NPO Rocinantes / 特定非営利活動法人ロシナンテス

スーダンで戦うロシナンテたちのブログ

救急車4


さあ、あと2日のうちに救急車を画だーレフに持ってこなければいけません。

しかし、救急車をまだ実際に受け取ってはいけません。

ポートスーダンにいるモハメドから、大変あせった声で電話がありました。
モデル許可のオリジナル・レターがポートスーダンに来ていないので、救急車は渡せないとの事です。

カルトゥムにいる私としては、「頑張れモハメド!」というしかありません。

しばらくして、モハメドから電話がありました。オリジナル・レターがポートスーダンから数十キロ離れたスアキン(とてもきれいな港です)という別の港の事務所に届けられているとの連絡がありました。
その港の事務yその人は、明日渡すからと悠長なことを言っているとの事。

「明日では、間に合わん!なんとかしてくれ!」
とモハメドに檄を飛ばします。

そして、頑張ったモハメド君。
何とか交渉を行い、数時間のうちにポートスーダンにオリジナル・レターが届きました。

これで、本当にやっとのことで、書類がそろいました。

そして、やっとのことで救急車の入ったコンテナを輸送業者に引き渡すことができました。

ポートスーダンからガダーレフまで、車で7,8時間です。
夜中は知らせれば、期限ぎりぎりの明日中に救急車は引き取ることができます。
そして、それを写真にとって日本に送るだけです。

私の最後の希望をのせて、引き取り期限の夜にコンテナを載せたトラックがポートスーダンを出発しました。

でも、実際に手に取るまでは、何が起こるかわかりません。

明日です。

川原尚行

07:20 | コメント (4) | トラックバック (0)

救急車3


財務省に行きました。

今までにガダーレフ州から提出された書類のコピーを持って行きますが、オリジナルの書類がほしいと言います。

オリジナルの書類は、どこにあるのか見当がつきません。

ここは、再度ガダーレフ州に書いてもらうしかなく、お願いしました。
2度目の書類ができあがり、急ぐために、それを受け取りに夜中の道を車でかっ飛ばして行きました。

途中の町まで、ガダーレフのスタッフに持ってきてもらい、それを受け取りカルトゥムへと引き返しました。合計400キロの道のりでした。

次の朝、一番に財務省に向かいオリジナルを提出します。

しばらくして、はじめのオリジナルの書類がでてきたとの報告がありました。
同じ案件で2つの書類があるのも、おかしく、どちらを生かすか検討した後、オリジナルを生かすことに。

財務省に通いつめ、数日後、関税免除の手続きがおりました。

そして、それをもとに港湾使用料の免除を行います。

このように、同時の手続きを一度に行うことはできません。

ひとつづつ、片付けて行くしかありません。

これも、港湾局に通い詰め、免除まで漕ぎ着けました。

基準局には、ロシナンテスが責任を持って、右ハンドルから左ハンドルに変えることを約束したレターを書き、2ヶ月の一時的な許可をもらいました。

残るは、モデル免除の許可です。これは、以外と簡単に外交通商省からもらえました。

さあ、書類がそろいました。

しかし、日本外交協会さんの指定する最後の締め切り日まで、もう2日しかありません。
あとは、ポートスーダンからガダーレフへの陸送だけです。

川原尚行

23:21 | コメント (1) | トラックバック (0)

救急車2


さて、猛暑のポートスーダンでラマダンが始まった霜田君です。

カルトゥムでは、我々日本人のみのアジトがあります。
アジトでは、スーダン人の目を気にすることなく、飲み食いができます。
ですが、アジトのないポートスーダンでは、逃げ道がありません。
飲食店は、みんな閉まってしまいます。

しかも、寝るところすら地獄だったようです。
とくかく、どこにいても暑い、暑い、暑いだったようです。

lこのような状況のため、霜田君が「早くカルトゥムに帰りたい」とのことで、
飛行機でカルトゥムに戻ってきました。

ポートスーダンにはモハメド君が残りました。
彼は、モスリムなので頑張ってくれるでしょう。

ただし、まだ救急車の引き取りはできていません。
体制の立て直しです。

引き取りに必要なものは
1.免税許可
2.港湾使用料免除の許可
3.車両モデルの使用許可
4.基準局の許可

1、2は財務省からです。

3は、外交通商省からの許可、救急車が1995年製であるために特別な許可
スーダンでは3年以上経過した車は輸入は原則禁止です。
基準より1年古くなると、10万円くらい支払えば許可になるようですが、これをこのケースに当てはめると100万円近くも支払わなければなりません。

