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スーダン情報
離れている人から、たまにメールが届く。
一通一通に感謝をしている。
メールを送ってくれてありがとう、と書きたくて
カタカタカタ、とキーボードを鳴らしたら
画面には「エール」と出た。
ただの打ち間違いなのだけれど、
なぜか嬉しくて、体温がすこし上がった。
メールはエールというのは僕にとって真でもある。
友達よ、エールを送ってくれてありがとう。
日本で学生をしていたときは
携帯電話で毎日のように誰かとメールをやり取りしていた。
代返のお願いと、休講のお知らせ、
何かの確認などを除けば
ほとんど文章自体には意味のないその頃のメール。
一人で本を読んで過ごすのも好きだが
時にひとりぼっちの寂しさに耐えられない
かよわいバンビちゃんのような僕らは
用事がなくても、携帯電話を取り出していた。
そういう軽めのコミュニケーションも必要であるし
もちろん嫌いではなかったけれど
今、数週間や数ヶ月の間隔で送られてくる
携帯時代より長めの近況報告も、味があってよい。
荒井繁
昨日の続き
ハルツームでは引き分け、
カイロでは1?0でスーダンの勝ち。
という僕の結果予想は正解だった。
そこで気になるのが景品の21インチカラーテレビである。
それは青ナイル沿い、エチオピア国境近くの町(ダマジン)に
住む12歳の少年の物となった。
あ?、残念。
欲しかったなあ、リモコン。
って、いらないか。
荒井繁
「いい話を教えてもらったよ」
何かが書かれたメモを片手に友達は走ってきて、
机の上の僕の携帯電話を勝手にいじりはじめた。
少し興奮しながら彼が話すところによると
スーダンの某クラブチームとエジプトの某クラブチームが対戦するそうだ。
両国の首都ハルツームとカイロで1試合ずつ。
その試合結果を予想して、携帯電話のメールで応募すると
正解者の中から抽選で21インチのカラーテレビが当たるとの事。
携帯電話1台につき1回しか応募できないので
早い話が、友達は僕の電話権を借りにきたのだ。
「テレビが当たったら二人で分けようぜ」
でも、どうやって?
「リモコンをあげるから、俺にテレビをくれ」
そんなのいらないよ。
さて僕は、
ハルツームでは引き分け、
カイロでは1?0でスーダンの勝ち
という予想をしてメールを送った。
今日の夕方5時にラジオで結果発表があったはずだが
友人からは未だに連絡が無い。
そろそろ、寝るか。
荒井繁
スーダンの人にとって、携帯電話はステイタスである。
昔、似たような話をどこかで書いたが、まあいいや。
もう一回書いてしまえ。書いてしまえホトトギス。
その前に基本事項の説明を。
スーダンの男性はジャッラービーヤという伝統的な服を着ることが多い。
これをイスラームの服装だと思っている人がいるかもしれないが
ムスリム(男性のイスラーム教徒の正しい呼び名)もキリスト教徒も関係ない。
宗教よりも気候に由来する服装である。
仕事の時はスーツ姿でも、家に帰ればジャッラービーヤに着替えてくつろぐ。
この格好、オバQのような服を想像しておけば、そう間違いではない。
10代、20代の若者はズボンにTシャツという組み合わせを好むが、
30を過ぎたあたりから人々はジャッラービーヤを好むようになる。
孔子は三十而立(三十にして立つ)と言ったが、
ここでは30にしてジャッラービーヤの良さを知るのだろう。
お腹が出てきて、体のラインがゆるやかな貫禄を獲得するにつれ、似合うようになるのだ。
女性は主にトーブという4メートルの1枚布を身にまとう。
(痩せている女性は3メートル半、たくましい女性は4メートル半)
インドのサリーを想像してほしい。
カラフルな布のその下は気合のはいっていないTシャツである。
朝起きて、そのまま布を巻くだけで外に出られるので
