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スーダン情報
東北のロッシーメンバーから、写真が送られてきました。
なんと純白の世界です。
当たり前のことですが、日本では冬でもちろん東北は積雪します。
私はスーダンですから、半袖で過ごしていまして、温度差はいったい何度になるのだろうと感じました。
ただし、今年のスーダンはとっても気候が良く、朝は少し冷え込むような気配です。
それでも、タオルケット一枚で寝ることが出来ます。
予想だにしなかったことですが、アフリカと東北で活動していますが、ロッシーメンバーと雪の写真を見て
現実はこうなのだ、と思い知らされました。
私自身、今月の終盤には東北に向かいます。
頭をスーダンから東北に切り替える準備が必要です。
今は、何事も実際に見てなくて、事が済んでいる現在です。
たとえば、今日は銀行に行きました。
ある用事で行きましたが、5万ポンドという紙幣を扱いました。
これが10ポンド紙幣で5000枚です。
これが、鞄いっぱいで相当に重いです。
もし、10ポンド札が1万円であるとすると5千万円です。
銀行で紙幣を数えるのに、機械を使っても相当に時間を要しました。
私はもちろん五千万円の現金を見たことも、触ったこともないですが
今日は、スーダンポンドを日本円札に見立てて、こんな感覚なのかと理解できました。
東北に行けば、写真では伝わらない実際の寒さを私の肌で感じることでしょう。
何事も現実を見る必要があることを感じた、雪の写真と現金でした。
川原尚行
昨年のクリスマス、ダルフールの反政府勢力JEMのリーダーのハリル・イブラヒムが首都陥落を狙って
ダルフールから進軍中に途中で撃退され、殺害されました。
08年には、同じJEMが首都陥落を狙って、オムドルマンまで実際に来て市街戦を行い、
このときは、ハリル・イブラヒムは退散しました。
この戦闘後の分析では、反政府軍がもし空港を抑えて、制空権を握っていれば、首都は陥落していたかもしれない、と
されています。
もちろん、制空権を抑えられないように、政府軍は万全の態勢を築いていたのでしょうが。
それから3年後の襲撃計画でしたが、未然に防がれ、リーダーの殺害に終わりました。
数日前、JEMが再び首都への攻撃を行うと声明を出した、との不確定な情報がありましたが
首都のハルツームは至って平和です。
この殺害されたハリル・イブラヒムは医師であり、ある人によっては、人望のある人だったようです。
反政府の指導者ですから、二面性の評判はありますが、悪い評判もあれば、上記のように良い評判もあるようです。
その兄弟は、日本で経済学を学んだそうで、かれも優秀な人のようです。
スーダンには、南北の内戦の他に、ダルフールの内戦があります。
また東部にも火種はありました。
表題のように、安定しているようですが、水面下では不安定ですし
またその逆も言えます。
つまりは、アンテナを常に高くして、あらゆるところから情報を得ないといけません。
「アラブの春」が近隣諸国で起こっていますが、このスーダンに「春」はやってくるのでしょうか?
それには、アラブの春が本当のものになるのか、まだ時間を要します。
現代における民主主義の形が、そのままでよいと言えるのかも問題です。
次の大統領選挙は2015年。
それまでに、何かが起こるのでしょうか?
川原尚行
ロシナンテスの始業は本日からです。
今までは、始業がいつとは全く気にもしていませんでした。
よくいえば、いつも働いている、
悪く言えば、だらだらと働いている。
今年は、スーダンでは4日から、東北そして本部では5日からスタートです。
東北そして本部に電話をかけます。
東北は寒いようですが、みな元気にしていました。
さて、「めりはり」というのは大事ですね。
今頃になってようやく理解しました。
一日でもそう、一年でもそう。
そうやって強弱をつけながら、仕事をしていければと思います。
スーダンでの年初めの仕事は、スーダンで日本からの受け入れ準備です。
今年、いったい何人の方がスーダンに来られるのでしょうか。
私は精一杯受け入れていきたいと思っています。
また、東北でもボランティアの方々を引き受けてまいります。
みんなで共同作業をしながら、ともに進んでいきたいです。
目標はでっかく、そして目の前の小さなことをこつこつとやる。
Think Globally, Act Locally!
