NPO ROCINANTES / 特定非営利活動法人ロシナンテス

スーダンで活動する 医師・川原のブログ

アーカイブ

活動を支援する 講演イベント 活動レポート
RocinantesのFacebookもチェック!

いつも、ロシナンテスを応援して下さり、感謝致します。

さて、本日、スーダンにある国立アルアザイム・アルアズハリ(アズハリ)大学とロシナンテスとの覚書(MOU)を交わしました。

1. アズハリ大学の医学生、看護学生などを、ロシナンテスが行っている巡回診療、地域医療で研修
2. 日本からの研修生のアズハリ大学での受け入れ
3. 日本の技術のスーダンの地域医療への導入
主に、以上の内容で協力関係を築いていくことになります。

アズハリ大学の学長は女性です。
スーダンでは、おそらく日本よりも女性の社会進出が盛んになっています。
学長は、今回の日本の団体との協定を殊の外、喜んでいました。
現状では、アズハリ大学では、ソマリア、ヨルダン、イエメン、中国からの学生受け入れが上位4カ国を示しており、日本の受け入れは初めてとなるようです。

具体的には、アズハリ大学とは、遠隔医療、遠隔教育などを協働して推進していき、
家庭医療の概念を現在行っている地域に浸透させていき、
日本から地域医療に応用できる技術を導入することを考えています。

今後、我々は、地域医療のためにアズハリ大学と協力しながら、事業を進めて参ります。

最後に、タイミング良く、英国のオックスフォードから整形外科の教授らが、スーダンを訪問していましたので、調印式に出席してもらいました。
整形外科領域で、英国がスーダンを支援するようです。

詳しく読む
更新日時: 2016年08月23日

いつも、ロシナンテスを応援して下さり、ありがとうございます。

2010年の暮れ、北部スーダンの子どもたちを南スーダンに連れて行ってサッカー大会を行う予定でした。
なお、北部スーダンとは、現在のスーダンのことを表しています。混乱するために、北部スーダンと表記します。
その当時の政治状況は、北部スーダンは、南北の統一政権を望み、南部スーダンはスーダンからの独立を望んでいました。

2011年1月9日に南部スーダンの住民による、独立を問う住民投票が予定されていました。
そんな中でのサッカー大会でしたが、直前で南部スーダンの調整が上手くいかないことで、キャンセルとなりました。

混乱する政治状況からして仕方のないことでした。

2011年3月11日、東日本大震災が起こりました。
ロシナンテスは、緊急支援活動を行い、宮城県名取市閖上の方々との絆を深めていきました。
そんな中、閖上の方々と共に何かイベントができないかと考えたのが運動会でした。
それも、ただの運動会ではなく、南北スーダンの子どもたちを呼んで、閖上の方達と一緒に行う運動会にしようと思いました。
スーダンは戦争災害、東北は自然災害がありました。
未来を創っていくのは、子供達であり、南北スーダンそれに東北の将来のためのになると願っての運動会でした。

https://www.youtube.com/watch?v=6fxKNjews7o

南北スーダンの子ども達は、運動会の後に、涙する子もいました。
それくらいに短期間でしたが、南北スーダンと閖上の子どもたちが親しくなったのでした。
東北の後に、長崎を訪問して平和学習をし、日本を出国したのが、7月7日でした。
そんなこともあり、この事業を「天の川プロジェクト」と名付けました。
スーダンに到着したのが、翌7月8日、そして7月9日に南スーダンの独立が宣言されました。

あれから5年が経過しました。

ジュールとヨールの兄弟も、天の川プロジェクトに参加して訪日しました。
彼らは、生まれも育ちも北部スーダンでしたが、お父さんが南スーダン出身で、お母さんが南スーダンとスーダンのハーフであり、南スーダンに行くこととなりました。
新しく独立した南スーダンの首都のジュバに家を構え、新しい生活が始まりました。
南スーダンにある大学への進学を考えていたのですが、学ぶ環境が十分でなく、ウガンダの大学に昨年から二人とも同学年で進学しています。
今年の7月、お母さんとジュールの病気があり、スーダンのハルツームの病院に来ている時に、南スーダンで争いが勃発しました。
それで、南スーダンには戻れずに現在もハルツームに滞在しています。
南スーダンに行けば、18歳以上の男子は出国が禁止とされているようで、南スーダンに戻らずにそのままウガンダに行くようです。
ジュールは、国際関係を学んで、将来は外交官になりたいと言い、ヨールは法律を勉強して、弁護士になりたいようです。
二人とも南スーダンの発展に寄与していきたいと言っています。

ゼインは、2012年から九州国際大学附属高校に留学し、15年無事に卒業しました。
日本語の読み書きも、かなり出来るようになっています。
現在は、ハルツーム大学で英語や中国語を学ぶ他、国際関係も勉強しています。
ゼインは、日本とスーダンの架け橋になりたいと言っています。
彼の将来もとても楽しみです!

