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スーダン情報
ただ今スーダンは<ポリオ週間>です。
TVで<ただ今ポリオ週間でっせー>っという風に流れています。
昨日も事務所にポリオ担当職員が訪ねてきました。
事務所には子供がいませんので断りましたが。
その時に<近所に小さな子供はいますか?>と聞かれ
しげちゃんの大親友ムーミンを紹介しておきました。
そうです、そうなのです!ポリオ接種は口コミでやってくるのです。。。。。
日本では信じられないシステムですね。
と言う事は近所付き合いのない人は接種できないのかもしれませんね。(怖)
あれは思い起こすこと3年前、、、、我が家にやってきたのです。
お昼間私がTVを見ながらボーっとしていると
ピンポーン ピンポーン
(うちの息子はお昼ね中 ピンポンは1回で分かるわい!と心の叫び)
ドアに付いてるレンズで外を窺うと、、、、
白衣?をまとった男女が2人。
<え?誰?>
とりあえずドアを開けてみた。
その頃私はアラビア語が充分でなかったので意味も分からなかったがだいたいこんな感じ。
私<あんた達 誰?>
男<&※?。「¥0、^・>意味不明
女が持っているバケツを指差している
はっはーん、氷が欲しいのか?
違った。
男が自分の名札を指差す
んで、あんた誰?
男<子供はいるのか?>
私<いますけど?>
男<何歳?>
私<2歳前>
と同時に男女が家に踏み込んだ!!!
そしてすやすやと寝ている我が家の王子のお口を女が開いた!
うっそーーーーーーーーーーーーーん!
何してんのーーーーーー?????
そして男がバケツからスポイトのようなものでピンクっぽい液を吸い
うちの王子のお口に入れた。
それと同時に王子が<ぎゃーーーーーーーーーーーーー>号泣。
母、棒立ち。
あかん、殺された。
これは悪の集団か?新手の誘拐か?色々な事が頭をぐるぐる。
そして
男<また来るから>
もう来んなーーーー!
私は男女が去った後英語が話せる従姉妹にあのいまいましい出来事を説明。
そして彼女が一言。
<あ、それ?ポリオやで>
は?
スーダンってポリオあんな感じでするわけ?
ありえへん。。。。。。。
どうやら近所の人が私の家を教えたらしくそれ元に来たようです。
なんの事ない<ポリオ接種>なのです。
そら、また来るわ。だってポリオは1回じゃないもんね。ハハハ。
母子手帳を作ろうと頑張ってるロシナンテス!!
しかし現状はこうなのです。
こんなにスリルとサスペンスに溢れているのです。
もうちょっと基本から国民に教えていかなあかんのかなぁ。。。。。
AKANE
数ヶ月前、ロシナンテスに加わりました あかねです。
子供を連れてのスーダンライフ いつか働きたいなと思いながら過ごしていたところ
川原さんに拾っていただきました。
微力ですが頑張っていきます。
関係者、支援者、ブログ読者の皆様方どうぞよろしくお願いします。
日本人の目
こちらで子育てしている親の目
大阪人の目(関係ないか、、、、)
色んな視点から見て行きたいと思います。
そして色んな情報を発信できたらいいなぁと思っています。
それでは、本日はご挨拶まで。
AKANE
診療に向かう車の中です。
菅井さんが握ってくれたおにぎりが用意されています。
運転手は清さんです。
助手席に私がいます。
おにぎりをそれぞれ手渡されました。
それから、買うものがあり、私は清さんを車に残して、
買い物に出かけました。
買い物から帰ると、私のおにぎりがありません。
横で美味しそうに清さんがおにぎりを食べています。
菅井さんは、「おにぎり、ふたつずつ」といって
確かに手渡しました。
「あれっ!清さん、おにぎり何個食べた?」
「4個だよ」
おにぎりは、白飯のとふりかけをまぶしたのがありました。
清さんは、その2種類をふたつずつと勘違いしたのでした。
私のおにぎりは、清さんの大きなおなかの中に入ってしまいました。
コミュニケーションは難しいですね。
