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スーダン情報
ただいま、スーダンです。
ドーハからのフライトは、食事もとらずに眠りこけていました。
ハルツームに到着後、事務所で簡単に仕事をこなし、JICAでの会議に出席、
そして、その後は、ロッシー事務所にお客様が来ての対応です。
たくさんの方々に来ていただけるのは、本当にありがたいことです。
スーダンでも、東北でも、そして北九州の本部もしかりです。
その日の終わりに、スーダン人スタッフのラビアがニコニコとして私のところにやってきました。
借金を返済するためのものです。
ラビアは、ロシナンテスの最初のスーダン人スタッフです。
そして、彼女がモハメドを我々に紹介してくれ、モハメドを採用しました。
モハメドは、大変優秀であり、さらに日本人の心を理解してくれ、個人的にも仕事がとてもやりやすかったです。
このラビアとモハメドは、恋仲であり、早く結婚しろ、と私はいつも言っていました。
しかし、モハメドは「カネがない」となかなか結婚には至りません。
スーダンでは、本当に結婚にはお金がかかります。
そこで、4年前くらいの頃でしょうか、私はお金を彼らに貸してあげることにしました。
その額は、かなりなものでしたが、彼らが幸せになるのなら、と思い、貸したのです。
その後、心あったまるような結婚式がありました。
そして、男の子も生まれました。
モハメドは、さらに勉強したいと、ロシナンテスを辞職し、大学院に進学しました。
ラビアが稼ぎ頭となって、旦那と子供の面倒を見ています。
そして、借金の完済となったのです。
今までに、お金を貸したことは多々ありますが、これだけの年月をかけて返してきたのは初めてです。
返してもらったことも、返してもらえなかったこともあります。
最初から返らないと思っていますので、返済された時には、ありがたみが増します。
そして、借金完済式に呼ばれ、彼らの家で食事を頂き、泊まってきました。
ロシナンテスと関わる人たちに笑顔が広がるのは、私としてもとっても嬉しいことです。
川原尚行
日本小児科学会への出席のために帰国しています。
高校時代のラグビー部の友人である上田君が、久留米大学医学部小児科の医局長(出世したものです)であり
その御縁から招かれました。
そのために、福岡に滞在しています。
北九州と福岡では、70キロほど離れており、以前は無理をして、深夜でも帰宅していましたが
この距離が結構つらく、学会側が用意してくれたホテルに滞在しています。
今朝、ジャージ姿で福岡の街をぶらぶらと散歩しました。
夜の顔と違う中洲、昼のにぎわいと違う天神、今までで違うものを視るようで、とても興味深く朝の福岡の街を歩いて回りました。
しばらくして、道行く方から声をかけられました。
恥ずかしながら応答しますが、相手さまは、
なぜ川原は朝の福岡をジャージ姿でひとり歩いているんだろう?