東北は氷点下、スーダンは30度を超えています。
そのどちらでも活動をしていること自体、グローバルな活動だと思います。
今年も気合を入れて、仕事を行ってまいります。
川原尚行
日本では、仕事始めでしょうか。
スーダンでも、事務所自体はそのようにしました。
しかし、スーダンでは元旦が独立記念日で休日なのを除いて、2日から始業しています。
私は、ハサバッラ村での諸行事(なぜか3度も葬式に行きました)に参加し、3日にハルツームに戻ってきました。
そして、事務所での仕事始めです。
お昼に、日本から持ってきた御餅を食べました。
和代ちゃんが、関東風に雑煮を作ってくれました。
九州では、もちは焼かないで入れますが、関東では焼いて入れるそうです。
結構おいしかったです。
関西出身の人は、みそ風味の雑煮だそうです。
金子みすずじゃないですけど、みんなちがって、みんないい、ですね。
さて、午後からハルツーム大学に行きました。
ハルツーム大学とロシナンテスとは学術提携を結んでいます。
大学からの話では、2月にあるハルツーム大学主催の学会にぜひとも日本から研究者を招聘してくれ、との依頼でした。
私の記憶するところ、これは確か第三回目の学会です。
南スーダンが独立を決めて、石油収入が激減した北部スーダンが、石油以外での活路を見出そうと
大学をあげて、将来の国を背負って立つような研究をしてもらおう、というものです。
なんだか、明治期の日本の大学を思い浮かべます。
あの当時は、研究者たちは、自分が一日怠けると日本が一日遅れる、とそんな風に思っていたのでしょう。
スーダンもそのような雰囲気が漂えば、素晴らしいことだと思います。
私は、日本の大学に関しても同様のことが言えると思います。
スーダンの新たな国づくりに参画することによって、何となく漂っている感じの日本の雰囲気をも打破して欲しいと願っています。
また、スーダンから日本を視れば、違った形の日本が視えるでしょうし、また世界を見渡すこともできます。
どうぞ、心意気のある方は、スーダンにいらしてください。
川原尚行
新年あけましておめでとうございます。
旧年中は、皆様方の温かいご支援によって、スーダンでそして東北で活動をすることができました。
心より感謝申しあげます。
本当に「ありがたい」気持ちでいっぱいで、今年も気を引き締めて、事を行っていこうと新たに決意しました。
今年は、スーダンの診療所のあるハサバッラ村で村の人たちと新年を迎えました。
昨年の最後の夕日と、その夜の満天の星空、そして新年の初日の出をハサバッラ村で見ることが出来ました。
自然の雄大さを知るとともに、昨年は自然の怖さもいやというほど知らされました。
我々人間は、この自然の前に、畏れを抱きながら、そして自然といかに調和して
(おこがましい表現ですね。調和させていただくでしょうか)いけるかでしょうか。
昨年末にも書きましたが、原点を見つめながら、そして私自身、優しさを持ちながら
スーダンで東北で、精進していこうと思います。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
川原尚行
今日は、12月30日。今年もあと二日を残すばかりです。
スーダンは金曜日で休みですが、夜まで仕事が入っています。
最後は、スーダン人医師たちの集まる勉強会に行ってきます。
私自身は、だらだらと仕事をしていますが、締めるときは、きちんと締めないといけないと思います。
つまり、28日に簡単ですが納会をしました。
日本から持ってきた「もち」をみんなで食べただけですが、形として締めたものとなりました。
ロシナンテスは、設立から無休で活動していましたが、昨年から年末年始休暇を導入しました。
昨年に引き続いて、今年も年末年始は休みです。
東北でも年末年始は休みとし、スーダンかた東北まで電話して、それぞれに今年の働きの労をねぎらいました。
東北では、12月の何日だか、私の最後の東北の日にうちうちの忘年会を行いました。