4は、スーダンでは左ハンドルのみ運行を許可されます。右ハンドルは、禁止です。

それらを、ひとつひとつ許可を揃えなければいけません。

それでは、次回。

川原尚行

00:17 | コメント (2) | トラックバック (0)

救急車1


日本から送った中古の救急車を日本外交協会様の指定する期日までに、受け取れなかったことは、以前のブログで書きました。

少しタイムラグがありますが、その後を書きたいと思います。

救急車引き取りのために、ポートスーダンに派遣した霜田君とモハメドは大変だったようです。
まず、泊まったところはモハメドの友人の家だったようです。
この時期、ポートスーダンは猛暑になるので、暑さへの耐久性のあるスーダン人でさえも、避暑地(といっても、スーダン国内です)に出かけるそうです。そのために、ベッドが空いており、2人が宿泊できたようです。

スーダン人が避けるくらいの暑さです。
霜田君は、めちゃくちゃに暑かったと言います。

そして、何というタイミングか出張中にラマダンになりました。
猛暑の中のラマダンです。
霜田君はいったいどうなるのでしょうか

川原尚行

03:11 | コメント (427) | トラックバック (0)

ありがとうシゲちゃん!


シゲちゃんが旅立ちました。

エジプトでアラビア語をさらに究めるためにです。

シゲちゃんとの出会いは、2年前のことでした。
以前にかわいがっていた学生の原田くんから、シゲちゃんがスーダンに来るという話を聞いていたので、スーダンにきたら私に連絡をするように伝えてありました。

シゲちゃんから電話がかかってきて、カルトゥムの街で出会いました。
シゲちゃんを車に乗せ、いろいろと話を聞いてみました。

理工系の大学を卒業して、就職をせずにシリアにわたりアラビア語の勉強を始めました。学生時代に知り合った留学生の影響を大きく受けたようです。そして、スーダン人の友人と出会い、彼の出身である国に行って見たいと思うようになったようです。
そして、シリアの後にスーダンにやってきたのです。

「どういう計画でスーダンで勉強するの?」

「持っている金が続く限り、スーダンで勉強したいです」

「それでいくら持ってるの?」

「○○ドルです」

「そんなんじゃ、いくらも続かないじゃん。俺が面倒を見てやるから、好きなだけスーダンで勉強しろよ」

シゲちゃん曰く、「まるで拾われたネコのようでした」

そのときは、私自身が竹友くんの居候の身分でしたが、そこは高校の先輩です。
竹友くんが、仕事から帰ってくると
「竹友、今日からこいつも一緒に住むことになったから、よろしくな」

「はい、わかりました」

持つべきものは、良い後輩です。
こうして、私、竹友くん、霜田くん、それにシゲちゃんの野郎4人の奇妙な共同生活が始まりました。

彼のアラビア語はさすがのもので、今までに出会った東京外大のアラビア語の学生さんより、はるかに高いものでした。
それも、たった1年の勉強だけです。
やはり、自分から率先しての勉強が一番身に付くものなのでしょう。

就職もせずに、大学で勉強したことと全く違った分野に進もうと決意し、そして一心不乱に勉強したのでしょう。そして、何よりアラビア語のみでなく、周囲の環境に適応し、イヤイヤでなく、自分から率先して勉強ができたからではないでしょうか。

体は小さいですが、腹は据わり、肝っ玉は大きなものを持っているのです。

アラビア語を勉強する傍ら、ロシナンテスの活動を本当に良くサポートしてくれました。

ロシナンテスでは、誰が何々当番とは決めていません。
腹が減れば、誰かがメシを作り、部屋が汚くなれば誰かが掃除をしています。もっとも部屋の汚さのレベルは他の人が見れば相当にひどいものだと思いますが。それに、私自身が一番部屋を汚くしていたものと自負します。
それらを一生懸命に率先してやってくれたのは、シゲちゃんです。