ロシナンテスは、ジュールとヨールまた天の川プロジェクトに参加した南北スーダンそして東北の子どもたちを見守っていこうと思います。


詳しく読む
更新日時: 2016年08月21日

いつも、ロシナンテスを御支援して下さり、感謝しております。

さて、今日が最終日です。
対馬出身の川口健悟君です。
川口君は、イランを経由してスーダンに入ろうとして、随分と心配しましたが、何事もなくスーダンへの入国ができました。
というのも、スーダンとイランは外交を閉ざしています。それぞれ、スンニ派とシーア派であり、複雑な関係でもあります。
緊張状態にある両国をこの時期に行った川口君の独特の視点で捉えている滞在記をご覧下さい。

スーダン滞在記?2016年春?
九州大学医学部卒 聖路加国際病院研修医 川口健悟


アッサラーム・アレイコム。アラビア語で「こんにちは」を意味する言葉です。2016年3月に9日間、私はアフリカ、スーダンに滞在しました。あいさつひとつで見知らぬ人同士が仲良くなれる、そんな素晴らしい環境がスーダンにはありました。
私は、この3月に九州大学医学部医学科を卒業し、4月より研修医として勤務しています。今回、いわゆる卒業旅行の最後の渡航先としてスーダンを訪れました。ほとんどの大学生が行かないような国を選択した理由は2つあります。一つ目は、「ロシナンテスの活動を自分の目で見てみたい」と思っていたことです。大学時代に数度、ロシナンテスの川原先生のご講演を聴く機会がありました。初めて聴講した時は、アフリカの見知らぬ地で奮闘している先輩がいる、と衝撃を受けたのを覚えています。それから数回足を運ぶうち、ロシナンテスの活動を自分の目で見てみたいという思いを抱き始めました。もう一つは、「この先、容易に行けないかもしれない国に行きたい」と思ったことです。現在、スーダン入国には事前にスーダン国内の関係者からinvitationを受け、ビザを発給してもらうことが必要です。つまり、スーダン国内に知り合いがいない状況では、入国自体が大変難しいのです。今回、幸運にも入国の許可をいただき、スーダン訪問が実現しました。
スーダンは現在シリア、イランとともに、アメリカからテロ支援国家の指定を受けています。その影響からか、日本ではまるでベールに包まれたかのように情報が少ない国です。私自身、訪問前までは多少の恐怖と偏見がありました。ところが9日間の滞在後、それらがウソのように消え、日本人がスーダンという国に抱く一般的なイメージの多くは誤解なのだということを実感しました。むしろ非常に満足度の高い滞在となりました。その理由のひとつは「人々が非常に純粋」だということです。観光地化していないということがあるのかもしれませんが、人々は我々外国人にも誠意をもって接してくれ、ともに笑い、喜び合いました。ひとことあいさつを交わすと、そこから会話が始まって最後は握手をして別れる。そんな人間味あふれる人々に囲まれ、いろいろなことを経験した滞在でした。
今回、ロシナンテスのいくつかの活動に同行させていただきました。それらの中でロシナンテス現地スタッフやJICA職員、青年海外協力隊、医療機器メーカーの方々と交流し、現地の医療環境や経済状況、政治に応じた取り組みを議論するうちに、チーム医療の大切さを痛感しました。ロシナンテスのスローガンでもある、「ひとりはみんなの為に、みんなはひとりの為に」の言葉通り、自分一人で何かをしようとするのではなく、それぞれの得意分野で力を発揮し、それらを結集させるアプローチが不可欠だということです。これは、医療環境の悪いスーダンだけではなく、医療先進国の日本でも今後より重要になってくることではないでしょうか。
卒業旅行という側面もあったため、観光もしっかりしました。スーダンにただ二つの世界遺産である「メロエ」と「ゲベルバルカル」では、世界遺産にもかかわらず、ほとんど貸し切り状態で見て回ることができました。特にゲベルバルカル(現地語で聖なる山の意味)に昇って見た、アフリカの大地に沈む夕日は一生忘れることができない光景です。
これまでそれなりに海外を旅してきたのですが、今回、初めて体調を崩して現地病院を受診するという出来事がありました。予期せず、日ごろ医療者側からしか見ることのない、しかも途上国の医療現場を患者側の目線で見ることができました。その際、感じたことは、やはりまだまだ発展の余地はある、ということでした。採血等の基本的な手技についてもよい精度の高いものにできるのでは、検査や精算の方法などのシステムはもっと効率化できるのではないかと思えたからです。率直には、やはり日本の医療は進んでいるのだなと実感しました。スーダンには先進国の最先端の医療を学んで持ち帰ろうという志を持った医師が多いとききます。その際、その医療をそのまま輸入するのではなく、スーダンの国内事情や医療水準を考慮しての導入が必須だと思われます。スーダンには都市部を離れると多くの無医村があります。今回は不運にも訪問することは叶わなかったのですが、ロシナンテスが始めに活動を開始したのもそんな場所です。地域格差がすさまじく大きく、医師や医療行政が担うべき範囲や、宗教・伝統に由来する生活の違いなど、他国の医療をスーダンに適応させて導入する試行錯誤の重要性を感じたのでした。
人生最後になるかもしれない長旅で学んだ最も重要なことは、「流れてくる情報をうのみにせず、(機会があれば自分の目で見て)自分の頭で考える」ということです。もし今回スーダンを訪問しなければ、アフリカという土地やイスラム教などについての間違った認識をこれからずっと持って生きることになったかもしれません。そうすると、それらに触れることで得る発想や人脈などの財産を得るチャンスを失い、また、偏見にマスクされた視野の狭い人生を送ることになったかもしれないのです。大げさかもしれませんが、我々医療者は、倫理の観点からも患者さんの利益の観点からも常に中立な立場で診療に向かうべきだと思います。そしてそれは、より広い視野を持って自分自身の人生をより豊かにしていくことにも不可欠です。公私ともに役立つ非常に大切なことを、今回スーダンで再認識することができました。
一味違った卒業旅行になるかな、と思い計画した今回の旅でしたが、振り返ると充実し、今後の人生に役立つ指針を得ることができたように思います。非常に有意義なものでした。最後になりましたが、今回、最初から最後まで旅をマネジメントしてくださったむとうざいのモハメッド みつ代様、多くの時間を我々の経験に割いてくださった川原先生にこの場をかりてお礼申し上げます。ありがとうございました。

