あーーこの人はやっちゃったよ。
あと15分、、。
アレハは医療従事者、、、。
機械からの匂い、、。
でも、アレハはヒーローになっちゃってるよ、、、。
まぁいいよ。もう充分殺菌されてるし、、でも、、、もう、、
そうそう、勉強するのはいつだって私なのです。
向井
昨日までの、危険情報から村での話へと移ります。
シェリフ・ハサバッラ村には、古くからの学校と
最近建設された女子のための学校があります。
ただ、女子のための学校は3クラスしかありません。
そのために、女子のための学校建設を手伝おうと、昨年からことあるごとに話をしてきました。
そこで、学校が存在するひとつの村だけでなく、
学校に通う子供がいるすべての村の代表者たちを集めて話し合いを持ちました。
まずは、学校建設に関する学校建設委員会なるものを決めようとしました。
我々は、各村から代表者5名というふうにしていたのですが、
最大規模の村が
「我々は人口が多いのだから10人の代表を送りたい」
とのことです。
ただ、ひとつの村の意見に偏ることも懸念され、
我々は一歩も引かずに各村5人を主張しました。
最大規模の村は、我々との話し合いを中座して
自分たちだけで協議し、
再び我々のところに来ました。
「10人のせんは譲れません!」
でも、我々も主張するところは同じです。
ふと、民主主義とは何だろうと思いました。
最後の最後、もう夜の10時近くになって、結論が出ました。
各村5人で決定!
プロジェクトの申請には期限があります。
もちろん、我々が主導していけば、早くに事が進むのでしょうが、
村の問題ですので、村人が先導しなければ、この先どうにもなりません。
困難で大変でしょうが、彼らと一緒に進めていきます。
川原尚行
昨日から、エミレーツ航空が正常に運航しだしたようです。
しかし、混乱は続いており、岩間さんのスーダン渡航の予定が遅れに遅れていました。
日本の事務局から連絡があり、エミレーツはキャンセルしてカタールにしたとのことです。
カタールは数日前から確実に運航しているので、こちらのほうが確かでしょう。
岩間さんと霜田くんが一緒の飛行機でスーダン入りする予定です。
ところで、結婚を終え、新婚旅行から帰ってきた霜田くん。
電話で話しましたが、幸せそうな話し声でした。
前回帰国した際には、相当ブヨブヨになってスーダンに戻ってきましたが、
今回も、それ以上に「幸せぶとり」して帰ってくるのではないでしょうか。
岩間さんも、病気で絶食していたときには、格好良い体型になっていましたが、
その後、リバウンドしたのか、そのまま格好良いスタイルでいるのかが楽しみです。
北海道出身の岩間さんですが、しばらく北九州に滞在し、北九州から旅立ちます。
北九州に滞在中、うちの近くの温泉(あじさいの湯、河内にあります)がたいそう気に入ったらしく、
一日中、温泉に入っていたそうです。
私も温泉好きですが、せいぜい1時間くらいで温泉を出ますが、1日中温泉の施設にいるとは、
岩間さんも、おもしろいものです。
向井さんは、卓球のラケットを楽しみにしています。
今度の、卓球大会(いつ開催されるかは不明ですが)では、ロシナンテスのエースの岩間さんが復帰しますので、岩間さんの見事なラケットさばき、軽快なステップがご覧になれます。
卓球大会が開かれるような、平和なカルトゥムであって欲しいです。
川原尚行
先日の出来事です。
村からカルツームへの帰りを急いでた私たちは、経由の町ガターレフで、昼ごはんのハンバーガーを買いに車を止めてテイクアウトしようとしました。
おなかがペコペコだった私。
まだ車が出発しないので先に車に戻ってハンバーガーを食べ始めました。
なにげなく外を見ると大きな袋を抱えた少年が一人。
ハンバーガーショップのゴミ箱を開けて何か探してる。
誰かが捨てたハンガーがーの残りを見つけて、色んなものが入ってるゴミ箱の中から
食べ物を見つけて、それも子供の成長に全く充分でない量を、清潔でない食べ物を、彼は食べてました。
ただ食べてました。
クーラーの利いた車内で作りたてのハンバーガーを食べてる私を見ながら。
誰かの残り物を。
目には全く光がなくて、私も、もう胸が一杯になって。
でも、自分の食べてるものを彼に上げる事も、声をかける事も、微笑みかける事も出来なかった。
ただ、今持ってるハンバーガーを美味しく大切に頂きました。
それくらいしか、私には出来ないと思ったし、それが私に出来ることだと思った。
誰かを変えることも、世界を変える事も 貧困をなくす事も出来ないかもしれない。
でも自分は今日からでも今からでもきっと変われるから。
そしてみんなの関心が少しだけずつでも変われば世界はきっと変わるとは思いませんか?