ロシナンテスを訪問してくる学生さんの面倒もよく見てくれました。
学生さんの評判も、すごく良いものでした。
いまだに、学生さんたちはシゲちゃんと連絡を取り合っているようです。

また、このホームページを作成してくれている吉岡くんを紹介してくれたのは、シゲちゃんでした。

別の一面では、辛辣な批評家でもありました。
「竹友さんは、洗濯物をきっちりと絞ってなく、生乾きで着るから臭いです」
「霜田さんは、主語を言わないから、何を言っているのか理解できないことが多いです」
学生さんたちの批評でも、
「ひろぷぅは・・・」
「玲子は・・・」
「雅子は・・・」
などです。

私に関しても、
「川原さんは日本では神格化されてきていますが、実はパンツ一丁で、でかい屁をふりまくる単なる屁こきじじいなんですよ」
表現が的確で面白かったです。

スーダンの民族衣装であるジャラビーアを着続け、スーダン方言をマスターし、シゲちゃんのスーダンでの人の繋がりは広がっていくばかりでした。

そんな、シゲちゃんが、「エジプトでエジプト方言を勉強したいので、ここを出て行きます」と言ったのは、数ヶ月前のことでしたでしょうか。
いつまでも、シゲちゃんをロシナンテスに引き止めておくことは出来ません。彼は、さらに大きな翼を持つようにしているのです。

そして、旅立ちが10月20日と決まったのです。

こうなれば盛大に送別会をしてやれ!と三日三晩続けての送別会を開きました。

初日は、WFPの郁美さんを、二日目はスーダンのかしまし娘2人をゲストに、そして最終日は関係者総勢16名での大送迎会になりました。日本から矢野先生も電話をかけてくださいました。

郁美さんがイタリアン・パスタを、霜田くんが肉じゃが、霜田漬け(きゅうりの漬物)を、竹友君がタンザニア豆料理を、えっちゃんがカチュンバリ(タンザニアンサラダ)を、そして私がカレーを作りました。

スーダンには本来あってはならない元気の水も、なぜだか皆様が持ち寄ってくださり、シゲちゃんの弾くギターでの合唱があったりで、送別会は絶頂の極みに達しました。

スーダン大阪本部長の関西弁マシンガントーク(これでも本領の50パーセントだそうです)
私の舎弟となった三田の、奥様にも見放されそうになった酔いっぷり、日野嬢の豪快な酔いっぷり(霜田くんの坊主頭を何度も叩いていました)、このお二方は我が家でのお泊りとなりました。

自らの体で楽譜台となってくれたりゅうじくん(彼のロシナンテスでの居候が決定しました。彼も勉強中の身です)、記憶のなくなったえっちゃん(いつものことだそうです)、そして彼の人生39年間で一度も
記憶のなくなったことのない霜田くんまでが昇天しました。

このような盛り上がりは、シゲちゃんがみんなに大いに愛されていたからでしょう。

次の朝、シゲちゃんは静かに旅立っていきました。

「さよならは言わないよ!
今後も場所は違えども、お互いに切磋琢磨し、大きな翼を付けていような!
そして、その翼で大空を飛翔し、七つの海を渡っていこうよ!
俺も頑張るよ!
じゃあ、また会おうな!」

川原尚行


08:43 | コメント (6) | トラックバック (0)

髙木応援キャンペーン


逍遥の際、ぶらりと訪れた近所の大学。
ふと足が向いたのは医学部の図書室。
ちらりと覗く。チラ。

おや、なんだろう?

本棚から放たれる怪しげな妖気に
吸い寄せられるように近づいていった。


こ、これは!!