詳しく読む
更新日時: 2016年07月27日

いつも、ロシナンテスを応援して下さり、ありがとうございます。

今日は昨日に引き続いて、3月にスーダンに来られた方の紹介をします。
古賀君は、小倉高校を卒業し、浪人中に会いました。
予備校の帰りに、中華の店で晩飯を一緒に食べたのが、最初の出会いです。
その後、九大医学部に進学し、高校時代に吹奏楽部に所属していたのに、大学ではラグビー部に入るという暴挙を行ってくれました。

東日本大震災後の支援では、古賀君が代表を務めた「このゆび」とロシナンテスとの協働事業を行いま、また、この4月には古賀君が赴任する熊本日赤病院や熊本大学医学部・薬学部にも一緒に行きました。初仕事は、熊本での緊急医療活動だったようです。

さて、以下に古賀君のスーダン滞在記を掲載いたします。

thumb_IMG_6792_1024.jpg


「『何か』を求めて」

「スーダンには日本のように何でもあるわけではありません。ただ、日本にはない『何か』があるんです。

8年前、小倉高等学校の講堂。
壇上で話す、ガタイが良く口髭の豊かなそのOBの発した言葉が私の心に刻まれたことをはっきりと覚えている。刻まれた理由は明確だ。意味が分からなかったから、である。ほんの18年かそこらを日本という狭い国で生きてきただけの高校生には、いくら考えてもその『何か』が何なのか、到底分からなかった。
それでも知りたいと思い、行き着いた答えは一つ。「その『何か』を知るには自分の目で見てみるしかない。」
アフリカ大陸のよく分からない国を訪れるには十分過ぎる理由である。8年間燻り続けたその想いは大学生活の最後になってようやく実ることとなった。

-----------------------------------------------------------

東欧-欧州横断を経てスーダンへ。最高気温10度の世界から、一気に最高気温40度の世界へ。期待と幾許かの不安が強まってくるのを感じる。


「紛争」「危険」「治安が悪い」「世界唯一の国連から逮捕状を出された大統領」「イスラム教」「アラブ人」「黒人」「発展途上国」「貧困」「水が汚なそう」「毎日が豆のスープ」「砂漠」....