と疑問に思ったことでしょう。
道の途中で、長々と事情を話すこともできず、ちょっともどかし感じもしました。
今日は昼前からお世話になっている方々への挨拶回り、
その後、講演(勉強会)があり、夜は懇親会です。
明日は一般向けの講演です。
14時半から、福岡サンパレスです。
お時間のある方は、ぜひともお越しください。
私が、スーダンに来た2002年(もう10年も前になります)から、患者さんを送っていた病院があります。
ドクターズクリニックという名前で、我が国が1985年に無償で建設したイブン・シーナ病院の初代の院長のザキディーン先生が
このドクターズクリニックのオーナーの一人でもありました。
日本人で何かが起こった時に、私が医務官時代にも、NGOの立場になったときにも、よく利用していました。
また、私の指示が通るようにもしてありましたので、私がここで診察をして、検査の指示をすると、その結果が届けられたりもします。
スーダンにフィリピン人の看護師が最初に来たのも、この病院でした。
また、数年前には大統領のお姉さんが体調を崩されたときにも、この病院に入院しました。
そのときにいた、霜田君が大統領が目の前を通り過ぎて行ったと、彼なりの興奮したなりで話してくれたのを覚えています。
そして、新しい私立病院が出来ました。
ロイヤルケアという名前です。
ここは、以前にクウェートが支援して病院を建設していましたが、湾岸戦争でスーダンがイラクを支持したために、
クウェートが手を引き、建設途中で、放ったらし状態になっていて、私がNGOを立ち上げたときには、スーダンのさる筋から
日本で病院建設を行ってくれないかと打診を受けたこともありました。
もちろん、そのような対ソれたことが出来ずにいたところ、スーダン人のお金持ちの何人かが、融資して新病院建設となったようです。
外観からして、既存の病院とは違います。
中も、ゆったりと空間が部屋にあり、廊下も広々としています。
医師たちは、スーダンでも優秀な医師が集まっているとのことです。
看護師は、ほとんどがフィリピンから来ており、さすがフィリピンの看護師さんは、良く働きます。
このような病院を見ながら、いつかロシナンテスも病院を建てたいなあ、と思うのでした。
構想自体は、膨らんできているのですが、肝心なものがさっぱりありませんね。
まずは、精進を重ね、構想をしっかりと持てば、お天道様がなんとかしてくださるだろう、と少し楽観的には考えています。
それにしても、南北スーダンの争いは、見苦しいですね。
医療で、何とかできないものかと、日々考えています。
川原尚行
本日、スーダンで取材を受けました。
全くの大手新聞社ではない、熊本日日新聞です。
私は、この話を頂いたときに、大いに驚愕しましたし、大いに喜びました。
大手新聞社でさえ、なかなかスーダンの中まで入りこんでの取材はあまりなく、
また困難な状況を新聞社の方々から聞いたことが多々あります。
そのような状況の中、地方の新聞社がスーダンを訪問したとあって、本当に嬉しく思いました。
スーダンでの取材の後は、南スーダンに入られるようです。
このたびの取材には、JICAが全面的なバックアップがあったようで、
とてもうまく連携しての取材だと感じます。
取材場所は、当初はロシナンテス事務所にしていたのですが、イブン・シーナ病院にしました。
話を聞くだけより、そこに自分の身を置けば、より理解できることと信じてのことです。
院長からイブン・シーナ病院の歴史を語ってもらい、現在の状況、そして将来はどうしたらよいかなど、
私としても院長と話が出来て良かったです。
病院をぐるっと回り、手術室まで来ていただき、中のドクターたちとも話が出来ました。
外科医長のアブデルマジッドは、私の親友(親友というには彼が相当の年上ですが)であり、
快く取材も受けてくれました。
熊本日日新聞で、どのような記事になるのか、楽しみです。
私と熊本とは、多少の御縁があります。
熊本大学の外科の馬場教授には、本当にお世話になり、熊本大学に何度となく呼ばれていますし、
最近では薬学部でも、関わり合いを持っています。
この2月には、熊本大学の薬学部の矢原先生にスーダンに来ていただきました。
また、「逝きし世の面影」を書かれた渡辺京二先生にお会いしたくて、
熊本にまで足を運んだことがあります。
たしか、渡辺先生は熊本日日新聞に連載をお持ちだと記憶しております。
熊本日日新聞のような地方紙が、地元のことをしっかりと報道し、さらに世界にも目を向ける!