保健省がユニセフと協力して作成したものである。
2004年10月発行の
「私達の健康」という名の冊子。

dosukoi.jpg

表紙に書かれているのは
「必見!
特集その1 肥満に注意!」


誤解されている。

稽古で鍛えぬいた力士の体は筋肉が多く、
体脂肪率はみためほど高くないのだよ。


荒井繁

08:22 | コメント (93) | トラックバック (0)

ひじきと私たち


薄っぺらい機械音が携帯電話から鳴った。
友人からの呼び出しだ。


何だろうかと思いながら耳に当てる。
開口一番「日本を見たい?」と早口で訊いてきた。
質問の意図がわからない。
「はい?」
そんな僕に友達は同じ質問を繰り返す
「日本を見たい?」
「何のこと?」
「いいから、日本を見たい?」
理解できないまま「う、うん」と答えた。
「いい返事だ。今すぐスーダン放送を見てみろ。
日本特集をしているぞ!」


ピッとテレビをつけると、
日韓共催時のワールドカップの映像が流れている。


やがてモノクロの画面になって
「サッカー。昔からある素晴らしいスポーツ」
というナレーションが入って番組は終わった。


このときブラウン管に流れていたのは
公家の格好で蹴鞠(けまり)に興ずる人たちであった。


うーむ・・・
無言で見入ってしまった。
神秘の国ジャパンである。


僕がテレビを見る前には
日本の経済や産業についても触れていたとの事。
いったいどのように放送されていたのだろうか。


荒井繁

03:57 | コメント (10) | トラックバック (0)

新進シャンソン歌手、新春シャンソンショー 2


「このメールを15人に転送すると、
もれなく10ポンド(約600円)分の無料通話をプレゼント」

というメールが2人から僕の携帯電話に送られてきた。
断食明けのお祭期間中の話である。


今日、数日振りに友人に会ったので
「どうだった?10ポンドもらえた?」と聞いてみたら
「いたずらメールに騙されたよ・・・」と友人はうつむいて答えた。
そして沈黙した。

・・・

僕はメールを読んだ瞬間にわかったよ
それはいたずらだって事をね・・・



さて、今日は携帯電話のメールについて。

スーダンでは家族や友人からだけではなく、
契約している通信会社からもメールが送られてくる。

「断食明けのお祭期間中は国内通話も国際通話も半額!」
「今夜10時45分、抽選で別荘が当たる!スーダン放送をぜひ御覧ください!」
「スーダンのサッカーチームが国際試合で勝ちました!おめでとう!」

平均して週に1度、上記のようなメールが届く。
そしてこれは時間帯を気にせずに送られてくるのだ。
真夜中のこともあったし、早朝のこともあった。

ずっと続いている。


「興味がないのでやめてください」
「深夜にメールの送信はしないでください」
などと文句がでないのはスーダン人の心の広さか。
もしくは、苦情を無視して会社が送り続けているだけなのか。


荒井繁

20:54 | コメント (2) | トラックバック (0)

青いズボンに青いシャツの男


スーダンで生活をしていると
たまに、ものすごい不条理にぶつかる。
(それはカフカの「城」を彷彿とさせる)

何かの手続きにおいて
役人に迂遠かつ理不尽な対応をされ
「いったい、どうしろと言うのだ?」と
感情をふつふつとさせながら帰路につく。

たとえばそんなとき
家の前でわーっと走り回る子ども達を
みるだけでもいいし、
時間があれば
土の上にどっこいしょと座って
彼らの目線で一緒に遊ぶ。

すると日々のくだらない些事は
あっという間に消散していく。



僕の一番のお気に入りは
隣の家の2歳の男の子。
名前はムーミン。
アラビア語で信徒という意味である。

ムーミンの世界は家を中心として半径30メートル。
その中を彼の小さなお兄ちゃん達に
いつも手を引かれている。


毎日お兄ちゃんたちは路地でサッカーをする。
ガラスの破片が土の上に散っていても
みんな裸足である。

まだ小さなムーミンはサッカーに参加できないので
壁際でにこにことそれを眺めているのだが
急に歩いてボールの横に飛び出したりする。

危ないので、
僕とムーミンはサッカーの間、
その脇で遊ぶようになった。


それから2ヶ月。

近頃ムーミンは僕に会うと
お菓子やよだれでベトベトになった手を握手のために伸ばしてくる。
握りつぶされ、汗で湿気たクッキーを僕にもわけてくれる。
(果たしてあれは汗なのだろうか?)
家に帰るときは小さな小さな手でバイバイをしてくれる。

かわいい。



今日は近所に子どもたちの声が響かなかった。
断食明けの祭で、
家族総出で親戚や友人の家を訪れているのであろう。

気分転換に外を歩いても友達がいない・・・


荒井繁

23:12 | コメント (163) | トラックバック (0)