これらは、私がスーダンに対して勝手に抱いていたイメージである。もちろん川原さんのお話を何度も聴いた上で、である。ポジティブなものよりネガティブなものの方が目立つことは否めない。
しかしながら、そこで私が見た風景、知り合った人たち、感じたことは、自分が想像していたものとは全く異なるものであった。


初めて訪れるアラブ系黒人社会。失礼ながら、やはり日本では馴染みのない黒人が多いことに少し戸惑ってしまうがそんな不安は一瞬で消え去ることになる。
シャイながらも、(アメリカ程にまでフレンドリーとはいかないが)珍しい東洋人を見かけては「ニイハオ!」と笑顔で叫んでくれるスーダン人。(「no, no! こんにちは!」と訂正すると日本人だと分かって喜んでくれる。)
好奇心旺盛に近付いてきてよく分からないアラビア語で話しかけてくれるこども達。
そして何より好きなのが、力強い全力の握手で締めるスーダン流の挨拶である。国を訪れるとき、その国の印象として私の中で一番残るものは「人」であり、これまで訪れた20ヶ国の中でNo.1はこのスーダンであった。

-----------------------------------------------------------

話を冒頭に戻す。
スーダンに残っていて、日本が失ってしまったその『何か』とはいったい何なのであろうか。
私が今回経験したのは、主に首都の一部の生活である。ロシナンテスが以前活動していたような村での生活ではない。それでも、その『何か』に触れる機会は多分にあったと思う。


敬虔なる祈り、夜明け前に響き渡るコーランの声、スーフィーダンス、踊りとほとばしる熱気と一体感、生きているという実感、満点の星空、初めて見る天の河、地平線に沈む夕日、そしてまた地平線より昇ってくる朝陽、地平線の彼方まで広がる砂漠、人々の生活を支えるナイル川、人と人とのつながり、、、

その中で感じた問いがある。
「生きる」ということは何なのか、過酷な環境の中で何のために「生きる」のか、「生きる」上で本当に大切なものは何なのかーー


これらの問いの答えこそが、求めていた『何か』なのではないかと思う。この『何か』を一口にコトバで表すことは容易ではない。

日本などのモノに満ち足りた先進的社会に不可欠なもの、それはシステムである。システムは人々の生活をより効率よくする一方で、他者との関わりなしに生きていくことをある程度可能にしてしまう。しかしながらその一方で失われてしまうのは人と人とのつながり、コミュニティである。不便なものの中だからこそ生まれてくる会話やつながりを、システムは不要としてしまう。
貧富に関係なく、人が人として生きていく中で不必要なものを捨象していった先に残るもの、私たちの尺度での「貧しい」中でもモノやカネ以上に大切なもの。
その『何か』とは地域や宗教という共通の価値観や、音楽や踊りによる連体感から生まれるつながりと喜び、生きる楽しみなのではないだろうか。

(もちろん今回私が体験したことが、スーダン全てで当てはまるわけではない。良い面もあれば悪い面もあるし、多少バイアスがかかっている部分もあるかと思う。現に賄賂を求める腐敗した警察官のために、明確な理由もなく検問を潜れず200kmの道のりを引き返すはめになったこともあった。)

蛇足であることを承知しながらも、感じたことをもう一つ記しておきたい。
歴史は見る視点を変えることで、また違った様相を映し出す。世界の歴史は勝者の歴史であって、敗者の歴史とは言い難い面があることもまた一つの事実である。
現在流れるニュースや記事も、どの立場から書かれたか、どの正義から書かれたか、誰にとってどのような印象を与えたいかによって、同じ事実でもまた違った様相を映し出す。我々のみる世界の情報が正しいという保証などどこにもない。 ありのままの姿を見るためには、自身の目で確かめるしかない。


今回のスーダン9日間では、自分が想像していたよりも遥かに多くの現実を見せていただいた。しかしながら、見ることのできなかった部分も多分にある。近い将来、私はまたこの地に戻ってくるだろう。短期間か、それとも中長期間か分からない。分かっていることは「必ずや」戻ってくるということである。

自分の知らないものを「分からない」と言って、流れてくるTVや新聞の記事を妄信的に信じて怖がるのは簡単である。ただ、その「分からない」ものにこそ、自身の目で見る価値があるのだと思うし、その必要があるのだと思う。世界から「テロ支援国家」と指定されているその国の現実を、是非自分の目で見てみていただきたいと思う。
最後になりますが、今回旅行の手配をしていただいた「むとうざい」の方々、色々お話を聞かせて下さったスーダン・ロシナンテススタッフの皆様、そして何よりも今回のスーダン旅行を実現させて下さった川原さん、本当にお世話になりました。 ありがとうございました。


スーダンで出逢ったすべての人達に感謝を込めて。
古賀翔馬

詳しく読む
更新日時: 2016年07月26日

いつも、ロシナンテスを応援して下さり、ありがとうございます。

さて、ロシナンテスは、スーダンと日本、双方の良い点を学び合い、それを自分の国、自分の場に反映させる意図で、交流事業を行ってきました。

今年の3月に亀田ファミリークリニック館山から、氏川智皓先生がスーダンに研修に来られました。氏川先生は、家庭医を専門とし、ロシナンテスが行っているスーダンでの地域医療を視察するのが目的です。