「とっても便利なの」と友達は言っていた。
これもムスリマ(女性のイスラーム教徒)もキリスト教徒も関係ない。
ただ、肌を隠さなくてもよいキリスト教徒は洋服を着ることが多い。
さて、ここから本題「携帯電話はステイタスである」という話。
スーダンでは皆が似たような服装をしているので、
外見だけでは相手の懐具合がわからない。
ここで架空の話。
席についたビジネスマン、アブドゥッラー氏とアフマド氏。
二人とも真っ白なジャッラービーヤを着ている。
「アッサラームアライクム(こんにちは)、アフマドさん」
「ワライクムッサラーム(こんにちは)、アブドゥッラーさん」
メガネの奥を光らせアブドゥッラーは言う、
「実はね、今日はね、新しいビジネスのお話をもってきましてね」
「ほお、どんな話ですか?」と身をのりだしたアフマドは
うっかりグラスを倒してしまう。
テーブルに広がる砂糖いっぱいの紅茶を見てアブドゥッラーは思う。
それよりももっと甘い話をしてやろうじゃないか。うしししし。
…ビジネストーク(中略)…
「ほんと、こんなにおいしい話は他の人にはもっていかないよ。
アフマドさんだから教えるんだからね」そう言って目じりを下げるアブドゥッラー。
「確かに、確かに、それはよだれの出るような話ですね」
にんまりと笑いながら返事をしたアフマドだが、
そのとき彼の眼はテーブルに置かれたアブドゥッラーの携帯電話をとらえていた。
古い携帯電話だ。
4年前に発売されたモデルである。
その白黒の携帯電話は今ではまるでシーラカンス。
アフマドは思う。
アブドゥッラーの奴、本当は商売がうまくいっていないようだぞ。
この話は断ったほうがよさそうだな。と。
そしてアフマドは言う「でも、今回は遠慮しておきます」
話をまとめられず、とぼとぼと歩く帰り道。
あそこまでいって、なんで断られたんだろう?
確かにアフマドは乗り気だったはずだ。
途方に暮れるアブドゥッラーは夕日の映ったナイル川に石ころを投げていた。
<終わり>
その秘密は携帯電話。
古い型の携帯電話を使っているビジネスマンは商談の席でなめられるのである。
服装では差が着かないのでビジネスマンは最新の携帯電話を買い
羽振りのよさをさりげなくアピールするのだそうだ。
荒井繁
雨の季節が始まった。
上流で降った雨は、土砂と一緒にナイルに流れ込む。
「青ナイル」と呼ばれている川も、今の状態で名づけるならば「茶ナイル」である。
その昔、治水の技術が整っていなかったころは、
こうやって養分を含んだ水が洪水となり、
ナイル沿いの土地に恵みをもたらしていたのだ。
南部を除き、国土の多くの部分ではこの時期以外は雨がふらないので、
スーダン人は雨に興奮する。
これは日本人の感覚からしたら、雪が降るようなものだろうか。
ワールドカップ、ブラジル対フランスをスーダンの友人と見ていた。
みんなテレビに釘付けになっていたのだが、窓の外で突然雨が降り出すと
子どもたちは外を眺めてはキャーキャー言いだした。
「後ろみて後ろ!雨!雨!」
もうサッカーはそっちのけである。
雨が嬉しいんだろうなあ。
荒井繁
僕がグランドをジョギングをしていた時の事。
前を走っていたムスリマ(女性のイスラーム教徒)
のヒジャーブが風でめくれた。
ヒジャーブというのは髪の毛を隠すスカーフの事だ。
ヒジャーブの下から三つ編みがちらり。
厳格なムスリマの女性が家族以外の異性に髪をさらすことはない。
サウジアラビアやイエメンに行けば、顔すらも布で覆ってしまう。
それはクルアーンに
「綺麗な場所は隠しましょう。家族以外には見せないように」
と書いてあるからだ。
彼女がヒジャーブの下の三つ編みを
年頃の男に見せることなんてないんだろうけれど、
やはり女の子は女の子なんだな。
男の僕にはわからないが、
きっと三つ編みの嬉しさなんてものもあるのだろう。
