2011年4月
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スーダン情報
29日は大使公邸にて行われた
安全対策連絡会に参加してきた。
これは、スーダンに滞在している邦人を対象として
大使をはじめ、参事官、領事、医務官が
現在のスーダンの情勢について説明する会合である。
話の主な内容は
・政治
・治安、そして安全対策
・医療
ちなみに年に2回、開かれる(そうだ)。
遠隔地に住んでいたり
多忙な家事や仕事のために
来れなかった人もいたので
今日の内容を僕が一行でまとめておくと
「ハルツームの治安は(他国に比べると)
悪くありませんが、気は緩めないでいましょう」
ということ。
「ハルツームは治安いいなあ。あはは」などと
心にスキを作ってしまうと
僕のように泥棒に盗られます。ご用心。
犯人が現代のジャン=ヴァルジャンだとしても
窃盗を許せるほど僕は寛容ではないのだ。
思い出すたびに腹立たしい。
更生されることを願う。
さて、1時間以上に及んだ
充実したスーダン情勢説明の後には親睦会。
各分野でご活躍されているみなさんと久闊を叙す。
スーダンで生活している邦人は約100人なので
ハルツームにいるのは70人ぐらいだろうか。
非常に狭い邦人社会なので、
「あ、どーも、どーも。お久しぶりです」
なんて挨拶がどこの二者間からも聞こえてきた。
強いモチベーションを持った方々との話に鼓舞されて
僕の熱意も俄然高まった日であった。
荒井繁
きのうはサッカーのしあいを見に行きました。
青ナイルと白ナイルの合流点近くのスタジアムです。
ラマダーン月なので
しあいが始まったのは
夜十時からでした。
「サハーファ」と「コウバル」というチームの試合です。
入場料はむりょうでした。
先ぱいがコウバルのコーチをしているので
僕はコウバルをおうえんしました。
ゴール前で何度もチャンスはあったのですが
コウバルは0対1で負けてしまいました。
引き上げる選手も
コーチもサポーターも
みんな肩を落としていました。
家についたのは0時半でした。
小学生のときサッカー少年団にはいっていた僕には
グラウンドはとても懐かしい広さでした。
昨夜の試合中
プロの選手に混ざって
ボールを追いかける小さな僕らが見えました。
以前一時帰国したとき
小学校からの友達と遊びました。
子どものころ「大きくなったらワールドカップに出る」
と言っていたその友達は、
大学院まで農業を学び、農薬の会社に就職しました。
しかし祖父が亡くなった事をきっかけに
会社を辞めて理学療法士の専門学校に通いだしました。
まだボールを追いかけているようですね。
常識や世間体は
本人の意志の前にはまぼろしですから
これからも自分で「こうなりたい」と思ったら
自分で作ったカリキュラムで
自分を成長させていきましょうね。
ともくんへ。
荒井繁
夕日が沈み、アッザーンを聞き、そしてデーツを食べ、ヘルモルを一気に飲みます。
今日は、完全に日中に断食を行いました。
仕事もそれなりに行いましたが、そこまで空腹感はなかったです。
のどの渇きもあまり感じませんでした。
日の出前に、ムスタファに起こされ、水を飲んでおいたのがよかったのでしょう。
そして、皆で一緒に食事をしながら、ふと顔を上げると、地平線上にきれいな満月が見えました。
徐々に月は昇り、スポットライトのような輝きを持っていました。
まるで、村全体がひとつの舞台のように感じます。
村人の最後のお祈りが終える9時くらいより、夜の診察が始まります。
ラマダンには関係なく、病はやってきます。
川原尚行
ラマダンのハサバッラ村へと帰ってきました。
日没後、近所の人々が1数名が外に集まり、それぞれの家庭が作ったラマダン用の食事、飲み物を持ち寄ります。
ラジオで放送される日没の確認をすると、村人の一人が立ち上がり、大きな声でアッザーンを唱えます。スピーカーもなく、大きな通る声が村に響き渡ります。
そして、デーツを食べ、ヘルモルを飲み、アシーダを皆で食べます。
その後、お祈りを唱えます。
そして再び、コーヒーを飲みながら、皆と語り合います。