向井
5月13日、カルトゥムは沈静化し、町は通常通りに動いているようです。
ただ、エミレーツ航空はまだフライトをキャンセルしているようです。
カタール航空は、昨日より運航を再開しています。
今回の反乱軍であるJEMのリーダーはカルトゥムに潜伏しているようで、
彼の逮捕につながるような情報提供者には、125億ドルの懸賞がかけられています。
スーダン政府は、こんな大金を持っているのですね。
また、JEMのバックにはチャドがいるとし、スーダン政府はチャドとの国交を断絶しました。
この3月にスーダンとチャドは不可侵条約を締結したばかりなのですが。
アフリカのさらなる政情不安への引き金にならなければ
よいのですが。
川原尚行
5月12日の朝からカルトゥムは通常通りに仕事が再開されました。
閉鎖されていた空港も開かれましたが、各航空会社はスーダンへの運航を見合わせているようです。
エミレーツ航空は、今週いっぱいのスーダンへの運航をキャンセルして、
様子を見て、来週から運航を再開するかどうか決定するとのことでした。
私は村に入り、通常通りの診療体制に入っていました。
すると、ロシナンテスのカルトゥム事務所から連絡があり、
カルトゥムで戦闘が再開されたようです。スーダン時間11時(日本時間17時)
再び外出禁止令が出るものと思われます。
川原尚行
カルトゥムは、白ナイルと青ナイルが合流する都市で、
川を隔ててカルトゥム、カルトゥム・ノースそしてオムドルマンからなります。
今回の騒乱でナイル川に架かる橋が全て封鎖されました。
そして、空港も閉鎖されています。
5月11日昼過ぎに、すべての地域に出されていた外出禁止令が、オムドルマン地域のみになりました。
事態は徐々にですが、正常化してきているようです。
今回の着目すべき点は、空港が閉鎖になっている点です。
3年前の夏に、暴動が起きました。
これは、南部の指導者であったジョン・ギャランが航空機事故で亡くなったために
起こったものです。
このときですら、空港は閉鎖されませんでした。
ただ、同様に外出禁止令がでていました。
ちょうど、その日に日本から海原事務局長がスーダンに来る予定でした。
我々は、外出禁止令が出されている中、車を飛ばし海原君を迎えに行きました。
大規模な暴動で、放火される家や車が多くみられましたし、血走った人たちで
街は本当に混乱していました。
そのときですら、海原君は日本からスーダンに来られたのです。
しかし、今回は事情が違うようです。
事態はもっと深刻なのでしょう。
日本から来る予定の岩間さんがドバイ→カルトゥム間のフライトが
キャンセルのために、日本で待機状態です。
東部のガダーレフは、平穏です。
でも、スーダン人スタッフの一人が言いました。
「今、この地域のほとんどの兵士はカルトゥムにいっているので、
もし、この地域で反乱がおきると大変なことになるね」
そのような事態にならないことを望みます。
また、ダルフールにいる知人からも連絡があり、
ダルフール自体は落ち着いているそうです。
いままで、胸を張って、カルトゥムが安全であると言ってきましたが、
これからは、そうとも言えませんね。
早く、平和なカルトゥム、スーダンになることを望みます。
川原尚行
5月11日、10時に予定されていた外出禁止令の解除が無期限延長になったようです。
カルトゥムの様子は一見静かなようですが、完全に落ち着きを取り戻してはいないようです。
空港は閉鎖されており、カルトゥム空港の離発着は全てキャンセルになっています。
川原尚行
昨日、カルトゥム市内オムドゥルマン地区にて