川原尚行
暑い中の外回り
私達疲れているのに
川原さんは「バスで帰る」とタクシーを使うことを許してくれない
むさくるしいバスから降りて事務所へ向かう道
大きな天幕が張られ完全に道をふさいでしまっていた
「結婚式かぁ」
その天幕を通らないと事務所へは戻れないのだ
恐る恐るスーダン音楽と叫び声に包まれた天幕をくぐった
「!!」
地面が見えないくらいの人がひしめき合っている
色とりどりの布を纏い美しく着飾った女性達が狂ったように叫び踊っている
いつしか私達は手を引かれ踊りの中心に連れて行かれていた
右手を高く上げ首を振る
肩を小刻みにゆする
胸を揺らす
彼らのパワーが私達にも乗り移ったらしい
それから私達も彼らと共に1時間
踊り、叫び、そして近所を練り歩いた
気づいたときには全身汗まみれ
髪までぐっしょり濡れていた
踊り終わってテーブルで休んでいると
ひんやりとした夕方の風がすぅっと吹いてきた
「気持ちいい。。。」
汗が一気にひいていく
よかったな、、、タクシーで帰らずに。。。
菅井 悦子
あれは、9年前のことです。
タンザニアの日本大使館の医務室に一人の患者さんがやってきました。
私は、患者さんの顔を見てびっくり、
患者さんも私の顔を見てびっくり。
高校時代のラグビー部の一つ下の後輩の竹友君でした。
タンザニアのユニセフ事務所で働いていたのです。
彼は、とっても素敵なタンザニアの女性と結婚しており、
家族ぐるみでお付き合いをしました。
それから、竹友君はイラクへと赴任していきます。
そして、私はスーダンの日本大使館へ赴任し、別々になりました。
竹友君との再会は、またしても偶然に関西空港でした。
一緒の飛行機でドバイまで行きました。
ドバイで家族と一緒に食事をしました。
それから、私が外務省を辞め、日本に帰国する3日前に、竹友君はスーダンにやってきました。
これは、偶然ではなく、私がスーダンで働いてくれ!と頼んだ結果です。
竹友君のところに居候させてもらうつもりだったのです。
本当は一人でスーダンに戻る予定だったのが、高校ラグビー部の2つ下の後輩の霜田君も同行となりました。
そして男3人の奇妙な同居生活が始まりました。
その後、シゲちゃんも同居に加わり、男4人での生活でした。
竹友君は、とても気の優しい男で、自分がオーナーなのに、
他の3人にベッドを提供し、自分は床に布団を敷いて寝ていました。
今考えると、あんな狭い空間によく生活していたものです。
竹友君と約3年一緒に生活して、彼から学んだことがあります。
「無私」
彼は、自然なかたちで無私を実行しているのです。
自分のことは後に回し、人のことを喜んで何でもやっていました。
昨日、竹友君がスーダンを離れました。
新たな赴任地はイエメンです。
竹友君とは、不思議な縁で繋がっていると思っており、
またどこかで再会できるものと確信しています。
そして、今度は一緒に仕事をしていきたいです。
竹友君の新たな旅立ちに一時帰国の霜田君も同行しています。
昨日は、ドバイで高校ラグビー部の同期の大島の家で酒を飲んだことでしょう。
きっと、美味しい酒だったに違いありません。
竹友君が94年に作詞作曲した歌があり、それをロシナンテスに捧げてくれました。
これを、今後ロシナンテスの歌といたします。
竹友君、本当に今までありがとう。
また、いつかどこかで、会いましょうね。
川原尚行
青年海外協力(隊ではない)のうた
1.独立はたしたものの、貧困ははびこり
戦争・天災害は重たくのしかかる
それに対するわれは、とても小さすぎて
いったい何ができるのか、まだまだ未知だけど
この褐色の大地には、青春をぶつけられる
今は目には見えない何か生み出す夢がある
2.ふるさと・日本からは遠く離れている
家族・愛する人々に未練はあるけれど
ここまでの道は自ら選んだものだから
ただただ前進あるのみ、今更悔いはせぬ
ああ、幸せの定義とは、ああ、より良く生きるとは
それらの答えが、ここでは見出せる、そんな気がして