今日は、砂嵐が吹き荒れ、砂交じりのコーヒーでしたが、味はいつもと変わらず美味でした。
今回は、日本から看護師さんが6ヶ月の予定でロシナンテスの活動を手伝ってくれます。菅井悦子さんです。彼女は、すっかり村が気に入ってくれたようで、一安心です。
今後の彼女の活躍を期待しています。
川原尚行
昨日、9月23日は私の42回目の誕生日でした。
ご存知の方もいるでしょうが、私の父と長男も同じ誕生日です。
父は昭和4年生まれ
私は昭和40年生まれ
長男は平成4年生まれ
です。
これも不思議なもので、4が絡んでいます。
3代同じ誕生日は、他にも何組かいるようです。
4代同じになると、ギネス入りのようです。
日本では、お祝いに食事に出かけたようです。
スーダンでは、シゲちゃんが私のリクエストにより、ポテトサラダを作ってくれました。
とても美味しかったです。
川原尚行
昨日の早朝にスーダンに戻ってきました。
活動の関係上、フランスへと行ってきたのです。
さて、カルトゥム空港に到着しますと、誰も迎えに来ていません。
フランスから電話しましたが、受け取ってもらえず、インターネットができるところに最終日は行かなかったために、スーダンとの連絡がつきませんでした。
まあ、いいやと思い、タクシーとの交渉をします。
値段の交渉が終わり、我が家へとたどり着きます。
鍵がかかっており、外からいくら石を投げても反応がありません。
ついには、外に設置してある蛍光灯に石が当たったようで、大きな音がしましたが、中から人はでてきません。
ついに、入り口をけり始めると、なんと無用心な家なのでしょう。表の扉が開きました。
家の鍵もかけられているので、家の扉をまた蹴り上げていると、しばらくして、しげちゃんが窓をそっと開けました。手には、箒のぼうっきれを持っています。これで、泥棒と戦うつもりだったのでしょうか。
家の中に、やっとのことで入ることができました。
驚くことに、竹友くん、霜田くんともに空港に私を迎えに行ったと言うではありませんか。
二人は、私の姿を空港で見つけることができずに、同様に私も彼らの姿を見つけられずに、このような滑稽な事態になったのです。
でも、出入り口はひとつでどうみても、見落とすことはないと思うのですが。
川原尚行
イスラームでは
女性は肌をなるべくださないようにする。
若い男性がTシャツを着ることはあっても
外で半ズボンをはくことはほとんどなく
すねですらほとんど見せない。
例外としては
家の中でくつろいでいるときと
サッカーなどスポーツをしているときと
建築現場等で汗をながしているときぐらいだ。
クリスチャンや
土地に昔からある宗教を
信仰している人も少なくは無いが
彼ら/彼女らも
暑いからといって肌を極度に出しはない。
南部スーダンでは状況は異なるだろうが
イスラーム教徒がマジョリティーになる
北部スーダンではそうだ。
人が集まるところでは、
暗黙の了解というのだろうか
お互いの気分を害さずに
共存するためのルールがある。
ここ数年
スーダンの今後の発展を見越して
アラブ諸国以外からも
多くの労働者がやってくるようになった。
また国連やNGOなど
いわゆる援助関係者の数も増えている。
すると、中には
ここのルールを無視して
肌を過度に露出させる女性や。
Tシャツに短パン姿で街を歩く男性もいる。
かつては
商売のために他国に行ってきた誰かや
遠方からの旅人や奴隷が
新しい何かを紹介した。
はたまた時代時代の為政者により
強制的に新しいものを押し付けられたり
もしくは突然何かが生まれたり
そうして生活は変化してきた。
それは自然なことであり
変化を否定する気は全く無い。
ただ、今
外からやってきている人たちよ
もう少し理解をしめして
ここのやり方にあわせてもいいのではないか。
現地に長く住んでも
全く現地語を覚えない援助関係者とか
「この国(そしてここに住む人)に本当に興味あるの?」と思う。
読み書きは易しくは無いけれど
簡単な挨拶や数字
いくつかのフレーズなどは
どんなに忙しくとも、数ヶ月もあれば覚えられるんじゃないの?
