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スーダン情報
ロシナンテスで活躍してくれていたムスタファが亡くなってしまった。
私が彼と会ったのは2月24日シェリフハサバッラでだった。
この日が最初で最後になるとは予想もしなかった。
訃報は川原さんからの電話で私はハルツームで受けた。
たった5日前に会った、あんなに元気に話してた人が。。。。。
なんで?としか頭に浮かばなかった。
彼と話したのは食事をしながらと、その後の約1時間程だったが
印象深かったのは、その日に来てた日本人3名のハサバッラ、ガターレフ間の移動を
皆でどうしようか考えているときだった。
川原さんが体調を崩していて静養中、その他スタッフも忙しくしていた。
自力で3人移動してもらおうか? 最初にそんな話が出た。
私はこの3人を自力移動させるのには反対だった。
そんな話をしてる時に、私はムスタファにお願いした。
<3人の移動の際には誰か知ってるスーダン人と移動させてね>
<何かあるといけないから。>
彼は私に<問題ない>と日本語で言い微笑んだ。
その時の私の安堵感は物凄いものだった。
この人に任せれば大丈夫だ、と直感的に思った。
結局、酋長のハッサンが送ってくれるとその後決まったのだが。
その後、携帯番号を交換した。
私が彼からの不在着信を見つけたのは彼の死後だった。
その瞬間に涙が溢れ出た。
一度しか会ったことのない彼の第一印象は誠実そのものだった。
控えめでありながらよく気が付くいい青年という感じだった。
日本語も単語ではあるが沢山知っていた。
これからという本当にいい青年だった。
<一度しか会ったことがない
しかし一度は彼に会う事ができた。>
彼が深く信仰していたイスラム教では
死後、<最後の審判>と言うのがあると言われる。
生前の善悪をカウントされ、本人がどう生きていたか?
イスラムの規律に則り正しく生きていたか?と言う審判である。
ここでの審判を終え
良き行動をしていた人は天国へ、悪い行動をしていた人は地獄へ
そこから天国か地獄の道に進むのである。
天国では永遠の命と幸福が約束されている。
イスラム教徒は天国はパラダイスとよく表現する。
きっとムスタファは天国であの笑顔を浮かべているに違いない。
AKANE