氏川先生の研修記を掲載いたしますので、ご一読下されば幸甚です。

thumb_IMG_6876_1024.jpg

 今回は私が勤務する亀田ファミリークリニック館山院長である岡田の紹介で2週間の短期研修をさせていただいた。

大きくはvillage midwife宅の訪問、ロシナンテスがサポートしているmobile clinicへの同行、ウンドゥルマン産科病院の見学、川原先生に同行させていただいて各種会議への参加をさせていただいた。

 南スーダンの分離独立による石油資本の減少、欧米諸国からの経済制裁により物価が急速に上昇しており、治安も少しずつ変化しているという事だった。しかし、現地で滞在している感覚としては、外国人観光客は少ないものの、世界遺産は身近に見ることができ、スークも地元用で非常に活気があり、夜遅くまで街角で多くの人がお茶(シャイ)を飲んでくつろいでいる様子からは首都ハルツームを見る限りでは人々の生活は安定しているように見えた。一方で、一足ハルツーム市内から足をのばすとそこには全く別の世界が広がっていた。岩漠がどこまでも広がり、乾燥した大地に時々現れる土でできた土塀にヒトの気配を感じる程度だった。なぜこんなにも過酷な環境の中で住み続けるのか。人間の環境適応能力に驚くとともに、郷土愛や住むという事について考えさせられた。

 今回の研修では様々な会議や現場を見させていただいた。その中で文化、人種、言語、社会構造、宗教、あらゆるものが異なる状況から、日本とスーダンそれぞれ固有の問題点あるいは共通した課題がある事がリアリティーをもって見えてきた。ここではそうした日本とスーダンの独自/共通の課題を紹介したい。

 まず、ニーズの拾い上げと提供者のビジョン/ミッションとのすり合わせの重要性。 スーダン人にはスーダン人なりの価値観や論理がある。我々からは問題があると思われるような現状に関しても彼らは問題を感じていないし、改善したいとも思っていない事がある。ノウハウの部分の援助は不要であり、不足しているのはそれをやる上での物資や資金でありそれを支援してほしい、というニーズが現場では大きいのだ。実際に彼らと過ごしていると、彼らは彼らなりのやり方や努力、ペースで日々過ごしているのだ。30年後のスーダンはどうなっているのだろうか、彼らはどうなりたいのだろうか、彼らは本当に発展を望んでいるのか。少なくとも30年後に今の日本のようになっている事は望まれていないだろうし、期待できないだろう。スーダンらしい発展とはどういった形なのか、と考えさせられる。しかし実はこれはスーダンに限らず、日本の地域での活動にも同じ事が言える。地域の文化やニーズを無視した乱暴な介入は発展、継続しない。あらゆる活動は住民や参加者のニーズに合致したものでなければならないのだ。ニーズ自体は場所によって異なるが、我々がよいと思うことと、彼らが期待している事のすり合わせをしながら、よりよい形での協力していく事を目指さなければならないという点は、日本の現場でもスーダンの現場でも一緒である。

 次に、コミュニティの力を高める事の重要性。 スーダンでは医師の湾岸諸国への流出が問題となっている。実はこれは医師に限った問題ではなく、あらゆる人材が教育をしても流出してしまっているのだ。では人材流出の原因は何かというと安い賃金なのだ。結局経済的問題にぶつかるのだが、これに対して直接的に物理的、金銭的支援をすれば短期的には経済的改善は期待できるだろう。しかし、外的要素によって成り立つシステムはさらなる依存体質を招いてしまう。今までアフリカの先進国依存を作ってきたのはこうした先進国の介入なのだ。我々が何かテクノロジーを地方に導入したとして、それは果たして彼らの生活を豊かにするのだろうか。先進国や巨大企業による搾取の構造を助長するに過ぎないのではないか。彼らが彼らの中で持続可能な社会をすでに営んでいる中で、我々の関わりはそれを破壊するものであってはならない。地域のコミュニティとしての力を維持しながら、他の社会と対等な関係でともに発展していくにはどうすればよいか。魚ではなく魚の釣り方を教える、とよく言われるが、結局地道ながらも資金や物資での支援ではなく、自己発展の支援をしながら、質の均質化を目指すのではなく、モノがない中でいかに満足して暮らせるか、というパラダイムシフトに取り組まねばならない。これは日本の地方にも同様の構造がある。地産地消という言葉が日本にもあり、日本の地方都市もそれぞれの個性を出しながら発展を目指しているが、こうした課題やノウハウはそれぞれに共有し、協力できるのではないだろうか。

 次に、継続可能な明確なインセンティブを作る事の重要性。 アフリカでは当然の事だが、きちんとインセンティブがはっきりしていないと人は動かない。日本ではやる気や思いやりといった感情で成り立っている事が実は多い。そうしたウェットな行動原理が組織の推進力やチームワークとして必要な時もあるが、インセンティブを明確にしたシステムを作っておかなければ継続性の問題に必ずぶつかる。これはスーダンにかぎらず日本でも同じなのだが、価値観の異なる現場ではシステムがより重要となるのだ。