と、国連で働く友人と先月そんな話をした。
彼は英語、フランス語、イタリア語が喋れる。
しかし、1年以上スーダンに住んでいて
話せるアラビア語は数フレーズのみ。
「だってアラビア語は難しいよ」なんて言ってた。
ブー
不正解。
答えは、関心の問題です。
普段は温厚なのだけれど
たまにぐつぐつと僕のボルケーノが煮立つ。
共通語(リンガフランカ)としての地位を英語は占めているけれど
それだけじゃ、相手の心の深いところはわかりにくい。
まあ人の価値観にとやかく言っても始まらないので
僕は僕で橋をかけてくぜ?
荒井繁
毎日スーダンの人と少しでも話をする。
語学の勉強になるし、それに加え
たとえ小さくとも橋をかけることにもなる。
「スーダンの事はほとんど知られてないな」
「日本の事はほとんど知られてないな」
なんて愚痴をこぼさずに、話そう。
言葉があるのだから。
昨夜は数ヶ月ぶりに「俺はやるぜ」発言。
また逃げ道をなくしてしまった。
ルビコン川が後方に見える…
何かをするときに
「やらないよりはましだ」
と言うのは好きではない。
「やるからには、やる」
と宣言した方がスカッと晴れて気持ちがいい。
と、それはおいといて書く。
僕とスーダン人の会話だが
近頃は「ラマダーン」のお題で始まる。
来月ではちょっと遅く、先月ではちょっと早い。
今だけ季節限定、旬の話題である。
猛暑の中での断食は非常に辛い。
そんなこと聞くまでもなくわかっているが、
僕は挨拶のあとに
「断食はどう?ほんと暑いですね」と聞く。
すると彼らは笑って
「(きついけれど、このほうが神様からの)報酬が多いんだよ」と答える。
ちょっとこなして訳すと「御利益が多い」ということ。
現代のイスラーム社会では2つの暦を使い分けている。
太陽暦と太陰暦である。
(理由については後日記そうと思う)
そしてイスラームに関係する行事は太陰暦に従う。
太陰暦は太陽暦に比べ年間11日ほど短いために、
断食月(ラマダーン月)も西暦の上では毎年その分ずれていく。
たとえば、ある年の太陽暦1月1日が
太陰暦の1月1日でもあったとする。
すると太陰暦上の次の1月1日は
太陽暦の12月20日になるということ。
だからラマダーン月が冬に回ってくる事もあれば
夏に回ってくる事もある。
ラマダーン月が涼しい季節にあたれば
それに越したことは無いわけだが
スーダンで涼しいのは12月と1月ぐらいで、
あとはほとんど暑い。
しかし、軽い脱水で頭がずきずきしようとも
空いたお腹に脳がかりかりしようとも
「御利益が多い」と言って、みんなありがたく断食を行っている。
はたからみて、あまり信仰心があつくなかった友人
(「海外にいったら酒飲むよ。へへへ」)まで、
ラマダーン月に入ってからは
きちんと飲食を断って、禁煙もしている。
「私はイスラーム教徒だ」という
アイデンティティーの再確認にもなっているようだ。
イスラーム教徒にとって
今月はとても神聖な月なのである。
荒井繁
夜7時前に断食がとかれる。
職場に残っていた人も
用事があって外出していた人も
誰もがそれまでには家に戻ろうとする。
市の中心部は一年を通して朝と昼は渋滞しているのだが
ラマダーン月は夕方の帰宅ラッシュも加わり、
結果として朝から夕方までずっと混雑する。
西の空が赤く染まっていくにつれ、
家へ向かって血眼でハンドルを握るドライバーが出てくる。
彼らの運転は非常に怖い。
とばす、とばす。ぬかす、ぬかす。
交差点ではクラクションが鳴り響く。
「一刻も早く家に帰るぞ!(食事するぞ!)」という意志が強く感じられる。
慣れない空腹のせいなのか、
神経を尖らして走る人も少なくないようで
事故もいつもより多くなっているように見える。
スーダンの友人も「怖いから、日没前はできるだけ運転したくない」と言う。
一方、夜7時前から7時半近くにかけて
イスラーム教徒はみな食事をしているので
道路はガラガラとなり、
この間、大通りはさながらハイウェイとなる。
荒井繁
ラマダーン月の間、イスラーム教徒は日中の飲食ができなくなる。
それによって食事時間や献立が変わるのでそれについて一般的なことを書く。
今、日の出は5時45分前後なので
起床は朝4時から5時ごろになる。
人によっては30分ぐらいクルアーンを朗誦して、