ダルフールの反政府勢力とスーダン国軍との銃撃戦が行われました。
昨夜のうちに事態は沈静化されました。
また、スーダンにいる日本人全員の安全確認も行われたようです。
スーダンのメディアは、この攻撃を隣国のチャドが支援したと批難しています。
チャドは、もちろんこの戦闘の支援を否定しています。
今まで、平和と思っていた首都での銃撃戦に大変驚いています。
反政府軍は、いつでも首都に進攻できることを証明したかったのでしょう。
この銃撃戦の最中に、我々は、幸いにも東部に向かって行っていました。
移動中に、カルトゥムにいる三田くんからの電話がありました。
「オムドゥルマンに行こうとしましたが、多くの軍人が町中にあふれ、橋を封鎖し、
家に戻れ!と連呼していました」
との第一報が入りました。
スーダン人スタッフのモハメド君に電話確認させたところ、オムドゥルマンで銃撃戦が行われているといいます。
昨夜食事をともにした日本から学生さんがオムドゥルマンにいますので、電話をかけました。
無事にホームステイ先にいることがわかりました。
ただ、銃声を耳にし、停電もあるので、恐いと言っていました。
我々が頭部へ向かっている最中、東部から多くの兵士を乗せた車両が首都へ向かうのを目撃しました。
ガダーレフに到着した我々は、スーダン人スタッフのハフィーダの家に行き、
テレビを見せてもらいました。
スーダンテレビでは、燃える車両、反政府軍と思われる死体などが映し出されていました。
一夜明けました。
いつもと変わらぬ、穏やかな朝です。
ラジオでは、今回の戦闘はスーダン軍が完全に勝利したと述べています。
このような事態にいつでもなりうるのが、スーダンなのでしょう。
街の噂では、本日10時までの外出禁止令、チャドとの国交断裂といっています。
そして、我々はいつものように、ザラビア(揚げパン)を買ってきて朝食にしています。
10時まで事務所に待機です。
川原尚行
昨日、5月9日夜にダルフールの反政府軍がカルトゥムに進撃をかけ、
5月10日よりカルトゥムのウンドルマン地区での政府軍と反政府軍の銃撃戦が行われているようです。
同地区にいる日本人に連絡を取ると、家の中から銃声が頻繁に聞こえるようです。
スーダン政府は、外出禁止令をだし、ナイル川にかかる橋のすべてを通行禁止にしています。
なお、政府発表では明朝6時には外出禁止令は解除されるようです。
我々は、騒動の直前にカルトゥムを出て、診療所に向かいましたので、騒乱とは関係のない、東部にいます。
取り急ぎ、第一報を送ります。
川原尚行
今日から地方に向かいます。
昨日、酋長のハサンから、岩間さんが回復してスーダンに戻ってくることの喜びの電話でした。
岩間さんが村にやってきたら、羊を屠ってお祝いをしよう!とのことです。
我々のことを家族のように考えてくれているのですね。
嬉しい限りです。
村での仕事は、たくさんあります。
診療所、母子保健、水案件、学校案件、ごみ処理など
忙しくなりそうです。
川原尚行
私がスーダンに到着した翌日に突然、私の電話が鳴りました。
元在スーダン日本大使館の派遣員のSくんからのものでした。
4年半前に離任して、今はバックパッカーをしているそうです。
私との再会も4年半ぶりです。
当時は、館員や、スーダンにいる日本人の数も少なく、寂しい時代でした。
まあ、その分、気心も知れていますが。
彼は、1年以上も旅の空にあるようです。
私がちょうど、帰国した直後と言うこともあり、
せんべいを出し、昼食にラーメンを作りました。
夕食は、凍らして持ってきた刺身、納豆にシーチキン、玉子焼き、トマト、きゅうり、チーズでの手巻き寿司にしました。