断食明けの祭


ラマダーン月が終わった。
スーダンでは12日~15日までの4日間が休日となる。

今朝は近所のモスクのスピーカーから流される
礼拝や今日だけの特別な説教の音で起きた。


しかし、実はまだ断食は終わりではない。
明日から6日間、再び断食が始まる。
とは言っても、それは任意であって義務ではない。

つまり「やりたい人はどうぞ」なのであるが
この間の断食は特に功徳が多いとされており、
経験なイスラーム教徒は
本日をはさんで再度断食を行うのである。


断食明けの祭(イードゥルフィトゥル)には
親戚や友人の家を訪れて
挨拶をして、たくさんのお菓子を食べる。

そのため、この時期
街中の商店には
クッキーやキャラメルなど
カロリーの高いお菓子が大量に積まれる。

店先を眺めてみると
それらがどんどん売れていくのがわかる。


ちなみに時間とやる気のある女性は
手作りクッキーを作る。

友人の家でクッキーをいただいた。
女の子の手作りクッキーという
稀少性の高い味を
むしゃむしゃと頬張っていたら
「これ全部、俺のお婆ちゃんが作ったんだ」
とのこと。
あ、君の妹じゃなかったんだね。



昼前に玄関が叩かれたので、出てみると
隣に住む若い友人(15歳)が
「断食あけて、おめでとう(イードゥムバーラク)」
の言葉とともに皿に盛られたクッキーをくれて、
僕はありがたく受け取った。

不意の贈り物に何を返そうかと考えたが
男の館(灼熱の事務所)にクッキーはなかったので
1.5リットルのジュース2本をお返しとした。


さて、断食明けの祭とは関係のない話になるが
スーダンのちょっとした日々を書き足す。

彼の家には水道がなく
よく水をもらいに来る。
事務所の長いホースを渡して蛇口をひねると
ホースを彼の家まで引きずりこんで1時間ぐらい戻ってこない。
きっとドラム缶に貯水をしているのだろう。

日本で言うと
隣家にしょう油や味噌を借りるようなものか。
(もう、そんな近所づきあいはほとんどないのだろうが)


スーダンでは子どもは地域全体で育てるし
困ったことはみなの協力で解決する。

そういうのっていいよな、と思う
2007年10月12日。


荒井繁

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それにつけても俺たちゃ何なの?


雨季が終わり
バッタが大量発生した。

昼間、近所の子どもたちは
サンダルを投げつけて
道路にバッタの死骸を散らす。


世界中どこでもそうなように
スーダンでも
虫や小動物にとって
人間の子どもは天敵である。

犬は石を投げられて
猫は猫自身が投げられて(きちんと着地する)
そして虫はつぶされる。

大人の僕は、なにも言わずにそれを見るのである。


近頃は風が吹かず
夜になっても暑い。

窓を開けると
バッタが飛んできて
電灯のまわりで跳ねている。

むんむんとした空気のせいで寝苦しい。
きちんと熟睡できていないのだろうか。
朝になっても体が重い。


話はかわる。
日本のアニメキャラクターがスーダンで
ビスケットに使われていることを前に書いた。

「あいつの噂でチャンバも走る」 (2007年6月13日)



先日、新しく「日向くんビスケット」を発見した。

これは「翼くんビスケット」とは
別の会社から販売されているのだが
デザインも味もほとんど同じである。

bassam.jpg

(アラビア語圏での日向くんの名前はバッサーム)


さて、その日向くん。
よくみると、顔がオリジナルと全く異なっている。

hyuga.JPG

よろよろと、なんともなさけない線である。

クレヨンしんちゃんみたいな顔だ。


荒井繁

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長いです


今日はラマダーン月の27日目に当たる。
この日の夜はライラトルカドゥルと呼ばれ
イスラーム教徒にとっては特別な夜である。

わかりやすいように太陽暦でいうと
今年のスーダンでは
10月9日の夜から
10日の未明までの時間帯である。

今日はそれについての話を書く。



昔々のお話、西暦610年。
今から1400年も前の話。

ムハンマドという40歳の商人が
山に篭って瞑想をしていた。

ある夜のこと
突然
全身が押さえつけられるような異様な感覚があり


"読め、「創造なされる御方、
あなたの主の御名において。
一凝血から、人間を作られた。」

読め、「あなたの主は最高の尊貴であられ、
筆によって(書くことを)教えられた御方。
人間に未知なる事を教えられた御方である」"