本当に発展していってほしいと願います。
ロシナンテスも「閖上復興便り」という、ローカル新聞を発行しています。
これも成長していき、現在は1万部の発行です。
地方の発展、これは日本の再生のための絶対のキーワードになると確信しています。
さらなるものとして、地域医療、教育もありますね。そして農業はとても大切ですし、
地産地消のエネルギーが出来たらとも考えます。
スーダンで熊本日日新聞の取材を受けて、一人興奮していました。
イブン・シーナ病院の中を撮影しまので、掲載いたします。
川原尚行
【カルテ庫】
【術後の回復室】
【透析室】
【病院の外の待合室】
昨年、天の川プロジェクトで南北スーダンの子供達を日本に連れて行きましたが、
その中で南部の子供達の一部がまだ北部の首都のハルツームにいます。
マナルの出身はアビエイで、そこは石油が出るところで、南北スーダンの紛争地でもあります。
ぞくぞくと南の子供たちが、南へと帰って行っている中、マナルはハルツームに残っています。
帰ることが出来ないのです。
紛争地だからです。
幸いなことに、ご家族はすべてハルツームにいるとのことで、安心です。
新年度には、大学に進学したいそうで、目標は大きくハルツーム大学のようです。
南部に行っている人でも、ハルツームにある大学に行きたい人は、この前に行われたスーダンの統一試験の結果が
良ければ、ハルツームの大学に行くことができるそうです。
これは、時限措置で、3年間有効なようです。
もちろん大学は4年生ですから、この時限措置は延長されるものと思われます。
マナルが、その属する団体の長とともにロシナンテス事務所に来てくれました。
6月と7月に子供達を対象とするイベントを行いたいので、協力してほしいとのことです。
マナルが中心となって、イベントを開催したいと言っていますので、何とかしてあげたいと思っています。
昨年の天の川プロジェクトは6月30日から7月7日まで日本に滞在しました。七夕の日に日本を離れました。
今年も、この七夕にイベントがスーダンで行われるのでしょうか、
マナルの笑顔を見ていて、そこに引き込まれるものがありました。
![]()
写真の一番左がマナルで、アップの写真が今日のものです。
南北スーダンは、現在政治的には最悪の状態ですが、この子供達の笑顔が光となるように
頑張らねばなりません。
川原尚行
ロシナンテスでサッカー教室を行って、もう数年が経過しています。
昨年は、天の川プロジェクトで、このサッカーチームから西條コーチが選んだ5人を
南スーダンの子供達と北スーダンの女の子と一緒に日本に連れて行きました。
宮城県名取市の閖上小学校中学校の子供達と一緒に運動会を行いましたが、
今でも、そのときの子供達の笑顔が忘れずに私の記憶によみがえってきます。
この大運動会の後、スーダンの子供達が涙を見せていました。
「津波という大災害にあっても、私たちを暖かく迎えてくれた」
そのような気持ちからの涙でした。
涙したスーダンの子供達の中にゼインがいました。
とても、純粋な男の子です。
それから、スーダンに戻ってきて、ゼインが私のところにやってきます。
「日本が大好きになりました。日本で勉強がしたいです」
ゼインの純粋な気持ちは理解できますが、実際に一人のスーダンの子供を日本で勉学させるには、一体どうしたらよいのか?