シリアでヒジャーブをした女性に
「ヒジャーブをどう思いますか?」と聞いたら
私達は好きでやっているのよ、とても快適だわ。との返事。
女の先生もこう言っていた。
「欧米の人たちの中には、ヒジャーブを女性への差別だと
言う人もいるけれどヒジャーブをすることによって、
アッラーに守られていると感じて落ち着く人もいるのよ」
イスラームは女性を差別していると言われる事がある。
それは男女差別なのではなく、男女区別なのだとムスリムは言う。
男には男の役割があって、女には女の役割がある。
力のあるものが外で働いて金を稼ぎ、子を産むものが家庭を守る。
それは当然じゃないか。
そのような考え方だ。
僕らからしたら、選択肢の限られた生き方かもしれない。
それでも「あの女性たちはかわいそうだ」
などと外の人間が口を出す事ではないように思う。
幅が限定されていれば、そこに深みが生まれるものだ。
風が僕に見せた小さなオシャレ。
アッラーを信じるものには、アッラーのもとでの幸せがあるのだ。
(その人がいわゆる女権拡張論者ならば、
イスラームにおける女性待遇は苦痛だろうけれど。)
荒井繁
空手の稽古をしていた。
休憩時間に水を飲もうとカバンをさぐると、携帯電話とお金がない。
盗まれたようだ。
そういえば、さっき荷物置き場に人がいた。
皆が誰かの知り合いだと思っていたようだ。
稽古場には新しい学生や練習生の家族がいつも見学に来ている。
だから全員が何の疑いも持たずに練習をしていた。
スーダンの治安は日本と同じ程度か、それよりも良い。
誰も警戒などしない。
何人かは犯人らしき人の顔を覚えていた。
僕の知らぬ間に彼らは大学駐在の警察に被害を届け出て
黒帯2人は犯人を捕まえに出かけていった。
「あなたは私達の兄弟だから」
そう言って、財布から出したお金を僕に握らした人がいた。
ありがとう、でも大丈夫だよ、バス代分の小銭はあるし。
僕が何を言っても受け取ってくれなかった。
会ったばかりで、何もお互いのことを知らないのに。
誰もが心配してくれる。
ありがとう、としか言えず、
その後の練習中もずっと涙がでそうだった。
落ちていく陽の中で
下段払いに意識を集中させて自分をごまかした。
みんなでお金を集めて来週渡すよ、
とか言ってくれた人もいた。
どうやってこの恩にこたえればよいのか。
一生懸命勉強しよう。
荒井繁
日本のアニメは世界中で人気があるが
アラブ圏もその御多分に洩れない。
例としては
・名探偵コナン
・ちびまるこちゃん
・遊戯王
・釣り吉三平
などがアラビア語の吹き替えで放送されている。
今回取り上げるのは「キャプテン翼」
20年以上前、日本でサッカーブームを起こした漫画である。
そのキャプテン翼であるが、
アラブ圏では主人公の名前が
マージドゥ(アラブの代表的な名前、栄光という意味)に変わっていて、
アニメのタイトルも「キャプテン マージドゥ」になっている。
スーダンの友人と僕の3人で午後の一時をうだうだと過ごしていたとき
ビスケットの袋にキャプテン翼が描かれているのに気づいた。
「お、これ日本のアニメだよ」と僕が言うと
友達は白い眼でこちらを見て
「あのね、これはサウジアラビアで作られたアニメで、
マージドゥはサウジアラビア人だぞ」と真顔で返した。
すると別の友達が「いや、エジプト人だろ」と間髪を容れず訂正した。
国際的な男だな、翼よ。
ちなみに他のキャラクターも名前は異なる。
石崎了:ウマル
岬太郎:ヤーシーン
若林源三:ワリードゥ
森崎有三:バッシャール
次藤洋:ハサン
ビスケット

荒井繁
スーダンに来たばかりの頃に書いたレポートをフォルダの中に発見した。
イスラームの様々な表情を伝えよう、と書き始めたのはいいのだが、そのうちに文章が乱れてきて後で手直しをしようと思いながらそのままお蔵入りにしてしまっていた5ヶ月前の報告である。