それから簡単な食事をする。
友達の家に泊まったとき
おばあちゃんがまだ闇の中でクルアーンを開いて
もごもご言っているのを見たときは
光がないのに読めるのかなあと思ったが
ある程度は暗記しているだろうし
はっきりと字がよめなくても支障はないのであろう。
話を戻す。
朝食の内容はというと
紅茶、ミルクティーなどの飲み物
それにケーキやビスケットという組み合わせが多い。
抜かす昼食分のエネルギーを補うために
朝のうちに大量の糖分を摂っておくのだ。
そのわりには軽めのメニューじゃない?と思うかもしれないが
ここで欲張ってしまうと昼間は胃がもたれて辛いのだそうだ。
悩ましいところである。
といいつつも、食べる人は腹10分目までしっかり食べる。
そして朝の礼拝をして、また1・2時間眠る。
太陽が出ている間は
水はもちろん、唾を飲むことも禁じられている。
そのために路上で唾を吐く人をみかけることも少なくない。
ちなみにタバコも口にしてはいけない。
異教徒には関係ないとはいえ、喉をひりつかした人たちの前で
コーラを「ひゃー、うめーぜ」なんて飲めないので
僕も外にいるときは自主断食。
別にぐびぐびと音を立てたところで
コラッ、なんて叩かれるわけでもないのだけれど
そこらへんは郷に入った者としてはきちんと郷に従う。
日没は夜7時前。今日は6時58分だったか。
まずは水かジュースを口にして
オプションでナツメヤシをかじる。
そうして空っぽの胃を驚かさないようにしてから
待ち焦がれた食事となる。
この食事、前もって「明日はうちに食べにきてよ」なんて
誘われた席では豪勢な料理が準備されているが
散歩中に「そろそろ時間だし、一緒にどうだい?」と
近所の人に声をかけてもらって突然の参加をするときは
質素に豆料理だけ、などという場合が多い。
多くの家庭では7時には軽めな晩御飯を食べて
そのあと夜10時に豪華な晩御飯が出る。
そして深夜1時、就寝前には追加の晩御飯となる。
荒井繁
土曜日は予定が何もない日だった。
前日は徹夜で読書をしていたので
昼過ぎに起きて、また寝た。
ハルツームではもう3週間ほど雨が降っていない。
今年の雨季も終わったようだ。
あと一回ぐらいは大きな雨があるかもしれないが、
これで来年5月ぐらいまでは雨雲を見ることはなくなる。
街のあちこちにできていた水溜りも干上がった。
雨季には体長1センチから2センチの小さな蛙が何匹も出てくるのだが、
それらが長く激しい乾季をどのように過ごしているのか不思議である。
ところで、
事務所は2日前に掃除をしたのだが、
今日だけで2匹の蛙のミイラを事務所床で発見した。
昨日はなかったから、昨夜そこで力尽きて
朝までに全ての水分が蒸発したのだろう。
日本ではアスファルトの上にぺったんこになった蛙をみたが、
ここでは姿形そのままに乾燥した蛙が部屋に落ちている。
腐臭はなく、それはカラカラの木の枝と大差ない。
手で拾って庭に置いた。
いずれ体は崩れ出して、蟻が巣へ運んでいくだろう。
こうして書きながらも、
机の向こうにはバッタが歩いていて
足元には蜘蛛がいる。
先週は2匹ほどサソリがでた。
床のタイルの隙間からは蟻がどんどん出てくる。
さすがに蚊やサソリは嫌だが、
危害を加えてこない虫などはなんとも思わない。
むしろ好奇心をもって観察する。
早起きしてラジオ体操でもしたい暑さだ。
寝る。
荒井繁
今年もラマダーン月がやってきた。
今日から約1ヶ月つづく。
「一ヶ月間何も食べないんでしょ?」
なんて無茶苦茶な誤解をしている人もいるけれど
そんなことをしたら誰でも死んでしまう・・
何も口にしないのは日中だけであり、
日が落ちたらちゃんと飲んで食べるのでまずはそこを知っておいてほしい。
では、なぜ断食をするのかというと
それはクルアーン(コーラン)に書かれているので
今日はそれを紹介しようと思う。
クルアーンは全部で114章からなる。
その第2章「雌牛章」に断食についての記述がある。
以下に書き出す。
なお、訳は日本ムスリム協会による。
欲しい人は日本ムスリム協会へ注文を。
書店では購入不可。
ちなみに以下に出てくる「斎戒」とは
「(「斎」は心の不浄を浄める意、「戒」は身の過ちを戒める意)
飲食・動作を慎んで、心身を清めること。」?広辞苑?