全く見当もつきませんでした。
昨年から、いろいろと情報を集め、今年、ゼイン君を北九州の九州国際大学付属高校に受験させることとしました。
それまでに、我々スタッフが日本語を教えたりして、一生懸命に勉強させました。
そして、今年の1月24日、ゼインの受験が行われました。
結果は、見事合格です。
一旦帰国して、スーダンでの統一試験に臨みます。
大学に行くための共通テストみたいなものです。
スーダンは、日本とは学制が違い、8年の基礎教育に3年の高等教育です。
そのあとに、大学に進学です。16歳のゼインは、実は大学に行く年齢ですが、
日本では高校受験させました。
北九州でホームステイすることになりました。
とても暖かい家庭が、受け入れを快諾してくださいました。
4月9日、快晴のもと、そして桜が満開の時でした。
入学式が行われました。
晴れがましいゼインの制服姿です。
ゼインは、サッカーが得意で、高校でもサッカー部に入りたいと言っていましたが、
なんとスーダンで怪我をしてしまい、日本に来たときは足を引きずっていました。
済生会八幡病院に連れて行き、骨折が判明。
半年以上、プレーはできないことがわかりました。
大学時代の友人が見てくれました。
これもお天道様からの何かの啓示でしょう。
担任の先生は、私の故郷の山路の人です。
一見して、熱血漢の先生です。その先生が放課後、日本語の特訓を行ってくださるようです。
まずは、日本語をしっかりと勉強しなさいということでしょう。
ゼインのクラスには、私の中学校の先輩の御嬢さんもいらっしゃいます。
彼女は、私の娘の中学時代のバレーの後輩でもあります。
隣のクラスには、東北事業本部長の大嶋君の息子さんもいます。
地元にいれば、このようにすべてに関して、何らかの関係を持つことが出来ます。
ゼインが私の故郷で、高校生活を開始したことは、本当に私にとっても至上の喜びです。
ゼインが彼のお父さんや家族にあてた手紙を日本から持ってきましたので、それを渡します。
電話でお父さんの弾んだ声も聞こえました。
政治的に全くもって不安定なスーダンですが、明るい光も見えてきます。
この光を大切にしていきます。
川原尚行
私は、普段カメラを持ち歩いていません。
誰か撮ってくれるだろう、と思い、今までやってきました。
ただし、これを伝えたい!と思った時に、意にかなう写真がありません。
また、写真というもので、伝えられることを伝えていこうと、考え
カメラを購入しました。
日本を出発する直前に、大阪でほんのわずかに時間があったので、大阪にいる高校ラグビーの後輩の市口くんに電話をして
カメラ屋どこ?って聞いて、ヨドバシカメラにたどり着きました。
私は買い物をするときは、恐ろしいくらい時間をかけません。
店員さんの指示通りに購入します。
店員さんにしてみれば、こんなに良いお客さんはいないと思われるでしょう。
私が要求したのは、
1.砂ぼこりに強いもの
2.望遠でも、しっかりと撮影できるもの
この二点だけです。
店員さんは、ニコンのカメラを持ってきました。
「じゃあ、これください」
といって、カメラを購入しました。
相当に高い買い物でしたが、きれいな写真を撮れて、日本の皆様にスーダンの情景がお伝えできれば、
まあこんなものかと、思います。
ついでに、本屋さんによって、カメラに関する本を二冊購入しました。
さて、どこまでカメラ小僧になりきれるかです。
朝日とともに、起床し、朝の風景を撮影しました。
外でシーツにくるまれて寝ている人、起きだして仕事の準備をしている人などが見られます。
スーダン人は、だいたい外で寝るときは、頭からすっぽりとシーツをかぶって寝ます。
私が、夜中に緊急で呼び出されていったときに、頭からシーツをかぶっている姿を見て、
「もう、間に合わなかったのか、安らかにお眠りください」
と間違ったこともありました。
ちょっと目立つカメラなので、スーダンで撮影していると、ひと悶着ありそうですが、それも併せて報告できればと思います。
川原尚行
地元の北九州のロシナンテス事務所で仕事を行い、翌朝早くに自宅を出て、北九州空港に向かいます。
送ってくれるのは、両親です。
朝7時のフライトですから、家を出るのは、5時半ごろです。
通常の公共交通機関がまだ動いていない時間です。
タクシーだと1万円以上かかるために、いつも両親に送ってもらっています。
父親は、昭和4年の82歳、母親は昭和10年の76歳です。
母親はまだまだ元気ですが、父親は足が弱くなってきています。