僕らの脳みそは繋がっているわけじゃないから、
下手な文章だろうが発信しなければ何も伝わらないのだ。
えい!日の目を浴びよ!(以下)
先週金曜の話になる。
ハルツームから車で走る事20分。
オムドゥルマン市の集団墓地に行き、そこでスーフィーダンスを見てきた。
スーフィーとは11世紀ごろから使われ始めた呼称であり、それはイスラームの教えを独自にとらえ、神との直接交流を目指す人々の事をさす。彼らにとって重要なのは礼拝の仕方やイスラーム法などではない。宗教の外見を整える事よりも、自分自身がどれだけ神に近づけるかに重きをおく。スーフィーの語源は『羊飼いの着る粗野な羊毛の外套を着た人』であり、つまり彼らはそういう風にして自分を俗世間と隔絶されたストイックな清潔さに身を置き、その中で神と純粋に近づこうと努力をする。異端と呼ばれながらも今では中東各地にいくつもの教団があり、それぞれが独特の礼拝を行っている。
スーフィーの辞書的説明としてはこう書くことが出来るだろう。ただし僕が見た彼らが私生活でも上記のようなスーフィーの姿勢を貫いているかはわからない。伝統や習慣として続けられている行為にどれほど当初の意図が残っているのかは通りすがりの僕には見えないからだ。
最初にそれを断っておいてから、この日の話を続ける。
イスラームの休日である金曜日の夕方6時。150ートル四方程の集団墓地の一角に、ぞろぞろと集まってきた教団の信者200人ほどが輪を作る。その人垣で囲まれた輪の中には赤緑黒の色の布地で着飾った20人程度が位置する。このダンスに参加するのは全て男性である。
内側の20人がこのダンスの先導者だ。厳密なものではないのだろうが、いくつかの役割にわかれているようである。太鼓や笛の音を鳴らす者、その中でクルクルと回り踊る者、音頭をとりながら歌う者、周りの人々が輪の内側に近づき過ぎないように制す者などだ。そして内側の彼らの率先に合わせて、周囲の人たちは体を揺らし、腕を振り、リズムをとりながら歌う。「ラーイラーハイッラッラー(アッラー以外に神はなし)」と。
太鼓と音声だけの(言ってよければプリミティブな)音楽。参加者はその低い歌声と軽い太鼓に身を任せるだけでよい。そこにいる者たちの精神状態は次第に高揚していく。落ちていく陽に染められながら、ある者は恍惚の表情を浮かべ、別の者は口をだらしなく開け、また定まらぬ視線を中空に置いている者もいる。若いのもいれば、顔にいく筋もの皺を刻んだ老人もいる。信仰という内側からの熱により盛り上げられた陶酔感の中で神を感じるのだろう。
祈りを含んだ音は空間を鈍く叩き、僕らの鼓膜と肌にびりびりと響く。
それはアッラーへの祈りでもあり、日常から自己を解放する祭りでもある。
荒井繁
友人夫婦が引越しをした。その3日後、食事に呼ばれた。
日本では引越しをした際に「おそばに来ました。よろしくお願いします」
という意味で蕎麦を隣人に配ることがあるように、
スーダンでもきっとそういう習慣があるのだろう。
そう思って聞いてみたら
「食事会をしたいだけで、スーダンでは引越しの時に食事を振舞う習慣はないよ」と言われた。
ただしマイホームを持ったときには羊を屠り、みなを歓待するということだ。
友人の家は依然として借家であることに変わりはなく、
場所も今までと同じ地区である。前の家とは歩ける距離だ。
それでも、新しい家で始まる新しい生活は気分転換になるようで、二人とも幸せそうである。
それを見て、引越しっていいよな、と僕は思っていたが、
話してみたら、
嬉しさの一番の理由は
天井がトタンからコンクリートになって室温が少し下がったことだとわかった。
なるほどね。ここならではの現実的な理由があった。
客間でくつろぐ僕たちに、お盆に乗り切らない量の食事が出された。
食後にはフルーツ盛り合わせに加えプリンも出た。