納豆が最高だったようです。
実は、私の家内が帰国した直後に手巻き寿司が食べられるように、
これらの買い物をして、冷凍して私に持たせてくれたものです。
今日も、彼は我が家に来るようで、今カレーを用意しています。
旅人にとってのオアシスになれば、よいですね。
川原尚行
短い日本滞在も最後となりました。
4月30日夜に日本到着、5月6日出発でした。
それでも、今回は、東京、島根、広島、長崎と飛び回りました。
仕事はほとんどなく、プライベートな事ばかりでしたが、
子供たちの活躍も見られて、充実したものでした。
もちろん、メインイベントは霜田君の結婚でした。
今は新婚旅行の最中です。
さて、6日の日は関西空港からの出発です。
ゴールデンウイークの最終日であり、飛行機の予約は取れず、
新幹線での移動です。
荷物は50キロを超えており、これをどうやって運ぶかが問題ですが、
「なんとかなるさ!」
といつもの楽観主義に考えていましたが、大変な目にあいました。
新幹線の小倉駅では、家族と海原君が荷物を車内に運び入れてくれて助かりました。
もりろん、自由車は満席で私は車両の真ん中に立っていました。
もしかして、座れるのではないかと1両目に乗ったのが、間違いでした。
新大阪では、関西空港へ行く「はるか」との接続時間が12分ありました。
余裕と考えていたら、満席の新幹線が各駅に止まるたびに、1,2分ずつ遅れていきました。
そして、新大阪へは7分遅れで到着の予定です。
ただ、車内放送で「はるか」への接続を調整しています。
とアナウンスがあり、ほっとしていたところです。
さて、降りなければいけません。
立ったまま、新大阪に着きましたが、荷物が計5つあり、
肩にからう、首にぶら下げるなどしても、どうしてもうまくおさまりきれません。
新大阪では、私がもたついていると、新幹線にお客さんが乗り始めました。
「降りまーす!」
と大きな声を上げ、一旦降りてもらい(そうしなければ、50キロ以上の荷物が通らないのです)
必死の形相で、新幹線を降りました。
それから、1両目からエスカレーターまでの距離の長い事!
荷物は途中で崩れ落ちていきますし、半泣き状態でホームを走りました。
そして、やっとのことで在来線についたところ、
目の前を「はるか」が過ぎ去っていきました。
時間調整していると言ったのに!
仕方なく、次の特急「くろしお」に乗り、途中で快速で関空に向えば10時過ぎに空港に着くことが分りました。
飛行機の時間は23時15分です。
通常の国際線は2時間前までにチェックインとなっています。
ギリギリの時間です。
さて、車掌さんに聞くと、乗り換え時間は2分で同じホームに快速は止るといっていたので、
重たく、かさばる荷物があるので、一安心と思っていました。
特急「くろしお」を降りました。
あとは快速に乗るだけだと思っていました。
ホームの目の前の列車は
「和歌山」行きの表示がされています。
これじゃないんだな、関西空港行きの列車は特急「くろしお」と同じ番線に入ると思っていました。
すると、放送で
「関西空港行き快速が出発します」
とアナウンスがありました。
「えっ!前の列車は和歌山行きでは?」
と思いながらも、前方に走っていくと
そこには、きちんと表示がしてありました
「関西空港」
そして、無常にもドアが閉まり、出発していきました。
「ゲーッ!これは、国際線に乗り遅れる!」
重い、かさばる荷物を持ち、タクシーで行こうと改札口へ向う(これが結構遠かったです)と
次の快速があることが判明、
これにかけよう!