3.自然の中で暮らすことは、厳しくとも心地よく
子供たちの笑顔に、疲れは吹き飛んで
人は与えた時に何かを与えられる
失った時にさえも、何かが芽生えてる
ああ、直截な喜怒哀楽、思い切りありのままに
精一杯の自分出して、一粒の麦となれ
3ヶ月前、初めてあった竹友さん
「変人だな」
が私の第一印象
2ヶ月経って
「やはり変人」
だと感じた
3ヶ月目
「変人間違いなし」
と確信
どのくらい変人かというと
・・・・
信じられないほど優しいのだ
どんなに、疲れていても人の事を一番に考える
困ったことがあれば、惜しみなく協力してくれる
こんな、度が過ぎるほど親切な人に今まで出会ったことがない
そんな竹友さんが、25日ここを去っていく
昨日の送別会で集まった人たちはもちろん皆竹友さんが大好きで
心から竹友さんがスーダンを去っていくことを悲しんだ
「ワイシャツで、マラソンをする変人」
「夜明けに笛を吹く変人」
「川を見ると突然泳ぎだす変人」
笑いと涙で送別会は大混乱
そんな竹友さんとどうしてもさよならしたくない
「またどこかで会えるから、そのときまでお元気で」
そんなみんなの共通した思いは
遠く、イエメンで働くことになる竹友さんへも届くはず
「ああ直截な喜怒哀楽、思い切りありのままに
精一杯の自分出して、一粒の麦となれ」
※青年海外協力(隊ではない)うたの一部より 作詞・作曲:竹友
菅井 悦子
ロシナンテスの新スタッフとして11月末にスーダンに赴任して以来、今回初めて活動地であるシェリフ・ハサバラ村を訪れました。12月16日から19日までの4日間滞在しました。そこで生まれて初めてラクダに乗りました。
水に関する新しい事業の情報収集のため、村で唯一の水汲み場を見学していた時のこと。少年に引き連れられて水運びにやってきていたラクダが一匹、そばでしゃがんでいました。私がそれを物珍しそうに、かつ物欲しそうに見つめながらラクダの首を撫でていると、少年がラクダの背の鞍を指差して、私に向かって頷きます。「えっ、乗っていいの! シメた! ラッキー!」。ラクダはしゃがんでいてもその背の部分の高さは私の胸くらいまであります。よっこらしょと跨いで乗ったら、ラクダはその瞬間すぐ立ち上がろうとします。それも4本足でスクッと立ち上がるのではなく、まず後ろ足の第1関節を伸ばし、次に前足の第1関節、それから再び後ろ足の第2関節、前足の第2関節と4段階で後ろに前にカクッカクッと伸ばしていきます。なのでバランスを取るのが微妙に難しい。
でも何とか振り落とされずに立ち上がりました。するとそこは快適な風景、体感高さ3m、ほぼ360度地平線。この少年はいつもこんな景色を見てるんだ。ラクダの尻を叩くムチを渡されたけど、それで叩くと一体どれだけのスピードで走り出すのか分からないので、ちょっと恐くて叩けませんでした。何と言っても結構な高さなんで、振り落とされるのが恐い。自転車よりバイクより車より、そして自分がかつて運転していた4トントラック(ロング)よりも高い乗り物。そんなのを自由に操って毎日水汲みに従事する少年。やりがいあるだろうな。
岩間邦夫
昨日、12月19日は、犠牲祭のはじまりでした。
私は、ロシナンテス・スタッフとともに、活動拠点である
シェリフ・ハサバッラでこの日を迎えました。
酋長のハサンは、私にジャラビーアを着せ、ターバンを巻き、
村人の集まるモスクへと連れて行きました。
2千人くらいの人でしょうか、皆でお祈りを捧げます。
そして、そのあと村人一人一人と
「イード ムバラク」
と言い、握手、抱擁を繰り返します。
これは、まさに日本の新年の挨拶と同じです。
その前日に私はハサンとスークに買い物に行きました。
ハサンは、タコ糸一本を持っています。
それに、メモ紙に子供の名前を書き込んでいます。
そして、靴屋に行き、
これは、「モハメド」
これは、「アリ」
などとタコ糸を使って子供の靴のサイズを確かめています。
そして、メモ紙に書かれた子供の名前を消しています。