という啓示が下った。

以後彼が亡くなるまで二十数年間にわたって
アッラーから下されたものがクルアーンである。



イスラーム教徒の間では
「最初の啓示があった日は、どうやら
ラマダーン月の最後の10日間のどれからしいぞ」
「26日か27日目が一番可能性が高いらしいぜ」
「奇数日って話だぜ。だから27あたりじゃねーか?」と、
そう信じられている。

そのようなわけでラマダーン月の後半10日間、
特に27日目は大切な夜なのだ。
では、その夜について
今回もクルアーンに書かれていることを抜き出す。


先ずは日本ムスリム協会の「聖クルアーン」から引用

「本当にわれは、みいつの夜に、この(クルアーン)を下した。
みいつの夜が何であるかを、あなたに理解させるものは何か。
みいつの夜は千月よりも優る。
(その夜)天使たちと精霊は、主の許しのもとに、
全ての神命を齎して下る。
暁の明けるまで、(それは)平安である。」

97章

注・みいつ(神威)は威力、使命、運命、あるいは富、価値などの意。
(注部分も引用)



いつも通り井筒さんの「コーラン」からも引用

「我らはこれを定めの夜に下した。(注1)
定めの夜とはそもなんぞやとなんで知る。
定めの夜こそ千の月にもまさるもの。
この夜、諸々の天使、ならびに聖霊、主のお許しを得て、
すべての神勅
(注2)をたずさえしずしずと降臨し給う。
ああなんたる平安ぞ、黎明の光たち昇るそのときまで。」

97章

注1
「定めの夜」は聖なるラマダーン月
最後の五日のうちの一夜
(特に二十七日の夜)に当たり、
一年の計、すなわち来るべき一年中の
一切の出来事にたいする
神の決定が最終的になされる夜と解される。
この解によるとカドルQadrという語は
「(神の)意思決定」を意味するが、
そのほか「(神の)威力」、「至高至尊の地位」など
イスラーム教諸学派によりさまざまな意味に解される。

注2
前述、一年中の諸事を決した神の神勅である。

(注1・2の部分も引用)



ライラトルカドゥルは大切な夜であり、
この間ムスリムは礼拝やコーラン読誦などに
いっそうの力を入れ、
ラマダーン月をより有意義にしようと努めるのである。


荒井繁

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すごく暑い


ぱらぱらと辞書をめくっていたら、面白い語源を見つけた。


伝染性熱病のmalaria(マラリア)
のmalは「悪い」でariaは「空気」
という意味のイタリア語。

かつてマラリアは
沼から漂う瘴気が原因だと考えられていたのである。

(正しくはハマダラ蚊が媒介する。
ちなみに漢字で書くと「羽斑蚊」。
羽の上に茶色のまだらがある)


この知識を脳の引き出しに加えたところで
マラリアは無くならないし
感染を防ぐことも出来ない

しかし知ることは喜びである。


ついでに
身近な医学用語では
malnutrition(栄養不良、栄養失調)
という単語もある。
malは「悪い」、 nutritionは「栄養」

これで覚えましたね。
malは否定の接頭辞。

○だけれど×なのである。




閑話休題
今日は友人が断食明けの食事に誘ってくれた。

ラマダーン月は大勢で食事をする事が多い。
家族、親戚、友人、
さらに道を通りがかった他人にまで
「どうぞ、どうぞ」と声をかける。

ただし、ここにも本音と建前はある。
(日本だけではないのだ!)