先日、東京から北九州に帰ってきたときに、ほんの少し時間があったので、これまた空港まで迎えに来てもらい
そのまま河内貯水池へと向かいました。
花見をするためです。
ここの桜は、私がまだ幼少のころから、親しんでいるところです。
小学校の頃は遠足で来ていました。
それから、何年たったのでしょうか、
40年は経過しています。
ソメイヨシノはとてもきれいです。
しかし、寿命が70年ほどのようです。
それを考えると、次の世代に、私が見たソメイヨシノは残すことができません。
山桜は、200年くらい、もしくはそれ以上寿命があるようです。
ソメイヨシノに比べると、花の具合は地味ですが、私の親の世代から、私の世代、さらに子供の世代、そして・・・
と続くと考えると、山桜そして自然の木の花の素晴らしさを想います。
本当に良い花見でした。
父も、本当に喜んでくれました。
しかし、階段を上がる際に、足元がふらつき、父は転んでしまいました。
幸い、やわらかい草がもうもうと茂っているところでしたので、大丈夫でした。
そんな父を運転手として、こき使うな、という意見もありますが、父と母は、息子を空港に送迎するということで、
家族だけの時間を持てますし、両親も息子に頼られている、ということに「やりがい」を感じているものと思います。
そんな両親に送られて、東京に向かい、仕事をこなします。
そして、翌朝東京から、大阪に向かい、また仕事を行います。
関西空港での飛行機の離陸時間が0時10分ですが、その1時間前の空港到着で何とか滑り込みセーフで
飛行機に乗れました。
日本の桜を愛でた後に、これまた慣れ親しんだスーダンの暑さが私を迎えてくれます。
そうだ、両親に私の無事を伝えることにしましょう。
川原尚行
東京で、ビジネスに関わる方々と話をしています。
ビジネスというのは、利益を追求することを第一に考えていると一般的には思われています。
一方、我々は社会がよくなっていくことを第一に考えています。
この固定観念ですと、私がビジネス関係の方々と、ビジネスそのものの話をすると、どうも違った方向に捉えられる傾向にあります。
つまり、川原は、NPO(特定非営利法人)を設立しておいて、結局は「カネ」を追い求めているのか、と。
しかし、突き詰めて物事を考えていくと、企業の方々も、社会を良くするために、利益をあげて、それを社会に還元していると考えれば、
それは、我々と究極的なところで交わる、と思います。
「徳」という言葉があります。
この究極的に企業とNPOと交わることは、「徳」かな、と考えます。
企業の歴史を見ると、どこも「徳」をもって、企業経営をされてきたように思います。
それが、我々とうまく交われば、と願います。
そんな思いで、東京の街を歩いたり、走ったりしています。
時間はかかるでしょうが、腹を据えて、事を進めていきます。
今は、まだうまく伝えることはできませんが、少しでも形にできていければと思います。
スーダンのため、東北のため、そして日本のために
川原尚行
昨年は、被災地での花見を決行いたしました。
震災後に、きれいな桜が日本のあちらこちらで咲いていましたが、自粛でお花見はなされていませんでした。
そこで、被災された方々と一緒に、逆に日本に元気を送り届けよう!とお花見を行いました。
私も、率先して(お酒に関して)花見に参加いたしました。
本当に楽しい、そしてみんなで一体となった花見が出来ました。
そして、今年。
東北での桜は、まだ蕾が付いたような段階ですが、都内では、きれいな桜が咲いております。
私は、今年はゆっくりと花見をすることはできないのですが、講演先に取っていただいた都内のホテルの部屋の窓からきれいな桜を見ることが出来ます。
ただし、気が付いたことが一つあります。
花見をする人たちが使う、ブルーシートが目につくのです。
桜のほんのりとした色を、人工的な青色で汚しているように思えます。
桜が植わっている土も呼吸困難に陥っていると思います。
人間だって、サランラップでぐるぐる巻きにされると、苦しいように、土はブルーシートをきらっているのではないでしょうか?
むしろ、というのがありますが、あのようなものが、花見には一番だと思いますが、現代社会にはなかなか手に入らない状態なのでしょう。
簡単なことに、目を向けていく。
むしろを敷かなくても、そのまま土の上に座ってもよいと思いますし、
自然と共生するということを簡単なところで実践できれば、と思います。
忙しい合間の、ホテルの一室から見た桜をみて、思ったことでした。
川原尚行