であり、訳としては断食よりも適切であろう。
「信仰する者よ、あなた方以前の者に定められたように
あなた方に斎戒が定められた。
恐らくあなた方は主をおそれるであろう。」
2章183節
「(斎戒は)定められた日数である。
だがあなたがたのうち病人、または旅路にある者は、
後の日に(同じ)日数を(斎戒)すればよい。
それに堪え難い者の償いは、貧者への給養である。
すすんで善い行いをすることは、自分のために最もよい。
もしあなたがよく(その精神を)会得したならば、
斎戒はさらにあなたがたのために良いであろう。」
2章184節
ということだ。
理解を深めるために、同じ箇所に対する井筒俊彦さん
(イスラーム研究の大御所)の訳も記す。
![]()
井筒さんの訳した「コーラン」は岩波文庫で購入可能。
「これ信者の者よ、断食も汝らの守らねばならぬ規律であるぞ、
汝らより前の人々の場合と同じように。
(この規律をよく守れば)きっとお前たちにも本当に
神を畏れかしこむ気持ちが出てこよう。」
「(この断食のつとめは)限られた日数の間守らなければならぬ。
但し汝らのうち病気の者、また旅行中の者は、
いつか他の時に同じ数だけの日(断食すればよい)。
また断食をすることが出切るのに(しなかった)場合は、
貧者に食物を施す事で償いをすること。
しかし(何事によらず)自分から進んで善事をなすものは善い報いを受けるもの。
この場合でも(出来れば規律通りに)断食する方が汝らのためになる。
もし(物事の道理が)汝らにはっきりわかっているならば。」
荒井繁
本日も引き続き、役所まわりを行い、救急車の引き取りの仕事をしました。
霜田君もポートスーダンで頑張っているようです。
帰りは是非とも飛行機を使わせてくださいと、弱音を吐いていました。
19時間のバスの旅がよっぽどつらかったのでしょう。
さて、カルトゥムにもロータリークラブがあると聞き、日本のロータリークラブとの共同事業推進のために、例会に参加してきました。
1938年設立で約70年の歴史があるそうです。今日の出席者の半分が外国人でした。
総勢が38名とそんなに多くはないのですが、みな社会的地位の高い人たちばかりのようです。
例会はヒルトンホテルでした。
私が外交官時代は、ヒルトンのスポーツクラブの会員でよく家族とプールで遊んでいたものでしたが、今は貧乏生活になり、ヒルトンホテルには、足が向きませんでした。
そんな懐かしいヒルトンホテルで昼食をご馳走になり、スーダンのロータリアンの人たちと談笑でき、楽しかったです。
出席者の中のイタリア人は、NGOのメンバーであり、カルトゥムで心臓外科の病院を運営しているそうです。イタリアから心臓外科医を数名呼び、スーダン人の医師とともに、心臓の手術を行っているようです。年間の予算を聞くと、約13億円だそうです。ロシナンテスとは2桁も桁が違います。
別の人は、日本の三菱の代理店をやっている人でした。三菱車のディーラーは、スーダンでも評判がよく、その点を褒めると喜んでいました。そして、「先日日産のビジネスマンがうちに遊びに来たよ」というと、「そんな奴とは付き合わずに、うちとだけ付き合ってくれ」と、冗談交じりで行っていました。
そして、会が終了し、こちらの話を会長さんに聞いてもらい、散会となりました。
みなが、高級乗用車に乗って帰っていくのを横目で見ながら、私は歩いてバス停まで行き、おんぼろバスに乗って移動しました。
そして、汚い道を歩いていくのです。
スーダンの上層部、下層部(単に金銭的)ともによく見ることができました。
本当は、上も下もない世界があるんですが・・・。
川原尚行
昨夜、夢を見ました。
私の大学のボスである前原教授をはじめとして医局員の前で、私の研究発表をする予定なのですが、用意ができていません。もう明日が発表と言うのにです。
研究資料の入ったコンピューターは、霜田君がポートスーダンに持って行っておりありません。(この辺の脈絡は滅茶苦茶です)
他の医局員の先生には、私の発表を期待しているからと声をかけられます。
みんなの期待が!でも用意できていない!と焦っているところで目が覚めました。