なにせ、彼の子供は総勢14名もいるのです。
それを見ていて、本当に微笑ましく感じました。
私は日本から持ってきた古着をプレゼントしました。
古着でも、こちらでは大変貴重なものです。
ELLEの帽子を被った男の子が、とても印象的でした。
その日は、犠牲祭の名のごとく、羊を屠ります。
そして、各家庭から我々のところに羊料理が振舞われました。
とても、とても美味しかったです。
川原尚行
今、一緒に仕事をしてくれている菅井さんが、一生懸命に何かしています。
ダンボールを切り、それを組み合わせ、かわいらしい木の形が出来上がりました。
それに、色紙をちぎって貼り付けています。
クリスマス・ツリーを作っているのです。
私も「これは、面白い!」と思い、
手伝い始めましたが、私の性分なのか、きれいに仕上がらず、菅井さんに任せてしまいました。
そして、最後は霜田君が、彼が作ったとは思われないような、
可愛らしい形のお星様をてっぺんにつけ、出来上がりました。
「こんなところにも、クリスマス・ツリーがあります。
みんなでつくりました。」
この次は、正月の準備でしょうか。
川原尚行
スーダンに帰って来ました。
竹友君、霜田君、菅井さん、龍児君が迎えに来てくれました。
家では岩間さんが出迎えてくれました。
日本を離れた寂しさも、スーダンでこうして迎えに来てくれる人たちの笑顔を見ると、
不思議なもので
「帰ってきたのだなあ」
と思います。
日本で行った事、私の留守中にスーダンでの出来事の説明を受けました。
キリの無いくらいに話が続きます。
私の汚なかった部屋が綺麗にしてくれてありました。
おかげさまで、気持ちよく休む事が出来ました。
さあ、またスーダンで頑張ります。
川原尚行
ドバイ空港に降り立ち、タクシーを拾ってアブダビへと向いました。
2時間ちょっとでしょうか、私はタクシーの中で爆睡状態でした。
アブダビへ行ったのは、日本人学校での講演のためです。
小学1年生から中学3年生まで総勢50名弱の学校です。
私の子供もタンザニア時代には日本語補習校に行っていたので、
なんとなく雰囲気はつかめます。
小学生が6学年、中学生が3学年の計9学年ある中でどのように話すのか
決めないままに講演のある教室に入りました。
生徒たちが順番に並んでいます。
最前列は小学1年生です。
私は今までの講演会では、宙を向いて話すのではなく、
誰かターゲットを絞って話すようにしています。
今回は、小学1年生が目に入ったので、彼らに話しかけるように決めました。
いつもは自分のことを
「わたし」
と言っていますが、今回は
「おじちゃんはね」
で通しました。
みんな本当に良く聞いてくれました。
最後の質問は、いくつ受け付けたか、わからないほどたくさんでました。
これが、小学1年生から中学3年生までですので、多岐にわたっていました。
なかには、私の心にズボッ!と来るものまであり、
タジタジになりました。
翌日は、高校時代のラグビーの友人が働いているドバイに向いました。
彼は、ドバイで地下鉄工事をやっており、早朝から深夜まで本当に大変そうでした。
とっても愛らしい奥様と2人の子供達がいるから、一生懸命に働けるとの事です。
彼とは、夜遅くまで語り合いました。
40を過ぎて、お互いに夢を語り合うと言うのは、素晴らしいことだと思います。
傍から見たら、
「えーおっさんが二人バカな話をしよる」
くらいにしか思えないでしょうが、
語っている本人たちは至ってまじめなのですから、始末に終えませんね。
彼は朝6時半には家を出て行きました。
またの再会を期して、お互いに頑張る事を誓って別れました。
川原尚行
エミレーツ航空に乗り、日本を後にしました。
本当に疲れ果て、泣き疲れての搭乗でした。
機内食も済み、エコノミー席の狭い空間で、やっと深い眠りに落ちた
と思った瞬間、スチュワーデスさんから声がかかりました。
「I think you are a doctor.」(お医者さんでしょ?)