とまたホームへと向います(同様にこれも長かったです、もう半べそ状態です)
やっとのことで、関西空港行きの快速に乗れる事が出来ました。
到着時間は23時19分です。
JRの関西空港駅にはトローリーがあります。
これで、こっちのものです。
重くてかさばる荷物をこれにのせ、全力疾走!
関西空港のエミレーツの係員から
「川原さんですか?お急ぎください!」
と言われ、なんとか飛行機に間に合った事を確認できました。
一安心したところに、係りの人から
「荷物が5キロ超過になっている」
何を今更、と思っていましたが、
仕方なく、バッグの中から5キロ減らそうと思い
味噌とサランラップを機内持ち込みのバッグの中に入れ替えました。
なんとか、これで許してもらい、
税関前の荷物チェックに行きました。
そこで、
「味噌が入っていますね、味噌が液体に属し、機内への持込は禁止されています」
「ガーン!」
貴重な味噌を取り上げるとは!
私は、味噌を機内に持ち込めないような社会を憎みます。
疲れ果てて、機内に乗り込み、ぐったりと寝ました。
さて、ドバイ空港に着き、ラウンジに入ると、
なんと知人が要るではないですか!
ザンジバルで活躍されている島岡さんです。
島岡さんと久しぶりに酒を酌み交わし、旧交を温めました。
島岡さんがタンザニアに行く便が先に出発です。
話が弾み、ファイナル・コールが耳に入ってきました。
「また、いつか会いましょう」と
島岡さんと別れの抱擁を交わしました。
しばらくして島岡さんが戻ってきました。
「飛行機に乗り遅れた!」
「お天道様が、二人でもっと呑みなさいと言っているのでしょう」
と二人は呑み始めました。
最後まで、笑える道中でした。
川原尚行
昨日、村で初めて出産を見ることが出来ました。
こちらは村での分娩はほとんどが病院に行くことなく、自宅分娩で、TBAと言われる産婆さん、きちんと教育は受けておらず、代々受け告げられてきた経験を生かし仕事されてる、方をTBAと呼んでます。
分娩があるというので行ってみると、家の中には入る隙間もないくらいの女性がいて、彼女の出産を見届けたり手伝ってます。妊婦はベッドで寝ており彼女の足元にはTBAの方がいており、彼女の手元には天井から布切れがかかっており、これをもって彼女はいきむわけです。
声を出すと根性がないことになるので出産の際女性は声を上げません。
出産の方法も見たかったのですが、こちらの人は出産作業は全て布で覆い隠します(と言うことは、TBAは感覚だけで見ずに作業します。なんとも熟練されてる、、とともに、へその緒などを切るナイフがナイフと言うのも言えないようなさび付いた代物だったので、清潔なはさみで切るように指導しました。
なので作業は全く見れなかったわけですが、
途中も妊婦を起こしたり、寝させたりして(それも全て村の女性が手伝う)
本当に自然で産んでるんだって思いました。
出産を見るのは私は実は看護学生の実習のときから二回目で、そして妊婦さんは本当に自分の力で頑張っていて、大勢の女性が見守る中みんなが応援してる中の出産っていいなって思いました。
無事の出産の後はみんなで喜んで、私も感動で涙が出て、もちろん、清潔とかの面で問題はあるのかもしれない、でも、これが自然の姿なのかなって、少し思った。
途中でミルクのようなものを妊婦に飲ませたり、お香のようなものが焚かれて、煙を妊婦にかがせたり不思議な事も色々ありましたが、、。
もちろん日本では安全な病院の中で、ドクターもナースもいて清潔な中で行われて。