電気は付けっ放しで、気分的に昨夜深酒をしたあとのようです。
そうです。昨日は深夜まで霜田君からの電話を待っていました。
霜田君はポートスーダンに行くために、朝6時のバスの乗りました。本当は、飛行機で行かせたかったのですが、満席でバスに変えることにしました。バスで行くには、旅行許可証が要ります。それを入手するのに2日もかかりました。それでバスに乗ることにしたのですが、バスも満席でした。そこで、他の乗客から金額を上乗せして買って乗り込んだそうです。
霜田君がポートスーダンに到着したのは深夜1時すぎだったようで、ホテルも満員で、アシスタントとして同行させたモハメド君の友達の家に泊まったそうです。モハメド君を同行させておいて良かったです。
実は、前から書いています問題というのは、救急車の引取りのことでした。
今日までに引き取ることが条件でしたので、霜田君のことも合わせて、上記のような夢を見たのでしょう。
この救急車、日本から持ってきた中古のものです。日本外交協会さんが外務省に掛け合い、輸送費を出してくれました。宛先はガダーレフ州で、ロシナンテスと協同して活用していくとしています。なぜロシナンテスが最終受け取り先にならないかというと、申請時ロシナンテスは国に援助をもらえる基準に達していなかったのです。もう今では申請できると思いますが。
4月にポートスーダンに中古救急車は到着したのですが、ロシナンテスが受取人ではないので、ガダーレフ州に書類をわたし、処理してもらうことにしました。
この書類自体も、DHLでガダーレフ宛にしていたものが、ガダーレフには支店がないとのことで、我々が必要書類をガダーレフに持って行ったりもしました。これが、ケチのはじまりですかね。書類を届けるだけで何日も時間を要しました。
その後、州政府任せにしていたのですが、事がなかなかはかどらずに、いよいよになって、全部のことを私が引き受け、この10数日間、いろんなところを駆けずり回りました。
障害がいくつかありました。スーダンの法律では、3年以上経過した車は輸入できません。また右ハンドルの車は走行できません。ですから、基準局の許可、外交通商省の許可それに関税免除、港湾使用料免除、港の延滞料などを解決していかなければなりません。
いろいろと書きたいのですが、各方面への批判になってしまいますので、書きません。
ただ、その途中で「なんで!?」と言う場面が何度もあり、そのたびに、ナイル川に飛び込みたい衝動にかられました。
前回、天命は下ったと書きましたが、実はこれは天命でも何もなく、単なる人命だったのです。救急車の引取りくらいでは、天命は下りませんでした。
霜田君から連絡を受けたときは、「ここまで、やることはやったんだから」という心境でした。
ただ、各方面にご迷惑をかけて事は事実です。
特に日本外交協会さんには、本当にご迷惑をかけたと思っています。
診療所ばかりに目が行ってしまったのでしょう。
しかし、考えてみれば中古救急車の引き取りは、前段階中の前段階で、これをどう活用するかに本質はあります。
引き取りは、指定期日までにできませんでしたが、活用では、世界のどんな国に送られた日本の中古救急車よりも、有効に活用していきたいと思います。
最後に、曇りのない心で申し上げれば、ロシナンテスメンバー全員は一生懸命にやっています。
そして、それを天は見ています。
まだまだ人事を尽くさないといけないのでしょう。
そして、もっと大きな舞台での天命が下ることを信じています。
川原尚行
現在、問題解決のために、東奔西走、地下にもぐるはいろんなことをしています。
ついに、かなりトップに近いほうで全てOKのサインをもらいました。
これで、全て問題解決になるかと思っていたら、まだその先がありました。
事務処理をきちんと行わなくてはいけません。
その事務処理がすごく時間がかかるのです。
以前に提出した書類が担当の役所に見つからないのです。
うちが出したものなら、事務所に帰って、新しい書類を作ればよいのでしょうが、地方政府が出したものが見つからないのです。
天命は下っているので、スーダンの中央政府、地方政府ともに皆必死に事務処理をしてくれようとしています。