最近、思うことは、すべてのことに意味があるということです。
今までは、気が付きませんでしたが、忘年会も一年の労をねぎらい、来年からまた頑張ろう!という意味合いがあるのかな、
と勝手に解釈いたしております。
今まで気が付かなく、みんながやっているからやる、もしくは慣習だから行う、ようなものの意味をじっくりと考えると
すべてに意味のあるように思えます。
これからの試みとしてあらゆることを
「原点から考える」
ことをしてみようと思います。
小さなことから、大きなことまでです。
日々の行事の他、
子供に対して、嫁に対して、親に対して、
スーダンのこと、東北のこと、
さらに日本の今の立場のこと
日米関係、日中関係、日韓関係、原発のあり方、
日本の政治のこと、経済のこと
原点に立ち返って考えると、今後どうすべきかがわかるような気がします。
そんなことを思う年の瀬です。
私は今年最後の日は、診療所のある村で過ごします。
みなさまの平成24年が素晴らしい年になるように、遠い空から祈っております。
川原尚行
ハルツーム市内は、平静を保っています。
昨日は、大学に行くのを取りやめましたが、もう近づいてもよいかもしれません。
もちろん、情報収集は行いつつです。
さて、現在ハルツームには廣浦さんという名古屋からお見えの臨床工学技士さんがいらしています。
もうこれで3回目のスーダンです。
臨床工学技士というのは、なじみがないように思われるでしょうが、高度化してきた医療界における
医療機器の保守管理を行います。普通の機器の保守管理と違うのは、一歩間違えば患者さんの命取りになることです。
機械のことだけでなく、医学のことに関しても知識が必要です。
スーダンにも、そのような臨床工学技士さんはいますが、
スーダンでは、臨床工学技士は機械のみで、患者さんに使用するのは看護師と役割分担が決まっています。
しかし、役割分担が決まっていても、連携プレーというのは必要で、それがいまひとつという気がします。
これには、スーダンの保健省も気が付き始めていて、保健省が話し合いたいと言ってきています。
また、大学機関もスーダンでの臨床工学技士の育成に関して協力してくれとの依頼を受けています。
この声にどう答えたらよいのかを思案しなくてはいけません。
「ひと」が必要ですし、それを支える体制も必要です。
日本の若い人が、飛び込んでくれるのが一番良いと感じています。
既存の出来上がった環境の中に入るのではありません。
自らが手探りで、作り上げていかないといけません。
「われこそは!」という人の出現を期待しています。
川原尚行
平和なクリスマスを願っていましたが、そうでもない事件が起こりました。
スーダンは南北の内戦ともうひとつの内戦があります。
ダルフール問題です。
ダルフールの反政府軍が、かつてハルツームで戦闘を引き起こしたこともあり、
ハルツームが騒然となったこともありました。
私は、ハルツームから診療所のあるガダーレフに車で移動中のことでした。
それと同じようなことが起きかけていて、再び同じ反乱軍がダルフールから首都のハルツームに攻め入っていこうとしていたようです。
そして、その反乱軍のトップであるハリル・イブラヒムがスーダン国軍によって殺害されたとの報道が
本日あり、ハルツーム市内でデモや抗議行動が広がっているようです。
そんな中、天の川プロジェクトで日本に行った子供が6名、ロッシー事務所を訪問してきました。
南部の子供たちも来るようにしていましたが、ハルツーム市内が騒然としていることなどから、来るのを控えるように指示しました。
北部の子供たちの移動は、問題ない経路と確認しました。
みんなで日本の映像を見て、そして最後はしおりちゃんのスマイルを歌います。
日本語で歌うのです。
クリスマスの日、かたや、大人たちの戦闘、かたや、子供たちの歌声。
人間とは、いったい何?と考えさせられます。
川原尚行
スーダンでは、クリスマスはいったいどのようになっているのでしょうか?