こっちは、そうではないかもしれないけど家族や地域の人みんなが手伝ってくれてみんなで出産をサポートして、そして子供が育つのも、みんなの目で見てくれてみんなの中で育って。
スーダンに来て、私は何が大切で何が正しいのか分からなくなるときがあります。
決めるのは全て当事者なのかもしれない。
けど、新しい命の誕生って本当にすばらしいですね。
なんか、子供を産みたくなりました(ってこれは意味のある発言ではありませんので、あしからず)
向井
今日はガターレフよりヘルスエデュケーター(日本で言う保健の先生?健康指導者?ってところですか)
の方が来られて、クリニックに来ている妊婦さんに勉強会を開いてもらいました。
内容は、初歩的なことですが(例えば生理が3ヶ月なかったら、病院に行きましょうとか、最初の3ヶ月の間ゆっくり休みましょう。などなど)
みんな女性は真剣に彼女の話に耳を傾けています。
内容は、基本的なことなのですが、それを知らない村の女性が多いということです。
何でも知る、と知らないでは大きな違いがあると思います。
こういうのを見ると、私たちが言うよりも現地の人が現地の人に教育するのはいいことだなって思います。
教える方も自分の国の地域によっての教育の差を学べるし。
日本も地方ではお医者さんがいなくて、、、なんて話題になってるけど、スーダンほどの格差はないもんね。
私もここで日々日本じゃ学べないことを学んでると思うけど、お互いに(スーダンの人たちと)学びあえ日々を過ごすのが私の理想です。
ちなみに昨日久しぶりに村で星を見ました。
最近砂嵐や、雨風にしか当たってなかった私にとってほっとする夜でした。
向井
こんにちは。
霜田さん結婚おめでとうございます。
私も後に続きます、、、なーんて重大な出来事は村では起こりそうにありません。
写真や話を楽しみにしています。
こないだ 友達の家に遊びに行ったら(そうそう私友達が出来たんです!!って小学生のようなコメントですが)
いや、ほんとスーダンに来て、友達とわいわいってのが出来ないことがストレスになったりしてたんですが、同じ目線で気の合う話が出来る友達ってのはスーダンライフをより良く活動する上でも私にとっては大切なことです。
彼女も援助団体に勤めてるんですが、彼女とこんな話をしました。
スーダンや途上国でいると強くなるし、勉強になるよねって。
でもその一方で、紙がないトイレでの使用法とか、バケツ一杯でのお風呂の入り方(お風呂じゃないよ、たらいだよ)とか、満員バス(満員ってイメージからさらに50人ほど追加)の揺られ方とか、そういう人生に無関係の、知らなくてもなーんの損にもならない情報も得るんだよねって、笑いました。
確かに日本じゃ全く使わない知識も学びます。
でも、こんな風に話のネタになるんなら、色んな経験もしておいた方が得なのかなぁって思います。
向井
なんと、忙しい我が家なんでしょう。
家内は5時前から起きています。
長女の合宿のために準備をしています。
長女を5時半には送りだし、次に長男の合宿のために
準備をおこない、6時半には長男を送り出しました。
長女は広島へ、2泊3日
長男は長崎へ、3泊4日の合宿です。
私は、長女と約束していたため、本日彼女を追いかけて
広島に向かい、応援します。
夕方には北九州にもどってきて、霜田君の結婚式の打ち合わせです。
霜田君から、新郎新婦の紹介と二人のなれそめが送られてきましたが、
これを本番で、このまま紹介しても良いのやらと、家内と相談していました。
ちょっと、まずいよな?