日本と約束した期限があり、それを守らないといけません。
そのためにも、時間との戦いです。時間外に、地方政府に電話して、急ぎまた中央政府宛の手紙を書いてくれというと、普通は明日にしてくれといわれる時間帯なのに、いまから書くからと言います。
そして、出来上がったものを、私が夜中に運転して何とか手にし、またカルトゥムに帰ってきました。
危ない夜中の運転ですが、仕方のないことです。
無事、死なずに帰ってきました。
明日はこの書類を持って役所に行きます。
天命は下っているのですが、まだ人事を尽くしています。
川原尚行
スーダン政府の財務省の前で人に声をかけられました。
「チャイナ?」
「ノー、アイムジャパニーズ」
それから、彼は一冊の貯金通帳を見せます。
どうやら、ハングル語が書かれて、韓国の銀行口座のようです。
これが通りに落ちていたから、落とし主に届けたいので、彼の住所と名前を呼んでくれと言います。
しかし、私も読めません。
それで、「韓国大使館に持っていけば」
「大使館はどこにある?」
「リヤドにあってここからは遠いよ、何なら俺が持って行ってあげようか?」
「いいや、いいよ。自分で大使館に持っていくよ」
との会話が行いました。
そのあと、ナイル川沿いの道を行っていたら、ものすごい車列が通っていきました。
前後に軍隊を要しています。
その車列のボディーには「UN」とかかれてあります。
そうです。国連事務総長がスーダンに来られているのです。
妙に韓国と関係のある日でした。
財務省では、話がうまくつき、問題解決の最終地点へと向かって一歩進みました。
明日は金曜日。土曜日、日曜日で一気に解決に向かいたいです。
川原尚行
砂まみれの背広も、なんとか綺麗にしてスーダン政府高官と会うことができました。
これで、問題解決になればよいのですが、後もう一仕事です。
現在、車は霜田君がガダーレフに乗っていっているので、私のカルトゥム市内の移動はバスです。
今日などは、正装してバスに乗るのですから、バスの乗客からはいったいこの人は誰?みたいな目で見られます。
今日付き合ってくれたスーダン人などは、
ドクター川原は、偉い人なんだからきちんとした車を乗らなきゃ駄目だよ!とか言われますが、仕方のないことです。
また、彼によると今現在住んでいるところも、一般スーダン人が住んでいるところで、早く引越ししなさいと言われますが、これも仕様のないことですし、私自身ここが気に入っています。
スーダンの人は、みてくれを大事にし、良い住居に住み、良い車に乗り、良い身なりをした人を敬うと言う傾向にはありますが、私は見てくれよりも中身重視で、時間もかかり、誤解も生じますが、このスタイルだけは変えないで行こうと思います。
明日も、背広を着てバスに乗ります。
川原尚行
連日、問題解決に向けて走り回っています。
明日は、そのことでスーダン政府の大変地位の高い方と会う予定にしています。
正装していかなければいけませんが、私の部屋にある衣服はすべて砂をかぶっており、もはや修復不可能に思えます。どうしましょうか。
さて、息子から電話がありました。
残念な結果だったようです。
福岡選抜チームに選ばれなかったとの報告が来ました。
電話がかかってきたときは、満員バスの中で立って大きな声で話していました。
さぞかし、おかしな東洋人だと思われたでしょうが、そんなことはどうでも良いことです。
息子と対峙することが一番だからです。
挫折や失敗が今後の糧になります。
その悔しさが次の大きなステップになります。
そして、青春の只中を懸命に生きて欲しいです。
息子は中学時代を運動面に関しては、本当によく頑張ったと思います。
今後は、勉強だね。
電話を受けて後、満員バスの中で私の頬に、なぜだか一筋の涙がこぼれました。
さあ、今度は俺が頑張るかな。
川原尚行
今日はほうきを手にいれた。
道の脇に座っているおばちゃんから買った。
今のほうき(二代目、半年前に購入)は、
日に照らされ、雨に打たれ、弾力がなくなっていたので
そろそろ新しいのが欲しいと思っていたところ、
ちょうどおばちゃんに遭遇した。
約60円。
わらを束ねて、切りそろえたもの。(名前はミクシャーシャ??????)