その場合々々によるため、一概には言えないのだが
「じゃあ、あっしもよろしいでやんすか?」
と知らない人の席にも
招かれるままに
ほいほい参加するのは恥ずかしい事らしい。

誘われても一度か二度は断ってみて、
それでも「どうぞ」といってくれたら
「では、いただきますね」という流れがいいそうだ。


一方、親戚や友人として呼ばれたら
食事に参加すべきである。
この場合は「いや、用事があるから」
などと断ると失礼になる。


明日と明後日は
また別の友人宅へ行って来る。

ラマダーン月の初めに誘われて
「今度行くよ」と返事をしておきながら、
ずっと行かなかったら
「はやく来い。ラマダーン月が終わってしまう」と
怒りの電話を2人からもらってしまった。


ラマダーン月も残り4日(か5日)。

声をかけてくれる友人と
その友人の信仰するイスラームへの敬意を表して
残りの日ぐらいは僕も断食をしてみようか。

(毎年2日ぐらいはしているのだ)


荒井繁

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夏バテ


どのぐらい暑いかというと
窓際に置いていた3本の蝋燭が、こんなふうになるほどである。


「ぐったり」


荒井繁

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いいから書いておこう


ラマダーンのことばかり書いているが、
あと1週間ほどで終わるのだから、
これはこれでいいのだろう。


イスラーム教徒の基本的な挨拶は
信徒A「アッサラーム アライクム」(あなたの上に平安を)
信徒B「ワアライクムッサラーム」(あなたの上にも平安を)
であるが、ラマダーン月の間は異なる挨拶がある。

日本でも正月は
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
となるのと同じだ。

その挨拶は
信徒A「ラマダーン カリーム」(ラマダーン月は寛大なり)
信徒B「アッラーフ アクラム」(アッラーは、より寛大なり)
である。


この月は通常にも増して
イスラーム教徒は太っ腹になる。
(肉体的な意味ではなく、心の事)


功徳の多い神聖なラマダーン月に
吝嗇であったり
短気であるのは
恥ずかしいことなのである。

そのせいもあるのだろう
買い物をすると、
少しまけてくれたり
おまけの野菜を足してくれたりする。


お金をください、と言い寄る人の数も増える。

イスラームでは喜捨が奨励されており
金銭的に富める者が
富めない者へ施すのは
当然だと考えられている。

そのため、たとえば
市場等で「お金をください」と手を出す人に
お金を渡しても「ありがとう」と
言われない事は少なくない。
別にお礼を言われたいわけではないのだけれど
そのお金は大切に使ってくださいね。
という気分である。


ところ変われば考え方もガラリと変わる。


culture(文化)の語源は
cultivate(耕す)だと言うが
実に多様なものが世界中で作られている。

意識しようがしまいが
途切れることなく
誰もが鍬を振り上げてはおろして
振り上げてはおろして。


荒井繁

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肉の脂肪を投げつけられた


スーダンでは甘い物が好まれる。
「甘さひかえめ」というのは
ほとんど誰も望まない。


友達の家で紅茶を出され
「砂糖はスプーン何杯?」と問われるとき
僕のコップには
既に大盛りの砂糖が入っていることがある。
正確には、その質問は
「砂糖はスプーン何杯(追加してほしい)?」
ということなのだ。

飲むヨーグルト、という商品があるが
それに倣って言えば
ここの紅茶は「飲む飴」である。


人は例外なく甘いものが大好きである、
という常識を持つ人たちに
僕が「紅茶は砂糖抜きで」とお願いすると
前代未聞の注文に彼らは肺腑を抉られる。
「砂糖をいらないって、それはどういうことだ?」と。

常識の中に飛び込む非常識は
いつだって理解してもらえない。
しかし、それでもやっぱり地球は動いているし
僕は必要以上の糖分はいらないのだ。


そんな僕であったけれど
アラブ圏で暮らして幾星霜を重ね
数々の席で好意に満ちた砂糖攻めにあっているうちに
気がつけば甘さへの抵抗は減っていた。

思えば小学生の時に食べられなかったワサビも
いつの間にか寿司やそばには欠かせなくなっていた。
未だにビールや茗荷は苦手だけれど
年をとるにつれてその壁も低くなってきた。