イスラームでは客人をもてなす事に重きを置く。
「食べろ、食べろ、ほらほら、どんどん食べろ。
お前はもっと太らなきゃいけない。俺は毎日12個の卵を食べているぞ」
と動脈硬化の危機に(おそらく)面しているであろう100キロ級の旦那にいわれ続け、
招かれた側の僕はひたすらに胃袋を酷使する。
手元の皿を空けると「食え、食え。わははは」と御代わりがすぐに盛られる。
「もう無理だって。1時間休憩をくれ」と言うと
「私の料理が食べれないって言うの!」と今度はお嫁さんに睨まれる。
とても美味しいのだが、日本人サイズの胃には厳しい。
「日本人はお米が好きだって聞いたから、たくさん炊いたのよ」
そんなことを言われても炊きすぎである。次からはタッパーを持参しようか。
しかし、がんばって食べた。しょっぱかったスープも飲み干した。
僕が胃拡張になったらスーダン人の優しさのせいだ。
この日僕は「エンデュアランス号漂流」という本を読んでいた。
これは約100年前に南極を1年半にも渡って漂流した28人の実話である。
彼らは沈没した船を捨て、氷床とともに海を流れて、
流氷がなくなった後は7メートルにも満たないボートで1400キロ以上も大海を漂流した。
その間、乗組員は濡れた寝袋で眠り、凍傷に苦しんだ。
アザラシを食べ、ペンギンを食べ、犬の餌とビスケットで生き残ろうとした。
本の中には氷点下の世界での飢えが書かれていて、
僕は40度の中にいながら、零下の寒さと空腹を想像していた。
納涼読書。
そんな時だったので、
脳から「飢えに備えなさい」との指令が下され
いつもより食べることができた。
おかげで僕の食欲にはどうにか及第点が与えられたようだ。
オレンジの下にはバナナ、バナナの下にはマンゴー。
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荒井繁
一軒家の多くにはドラム缶がおいてある。
生きていくためにも
身の清潔を保つためにも
水は必要だ。
水道のない場所では
ロバに台車を引かせて川から運んで来た水や
井戸からくみ上げた水をドラム缶に入れる。
命に係わるので喉が渇けばさすがにいくらでも飲むが
それ以外の目的については節約して使用する。
これは水場に遠いところに限った話ではない。
6650キロという世界一の長さを持つナイル川の水は豊富であり、
川沿いに住む人は水不足を心配しなくてよい。
しかし、川から家まで水を運んでくる手間がかかるため、
その地域であっても飲用を除けば水の使用はやはり控えられる。
体を洗うときには、
バケツ一杯の水をとり
それで髪と体についた汚れを流す。
服を洗うときも
食器の汚れを落とすときも
使っているのは貴重な水なので、
すすぎは簡単にすまされる。
まだ泡がついていても気にしない。
(だから友人の家で食事をすると、洗剤の臭いの残る食器に出くわす事がある)
一方、都市の中心部には水道があるのだが
そこでも断水に備えて、
また、調理や水浴びの時に一度に大量の水を使えるように
ドラム缶に貯水をしておく家は少なくない。
ちなみに水道メーターはなく
水道料金は定額である。
ハルツームでは月当たり約1200円。
ドラム缶。値段は約1500円?2500円。
蒸発、蚊の発生、鳥や虫が寄るのを防ぐために蓋をする。
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荒井繁
クリスマスパーティーがありました。
友達の家です。
庭に生後2・3ヶ月の子犬が4匹。
尻尾をふって寄ってきます。
かわいいったらありゃしない。
手をべろべろ舐められました。
おー、よしよし。
僕がしゃがむと服を噛んで引っ張ります。
わんぱくな子たちだ。
やがて子犬たちは家の裏に行きました。
しばらくして僕もそっちに向かいました。
おおおおおお!!!!