 途上国の課題はすでに日本が先に取り組んでいたり、よい解決先を持っている場合もあり、日本がノウハウを提供できる場合がある。一方でこのように地域のニーズ、問題点を把握した上で、どこに落とし込むのかを考え、実際の計画をする、という一連の工程を学ぶ上で、途上国の現場は非常によい環境だ。日本の中にいるよりも、それぞれの大事な部分が強調されるため、問題を意識しやすい。一方的にこちらが教えるのではなく、途上国の現場から我々が学ぶ事がたくさんあるのだ。日本の地域でも海外でも起きている問題や構造は根本的に同じ部分があり、日本の地域医療の現場と海外のプライマリヘルスケアの現場は人材・ノウハウを共有することで、それぞれの課題に関する新しい解決策を生む可能性がある。遠隔医療などハード面で互いに協力できる部分もある他、ソフト面でも解決策を相互に共有できるものではないか。スーダンのプライマリ・ケアと日本の地域医療の連携が双方の発展させる事を確信した。

 さて、こうした研修から学んだ事もさることながら、今回最も貴重な経験となった事は、何と言っても川原先生と多くの時間をともに過ごさせていただけた事である。なかなか人生の先輩と寝食をともにできる機会は少ない中で、川原先生の懐を借りて色々と悩みをぶつけさせていただき、大きな背中を見せていただいた。今回の研修を通して、20年後の自分のイメージとそこに向けた今の課題がより見えるようになった。

 最後に、このような貴重な機会をくださった川原先生、岡田院長、そしてご協力をいただいたNGOロシナンテスのスタッフやモハメッドみつ代様、研修をともにした川口先生、古賀先生に深く御礼を申し上げます。ありがとうございました。

亀田ファミリークリニック館山

家庭医診療科 氏川智皓 

詳しく読む
更新日時: 2016年07月25日

今回の南スーダンの内乱では、皆様方に大変ご心配をおかけしております。

南スーダンは、2011年以前はスーダンの一部でしたが、現在は独立しています。
ゆえに、ロシナンテスの事務所があるスーダンの首都のハルツームは、内乱の影響はなく、平静な状態です。

さて、南スーダンの状態が私の方にも入ってきています。
報道でもあった通りですが、JICA関連の方々がチャーター機で国外脱出し、日本大使館員4名も自衛隊機でジプチに脱出できたようです。
邦人が巻き込まれなかったのは、「不幸中の幸い」だと思います。

気がかりなことが一つあります。
東日本大震災の後に、南スーダンの子供達を東北に連れて行ったことがあり、彼らの安否が心配です。
彼らとは連絡が取れていません。
無事であることを祈るばかりです。

2013年の内乱の際には、東北に連れて行った南スーダンの子供の一人は、銃撃戦が家の近くで行われ、ベッドの下で一晩を過ごしたそうです。
人間とは愚かなもので、歴史を見ても、どこかで誰かが争いを起こしています。
その結果、不幸は社会的に弱い人たちに降りかかります。

南スーダンの内乱が1日も早く落ち着くことを祈るばかりです。

川原尚行

詳しく読む
更新日時: 2016年07月20日

いつも、ロシナンテスの応援をありがとうございます。

さて、スーダンのハルツーム州の保健省の関係者と「土とレンガの診療所プロジェクト」に関して、話し合いを持ちました。

先方は、NGOを含めたすべての国際機関の活動を取りまとめるDOVAのイブラヒム部長
国際NGOを担当するムラン部長
バーベキル地域医療部長
診療所を建設する地域のバーベキル保健所長です。

ロシナンテス側はフセインと私です。

今年の3月15日に完成したアルセレリア診療所ですが、
15名の診療所スタッフを研修していましたが、全員が終了しました。
この研修は、保健省の教育コースに則って行われ、短いもので5日間、長いもので2ヶ月間のコースが設定されています。
職種は、メディカルアシスタント、検査技師、薬剤師、看護師、助産師、ワクチン接種、統計、医療事務、清掃、管理人などです。
15名のうち、8名がアルセレリア村かの雇用となります。
診療所が出来たことで、村に雇用が生まれました!