僕の味覚も変化してきたのである。
そして、人は習慣の動物でもある。


ラマダーン月には
疲れた体に手早くカロリーを摂取させるために
甘い飲食物が普段以上に食事時には並ぶのだが
もう、恐れることはない。
どんなお菓子もどんと来い。




話は変わって
今、僕の隣では
2名の方がエアロビのDVDを見ながら
腕をぐるぐる回して脂肪を燃焼させている。

習慣付けばいいと思う。


荒井繁

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補足


「料理に豚肉が入っていると知らずに食べてしまったら、どうするのですか?」
という質問がきたので、前回の内容を補足する。

クルアーンの別箇所にも食の禁忌について触れられているので、
今回はそこから引用。


毎度のように
日本ムスリム協会「聖クルアーン」から引用

「かれがあなたに、(食べることを)禁じられるものは、
死肉、血、豚肉、
およびアッラー以外(の名)で供えられたものである。
だが故意に違反せず、
また法を越えず必要に迫られた場合は罪にはならない。

アッラーは寛容にして慈悲深い方であられる」
第2章173節(フリューゲル版では168節)


井筒さんの「コーラン」からも引用

「アッラーが汝らに禁じた給うた食物といえば、
死肉、血、豚の肉、
それから(屠る時に)アッラー以外の名が唱えられたもの
(異神に捧げられたもの)のみ。
それとても、自分から食い気を起したり、
わざと(神命に)そむこうとの心からではなくて、
やむなく(食べた)場合には、別に罪にはなりはせぬ。

まことにアッラーは罪を許し給うお方。まことに慈悲の心ふかきお方」
第2章168節


ということで、罪にはならない。


せっかくなのであわせて記しておくが
クルアーンでは上記のように
「アッラーの寛容さ」というのが何度も繰り返され、強調されている。

人によってはそれを過剰に?解釈して
「酒を飲んでも許してもらえるさ」
「多少悪いことをしても天国に行かせていただけるさ」
「だってアッラーは優しいお方だからね」
というイスラーム教徒も中には、、、いる。


荒井繁

23:37 | コメント (199) | トラックバック (0)

鳴らない電話


某社の「なめ茸」を食べた。
ここでの希少性も加味すると
箸までねぶりたいぐらいの味である。


夏に来た学生が持ってきてくれた一瓶の日本食。
スーダン料理も美味しいのだが
使われる油の量が多いので
疲れたときにはさっぱりとした日本食が胃にありがたい。


もうなくなってしまうのかと名残惜しげに
なめ茸のビンの裏を見る。
何気なく視線を走らせた原材料の欄には
「ポークエキス」


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おお、ここにも使われていたか。
豚肉好きにとってはミラクル調味料のポークエキス。
某日本人のイスラーム教徒の方がなめ茸を食べて「こりゃうまい」
と言っていたが、それは禁じられた味だったのだ。


イスラームで「豚肉」が禁じられていることは
日本でもよく知られていると思うが、
クルアーンに豚肉について書かれた箇所があるので
日本ムスリム協会の「聖クルアーン」から引用する。


「あなたがたに禁じられたものは、
死肉、(流れる)血、豚肉、
アッラー以外の名を唱え(殺された)もの、
絞め殺されたもの、打ち殺されたもの、墜死したもの、
角で突き殺されたもの、野獣が食い残したもの、
(ただしこの種であっても)あなたがたがその止めを刺したものは別である。
また石壇に犠牲とされたもの、くじで分配されたものである。
これらは忌まわしいものである。」
第5章3節(フリューゲル版では4節)


同箇所の井筒俊彦さんの訳(岩波文庫で入手可能)は

「汝らが食べてはならぬものは、
死獣の肉、血、豚肉、
それからアッラーならぬ(邪神)に捧げられたもの、
絞め殺された動物、打ち殺された動物、墜落死した動物、
角で突き殺された動物、また他の猛獣の啖らったもの
(この種のものでも)汝らが自ら手を下して最後の止めをさしたもの
(まだ生命があるうちに間に合って、自分で正式に殺したもの)はよろしい。
それに偶像神の石壇で屠られたもの。
それからまた賭矢を使って(肉を)分配することも許されぬ
(人々が集まってする賭。
矢をくじの代わりに使って運をきめ、賭けた駱駝の肉を取る)。
これはまことに罪深い行いであるぞ」
第5章4節


まさか、なめ茸にまで豚が入っているとは。
日本に留学していたイスラーム教徒の友達が
「日本での食事は大変です」と歎いていたが
なるほど、油断は出来ないのだね。


荒井繁

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