子犬たちはフンを食べていました。
僕を噛んだその口は・・・
荒井繁
首都ハルツームから地方へと幹線道路を進む。
全体的に舗装はされているものの、
ところどころでアスファルトはめくれ、
そこには大きく深い穴が開いている。
何かの原因で少しでもアスファルトの表層がはがれると、
次々に通過する車がさらにそれを広げていく。
いつしか穴の直径は1メートル、2メートルとなり、
内側の土は外に巻き上げられる。
化膿する傷口のように悲惨さは増し、
後にはそんな穴が残るのだ。
スーダンという広大な平地を最短距離で結ぶ直線の道。
上下1車線ずつの窮屈な道を追い越しあいながら
全ての車が高速で走り続ける。
トラックの荷台には穀物や鉄くずなど、
生活のために欲張って積んだ物資が溢れている。
ある時その厄介な窪みに不注意なドライバーが突っ込む。
積みすぎた荷物は容易に車のバランスを失わせる。
そしてトラックは簡単に横転してしまう。
その道を通るたび、新しく壊れた数台を僕らは見る。
いくつの笑いが消えてしまったのだろう。
だからドライバーは高速で走りながらも、
ときおり現れる穴に対して常に注意を払い続けねばならないのだ。
さて、いくつかのそういった穴の隣にはシャベルを抱えた子どもがいる。
そこへやってくる車が目に映ると、彼は仕事の準備を始める。
やがて車は100メートルに近づく。
彼と車との距離はすぐに50メートルになる。
そのときシャベルを大げさに振りかぶって彼は穴の上に砂をまく。
何かを大声で叫んでいる。
こういうことだ。
「穴を埋めてあげたからお金を頂戴」
正直彼らの行為は何も改善をもたらしていない。
穴の数はそれこそ無数であるし、
どれもシャベル一杯の砂で埋まるような穴ではない。
そして撒かれた砂はすぐにまた風と車に吹き飛ばされるのだ。
それでも小遣い程度の収入はあるようで、
いつも彼らはそこにいる。
シャベルをかついで何キロも歩いてきたのだろう。
どこにも家などは見当たらない。
彼の周りには乾燥に強い低木のみが僅かに点在し、
次の雨季を我慢強く待っている。
スーダン。
日本の7倍の国土に舗装路は5000?。
一方、日本は865000?。
荒井繁
いろんな人から名刺をもらう。
たとえば教授や省庁幹部、組織幹部、医者など
こんな言い方は嫌いなのだが、わかりやすくいうと
いわゆる社会的地位の高い人からももらう。
そのおよそ半数の人のメールアドレスは
@hotmail.comか@yahoo.com。
「ほんとうにそこに属しているのですか?」
と日本社会でならば疑われるかもしれない。
でもここでは普通なのだ。
スーダンには英字新聞もある。
有名なのはKhrtoum Monitor紙。
日刊の12面で50スーダンディナール。日本円にして約25円。
それで、この新聞の連絡先も
@hotmail.comなのだ。
荒井繁
トゥンバークという嗜好品がある。
噛みタバコの一種になるのだろうか。
癌をもたらすこともあり、「体に悪い」と誰もが言う。
男性、特に肉体労働者が嗜んでいるようだ。
女性が口にしているのは見た事がない。
街角にはいくつもトゥンバーク屋があり、
店先の大きなタライには調合済みのそれがいれてあり、怪しげな臭いを放っている。
お金を払い、タバコのパッケージよりも一回り大きいビニール袋にその場で詰めてもらう。
値段は一袋20ディナールから50ディナール(約12円?30円)。
その量で1日から2日は持つという。
これをまるめて下唇と歯茎の間に挟む。
しばらくすると、薄い皮膚から成分がしみ込んでいく。
5分ぐらいしたら地面にペッと出す。
茶色のカスと赤茶色の唾が地面に吐かれる。
土の上ではすぐに跡はわからなくなるが
アスファルト上には濃いシミがしばらく残される。
スーダンに来たばかりのころ、
赤い唾を出す人をみて、
「わ、血だ!」
と驚いたが、あれはトゥンバークの結果だったのだ。
僕も一度試してみた事がある。
しかし、良さは全くわからなかった。
触れた皮膚はピリピリと痛く、
その後2時間ぐらい頭がぐらついた。
袋に入ったトゥンバーク。
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少量を手に取り、丸める(湿っているので簡単に団子状になる)。
中には丸めない人もいる。
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荒井繁
スーダンを特集したドキュメンタリーを数本見た。