ラマダン明けのイード休暇後から、保健省は診療所を稼働させたいようです。

それを見届けてから、アルハムダ村の診療所の建設準備に取り掛かります。
当初は、ロシナンテスが、建物から中の医療機材までを全て負担することでしたが、保健省が医療機材を責任を持ってくれるということなので、
アルセレリア村診療所と同規模の診療所がアルハムダ村にも建てることができます。

しかし、口頭の約束だけでは、言った言わないということが発生したりもしますので、契約として文章に残すようにしました。

その後も、同様にワッド・シュウェイン村への診療所の建設となります。

新しくできた診療所と巡回診療の連絡体制、その地域以外から派遣される医療スタッフの住居や生活など、まだ詰める必要のある事項がありますが、
良い話し合いができました。

今回の会議に参加された保健省の方々は、日本の皆様からの寄付で診療所が建てられることに、感謝の気持ちを表しています。

ラマダン後の休暇が明けるまでは、ことは動きませんが、準備だけは整えていきます。

詳しく読む
更新日時: 2016年07月05日

バングラデシュのテロが引き起こされ、国際協力のために現場に行っていた方々がお亡くなりになりました。ご本人たちはもとよりご家族の方々の心情を察すると心苦しいばかりです。衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。

バングラデシュの人達は、心優しく、日本人に対しても、親切で尊敬の念を持って接してくれていると、よく聞きます。
そのバングラデシュでテロの惨劇が起きました。
日本人であることを主張しても、全く効果がなく、悲しい結果となりました。

ロシナンテスがいるスーダンも同様に、私たち日本人の周囲にいるスーダンの人たちは心優しく、脅威を感じたりすることは全くなく、普段の生活や仕事ができています。しかし、今度のテロを見ていると、スーダンでも、いつ同じ状況が生まれ、自分が日本人ということを主張しても、テロリストには全く効力を発揮しないということをはっきりと自覚しなければなりません。

テロとの戦い、テロの根絶、と言われ続けていますが、テロは収まるどころか、拡散していっています。
改めて、現実を直視し、今なさなければならないことを考えるべきでしょう。
今までの「テロとの戦い」の視点を少し変える必要があるとも思います。

このテロのニュースを、スーダンの友人宅で見ていました。
ラマダン時期で、1日の断食が終わり、日が暮れて食事を共にする、一番幸せを感じる時でした。そのひと時を打ち砕く悲しいニュースでした。
「ラマダンは聖なる月で、本当のイスラム教信者は、神の名の下に、人を殺めたりは絶対にしない!
イスラム教徒は平和を愛する人たちなのです!」
スーダンの友人の家族が声を揃えて言っています。
このテロで、スーダン人も日本人と同様に悲しんでいます。

ロシナンテスは、スーダンの僻地での巡回診療を行っており、この地域に診療所を3棟建てる計画です。もちろん、粛々とこの事業を行っていきます。
しかし、今まで以上に、私を含めて日本人スタッフの行動には気をつけることにします。


詳しく読む
更新日時: 2016年07月03日

いつも、ロシナンテスを応援して下さり、ありがとうございます!

昨年から始まった、「土とレンガの診療所プロジェクト」

これは、当団体が巡回診療をしているワッドアブサーレ区に3つの診療所を建設するプロジェクトです。
この地域は、東京都とほぼ同じ面積を有しており、そこに診療所がないので、診療所建設は、地域住民の大きな願いでもあったのです。
また、スーダンの建物は診療所も含めて、土とレンガが基本材料となり、一つ一つレンガを積み上げて建物を作っていきます。
日本の皆様からのお気持ちをレンガに変えて、お気持ちを一つ一つ積み上げて診療所ができるようにと、このようなプロジェクト名にしました。

東京都との比較.jpg

3つの診療所2.jpg

さて、「土とレンガの診療所プロジェクト」基金(レンガ基金)ですが、昨年から順調に進み、アルセレリア村の診療所の建設に着手でき、2016年3月15日に建物が完成し、保健省に引き渡しました。

アルセレリア診療所.png

現在は、保健省によって医療スタッフのトレーニングを行なっており、8月のオープニングを目指しています。
なお、このトレーニングにはアルセレリアの村民も含まれており、診療所建設がきっかけとなり、住民たちは、自分たちの診療所になると意識を高めていっています。

そして、二棟目のアルハムダ村への診療所建設には、クラウドファンディングに挑戦しました。
私自身、このクラウドファンディングを、よく理解していなかったのですが、はっきりと理解したのは、目標額に達しないと、全く支援は受けられないという明確なルールでした。
目標額を大きく1,000万(診療所建設と医療機材費用)と掲げましたが、どうなるのか皆目見当がつきませんでした。
とにかく、いろんな方に訴えかけ、ご支援を頂くことや、この情報を拡散してもらうことをお願い致しました。

最初は、富士の山を田子の浦から一歩一歩登っていくような感じで、行けども行けども、遠くに頂きを望むしかなく、途中もうだめかと思うこともありました。
しかし、皆様方の温かいご支援が募り、6月に入り、その頂がかすかに見えるようになり、徐々に歩みを速め、ついに達成することができました。
これで、アルハムダ村の診療所の建設が決まりました。

次なる目標を、ワッド・シュウェイン村の診療所と設定したところ、6月30日の期限までに、ほぼ目標額にまで達成することができました。
若干足りない部分は、「レンガ基金」の方で頑張っていきたいと思います。

 ロシナンテスは、スーダンで早速保健省の医師と話をし、今後の進め方を話しています。
スーダンの人たちの気持ちと日本の人たちの気持ちが繋がるように、一つ一つレンガを大切に積み上げていきます。

その様子をまたスーダンから報告していきたいと思います。

今回の「土とレンガの診療所プロジェクト」にご支援下さり、本当にありがとうございました!