私が赴任してきた頃には、クリスマスは休日ではありませんでした。
一度、南部出身の大使館のローカルスタッフを私の家に招いたときに、口々に
「クリスマスを休みにしてほしい」
と言っていました。
クリスチャンにとって、クリスマスが休みでないのは、一番の憤りのようでした。
それから、内戦が終結して、南と北の連立政権になると、クリスマスが休日となりました。
めでたし、めでたしとなりましたが、今年は南部が独立してしまいました。
さて、北部スーダンのクリスマスはどうなるの?
人によっては、24日の夜に発表になると言っている人もいます。
スーダンでは、イスラム暦での休日設定で、月の状態によって休みが決められます。
ですので、前日の月の具合によって、正式に明日が休日かどうかが発表されます。
こういうことになれると、予定行動をとることが難しく、なるようになれと自然となってきますが、
さて、本日はクリスマス。
ロシナンテスは休日としました。
ただし、仕事はあります。
朝からハルツームの病院に出かけます。
私は、20日の夜に日本を出発しましたが、その時に小学校4年になる娘にこう言いました。
「お父さんは、世界サンタ教会から、サンタクロースに任命されたので、日本を旅立ってサンタの仕事をするんだよ」
「うそだよ!」
「本当だよ」
「じゃあ、私がサンタさんにお願いしているプレゼントが何かわかる?」
「今はまだわからないよ。世界サンタ教会が教えてくれるんだよ」
「うそだよ」
「本当だよ」
こう言って、家族と別れて日本を旅立ってきました。
娘が小学校2年生くらいだったら信じてくれたかな。
クリスマスの朝に、みなさま方の枕元にはプレゼントが届いたでしょうか?
私の枕元には、残念ながら何もありませんでした。
当たり前のことです。
私がサンタなのですから。
川原尚行
今日は、日本からの廣浦先生が来られます。
もう3度目のスーダン渡航でしょうか?
廣浦先生は、臨床工学技士さんで、私は廣浦先生とその仲間の方々に今後の大きな展開を感じています。
さて、スーダンの深夜に小津安二郎の「東京物語」を見ました。
なんとも、せつない物語です。
田舎から上京しても、忙しい子供たちにまともに相手にされず
唯一相手にしてくれたのが戦争で亡くなった息子のお嫁さんのみでした。
そして、自分たちの居場所のなさを感じて、故郷に帰るのですが
その直後にお母さんが亡くなるというものです。
戦争から8年経過した物語ですから、昭和28年の頃でしょうか?
私は昭和40年生まれですから、それよりも一昔前の物語です。
そのときでさえ、自分たちの生活が忙しくて、両親をちょっと邪魔にする風潮があったのでしょうか?
少なくとも、そのような風潮があったからこそ、それを題材にして「東京物語」が出来上がったのでしょう。
それから58年。
今の日本です。
しみじみと考えさせられました。
家族というのを、自分の配偶者と子供と限定しすぎてきたように思えます。
核家族がこれです。
家族と言えば、自分たちの親まで含めたものを指すように考えると、随分と景色が変わってくるように思えます。
「東京物語」では、末娘の京子さんが、地元の小学校の先生をしています。
願わくば、残されたお父さんと末娘さんがお婿さんでももらって一緒に暮らせれば、と思います。
親を思えば、必然的に故郷を大切に思う気持ちが芽生えます。
そういう自分は、親と嫁そして子供を日本におき、スーダンで年末年始を過ごします。
なんて親不孝な、そして家族思いでない男なのでしょう!と自責の念も湧き起ってきます。
今年は、震災後の被災地に入り、家族の絆を再認識させられました。
それだけに、ちょっと複雑な思いです。
みなさまも、お時間があれば「東京物語」をご覧くださいませ。
そして、ご自分のご家族のことを考えてくだされば幸甚です。
川原尚行