どれも日本で放映されたものだ。
そこではスーダンが地獄のように編集されていた。
20年にわたって続いた内戦。貧困。感染症。そしてダルフール。
もちろんそれはそれで現実ではあるのだけれど、
ほかにも生活の顔はあるよ。と伝えたい。
マスコミは衝撃のある事実を伝える。OK。
それが役割だ。だって僕らはそれを求めているからね。
けれど僕は職業で書いているわけじゃない。
すぐに忘れられてしまうような平凡な事実も伝えたい。
よかれあしかれ大抵の生活ってのはそんなものだ。
僕が記すのは実に日常的なこと。
朝起きて夜眠るまでに、僕の目に映ったこと。
それだけ。だから面白みを感じさせられないかもしれない。
手に汗を握らせることもなく、
読んだ誰かのターニングポイントになるわけでもない。
ただの日々の記録。
それでも、僕を通してスーダンをイメージしてもらいやすいのでは、と期待もしている。
僕の役割は伝える事、結ぶ事。
日本とアフリカに橋をかけること。
だから今、書いている。
さて、他の国では知らないが、
スーダンでは子どもの出生7日目に命名式が開かれる。
親戚知人が集まって、この喜ばしいことを祝う。
特に何をするというものでもないが、一同で食事や会話を楽しむのだ。
そのパーティーに参加して来た。
友人の母親の弟とお嫁さんの間に生まれた子どものための日。
ベッドに並んで眠る双子のあかちゃん。
動きもせずに寝ている。
もしかしたら死んでしまったのでは、と不安になる程だ。
しかし、しばらく眺めていたらゆっくりと目をあけた。
目は開いているものの、何かを追うという動きはない。
ふと顔にシワをつくり、手足をばたつかせた。
1週間前までは羊水の中にいて、へその緒で栄養を取っていたのだ。
それが今は肺で呼吸をし、母乳で命を動かしている。
先週の事だが、まだこの感動を思い出せる。
荒井繁
学生時代の最後の1年間を寮で過ごした。
建物は古く小汚い。
3畳程度の部屋は机と本棚とベッドだけでいっぱいだった。
ドアの下から隙間風が吹いて、冬は暖房もなかなか効かない。
その寮は留学生寮だった。
僕はチューターとしてそこに住んでいた。
連日のように酒を飲み、各国の料理をつまみ、しょうも無い事で笑いあった。
会話のほとんどは忘れてしまったけれど、それは輝く時間だった。
寮生の出身国は20カ国ぐらいはあっただろうか。
遠くの国で育ってきた者同士が、こうして出会えた。
その中にスーダンへの興味を僕に植え付けた学生がいた。
褐色の肌の無口な男。
「この人はなんなんだろう?」
僕はそう思っていた。
ある日、寮の近くのコンビニまで行くときに彼に出会った。
話しかけにくいオーラを放っているがが、話をしないのも気まずいので
「どこに行くの?」
と話し掛けた。
彼もコンビニに行くところだった。
コンビニで彼が買ったのは明治の板チョコだ。
それを僕の手に押し込んでこう言った。
「これから1週間出かけるから、そのあいだ植物に水をあげておいてくれ」
やっぱり変だ。
今僕はここにいるわけだが、彼と会っていなければ違う所にいただろう。
かつては訝しく思った相手が、今じゃ「ブラザー」と呼び合う。
縁の素晴らしさ。
そんな彼が先日スーダンに戻ってきた。
お互いともに日本で学業を修め、再会したのは彼の国だった。
荒井繁
電話が鳴り突然言われる。
「今夜友達の結婚式だから一緒に行こうぜ」
スーダンの結婚式に参加するのはもう10回近くになるだろうか。
だいたい2ヶ月に1度のペースで声がかかる。
今回は、新郎の友人の友人として参加した。
新郎とも新婦とも面識がないのだが、
その場で友達に「友達も呼んできたよ」と新郎新婦に紹介してもらえれば、
もう友達なのだ。
友達の友達はみな友達、世界にひろげよう友達の輪。である。
都市部の結婚式では、大勢の出席者に対応できるように、
作りおきした料理がプラスチックのケースに収まって出される。
そして、炭酸ジュースが添えられる。
これが結婚式の食事。
メリットとしては、食事の準備に気を使わないですむ。
というもので、かつてそれを担当していた女性達は
現在ではその時間をおしゃべりや踊りと歌に使う事ができる。
しかし正直なところ、この作りおきの御弁当の味には残念な点数を与えざるをえない。
家庭料理はすごくおいしいのに。
結婚式において、食事に重点は置かれない。
とりあえず胃が埋まれば、あとはみんなとの時間をゆっくり楽しむ。
それがここの結婚式なのだ。
荒井繁