頭が痛いです。
まあ、明日は霜田君の晴れ舞台ですから、大いに盛り上げることにいたしましょう。
しげちゃん、岩間さんも参加します。
川原尚行
昨日は、ロシナンテス本部事務所で取材を3件受けました。
その後、北九州空港へと急ぎ、スターフライヤーで東京へ。
ホームページを担当してくれている方々と協議、
そして、内藤さんと竹林さんの両カメラマンと食事をともにしました。
その後、夜おそくまで痛飲し、ホテルへもどりました。
ホテルの前にあった、ドンブリ屋でカツ丼をテイクアウト。
これが、本当に美味しかったです。
目覚ましをセットすることもなく、朝6時に起床し、
ホテルで朝食を取り、余裕(のつもり)でホテルから羽田へと向かいました。
東京→出雲へ飛び、松江に住む姉と合流し、一緒に益田に向かう予定でした。
前回の帰国の時には、飛行機に乗り遅れてしまいましたが、
それ以後、絶対に飛行機に乗り遅れるものか!と固く決心をしていました。
しかし、です。
羽田空港に着いたのが飛行機の出発15分前でした。
予約はしていたので、全く心配してなく、係員にチケットくださいというと
「もう、キャンセル待ちの人に席を譲ってしまいました、
20分前にいらしていただかないと」
「ガーン!!!!」
またしても、飛行機に乗り遅れてしまいました。
二度と日本航空なんか使うものか!とスターフライヤーのデスクで北九州行きを買いました。
姉に電話し、益田で会うことにし、
父に電話して、北九州空港まで来るまで迎えにくるようにお願いしました。
全く、私は人に迷惑をかけるやつです。
父の車をかり、父を送った後、益田に向かいました。
小倉→益田は180?、車で2時間半でした。
そこで、外科の先生と今は彼の患者さんになった方と食事をともにしました。
私にできることは、笑顔を振りまくことくらいですが、
患者さんは、素晴らしい笑顔を見せてくれました。
そこの食事は大変美味しく(益田の田吾作です)、私は4杯も平らげてしまいました。
次回は、泊まりがけでくるから、酒を酌み交わしましょうと約束し、
帰路につきました。
帰りは、睡魔との戦いでしたが、無事北九州まで戻ってこられました。
それから、霜田君の結婚式に出席のために、散髪にいき、買い物をし、
家につきました。
長い長い一日でした。
川原尚行
私には物事をいいほうに考えるという長所があります。
ただ物事をいいほうにしか解釈しないという弱点があります。
ローカルスタッフの給料日
川原さんがスタッフに給料を渡していました。
傍にいた私。
イプチサムというローカルスタッフに給料を渡してたところ、お金をもらった彼女は、霜田さんへーと給料の半分以上のお金を返金しました。アラビア語でよくは聞き取れなかったんだけど、私本当に感動しちゃって。
霜田さんへのご祝儀に、決して多くはない給料の中からプレゼントするなんて、なんかやっぱりスーダンの人は温かいなぁって。
ほんとに涙目になっちゃって。
いい話が聞けて、私幸せですとか、言っちゃったりして。
で、びっくりしたのが、別に霜田さんへのお祝いとかなんとも言ってなくて、ただ霜田さんから以前お金を前借りしてたので返しただけのこと。
ほんっともっとびっくりしたのは私。
傍であきれてたのは川原サン。
あらそう、『前借してたぶん、返しまーす』ってな具合だったんですね。。。。
今まで生きてきて、嫌な人に出会ったことないんですが、実はそんな勘違いの成果も、、。
えへへ。
またしてもネタを提供してしまった。
向井
昨日夜に一時帰国をしました。
霜田君の結婚に出席するためです。
大した荷物もないのですが、一番大事なものは、スーダンの人々からの
霜田君へのお祝いメッセージを収めたビデオテープです。
霜田君の結婚式にながす予定です。
霜田君、楽しみにしておいてくださいね。
久しぶりの家族は、忙しそうです。
長男は、高校での練習を夜遅くにおえ、家に帰ってからも、
宿題をしていました。
昨日は、宿題をしてなく、先生にぶったたかれたそうです。
朝も、6時半に家を出ていきました。
長女は、中学での運動部の練習に忙しいようで、
次女は、小学校です。長い通学路ですが、楽しいといっています。
私は家族につられて、6時前に起床しました。
今日は、地元で取材を複数受けた後、東京へと向かいます。
川原尚行