詳しく読む
更新日時: 2016年07月01日

熊本・大分で地震があり、お亡くなりになられた方々、被害に遭われた方々に、心からお悔やみ、お見舞いを申し上げます。

ロシナンテスでは、地震発生後の15日、16日(土日)に、海原、星野の両名が調査目的で熊本に入りました。
熊本大学医学部の馬場先生(外科教授)、薬学部の甲斐先生から現状をお聞きしました。
どちらも、被災者の受け入れと同時に、新学期での学生も抱えており、本当に大変な状況でした。
また、薬学部には、スーダン人の留学生のハリッドがいます。
奥様と1歳の子供さんもいますので、北九州の我が家に一時退避してもらうように手配しました。

それから、益城町、御船町と周り、現場状況を見て回りました。みんなが懸命に支援活動を行っていたのがわかりました。
余震が続き雨も降る悪天候で、自然の脅威を感じながら二人のスタッフは車中泊しました。

その後、現場との連絡を取り続け、阿蘇市の避難所にいる知り合いから「人手不足で困っている」と一昨日、電話が入りました。
ボランティアに入っていくのも、行政の方々と話をする必要があります。
そこで、ロシナンテスの事務所が存在する北九州市役所の有志の方々に行政手続きの御指南をしていただき、阿蘇市との話を行っていきました。
今朝、阿蘇市の方で、決定がなされたようで、正式にロシナンテスに避難所の運営をして欲しい旨の要請書が届きました。

その要請を受けて、今朝(4月20日)、ロシナンテスから海原を含む2名が阿蘇市に入りました。
阿蘇市の状況は、全部で35箇所の避難所があり、ロシナンテスは阿蘇市から、10箇所の運営を依頼されています。

物資は、水、食料ともに足りているようですが、圧倒的に人手が不足しており、ボランティアの人員が欲しいとの現場の要望です。
ロシナンテスでは、そのボランティアの受け入れ準備をしている段階です。
ボランティアの受付はこちらから


私は4月の初めに熊本を訪問しました。
熊本大学薬学部、宇城市にあるビッグバイオ(納豆菌を利用した水の浄化剤生産)、熊本日赤病院を訪問しました。
熊本大学薬学部の甲斐広文先生、渡邊高志先生、熊本日赤の古賀翔馬先生、川人章史先生、みんな被災されましたが、それと同時に支援活動を必死に行っています。

2011年の東北の震災の時には、私自身が日本に帰国しており、そのまま東北に緊急支援に行きました。
しかし、今回はスーダンに留まります。
スーダンでの事業も重要ですし、「土とレンガの診療所プロジェクト」を始めたばかりです。
こちらは、緊急時にではなく、常態的に医療がないところです。
巡回診療、診療所建設、日本から専門家のスーダン受け入れを行っていきます。
READYFORでの「土とレンガの診療所プロジェクト」はこちら

また、同時にエクアドルで大きな地震が起こし、多数の犠牲者が不幸にも出ました。
ここでも、救出活動、支援活動を、今でも行っている方々がいらっしゃいます。

熊本、エクアドルの緊急事態、スーダンのようなアフリカ諸国、また被災していない日本の各地域、それぞれの人が、それぞれ立場で、自分の出来ることを一生懸命に頑張り、声を出して、お互いを励ましあう時です。

ロシナンテスとは、ロシナンテの集団です。ロシナンテの元々の意味は、ドンキホーテが騎乗するロバのようなやせ馬です。
一人一人は小さな力でも、みんなで力を合わせれば、大きく強い力になります。

ロシナンテスは、熊本の阿蘇市で緊急支援活動を開始します。
さらにスーダンでの医療活動を継続させます。

熊本・大分へ向かうロシナンテ、熊本以外で後方支援をするロシナンテたち!
声を揃えて、被災地の方々のために、頑張りましょう!
そうしていると、被災した地域から「我こそはというロシナンテ」が生まれるやもしれません。
私も、スーダンで一人のロシナンテとして頑張ります!

「ひとりはみんなの為に、みんなはひとりの為に」

川原尚行

詳しく読む
更新日時: 2016年04月20日