寝ぼけながらも、「Yes」
と答えると
急患が発生したので見てくださいとのことです。
診察を終え、自分の席に戻っていると、
別のスチュワーデスさんが、別の急患が発生したとのことです。
そして、また診察です。
色々とスチュワーデスに指示を出していると、
「ドクターとしての証明書をみせてくれ」
と言います。
私は医師免許のコピーを持ち歩いてはいません。
仕方なく、私の名詞を日本語版と英語版を見せました。
これだけでは、というので私の出身大学の発行する記念会誌をみせましたが、
外国人のスチュワーデスには、全く理解してもらいません。
財布の中を調べたら、スーダンでのIDカードがあったので、
それを見せると、
「これだ!」
とのことで、ようやく私が医師である証明ができた次第です。
でも、最初になぜ私が医師である事が、彼女達に分かったのでしょう。
不思議でなりません。
ようやく自分の席に着くことが出来たと思ったら、近くの乗客のものすごいいびきで
全く眠る事ができませんでした。
飛行機は、無事にドバイに着き、患者さん2名もドバイに何事もなく着くことが出来ました。
診察料として、彼等からの笑顔のみをいただきました。
川原尚行
本当に、本当に慌しく日本での活動を終えました。
最後の方は、腰を痛め、お灸にハリに整体に行き、
何とかごまかしていました。
疲れがたまっていたのでしょう。
さて、最後の日、お世話になっている方々を私の実家にお呼びし、
宴席を設けました。
そして通常なら福岡空港に向かい、国内線で関空に行くところを、
今回は新幹線で関空に向かう事にしました。
小倉駅でのお別れです。
新幹線がホームに入ってきても、末娘を抱いたままでいました。
出発のベルが鳴って、ようやく末娘を長女にわたし、新幹線へと乗り込みました。
そして新幹線のドアが閉まり、ホームを離れます。
窓からは、長女に抱かれた末娘が泣いているのが見えます。
私は、人目も憚らずに号泣しました。
何度経験しても、家族との別れは辛いものです。
川原尚行
先日、ある先輩から京都の紅葉はきれいだよ。
一番の見どころは、高台寺だともいわれました。
秀吉の正妻の寧々のための、お寺です。
名古屋に行く機会があり、京都で途中下車しました。
高台寺の紅葉を見るためだけです。
京都に着いたのが、18時でした。もう辺りは真っ暗です。
京都の市バスは、すごい行列です。
バスを待つこと、20分満員のバスに揺られて、高台寺へとつきました。
長ーい行列に並びます。
みな、アベックか団体さんです。
私は、男一人です。
ようやく、チケットを購入でき、列に並んで高台寺の境内へと入りました。
お寺の中にはいきません。紅葉だけが目的です。
すると目の前に現れたのは、絶景でした。
ライトアップされた紅葉。池に映し出される紅葉。
それが、対になり、見事な趣をだしていました。
私は言葉に詰まり、しばし立ち尽くしました。
内藤さんのようなプロのカメラマンではありませんので、きれいな写真は撮れませんでしたが、
しっかりと心の中に焼き付けました。
本当に美しかったです。
その帰り道、小さなお土産屋さんを覗きました。
かんざしがいくつか置いてありました。
先日、5歳になる末娘とお風呂で一緒に歌いました。
「小狐、コンコン山の中、山の中
くさの実つぶして、お化粧したり、
紅葉のかんざし、つげのくし」
もみじのかんざしとつげのくしを買いました。
川原尚行