南部スーダンに行ったことはないので、その地域ではどうか知らないが
以前書いたドラム缶同様、このほうきは北部の家庭では普及している。
軽くて、手の延長のような感覚で使用できるために重宝している。さらに安い。
暑い中、革靴を履くのは合理的ではないと思うので僕はサンダル。
荒井繁
問題解決に向けて、再びカルトゥムへ。
夜中に到着しました。
私のいない間、部屋の窓を開けっ放しにしておいたので、部屋は壊滅状態です。
しかし、片付ける気力もなく、そのまま砂が降り積もったベッドの上で寝ました。
明け方、お客さんがきており、早朝に対応し、お客さんはそのまま赴任地へと旅立ちました。
そして、カルトゥム事務所のらビアが出勤してきて、私に
「ドクターのマルチのビザは切れているので、出国できない」
と言われ、愕然。
霜田君に以前、これはマルチのビザです。
と言って渡されましたが、きちんと確認するのを怠っていました。
年末に向けて、何度か出国する予定があるので、大慌てで、手続きをとりました。
時間との勝負ですが、東京で知り合った強力助っ人が、手を打ってくれると約束してくれました。
なんとかしないと、出国できません。
それから、別の問題解決に向けて奔走しました。
役所を数箇所回り、打つべき手は打ちました。
あとは、回答待ちです。
もちろん、同じところのみを叩いていては駄目で、いろんな方面からのアプローチが必要です。
さて、昨日は娘の誕生日で電話をしましたが、そのとき長男とも話をしました。
彼は現在、福岡選抜のセレクションを受けているときで、2週間にまたがって計4日間の練習を行っています。48名の候補メンバーから、18名が選ばれるそうです。
昨日は、9トライをあげ、中距離走で一番になったと自慢げに話していましたが、今日電話をしてみると、元気のない声で、今日はトライをあげられなかった。頭が痛い。と言っていました。ハイクラスの中での練習で相当に疲れているのでしょう。
まあ、怪我がなくてよかったです。
結果は、9月4日にでるようで、息子から電話がかかってくるようになっています。
こちらでも、息子に負けないように、良い結果が出せるよう奔走します。
川原尚行
今日9月1日は長女の誕生日です。
13歳になります。
中学になり、運動部に所属して頑張っているようです。
以前、電話で
「誕生日プレゼントは何がいい?」
って聞いたら、
「合宿に使うTシャツが欲しい」
と言われました。
普段何もしてやれないので、いそいでインターネットで購入できるTシャツを申し込みました。
中学生らしく、白地でワンポイントのTシャツです。
どれがいいだろうかと、馬鹿みたいに2時間くらいかけて、いろいろ探し注文をしました。
ただ、合宿までには日にちがなく、返ってきた答えが、その日にちまでには間に合わないとのことでした。
仕方なく、注文をキャンセルし、娘に
「ごめんね」
とあやまり、
「次回、帰国したときに何か買って上げるから」
と約束しました。
去年は、女の子らしく「花」をプレゼントしましたが、今年は何になるのでしょうか?
最後に
「13歳の誕生日おめでとう!
勉強にスポーツに頑張ってね}
お父さんより


